第百二話 戦いの前に
セイリアが負けてしまったあの衝撃の準決勝のあと、僕とディークくんの対決にはまだ時間があったため、僕は少し会場を離れた。
というのも、めずらしくティータが他人がいるところで顕現して、「話したいことがある」と言い出したからだ。
精霊は他人の目には映らないし声も聞こえないけれど、返答する僕の声は消せないし、やはり衆人環視の中で内緒話というのは落ち着かない。
幸い、僕らがいつも使っている部室は、会場からもそんなに遠くない。
僕らはすぐに慣れ親しんだ道場に移動した。
「――あのシギルって奴、なんだかおかしいわよ!」
念のため盗聴防止用の魔道具を起動した部室で、ティータは深刻そうな顔でそんな言葉を言い放った。
「おかしい、って?」
「魔力がぐちゃぐちゃなの! あんなの普通のニンゲンじゃありえないわ!」
精霊にしか分からない感覚、という奴だろうか。
いつも能天気なティータにしてはめずらしく、険しい顔で会場の方向をにらみつけている。
「じゃあ、あれは人間じゃなくてモンスターか何かが人に化けてる、とか?」
RPGの強敵だったとしたら、そういうこともありそうだ。
そう思って聞いたけど、ティータはその問いにはうなずかなかった。
「ん、んー。そういうの、じゃないと思うわ。でも、なんか、変なものを混ぜられているというか……ううーん」
ティータでもはっきりと何が起こっているか分かっている訳じゃないようだ。
ただ、シギルの異様な能力の高さにはなにかしらの理由が隠れている、ということだけは確証として得られた。
「アタシとしては、アルマにはあんなヘンテコなのと戦ってほしくないんだけど……」
「それは……」
僕が言いよどむと、ティータははぁ、と息を吐いた。
「分かってるわよ。アンタがここで引かないってことくらい」
「ティータ……」
予想外のティータの言葉に僕が目を丸くしていると、彼女は手を腰に当てて、「ただし!」と怒ったように続ける。
「絶対に無理はしないこと! いちおー試合用の結界の中なら安全だと思うけど、少しでも何かおかしいなって思ったら、たとえ失格になったとしてもアタシを呼んで……」
ティータがそう言いかけた時だった。
バン、と音を立てて、部室の扉が荒っぽく開かれる。
「――レオっち! た、大変だよ!」
そこには息を切らせたトリシャが立っていて、
「――あのシギルって先輩、違法な薬物で能力を強化してる可能性があるって……!!」
風雲急を告げる情報を、僕らに運んできたのだった。
※ ※ ※
「え、えっとね。シギル先輩と戦うはずだった先輩を探して、話を聞いてきたんだ」
なんでもトリシャは、どうしてもセイリアをあっさりと下したシギルの強さが気になって、色々と独自に調べていたらしい。
その成果として、ついに準々決勝でシギルと当たるはずだった二年の先輩を探し当てたそうだ。
「その先輩、ニーバさんって言うんだけど、その人はシギル先輩と友達だったんだって……」
トリシャが聞いたという話をまとめると、こうだ。
シギルは一年生の頃から真面目な生徒で、武術の成績もよかったらしい。
ただ、英雄学園に集まる生徒は、まさに一騎当千の英雄のタマゴ。
彼は変わらず真面目に鍛錬を続けていたけれど、一年の後半になって周りがどんどん才能を開花させていくのに対して相対的に伸び悩み、それを本人はずいぶんと気にしていたそうだ。
始まりは、二年に上がった直後。
その時期に、武術メインで魔法は今一つだったシギルが突然、急に強力な魔法を使えるようになったらしい。
「それで、不思議に思ったニーバ先輩が尋ねたら、彼は『街でいいものを手に入れた』って言ってたって」
「それって……」
トリシャは、深刻そうな顔でうなずいた。
「うん。うちのクラスでも話題になってた『うまく魔法が使えるようになる薬』だと思う」
変化は、それだけに留まらない。
その影響は魔法だけでなく、武術にも及んだ。
一年の時の停滞が嘘のように、シギルはメキメキとクラス内で頭角を現していく。
ただ、それと連動するように言動はとげとげしくなり、ものに当たり散らすことが多くなったそうだ。
「ニーバ先輩が言うには、まるで人格が変わってしまったようだ、って」
そして、不自然だったのはそれだけじゃない。
シギルは魔法や武術が劇的に成長したものの、使える魔法や武技が増えたりはしなかった。
ただ、その威力や速度「だけ」が急に強くなったそうだ。
「決定的なのは、数日前の放課後。シギル先輩を心配したニーバ先輩は、見ちゃったんだって。……授業の休み時間に、彼が人目につかない場所に隠れて、真っ黒なヘドロのような液体を飲み干してるのを」
もちろんそれだけじゃ、勘違いの可能性もある。
むしろ本当に確定的になったのは、そのあとのシギルの言動。
直感的にその薬を危険なものだと感じたニーバ先輩は、シギルを止めようとしたらしい。
けれど、シギルは「これは神から頂いた贈り物だ」と言って聞き耳を持たず、「先生に相談しよう」と提案したニーバ先輩に逆上すると、左手一本でニーバ先輩を制圧。
「今日見たことを誰かに話したら殺す」と脅すと、けたたましい笑い声をあげながら廊下を戻っていったそうだ。
それからも、さらに加速していくシギルの不審な行動と、それと比例するように上がっていく彼の強さに、ニーバ先輩は恐怖した。
だから、自分が三回戦でシギルと対戦することが決まった途端、大会の運営側に話して試合を棄権させてもらったらしい。
「や、やっぱり、先生に話した方がいい、よね?」
全てを話して、ようやくトリシャも少し落ち着いたらしい。
いつも果断なトリシャにしてはめずらしく、自信なさげに僕に問いかけてくる。
「人を簡単に強くしたり、性格を変えちゃうような薬、なんて信じられないけど、シギルって先輩は絶対普通じゃなかったし、先生に今のことを話せば……」
トリシャの判断は当然だ。
僕も、本当だったらそうするべきだと思う。
でも……。
「――それは、大会が終わったあとにするんじゃ、ダメかな?」
気づけば僕は、そう口をはさんでいた。
「え……?」
信じられない、という顔をするトリシャに、それでも僕は言った。
「シギルが本当にそんな薬を使っていたなら、きっと大きな騒ぎになる。それで大会が中止になったら、困るんだ」
自分が最悪なことを言っている自覚はある。
でも、あくまで僕が優先するのは、魔王につながる手がかりである〈優勝トロフィー〉。
そのためには、シギルにはまだ選手でいてもらった方が「都合がいい」んだ。
「で、でも、あの人は危険だよ! 試合だったら結界があれば安全だけど、あの人が逆上して襲ってくることだってあるかもしれない! それより、うまくいけばあの人が失格になって戦わずに優勝できるかもしれないし、わざわざレオっちが戦う必要なんて……」
熱くなっていくトリシャの言葉は、どこまでも正論だ。
だけど、
「――約束、したんだ」
試合に負けて、でも無理矢理に笑顔を浮かべた彼女に、僕は確かに言ったんだ。
「セイリアに言ったんだよ。『仇は取る』って。……僕は、二回も嘘をつきたくない」
「そんな……! そんな理由で!」
僕にとっては十分な理由でも、トリシャには納得出来なかったようだ。
あるいは、ここまで強固に反対するほど、シギルの「異質さ」を肌で感じ取っていたのか。
「ねぇ、レオっちも見たでしょ! シギル先輩のあのスピード! いくらレオっちの技が速いからってあの速度には……」
「うん。〈絶影〉もきっと、当たらないだろうね」
僕があっさりとそう返すと、トリシャは視線を一層険しくした。
「それが分かってるなら、なんで……!」
「でも、方法はあるんだ」
刀の技には一つだけ、おそらくあのシギルにも通用するだろうという技がある。
もちろん、簡単じゃない。
場を整えないとこっちが技を使う前にやられてしまいそうだし、その技をただ使うのではリスクがでかすぎる。
だから……。
「次のディークくんとの試合で、シギルに勝てる『可能性』を示すよ」
「え?」
事前に、そのための「布石」を打つ。
「そこで僕が〈絶影〉抜きでディークくんに勝てたら、僕がシギルに挑む資格があるって認めてほしいんだ」
じっとトリシャの目を見つめたまま、僕ははっきりと宣言した。
「そんな、の……」
トリシャは迷うように視線を泳がせるけれど、僕は視線は逸らさなかった。
そのままじっと見つめ続けていると、やがてトリシャは観念したかのように、はぁ、と下を向いて息をついた。
「でも、約束だよ。もしディークくんに負けたり、ディークくんとの試合でシギル先輩に勝てる可能性が見えないと思ったら、わたしは先生にこのことを話す」
僕が無言でうなずくと、「それに!」とトリシャが付け加える。
「もし仮にうまくいってシギル先輩と戦えることになっても、絶対に油断しちゃダメだからね! 何かおかしいとか危ないって思ったら、たとえ失格になってでも魔法を使って……って、なんで笑ってるの、レオっち!」
思わず口元が緩んだところをトリシャに見とがめられて、僕は慌てて頭を下げた。
「もう! こっちは真剣に心配してるんだから、真面目に聞いてよ!」
「ご、ごめん! でも、そういうことじゃなくて――」
別に茶化すつもりはないし、彼女が僕を心から心配してくれているのは伝わってきた。
でもだからこそ、その内容や表情がティータの忠告とあまりにも似通っていて、つい嬉しくなってしまったのだ。
「――僕は、友達に恵まれたなって思ってさ」
「なっ!?」
意外と褒められなれていないのか、僕の言葉で顔を真っ赤にさせてしまったトリシャを見て、僕はもう一度顔をほころばせる。
(……こりゃますます、負けられなくなっちゃったな)
こんな友人たちに迷惑をかけてまで我を通すんだから、絶対に成功させなきゃいけない。
――まずは、準決勝。
本来は格上のディークくんを相手に完璧な形で勝利しなければ、その先はない。
普通に考えれば、なかなかの無理難題。
だけど、不思議と負ける気はしなかった。
(やってやるさ!)
そうして僕は右手の刀を強く強く握りしめ、決意も新たに会場へと舞い戻ったのだった。
vsディークくん!





