第百六十八話 使命
「――って、ことがあったんだ」
討伐演習が終わった、その日の夜。
ようやく寮に戻った〈レミナ・フォールランド〉は、同室のクラスメイトであり、親友でもあるトリシャに、逸れていた間に起こった出来事を話していた。
ただ……。
「ちょ、ちょっと待って! ちょっと待ってちょっと待って!!」
話をしている最中は異様なほどおとなしかったトリシャだったけれど、一通り話し終えたところで突然再起動。
泣きそうにも見える半笑いみたいな顔で、諭すように口を開いた。
「や、あのね、レミナ。大冒険したのは分かるけど、いくらなんでも話盛りすぎだよ。だって、レオっちがどんだけすごくても、〈ファルゾーラ〉って第十五階位魔法だよ? 伝説だよ?」
ありえない、とばかりに首を振るトリシャに、レミナは、
「うん。びっくりするよね」
とあっさりと返す。
そのあっさり加減が逆に"ガチ"っぽかったのか、トリシャはなぜか声を潜めて、問いかけた。
「……え、ほんとに、ほんとう? ほんとーに、レオっちが十五階位魔法使ったの?」
「うん」
レミナの返答に、それ以上は現実逃避出来なくなったのか、トリシャは「うわああああ!」とばかりに頭を抱えた。
そのままベッドを転げまわってから、突然ピタ、と止まって、上目遣いにレミナに質問を投げかける。
「じゃ、じゃあその、深層の魔物の群れを一時間ずっと倒し続けた、とかも?」
「うん。だってトリシャも教官が討伐数言ったのは聞いたでしょ?」
「聞いたよ! 聞いたけどさぁ!」
あれが全部深層の魔物だとは思わないじゃんかぁ、と再び頭を抱え、ゴロゴロゴロ、ゴロゴロゴロとベッドを何度も転がって往復するトリシャ。
「お、落ち着いてよ、トリシャ」
仮にも帝国民の憧れである英雄学園Aクラスの女子とは思えない行動に、流石のレミナもたしなめる。
この学園の生徒は貴族ばかりだし、いくらなんでも身内とはいえ人前でこんな奇行を披露する学園女子はほかにはいないだろう。
そんな呆れをふくんだ視線がトリシャにも届いたのか、彼女はようやく転がるのをやめると、ベッドに横たわったままレミナを見上げる。
「というか、それにしても千匹はやばすぎない? いくら生命力を効率よく魔法に使えるからって……」
唇を尖らせたトリシャの言葉に、レミナは一瞬だけ、言葉に詰まったけれど、
「……それは、これを食べたから、みたいだよ」
ひょい、とばかりにお菓子の入った小さな袋を取り出して返答した。
「それ、〈ルナ焼き〉? 買ってきたの?」
「うん。ちょっと食べてみたいなって思って。はむ」
五つほどの粒を一気に口に放り込むレミナに、トリシャは胡乱気な視線を送った。
「おいしいの、それ?」
どこかおっかなびっくり尋ねたトリシャに対する返答は、
「……ふつう、かな」
という、なんとも煮え切らないものだった。
口ではそう言いつつ、レミナはひょいひょいと口にルナ焼きを放り込み続けたけれど、三十粒ほど食べたところで、
「……うん。もうお腹いっぱい」
と言って、あっさりと袋をしまいこんでしまった。
一人で取り乱しているトリシャとは対照的に、どこまでもマイペースに振る舞うレミナを、トリシャはじとっとした目で見る。
「夕飯もしっかり食べたのに……。夜にそんなもの食べたら太るよ」
「あ、あはは。今日だけ、だから」
そうして、レミナは焦ったように手を振ると、ごまかすように別の話題を振る。
「あ、そういえば、わたしの位階も上がったんだよ。一気に61になっちゃった」
「う、うそ!? 抜かされた!?」
出発時のレベルは55だったけれど、たまに出てくる魔法主体の魔物を相手にすることによって、レミナのレベルもぐんぐんと上がったのだ。
妹分にレベルで抜かされるのは堪えたのか、
「うう、わたしももっと魔物と戦わないと……。というか、一気に位階が6も上がるなんてめちゃくちゃすごいことのはずなのに、普通に受け入れちゃってる自分が怖いよ……」
さっきとは別の意味で頭を抱え、またゴロンゴロンとし始めたトリシャを生温かい目で見守りながら、レミナは自然な調子で口を開いた。
「光の魔法が思ったよりも効いたから、わたしでも魔物を倒せたんだ。……あ、そういえば、トリシャは次の光の第六階位魔法って、どんな魔法か知ってる?」
「知るワケないじゃん! 第五階位までの魔法だって、レミナが覚えてから二人で色々検証したの、覚えてるでしょ」
「だよね、ごめん。知ってたらいいな、って思って……」
そう言って笑いながら、レミナの瞳は、トリシャではないどこか遠くを見ていた。
(……ごめんね、トリシャ)
レミナはそっと、心の中で謝罪の言葉をつぶやく。
――トリシャに話したのは本当のことだけれど、それが全て「真実」ではない。
本当に「おかしい」ことは、ほかにあるのだ。
例えば……。
(レオハルト様は、世界樹に行く時にわたしに「第五階位は使える?」と尋ねてきた)
それは、「彼」が世界樹に行っている間に光の第五階位魔法〈インビジブル〉でレミナの姿を隠すため。
その効果を知っていれば、特におかしな発言じゃない。
……そう。
事前に「光の第五階位魔法の効果を知っていた」ならば。
(やっぱりおかしい……よね?)
情報通で知られ、色々な方面にアンテナを張って、積極的に情報を集めているトリシャですら、光の魔法にどんなものがあるのか、レミナと一緒に検証するまで知らなかった。
なのに、どう考えてもそういった情報に疎い「彼」がその効果を把握していたのはどうしてなのか。
(――レオハルト様は、光の魔法も使える?)
出てきたのは、突飛な推論。
けれど、今までの〈アルマ・レオハルト〉の行動を思い返すと、ありえないとも言い切れなかった。
……それに、違和感というのなら、とびきりのものがもう一つ。
いや、それはもう、「違和感」なんて呼ぶにはあまりにも大きすぎる「異常」。
(レオハルト様は、一時間近くもずっと〈ルナ焼き〉で生命力を補充しながら戦い続けていた)
果たしてあの〈ルナ焼き〉による回復分だけで、第十五階位魔法を連発することが出来るのか。
……なんてことは、どうでもいい。
いや、もちろんレミナも気にならない訳じゃないけれど、それ以上にもっと大きな「違和感」が、そこには横たわっている。
(――あの時、レオハルト様は一体何十個の、ううん、何百個の〈ルナ焼き〉を食べていた?)
レミナは、ずっと見ていた。
アルマは戦闘の度に五個、稀に十個程度の〈ルナ焼き〉を口に運んでいた。
……となれば、戦闘の回数からして最低でも五百、あるいはそれ以上の数の〈ルナ焼き〉を口に運んでいたことになる。
それは、誰にだって分かる「異常」だ。
だからレミナは、何度もアルマに問いかけた。
《わたしは平気、です。それより、レオハルト様の方が、無理、してませんか?》
《あ、あの、レオハルト様。本当に大丈夫……ですか?》
けれど、いつだって彼の答えは同じ。
それは全く無理をしていないどころか、それが当たり前になりすぎて、「自分が何を心配されているか」すら理解していない様子だった。
ではどうして、彼はあれほどの〈ルナ焼き〉を食べても平気でいられるのか。
……まず、〈ルナ焼き〉はいくら食べても満腹にならない、という線はない。
そのためにさっき自分で食べてみたけれど、きちんとおなかはふくれた。
どんなに空腹の時でも、百粒食べるのがせいぜいだろう。
……なら、彼は人よりもたくさんのものを食べられる体質なのか、というとそれも違う。
何百個も〈ルナ焼き〉を食べても平気で弁当を広げて食べ始めた彼だったけれど、弁当を食べたあとは満足そうにお腹をさすっていた。
あれが演技とは、レミナには思えなかった。
……だとしたら。
思い浮かんだのは、それこそ荒唐無稽に過ぎる想像、いや、妄想。
――〈アルマ・レオハルト〉は、〈ルナ焼き〉に限ってだけ、いくら食べても満腹にならない特異体質なのではないか、という仮説だった。
まるで訳が分からないし、ありえるはずがない仮説。
だって、それが本当だとしたら、世界で一人、「彼」だけは無限の魔力を持っているに等しいことになる。
(いくらなんでも、そんなこと……)
そう考え、無意識に首を振るレミナだったけれど、
「レミナ? レミナ、どうしたの?」
トリシャの言葉に、ハッと我に返る。
「な、なんでもないよ。ちょっと、疲れちゃって……」
そんな風にごまかしながら、
(……ごめんね、トリシャ)
レミナはもう一度、心の中で親友に謝る。
自分の恩人であり、親友でもあるトリシャに隠し事をする、というのは思いのほか罪悪感を刺激された。
本来の自分なら、いや、昨日までの自分なら、絶対にやらないような行動。
けれど……。
(――らなきゃ)
けれど、今日。
長い時間を彼と過ごすうちに、自分でも想像もしなかった想いが、レミナの中に生まれていた。
すごいけどどこか抜けていて、危機管理ガバガバな彼の秘密。
それはきっと、誰かがフォローしてあげなければ、際限なく広まっていってしまうだろう。
だから……。
(――わたしが、守護らなきゃ!!)
その日。
少女は人知れず、絶望的な戦いに身を投じる決意を固めたのだった。
使命感!!