ホワイトすぎる!
はじめまして、乙熊です。
のんびり投稿しますので、のんびり楽しんで下さい。
平日の昼下がり、窓から見える晴空とは裏腹に俺の気分はどんよりとしていた。
2ヶ月ほど前の話になるが、俺は所謂ブルーカラーと呼ばれる職種で働いていたのだが仕事中に腰を壊して爆弾を抱える事になってしまった。
最初は休職して治療に専念したのだが、会社からすれば治ったとしても今後の業務で再発したら困るということで退職勧奨をしてきた。
正直なところ自分自身も今回の件で、職場の同僚や上司達からの圧で窮屈な思いをするのが億劫になり勧奨を承諾して退職したのがニ週間前。
30歳を過ぎての就職活動……手に職がない限り年齢を重ねるにつれ難しくなるのは理解していたのだが、昨今のウイルス騒ぎのせいか求人が余計に少なく感じてしまうのが気分の悪い理由なのである。
「今日も応募先からの連絡はないか。やっぱり肉体労働を除外すると中々厳しいもんだよなあ……あぁ、そういや食料の買い物もしなきゃならんかったな」
世知辛い世の中と冷蔵庫の中身にぼやきながら、ジャケットやスーツなどがかけられているクローゼットの扉を開くと目の前に広がる見覚えのない部屋。
「んん? クローゼットだよな……?」
ドアノブから手を離して周囲を確認するが、いつも通りの10畳ワンルームだ。
部屋が多くても独り身だと使うこともないし、移動も面倒だという理由で借りたのは何年前だったかと思いながら再度クローゼットの扉を見ると広がっている謎の部屋。
昨日の夜までは確かに就職活動用のビジネススーツと外出用のジャケットしかない一畳程のスペースだったのだが。
不可解な現象に頭を捻りながら、とりあえず確認の為に謎の部屋へと入ってみることにした。
念のために扉は閉めないでおいて、すぐに逃げられるようにはしておこう。
部屋の中に入ってすぐ目についたのは……何というべきか一番近いのは懺悔室であり、受付カウンターのような構造の壁である。
カウンターの前には座り心地の良さそうな革張りのオフィスチェア、そして一冊の本が置かれているデスクがあった。
「明らかに超常現象で薄気味悪いはずだけど、なんか不思議と落ち着くな……この本は?」
本のタイトルは『異世界相談室の手引書』となっており、異世界の文字に心惹かれたせいか俺は躊躇いなく表紙を捲っていた。
『この度は異世界相談室の室長に御就任いただきありがとうございます』
白いページにはそんな一文が書かれているが、俺はそんなものに就任した覚えはない。
『この部屋に入り、私を開いた時点で鷹山譲治様は、この異世界相談室の室長と承認されました』
――俺の思考を読んだかのように最初の文が消えて、新しい文字が浮かび上がる。
ファンタジーホラーのような展開に恐ろしさが込み上げてくるが、同時に好奇心をくすぐられて固唾を呑んでから口を開く。
「本であるお前に質問するのも意味があるのかわからないが、なんでこの部屋は俺の家に繋がっているんだ?」
『私はこの異世界相談室の管理人として、旧法暦816年に錬金術師であるアウグスト・ゼルトザームが生成した人工精霊【カラ】と申します、以後お見知りおきを。マスターのご質問になりますが、特に理由はありません。数え切れない程ある世界の中から完全なランダムによってマスターの家の一室と繋がることになりました。幸運なようで大変羨ましく思います』
現状を省みて、運が良いとは到底思えないんだが、しかし気になる情報をいきなり大量にだしてきたな此奴。
一先ず管理人というのは置いておくとして、聞き慣れないファンタジー用語の数々。
異世界、旧法暦、錬金術師、人工精霊……まるでライトノベルかゲームのようだ。
『マスターのお考えしている内容で大体正解になりますが、まずこの部屋についてご説明いたします。ここは異世界相談室と名称される転移装置の一種になります。このカウンターの向こうにある扉はマスターの考えうる数多のジャンルの世界と繋がっています。剣と魔法の世界や宇宙で暮らす人々とロボットの世界、果ては生物同士の争いにより滅びた世界などなど……ここはそういった世界で悩みを抱える人々の話を聞いていただき、善き方へと導いていくというコンセプトのものになっております』
「……何か色々とスケールがぶっ飛び過ぎててよくわからんが、要は異世界人相手のお悩み相談室ってことか?」
『その認識で間違いはありません。そして、私はマスターのアシスタントを担当する人工精霊【カラ】です。マスターのステータス管理や異世界言語翻訳、現地調査が必要な場合の戦闘補助などを行いますが、マスターが存在する地球は存在濃度が上位に値する世界なので戦闘補助に関しては必要ないかもしれません』
戦闘とかいう不穏な文字があるが、そもそも俺はこの部屋のマスターになった覚えはないし異世界相談なんていうことをする理由がない
ただでさえ職を失ってから少ない貯金を切り崩して生活しているのだから、相談カウンセラーなんてやってる時間もないのである。
そんなことに時間を割くなら俺が職業相談所に行くわ。
『マスターのご意見はご尤もですが、この相談室は無料というわけではなくきちんと報酬がでます。一案件につきインセンティブとして地球の金銭に換算して最低5万円から発生します。24時間の内お好きな時間から開始していただき8時間が基本勤務時間になり、待機時間も勤務扱いとして日給は2万5千円、賞与は年2回の6.0ヶ月分で昇給は年2回の査定です。休憩は1時間20分となっております。残業代はもちろん全額支給です。給与支払日につきましては20日締め当月末払いで、休日は祝日と週に2日お好きな日を休日としていただいて構いません。もちろん社会保険の加入も――』
「待て待て待て、ツッコミどころ満載でなにから言えば良いかわからん! どんなホワイト企業だ、それは! そもそも給与の支払いはどこからされるんだ!? 社保加入ってどこの!?」
異世界とかファンタジーな単語出しといて給与とか休みとか社保とか生々しすぎるわ!
おまけに地方暮らしのここらじゃ、まずお目にかかれない条件晒してくれやがって。
『給与につきましては地球では、私が総合コンサルティング事業をメインの会社を立ち上げており、雇用契約が締結され次第直ちにマスターには代表取締役兼室長として働いていただく形になっております。社会保険についてはけ○ぽです。ご希望の場合は私の方で絶対に赤字にならない資産運用をすることも可能になります……如何いたしましょうか? 今ならまだお断りしていただくことも可能ですが』
……これが夢じゃなくて、カラという本が言っている事が全て本当ならば一も二もなく飛びつきたい位の好条件ではあるが、正直言って条件が良すぎて胡散臭さすら感じてしまう。
それに異世界人の相談なんて、どう答えて良いんだかわからないし。
『マスターはアニメやゲーム、ライトノベルなどをよく嗜んでらっしゃるようですので知識はそちらを基本にしていただき、細かなところは私が補完することで問題ないかと。労働条件については労働内容が非常に特殊なことを踏まえ、地球の一流企業を基準に私が決定いたしました。それと、先程もお伝えしましたがマスターはとても幸運でありますので今回このようなご縁に恵まれたのです。この機会を逃すと二度と同じ方の場所には出現する事がないというのをご了承下さい。では、もし契約して下さるのであれば、私にサインをお願いします』
「いやらしい言い方しやがってからに……やってやらぁ!」
カラが記した文の下に日付と名前、捺印する例の書式が浮かぶ。
これが俺の人生の岐路なんだろうな、と思いつつ条件が良すぎる胡散臭い契約に抗う事ができない俺はやけくそ気味に署名と印鑑代わりに拇印を押すのであった。