ハロウィーンの悪鬼
ハロウィーンの悪鬼
空を仰げばそぞろ寒し、という言葉が似合うような昼下がり。今朝は街路樹の芝生が露けしの様子を見せて季節を賑わせた。雑誌編集を手掛けている加苅灯は急降下する気温に耐え切れずストールを首に巻いて家を出たが午後の陽気にはすっかり気温が上がってしまいそれを手持無沙汰にしていた。午前中の仕事を終えて少し遅めのランチを取るために繁華街に併設されたカフェに入ると不自由そうにメニューを眺めた。今日は十月三十一日。ハロウィーンと言う事もありメニューの淵には橙色をしたジャック・オー・ランランが彩られていた。灯が雑誌編集者という仕事柄時期を先取りして動くことが多い。十月の上旬にはハロウィーン関係の記事を仕上げてしまい今は頭の中ではクリスマスの事で頭が一杯になっている。そんな心づもりか、期間限定メニューには目もくれずにいつものコーヒーとサンドウィッチを注文し、受け取るとオープンカフェスペースになっている繁華街に面した席に座った。先ほどまでは歩いていたために煩わしかったストールも座って外にいる分にはひざ掛けとしては具合がよかった。
今日は平日の昼間だというのにいつもに比べて人が多いと灯は思った。その疑問はすぐに解決されるように、繁華街を眺めているとハロウィーンの仮装を纏った人達が現れてその理由に気付かされる。仮装と言っても近年ではテレビアニメのキャラクターに扮した格好だったり、ハロウィーンには直接的に関係のない仮装が目立っている。”仮装”というよりは”コスプレ”と形容した方が正しいのかもしれない。灯が今見ている一段も昨年から今年にかけて流行ったテレビアニメのキャラクターたちが作品の枠を超えて賑わっている最中だった。5人ほどの、ここから見れば男女の割合も分からないような団体が賑わいを見せる街中を背景に何枚も写真を撮っている。ハロウィーンというと、先月仕事で扱ったばかりでキリスト教の祭りではない事、古代アイルランドに住んでいたケルト人発祥の祭りであると考えられていることは先月の仕事で知った新しい情報だ。伝統が廃れていくのは加速していく中こうして形だけが残るのはよいものだ、と記事を纏めはしたものの、まったく違う方向で広まりを見せるのもどこか悲しさを覚えてしまうものだと感じる。灯はため息をかき消すようにコーヒーを口にした。
そんな中、目を引く人影を目にした。人数にして三人程の塊は全員が白いシーツのような大きな布を被り、顔の位置にお面をしている。お面はただ黒で塗りつぶしただけの目と口。所謂デフォルメされた”オバケ”の格好をしていた。異質だったのはその背丈の小ささだろうか。幼稚園から小学校の低学年程の大きさとみられているからだ。繁華街にはどうしても似つかない大きさに灯は目を奪われる。
先ほどのアニメのコスプレをしている5人に近づくと先頭に立っていた”オバケ”が何か棒を掲げた。先端にはメッセージボードのようなものがついておりプラカードのつもりなのだろうか。ここからでも確認できる大きな文字で『トリック オア トリート』と書かれている。5人のコスプレの集団は何事かと一瞬戸惑いを見せたが、そこは祭り慣れしているのであろう、すぐに仲良くなろうと3人の子供たちを囲っている。物珍しさにすぐにスマートフォンを構えては写真を撮ろうとしている。3人の方は困っていないだろうかと、先ほどからサンドウィッチがまったく進んでいない灯はその光景に目を奪われていた。しかし3人は慌てる様子を見せる事もなく(表情が見えないので確認の仕様もないが)、メッセージを掲げてお菓子を催促しているようにしか見えない。5人の方も何か持っていないかと鞄やポケットの中を確認し始めたが何もなかったようで3人のオバケに向かって手を合わせて謝る仕草をした。その時、灯にはオバケの顔が笑ったように動いたのが見えた。その瞬間、メッセージを持ったオバケが謝っている一人に手を触れるとその場から人が一人消えた。目を疑った。そしてその隙に残りの2人が触れた人物もまた消えた。5人の集団は2人になっていた。灯は気が付くと立ち上がっていた。残された2人は目の前の出来事にただ覚えている様に体を震わせてお互いの手を取り合った。これはまるで命乞いをしているように感じた。何かが起こる時は前触れなどなく、淡々と行われていくのだ。静かに2人に手が伸びると触れた瞬間また消えた。1人がもっていたバッグが地面に落ちたときにその事実が現実なのだと物語っているようだった。5人を処理した後、オバケは灯の方を見てこちらへ歩いてきた。が、灯は恐怖で動くことができない。笑っているお面が重く感じた。とんでもない悪鬼が潜んでいる、自分も消されてしまうと確信めいたものを持った時、先頭のオバケが二人を止めた。
「お姉さんは仮装してない。」
確かにそう言葉を発すると方向を変えてまた別の仮装集団の元へ向かっていった。5人が消える瞬間を目撃している人が他にいなかったのだろうか。通報?どこに?誰がする?どう説明する?単語だけが頭の中を飛び交っていた。周りの人の反応はほとんどなかった。
―見ていないのだ。
考えてみれば、仮装と言う自己肯定感を満たすイベント事では他人の事など二の次なのかもしれない。
灯は腰が抜けたように席に着くと衝撃でコーヒーが少し零れて膝のあたりを濡らした。熱さから自分が消えなかった事を実感できたのかもしれない。
そういえば、と取材中に聞いたことを思い出した。
アメリカのハロウィーンでは、仮装した集団が一軒一軒を歩いて回って「トリック オア トリート」と言って回るのだが、その時にちょっとしたルールがあるそうだ。
家や敷地を飾りつけしている家だけを訪ねると。
『お姉さんは仮装していない。』
私は飾りつけをしていなかったから尋ねられなかったのだろうか。