第百六十三話 突入
突如として世界樹から噴き出した「闇」。
警戒して動けない僕たちの前で、それはさらなる変化を見せた。
うごめく黒い靄は、世界樹の近くの地面にうねるようにしてわだかまると、
「ま、まさか!?」
集まった闇が実体を得て、見覚えのある魔物の姿を形作ろうとする。
「っく! 〈ファルゾーラ〉!!」
もちろん、それをただ見逃す道理なんてない。
闇から生まれた魔物たちが動き出す前に、魔法の炎で焼き尽くす。
(とりあえずはなんとかなった……けど)
もちろんこれで、事態解決とはいかない。
世界樹の中から闇が噴き出し、その闇から魔物が生まれたということは、もはやこの異常事態の発生源は決まったようなものだ。
おそらくさっきの「闇」の正体は……。
「――魔力、ですよね」
レミナがぽつりとつぶやいた言葉に、僕は無言でうなずいた。
――ダンジョンは魔力によって形作られ、魔力によって魔物を生み出す。
さっきの「闇」が、可視化出来るほどの闇属性の魔力の塊だったとしたら、それが闇属性の魔物に変わるのはダンジョンの性質に沿っている。
世界樹から噴き出す高濃度の闇の魔力、それをどうにかしない限り、スタンピードは止まらないだろう。
それに、思いがけずもう一つ分かったこともある。
「……この木。炎は効かないみたいだね」
急いで魔法を撃ったため、〈ファイア〉のコントロールに気を付ける余裕がなかった。
だから、魔物を焼き尽くした〈ファイア〉の一部がそのまま世界樹に当たってしまった。
僕の〈ファイア〉は、深層の魔物すら一撃で焼き尽くす。
それが直撃ではないとはいえ命中したはずなのに、世界樹は燃えるどころか焦げ跡一つついていない。
世界樹でも火属性魔法は遠慮なく使って大丈夫というのが分かったと考えれば収穫。
ただ、最悪の場合は〈ファイア〉で世界樹ごと薙ぎ払ってしまえば、なんてことを思っていたけれど、どうやらそれは難しそうだ。
「……とにかく、調査だ」
これがイベントであるなら、必ず突破口はある。
世界樹内部への入口か、転移装置。
もしくは「闇」の噴出を抑える何かしらの仕掛けがあるはずだ。
僕は「闇」を警戒しながら、世界樹の周りを徹底的に調べることにした。
※ ※ ※
「……何も、見つからない」
あれから世界樹の周りを念入りに調べてみたけれど、「闇」の噴出口がもう一ヶ所あった以外に怪しい場所はなかった。
世界樹の周りの敵を倒したら全滅判定になったので、世界樹の中に空間があったとしても、内部と周辺は別マップになっているようだ。
外から〈絶禍の太刀〉で攻撃する、という裏技も使えない。
(イベントフラグが足りない? それとも、世界樹の中に入れるって考えがそもそも間違ってる? あるいは……)
考える。
考えるけれども、分からない。
「……どう、しましょうか?」
不安そうなレミナに、僕は唇を噛む。
あまり、悠長にしている時間はない。
あのトーテムの近くとは違って、近くで魔物がポップする上に地形が入り組んでいるこの場所では、どんな事故があるか分からない。
(……まだ一つだけ、手はある)
あまり気は進まないけれど、仕方ない。
「レオハルト様!?」
僕は「闇」の噴出が一段落ついたタイミングでそこに駆け寄ると、「闇」の吹き出し口に目を当てた。
「――見えた!」
穴の奥は薄暗く、ぼんやりとはしていたけれど、中には確かに地面があり、人が活動出来る空間が広がっていた。
「やっぱり、中に進める場所があるみたいだ」
「そう、なんですか? でも、どこにも入口は……」
声を弾ませる僕に、レミナは不思議そうに言葉を返すけれど、それはもう問題じゃない。
「いや、大丈夫。中が見えるなら、〈絶影〉を使えば入れる」
刀の第十武技〈絶影〉は、一瞬で敵の背後に瞬間移動して敵を斬りつける技だ。
ただ、これはゲーム時代から出来たことかは分からないけれど、何もない空間を指定することで疑似的な移動技として使うことも出来る。
目標地点を指定しないといけないので、〈終焉の封印窟〉のような閉じられた扉に対しては無力だけれど、こうしてかろうじてでも視界が通れば、そこを目標に出来る。
(明らかに正規ルートじゃないけど、こだわってる場合じゃないよな)
気は進まないけれど、本来は世界一のゲームの真ルートなんて攻略を横目にやるべき鬼畜難易度だ。
原作を守護るためなら、多少のズルも仕方ない。
「で、でも、大丈夫ですか? 武技は一度使ったら、すぐには……」
確かに、武技を使用すると、その後五分間は同じ武技を使えなくなる。
これはこの世界の絶対に真理で、僕のチートなメニュー画面であっても覆せないルールの一つだ。
「まあ、なんとかなるよ。それより、問題はレミナの方だ」
深層の敵を考えると、世界樹の中が多少強くてもまだ余裕がある。
それよりも、深層にレミナを一人で置いておく方が不安材料だ。
ただ、これにも一応の解決策は思いついていた。
「レミナ、光魔法が使えるんだよね? 第五階位は使える?」
「え? 〈インビジブル〉、ですか? それなら、この前覚えましたけど……」
光の第五階位魔法〈インビジブル〉はステルス系魔法。
自分の姿を見えなくして、敵の攻撃の対象にならなくなる、というとてつもない効果を持つ。
ただ、少しでも動いたり魔法を使ったりすると瞬時に解けてしまうので、効果中は本当になんの行動も起こせないという癖の強い魔法だ。
およそ主人公らしからぬ魔法で、使いどころがあるのかと迷っていたけれど、この状況にはピッタリだろう。
「じゃあ、〈インビジブル〉を使って、ここから動かないで。何かあったら、大声で呼んでほしい。可能な限り早く駆けつけるから」
「は、はい! 〈インビジブル〉!!」
レミナが魔法の力によって姿を消したのを見届けて、僕はあらためて世界樹に空いた穴に視線を戻す。
――ここからが正念場、時間との勝負だ。
僕は折れた刀を手に、もう一度真っ黒な穴に目を当てると、
「――〈絶影〉!」
使い慣れた技名を叫んで、世界樹の中に斬り込んだ。
※ ※ ※
視界が切り替わったと思った瞬間に、僕は次の技を発動する。
「――〈燕返し〉」
刀技が誇るカウンター技。
瞬間移動直後の不意打ちを警戒してのこの技の採用だったのだけれど、予想に反して僕は何事もなく世界樹の中に降り立った。
「ここは……」
木の中とは思えない広々とした空間。
光源はないはずなのに、地面や壁がぼんやりと発光しているのか、暗闇という訳でもない。
ただ、
(――怪しいものが、ない?)
世界樹の中に行けば、すぐに事態の元凶なり黒幕なりが待ち構えていて、イベントに突入するものだと思っていた。
なのに、世界樹の中は平穏そのもの。
辺りを見回しても地面には何も落ちておらず、魔物の一匹もいない。
もしかして空振りだったのか、なんてことを考え始めた時だった。
――頭の上に、ひらり、と何かが落ちる。
なんの気なしに、髪に手を伸ばす。
「……葉っぱ?」
髪についたその葉を手に取って、反射的に上を見上げた時、
「なっ!?」
そこに広がっていた光景に、息を飲む。
世界樹の内部、その天井には無数の枝葉が存在して、複雑に絡み合っていた。
まるで、木の中に森があるような、そんな異様な光景。
けれど、僕が驚いたのは、そんなことにではなかった。
(……いる)
絡みつく枝葉の中に紛れ込むように光るのは、真っ赤な色のHPバー。
「そこにいる」と分かって目を凝らせば、その異様な姿がはっきりと浮かび上がってくる。
――その姿はさながら、枝によって編み込まれた不格好なヒトガタ。
枝と葉の身体を絡み合わせた不気味な怪物たちが、じっ、と。
ただじっと、空洞の瞳で僕を見つめていた。
じっとりと、汗がにじむ。
蛇ににらまれたような緊張感の中で、僕の頭の冷静な一部が、それでも行動を促す。
(そうだ。レベルを……)
「奴ら」を刺激しないようにそっと、〈ディテクトアイ〉を起動する。
そして、そのガラスの瞳で出来損ないのヒトガタを見た瞬間に、否応なく気付いた。
気付いて、しまった。
LV 180 世界樹の落胤
僕がここに来たのは、間違いだった、ということに。
「―――――ッ!」
怪物が、叫ぶ。
言語化出来ない叫びをあげて、人そっくりの怪物が、人には出来ない動作で、枝葉の迷路を落ちていく。
――ドシャリ。
そんな擬音でしか表現出来ないような、不快で湿った音を立てて、ヒトガタは地面に着地する。
「あ、ぇ?」
そのひどく非現実的な光景に、僕は逃げることも忘れ、ただ見入っていた。
(こ、この場を離れないと……)
我に返った時には、遅かった。
ヒトガタの伸びた腕がぐにゅりと曲がって僕に伸ばされ、口に当たる場所に空いた、でも口では絶対にありえない奇妙な黒洞がうごめいて、
「……え?」
ひどく聞き取りにくい言葉で、ゆっくりと、絶望の呪文が紡がれる。
「――〈ふぁ・る・ぞ・ぉ・ら〉」
世界樹「ここに来るべきじゃなかったな」





