第百三十八話 レイクサーペント
「――ここが、〈ミルディス湖畔〉かぁ」
〈ノビーリ平原〉とはまた違った趣のあるダンジョンを見て、僕が感嘆の声をあげた。
この〈ミルディス湖畔〉は、レベル30前後の敵が出てくる狩場で、〈ノビーリ平原〉より少しだけ難易度の高いダンジョンだ。
もちろん、レベル30の狩場じゃレベル75まで行った僕が戦ってももう経験値なんてもらえないけれど、今回戦うのは僕じゃない。
「い、いよいよ、ですね」
今日の目的は、32レベルという、Aクラスの中では低めなレミナのレベルを上げること。
次の演習に向けてパーティの強化をしたいというのも動機だけれど、日頃苦労かけているトリシャとレミナへのせめてものお詫び、という気持ちも強い。
「――わたし、頑張りますから!」
当のレミナも、出発前からずいぶんと前向きで、気合十分といった様子だ。
ただ……。
「ね、ねえ、レオっち。本当に大丈夫?」
レベル上げにやってきた僕ら三人の中で一人だけ、その表情に不安の色を漂わせる人がいた。
レミナの反対側から僕の袖をちょいちょいと引っ張る彼女は、レミナの親友のトリシャ。
「ここ、位階45の魔物が出るって話だよ? もし、そいつにレミナが不意打ちされたりしたら……」
確かに、そんな格上に不意に襲われたら、レミナは危ないかもしれない。
だけど、僕は首を横に振った。
「いや、その心配はないよ」
だって……。
「――不意打ちも何も、レミナに戦ってもらうのは最初からその位階45のモンスターなんだからさ!」
※ ※ ※
「い、いきなりそんな強敵と戦わせるなんて、何を考えてるのさ!!」
ダンジョン内ということも忘れたかのように、トリシャが僕に食ってかかる。
「大丈夫だよ。あそこに出てくる強敵……〈レイクサーペント〉なら、僕も故郷で戦ったことがあるんだ」
そのうえで、今のレミナなら十分安全に倒せるはずだというのが僕の見立てだ。
「もちろん、本人にも詳細は話したし、そのうえでやれるって言ったから、こうして連れてきてるんだよ」
「な、ならなんで、わたしには教えてくれなかったのさ! やっぱり、何か後ろめたいことが……」
さらにトリシャが詰め寄るけれど、そこで割って入ってきたのは、申し訳なさそうな顔をしたレミナだった。
「ごめんねトリシャ。それは、わたしがトリシャには伝えないようにって頼んだんだ」
「レミナ!? ど、どうして!?」
目を丸くするトリシャに、レミナは困ったように笑った。
「これ以上、トリシャには心労をかけたくなくて……」
「もう! 水臭いこと言わないでよ! レミナのためだったら、そのくらい……」
「トリシャ……」
二人がホームドラマみたいな空気で見つめ合うのを、僕はうんうんとうなずいて見守る。
「とにかく、今回のことは大丈夫だと思う。絶対に安全、とは言い切れないけど、わたしも勝算はあると思ったんだ」
「そ、それは……。レミナがそこまで言うなら、信じたい、けど」
まるで、僕のことは信じられない、と言わんばかりのトリシャの言葉に、ちょっと傷つく。
あくまで不安を隠さないトリシャに、レミナは少しだけ迷っていたみたいだけど、「これは……本当は見せないつもりだったんだけど」と前置きしてから、右手を差し出した。
そこには、キラリと輝く二つの指輪が嵌まっている。
「え、と、ほら。レオハルト様が、特別に秘密兵器まで貸してくれたんだ。だから、心配ないよ」
「この、指輪……」
眼を見張るトリシャから逃げるようにレミナは視線を切ると、前に立って歩き始める。
トリシャはいまだに心配そうにはしていたけれど、そこからは僕らの計画に反対しようとはしなかった。
「ここを抜ければ……」
そこから、一般的な狩りとは違う西側のルートを通ると、通常の魔物に出会うことなく目的地……大きな湖へと出ることが出来た。
「――いた」
お目当ては、その湖を優雅に泳ぐ巨体。
遥か昔の地球に生きていたとされる恐竜を思わせる魔物、〈レイクサーペント〉だ。
「それじゃあ、レミナ。頑張ってね」
「はい!」
そう言って、僕らは足早にその場を離れる。
とにかくこの世界の貢献度システムは、格上の助力に厳しい。
格上が敵を瀕死にしてトドメだけ刺させるのはもちろん、敵にデバフをかけても、味方にバフをかけても、ヘイトを取って囮役をやるだけでも、取得出来る経験値が大幅に減らされてしまう。
そして、今回の〈レイクサーペント〉は感知範囲が広く、横薙ぎに水流を吐く、通称「薙ぎ払いブレス」は攻撃範囲が広い。
不安ではあるけれど、レミナのためにもあまり近くにいる訳にはいかないのだ。
「……ね、ねえ、レオっち」
「ん?」
レミナを援護出来るギリギリの位置まで二人で下がると、トリシャが難しい顔をして話しかけてきた。
「あの時、レミナがつけてた指輪。片方は〈マジックブーストリング〉、だよね?」
「流石だね。そうだよ」
ほんの一瞬だけなのに、指輪の種類を言い当てる辺り、やっぱりトリシャもレミナや〈ファイブスターズ〉とは違った意味で非凡だと思う。
《マジックブーストリング(指輪):装備者の魔力を15%増加させる》
これが、レミナに渡した指輪の片方の効果だ。
そして……。
「――もう一つの指輪。あの赤い羽がデザインされた指輪は〈レッドドラゴンリング〉、だよね?」
もう一方の指輪の正体まで言い当てられて、僕は目を丸くした。
照れ隠しに、頭をかく。
「知ってたんだ。僕としては、だいぶめずらしいもの見つけたと思ってたんだけど」
トリシャが知っているということは、割と一般に流通しているものだったんだろうか。
そんな風に考えを巡らせた僕を、トリシャはちょっとうらめしそうに見ると、ため息をついた。
「……あのね、レオっち。アレ、国宝だからね」
「えっ!?」
思わず聞き返した僕にじとっと湿度の高い視線を見せたあと、トリシャはもう一度口を開いた。
「実物を見たことはないけど、たぶん宝物庫にはあれと同じ指輪が眠ってるはず。もちろん、ほかに見つかったなんて話は一回も聞いたことなかったけど」
「え、うぇえ!?」
確かに、あの指輪は〈レッドドラゴンリング〉といういかにも名前も見た目も大げさな装備だ。
《レッドドラゴンリング(指輪):装備者の火属性魔法の威力を50%増加させる》
効果もすさまじく、見つけた時は思わず小躍りしてしまったのを覚えている。
「この前、レオっちが50%も魔力を増加させる指輪の話をしても動揺しなかった意味が分かったよ。火属性限定とはいえ、こんなもの持ってたらそりゃ感覚も麻痺するよね」
「あ、あはは……」
厳密には、魔力アップと魔法威力アップは別効果なので、効果は乗算される。
魔力アップと魔法威力アップのどちらを重視するかは状況次第だけれど、価値としては甲乙つけがたいものがあるだろう。
とはいえ、まさか国宝だったとは思わなかった。
国宝に指定された指輪とこの指輪は別物だろうけど、これはあまり人に見せるべきではないかもしれない。
むしろ、気になるのは……。
「トリシャは、あの指輪を使うの、反対しないんだ」
いつもならこういうことに一番過敏に騒ぐトリシャが、奇妙なほどにおとなしいこと。
僕に話を振られたトリシャは、小さく首を振る。
「――そりゃ、死ぬほど驚きはしたけど、さ。それでレミナが少しでも安全になるなら、国宝でもなんでも使ってもらった方がいいよ」
そう、強い意志を込めた目で僕に答える。
この期に及んで、僕はトリシャの覚悟を甘く見ていたのかもしれない。
(……そう、だよね)
どれだけゲームっぽくても、これから始まるのは命懸けの戦い。
その意味を、トリシャはきちんと理解しているんだ。
(それじゃ、僕も役目を果たさないと)
僕が決意を新たにしたところで、レミナが予定していたポイントに差しかかる。
そこで、〈レイクサーペント〉が動いた。
「ま、まずいよ! あの動作は……」
大きくのけぞり、口を開くあの動作は、間違いなくブレスの予備動作。
けれど、それは想定通りだ。
(ここが、僕の出番!)
パワーレベリングに厳しい、この世界のルール。
ただ、抜け道がない訳じゃない。
そのうちの一つが、これ。
「――〈アクアトーテム〉!」
僕の叫びと共に、真っ青な〈アクアトーテム〉がレミナの前方に出現する。
そのトーテムの背は高く、優に二階建ての建物ほどの高さと、人がすっぽり入るくらいの太さがある。
(――水は鍛えておいてよかったな)
〈エレメンタルトーテム〉は鍛えすぎると大きくなりすぎて、狭い場所で使えなくなる。
出現した瞬間に天井や壁につっかえると、そのまま消滅してしまうのだ。
そのため、火の〈ブレイズトーテム〉はあえて五段階で止めているけれど、水については屋外用と割り切って十段階目まで上げていた。
十段階目まで成長した〈アクアトーテム〉の水属性軽減率は30%!
水属性ブレスの効果を大きく弱めることが出来る……なんて、まだるっこしいことは言わない。
「レミナ!」
僕の言葉にうなずいたレミナは、素早くトーテムの背後に潜り込んで、
「――な、何やっ……えぇぇっ?」
サーペントの吐き出した水流ブレスを、〈アクアトーテム〉は完全に防いでみせたのだった。
トーテムバリア(物理)!