第百四十七話 失踪
「――は?」
前を行く二人の生徒、レオハルト弟とレミナが消えた瞬間、ネリス教官は思わず間抜けな声をあげていた。
あの光と魔法陣は明らかに転移罠。
だが、このダンジョンには本来罠はない。
(――クソッ! 何が起きてやがる!)
距離を取っていたことを悔やみながら、慌てて広場の方へと駆ける。
その間にも、事態は動く。
「レミナ! レオっち!」
ちょうど後ろを振り返っていたのだろう。
レオハルト弟と同じパーティの生徒、トリシアーデが叫ぶのが聞こえるが、それをネリスは叱責した。
「バカ野郎! モンスターが出る! 今はそっちに集中しろ!」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、広場から魔物が出現する。
現れたのは……。
(――〈エルダートレント〉か。まためんどくせえのが出てきやがった!)
浅層に出現するボスでありながら、中層並みの強さを誇る位階50のボスモンスター〈エルダートレント〉。
召喚候補の中でもっとも厄介なものを引き当ててしまったが、逆に言えばかろうじて想定内であるとも言える。
「お前たちは〈エルダートレント〉を片付けろ! その間、こっちは私が調べる!」
そう叫んで、地面にしゃがみ込む。
(こいつは……)
レオハルトたちが消えた場所をよく調べていくと、そこには焼き付いた魔法陣の跡があった。
ただ、これはダンジョンにもともとあった罠ではないと、ネリス教官は気付いた。
(おそらくは一回限りの転移陣。だが、これは……)
不可解な事態に頭をひねる。
そこに、
「――これ、転移トラップ?」
頭上から、声が投げかけられる。
「あ?」
ファーリ・レヴァンティンだった。
彼女は臆す様子も、悪びれる様子もなく、しゃがみ込んだネリス教官を見下ろしていた。
思わぬ相手に話しかけられて一瞬だけ呆然とするが、すぐにその命令違反を咎めるべく口を開く。
「お、おい! お前らにはトレントをやれって……」
「セイリアが行った。どうせすぐ終わる」
それに対して、背後を振り返ることすらせずに言い放つファーリに、思わず気圧された。
慌ててネリス教官が広場の方を確認すると、
(……なんだありゃ)
襲い来る枝を燃える武器で一刀の下に切り捨てて進んでいく、セイリア・レッドハウトの姿があった。
たちまちのうちに〈エルダートレント〉の無数にあった枝腕は削がれて丸裸にされ、もはや勝負が決まるのも時間の問題に見える。
(おいおい、空恐ろしいってレベルじゃねえぞ。あれがほんとに一年生かよ)
教官は思わずブルリと身震いするが、広場での戦いが問題ないのは確かなようだ。
視線を戻すと、一緒についてきた様子のトリシアーデが、ファーリに指示を仰いでいた。
「わ、わたし、どうしたら……」
「周りを見ていて。レオから合図があるかもしれない」
「う、うん! 分かった!」
ファーリのその冷静さに、大した胆力だと感心しかけるが、
「――教官」
自分を見るその視線のあまりの冷たさに、ネリス教官はギュッと心臓を掴まれたような心地になる。
(……こいつ、ブチ切れてやがる)
レオハルト弟とつるむようになって、危うかったファーリはずいぶんと丸くなった、とネリス教官は思っていた。
だが、それは少し間違っていたらしい。
「――早く、詳細を」
目上を目上とも思わない、いや、思っていても価値を全く認めていないその冷たい瞳に、ぞっとする。
戦場でもたまに見てきた。
こいつは状況が切迫すると、大事なもの以外の全てを躊躇なく「削ぎ落とす」タイプだ。
そしてこの様子を見るに、レオハルト弟はこいつにとってはずいぶんと大事なものだったらしい。
(……いや、まあその方が好都合か)
ここで下手に泣き叫ばれるよりは、そっちの方がいい。
ネリス教官は頭を切り替えると、もう一度足元に視線を落とす。
「おそらくこれは、人為的な転移罠だ。地面に使い切りの転移魔法陣が仕掛けられてたと考えるのが妥当。ただ、だとするとおかしなことがある」
何者かが生徒を狙って罠をしかけた。
そこまではいい。
しかし……。
「このダンジョンの構造はランダム。私たちが『この』広場に来ることは、事前には分からなかったはずだ」
教官が独り言のように言うと、ファーリが感情のない声で言った。
「心当たりはある。この通路に向かう途中、『虫』を見た」
「虫? ……ああ、なるほど。使い魔、か」
ファーリの意図を察して、うなずく。
虫に魔法なんて使えないだろうが、用意していた罠を設置する、あるいは設置された罠を起動するくらいは出来たはず。
(いよいよきな臭くなってきやがった)
ネリス教官は思わず顔をしかめるが、そんな彼女に冷ややかなファーリの声が降り注ぐ。
「――相手の目的なんて、どうでもいい。レオたちはどこ?」
核心を抉るその言葉に、ネリス教官は首を振るしかなかった。
「……分からん」
「真面目に語る気がないなら……」
その瞬間、殺意をもって膨れ上がる魔力に内心冷や汗をかきながら、言葉を続ける。
「そもそも原理的に推測が不可能なんだよ! この森の中じゃ転移が『使えない』って言ったが、正確には『制御が出来ない』んだ」
「なら……」
察した様子のファーリに、想像通りの答えをくれてやる。
「あいつらは中層に転移したかもしれないし、深層に行っちまったかもしれない。はたまた、私らよりも入口に近い場所に飛ばされた可能性だってある。誰にも……これを仕掛けた当人にも、推測は出来ないはずだ」
「……ッ!」
ギリ、と歯を食いしばる音が聞こえた。
ただ、その怒りすらレオハルトたちの救出には不要、と判断したのだろう。
すぐに感情を押し殺した声で、
「……続きを」
という声が説明を促した。
その怒りそのものより、むしろそれを瞬時に飲み込んでしまえることに対して、「おっかねえな」と思いながらも、ネリス教官は足元の魔法陣の跡に手を伸ばしていた。
「まだ、分からないことがある」
消えたのはレミナ・フォールランドとアルマ・レオハルト。
どちらも優秀な生徒とは言えるが……。
「レミナの方を狙う意味は薄そうだから、レオハルトが狙いで、近くにいたレミナが巻き添えになったと考えるのが自然だろう。だが、だとしても疑問が残る」
このトラップは、どうしてレオハルトを狙えた?
個人をピンポイントで識別して発動出来るトラップ、というのは存在しない。
いや、完全に不可能ではないかもしれないが、こんな小さな魔法陣で検知出来るのは、おそらくもっと単純な条件だけ。
「時間差、か?」
一番分かりやすい可能性を口にするが、それは横のファーリが否定した。
「たぶん、違う。突入前、ディークたちはここに立っていた」
突入直前、レオハルトの前にはディークのパーティがいた。
つまり、ディークたちはこの魔法陣の上にそれなりに長い時間立っていたのだ。
なのに何も起こらなかったということは、やはりディークやセイリアたちは条件を満たさず、レオハルトだけがその条件を満たしていたと考える方が自然。
(なら、何を条件にこのトラップは発動した?)
位階……ではない。
Aクラス基準ではレオハルトの位階はそう高くないし、それより前に同じくらいの位階の生徒が何人も通った。
だとすると、属性?
しかし、四属性を十階位まで扱えるレオハルトほど分かりやすくなくとも、複数の属性を使える者はパーティの中にもいた。
「クソッ!」
考えがまとまらない。
まるで大事なピースが抜けたパズルをしているような、噛み合わない感覚。
(そもそも、こいつがレオハルトを狙ったものだとして、これを仕掛けた目的はなんなんだ?)
転移罠の目的地はランダム。
そしてレオハルトの優秀さからすると、浅層か中層に転移させられた場合、二人はおそらく無傷で帰還してくるだろう。
(――確率三分の一でしか成功しない不確実な罠を、わざわざ仕掛ける意味はなんだ?)
レオハルトを私たちから分断したかった?
しかし、レオハルトを孤立させたからといって、転移先が分からなければ、襲撃をすることも……。
自問するネリス教官だったが、その答えを見出す時間は、与えられなかった。
「――あ?」
ぞわっと背筋が震える感覚。
すると、辺りを警戒していたトリシアーデが、叫んだ。
「あ、あれ! 世界樹から、何か……」
異変は、まだまだ終わらない。
そう宣言するかのように、世界樹の中心からブワリと、闇色の魔力が噴きあがる。
怖気を震うほどの、濃密な魔力。
「なんだ? 何が起きてる!」
誰にも答えられない問い。
それでも思わず口にせずにはいられなかった。
だが、異変に対する回答とも言える現象は、誰にとっても予想外な形でもたらされた。
せめて状況を探ろうと、世界樹に視線を向けた、その瞬間、
「………………は?」
あまりにも唐突に、「それ」は現れた。
「……う、そ」
横から、ファーリの震える声が聞こえた。
どんな状況でも動揺を見せなかった彼女の顔は、今は驚愕に彩られていた。
だが、それも無理はない、とネリス教官は素直に思う。
「……黒の、塔」
ほんの一瞬。
一秒にも満たないその間に、その漆黒の塔は現れた。
この〈常闇の森〉の象徴であり、絶対的な支配者とされる世界樹の頭を押し付けるほどの高さと存在感でもって、その漆黒の塔は〈常闇の森〉に君臨する。
それは、単なる見た目や景観だけの話ではない。
「う、ぐ……」
塔が現れた瞬間から、文字通りその場の空気が変わった。
大気を闇が満たし、呼吸することすら恐ろしい。
塔が建っているのはネリス教官からはるか先のはずなのに、信じがたいほどの影響力。
いや、そもそも……。
(ありえ、ない……)
常識で考えて、いや、どんな奇跡も、神秘であっても、一瞬の間にこれほどの建築物を作り上げることは出来ない。
出来ない、はずだ。
――それが、「普通」の建築物であれば。
ただ……。
ただ、一つだけ。
ネリス教官の頭には、それが不可能ではないかもしれない「可能性」がちらついていた。
――タワー型ダンジョン。
あの有名な〈ガルドーアの塔〉や〈トラルスペックタワー〉などと同じ、塔の形をしたダンジョンであるのならばもしや、と思ってしまった。
……だが。
もちろんそんなことありえないし、あってはならない。
一瞬であんなに巨大なダンジョンが生成されることも、ダンジョンの中にさらにダンジョンが生まれることも、絶対にあってはならないことだ。
だって、もし……。
もしダンジョンの中にダンジョンが重なる、そんなことが、起こったとしたら……。
「――いやぁあああああああ!!」
後方から聞こえた生徒の悲鳴に、ネリス教官はやっと我に返った。
慌てて振り返ったその先は、絶望的な光景だった。
――中層モンスター。
位階60を超える闇属性の狼が、生徒を襲っていた。
(……ああ、そうか)
助けに入るために走りながらも、妙に冷静な思考の端で、脳裏に閃く考えがあった。
あの転移陣の目的は、分断。
だけど標的にされたのは、レオハルトの方じゃない。
「――襲撃だ! 全員、急いで広場に逃げ込め!」
最高戦力がいなくなった生徒たちを、狙っているんだ!!
大襲撃!





