悉くを愛する者
「……全く……困ったものだ……」
オーディンの手の中で神槍がふっと消えた
トールやヘルン、グリームニルが父を案じて慌てて駆け寄ってくる
「大丈夫ですか!?お怪我はっ!」
「ああ、心配ない…それよりトール、手を見せなさい…私に投げつけられた刃物を掴み止めた時に傷ついたであろう」
「いえ、大した事ありません」
トールが手を隠そうとする、だが、滴る血は大理石の床に赤い染みを作る程だ
グリンカムビがトコトコと歩いて来て床に出来た赤い染みを見てから
トールの手を見上げ辛そうに声を振り絞る
「トール様、血が出ています、とても痛そうです」
赤茶けた翼をぱたぱたと動かしながら言う
トールが少し驚いたような顔をしてそれから優しく微笑む
「ほら、グリンカムビも心配しておるぞ…見せてごらん?」
「……はい……」
トールが小さく手を開く、深く切れた傷口から赤い肉が見えている
オーディンがそっと傷口に指を当て呪文を唱える 光が傷口を包み込み、みるみると傷口が塞がれていく
トールはロキへの怒りに震えていた、こめかみにはくっきりと青筋が立ち、握り締めた拳からはギリギリと音が聞こえる
「あの痴れ者め…次に会ったら骨も残さず消し去ってくれる……」
怒りに震えるトールに落ち着く様にヘルンが背中を撫でる
「お兄様、落ち着いて…気持ちはわかるけど死者たちがみんな怯えてるわよ……」
「……すまない……」
「それにしても……一体なんだったのかしら……悪戯にしては余りにも度が過ぎているし……」
オーディンが肩を竦める
「私を怒らせて本来の闘争と嵐の力を引き出そうとでも思ったのではないか?あやつは争いや混沌が大好きだからな」
「しかし、父上が本気で怒ったらあんなものではありませんでしたでしょうに…」
「だから普段から私は怒らない様に努めて…いや、思えば私は余り怒りを露にした事はないか?どう思うグリームニル」
「ありませんね、父上は本当に嵐と闘争の神なのかと疑うほど普段はころころと笑っていますからなぁ」
グリームニルの言葉通り今のオーディンの表情は先ほどの殺気が嘘の様に穏やかで優しげなものに戻っている
だが、先ほどロキの頬に一閃を走らせた時の表情を思い出して神々たちは背筋が凍るような思いになった。
しかし、それは愛する家族を傷つけられた怒りからくるものだと皆、理解している。
グリンカムビが心配そうにオーディンの足元に擦り寄る
オーディンはそんなグリンカムビを抱き上げる
「すまぬな、恐ろしい思いをさせた…トールを心配してくれてありがとう…そなたは本当に心優しい子だな……」
オーディンの胸に抱かれたグリンカムビの瞳が潤んでいるように見える、トールが手を伸ばしてグリンカムビの背中を優しく叩く。
「そんな悲しそうな顔をするな、私は大丈夫だ」
「で、でも、トールさま…いっぱい血が……痛そうです……」
「ふっ…父上が癒してくれたから心配いらぬ…刃物一つで戦神である私がどうにかなるわけがないであろう」
「はい……」
オーディンの腕の中でグリンカムビがしょんぼりするのを見てトールが優しく唇をグリンカムビの羽に寄せる
「心配してくれて嬉しいぞ」
「こ、コケーッ」
恥ずかしくなったグリンカムビがバタバタと腕の中で暴れる
その様子を見て神々は笑い合う
「ありがとう、グリンカムビ、私からもお礼を言うわ」
女神ヘルンの唇が赤茶けた鶏の翼に軽く触れる
戦神からの口づけ、女神からの口づけ、グリンカムビはもう畏れ多いやら何やらとパニックになって目を回していた。
「ありがとう、翼ある友よ、そなたも私の自慢の家族だぞ?」
今度はオーディンがグリンカムビの額にキスをする、最高神からの口付けを受けて、グリンカムビが気絶してしまう
「あらまあ、大変!」
「おい!大丈夫か?」
「これはどうしたことか、しっかりせよ、グリンカムビ」
ヘルンとトールが気絶したグリンカムビを案じ、オーディンは気絶したグリンカムビを優しく揺らして起こそうとする
その様子はまるで家族のようだとグリームニルは思った
そしてツッコむ
「いや、愛の女神と雷神の口づけ、しかも最高神から口づけをされて気絶しない者はいないでしょう!?︎」
「だが、私は最高神である前に生きとし生ける全ての者の父であるのだ、我が子を慈しむのは当然のことだろう?」
「…あ、そうか、万物の父だから鶏も子供扱いってことですな……」
グリームニルは納得したようにうんうんと何度もうなずく…しかし、やはり何かが腑に落ちないらしくうーんと頭を捻る
「鶏…まさかとは思いますが文字通り《生きとし生ける全てのもの》が我が子という事ではないでしょう…?」
オーディンは無言で微笑んだだけだった。
ああ、そうか
だから、父上はことごくを愛するのか…… グリームニルはようやく得心がいったようだった。




