最悪で災厄の
(本日より毎日更新再開です。また最終章につき日によっては2話連続もあります。どうぞ最後までお付き合いください)
「リアン様……リアン様?」
「……あ、ごめん」
リュシエンの呼びかけに、リアンははっと気がついた。
お茶を手にしたまま、ボーっとしていたようだ。
交易都市サントヴィレの宿の一室。
夕陽が差し込む中、リュシエンが用意してくれた夕食後のお茶を飲んでる時だった。
「お姉様、また考え事ですか? 何か悩みがあるならお聞きしますが……」
「んー……話して解決するものじゃなくてね。……でも、心配してくれてありがとう、ファリン」
心配そうに見つめるファリンに、リアンは微笑みながら、少し冷めてしまったお茶を飲んだ。
(……あれから二週間か)
バルミア公国を襲った悪霊ザムエルの事件から二週間。
首都カーディナルは地割れに見舞われたものの、すでに復興の兆しが見えていた。
それは以前、邪竜に襲われたこともあり、復興の仕方というものに慣れたからだろうか。
それに加えて、公王エルゼリーナと英雄ロアードの存在が、国民たちを勇気付けているのだろう。
(復興作業はだいぶ落ち着いたみたいだった。……そろそろロアードと話ができるはず)
空となったカップをリアンはテーブルに置いた。
(ずっと考えていたけど、私に出来ることはない。……信じることしか出来ないんだ)
リアンはそのまま席から立ち上がると、窓際に向かった。
「ちょっと出かけてくる」
「今からですか?」
「うん。……君たちにも、また迷惑かけると思うけどよろしく」
「またって……今度は何をしようとしているんですか、リアン様」
リュシエンが少し訝しむように聞いた。
前回同じように出て行き、リアンが戻ってきたら、地竜を連れてきたからだろう。
「すぐに分かるよ」
「そうですか。では、いつ頃戻られますか?」
「……多分、しばらく戻らないかな?」
「……遠出をなさられるのですか?」
「そんなところかな」
「お姉様……しばらく会えないのですか……?」
「……がぅぅ」
会話を聞いていたファリンとミレットが寂しそうな表情を見せながら、リアンに駆け寄った。
「お姉様、付いて行ってはダメ……ですか?」
「うん。今回ばかりはダメだね。ファリンはリュシエンとミレットと一緒にいるんだよ。……ミレット、ファリンたちを頼んだよ」
「……がう!」
子虎のミレットの頭を撫でる。ふわふわとした感触が手に残った。
「分かりました。……では、リアンお姉様のお帰りをお待ちしております!」
ファリンが見送るようにリアンを抱きしめた。花と薬草の混じったいい匂いがした。
「……リアン様、私の妹を悲しませるようなことはしないでくださいよ」
「分かってるよ。……あ、そうだった」
出て行こうとしたリアンはそこで思い出したように足を止めた。
「君たちの願いって何?」
「「願い、ですか?」」
リュシエンとファリンは揃って首を傾げた。
「私の願いは……ファリンの幸せですよ。それ以外に何があるというのですか」
どうしてそんなことを聞くのかと、訝しみながらもリュシエンは答えてくれた。
「……そこに少しくらいはおじさんのこととかないの?」
「……あのお方は、私が思わずとも大丈夫ですよ」
その言葉は確かに本心からの言葉のようだった。
……しかし、答える時、リュシエンは少し目線を逸らしていた。
「私の願いは、お姉様に恩返しすることです!」
「恩返しは別に要らないけど……出来ればそれ以外はないの?」
「え、それ以外ですか? ……知らない場所を巡ることでしょうか? まだ行ったことがない場所はいっぱいありますから、お兄様やお姉様、そしてミレット様とも一緒に、これからも回ってみたいのです!」
「がう! がう!」
ファリンの願いに肯定するように、ミレットが鳴く。
ファリンもミレットも、今まで一つの所に留まり、外の世界を知らなかった。
自由の身になってから、ヒカグラの国やララハ諸島など、二人は見たことがなかった光景を見ることができた。
その嬉しさは、次の未知なる光景を期待するほどに。
「答えてくれてありがとう。……二人の願いはなんとなく想像は出来ていたけど、変わってなくて良かったよ」
二人の答えに満足して、リアンは止めていた歩みを進めた。
「それじゃ、行ってくるよ」
リアンは二人と一匹に見送られながら身を水竜の姿に変えて、ベランダから飛び立った。
「……結局、何も話してくださいませんでしたね」
遠い空に羽ばたいていく竜を見送りながら、リュシエンは呟いた。
「……お兄様、お姉様にも考えがあるのでしょう。確かにわたしたちに話してくださらなかったことは残念に思いますが……踏み込まれたくない秘密の一つや、二つだってあるのかもしれません」
「その程度の秘密なら、いいのですがね」
リュシエンは開いていた窓を閉じた。
「……あなたは邪竜ではないのでしょう? なら、一体、何を隠していると言うのですか……」
いつだってリュシエンはまずリアンの行動を疑う。
それが彼女と約束したことでもあるのだから。
夕陽が完全に落ち、辺りは暗くなった。
空に星が輝き、月が夜の灯りとなる。
「今日は満月か……」
浮かぶ満月とそっくりな瞳で、空を見上げる。
雲一つない、綺麗な空だった。
満月を楽しむにはこれ以上ないほどに。
「ね、綺麗な夜空だと思わない? ロアード」
「……こんなところに俺を呼び出して、言うことはそれか? リアン」
瓦礫の上に腰掛けるリアンの前に、現れたのはロアードだった。
そしてここは、旧グラングレス王国の首都デンダインだった。
誰もいない水没した廃墟の街に、二人がいた。
「美少女からの誘いだよ? 嬉しくないの?」
「……確かにお前は美人だとは思うが」
輝く水面のような髪、水鏡に映る月のような瞳。少女らしいあどけなさを残した顔立ち。
しかし、子供らしさはなく、大人びた落ち着きがある。
それが今、ロアードの目の前にいる、リアンという存在だった。
「誘いって……そういう意味があったのか?」
「鈍い君でも、それは分かるんだね」
「……そういうことなら、俺は帰るぞ」
「冗談だよ。そういう話じゃないから」
立ち去りかけたロアードだったが、リアンの言葉を聞いて立ち止まる。
「全く……話があると言うから、ここまで来たんだぞ」
「わざわざ、ごめんね。この話をするのに、君以外の適任者はいないからさ」
月明かりが二人を照らし出す。
夜風が肌を撫で、石畳みの道の隙間から生えた植物の葉を揺らし、水面に僅かな小波を起こした。
二人の声以外に聞こえるのは、自然が作り出す音だけだ。
「話をする前に聞いてみたいんだけど、ロアードの願いは何?」
「願いだと?」
リアンに問われて、ロアードは少し考える素振りを見せた。
「……少し前の俺だったら、邪竜に対しての復讐が願いだっただろう」
「今は?」
「今は……人々が語るような英雄になりたいと思う」
ロアードは己の掌を広げて見つめた。
「人々は俺を英雄と呼ぶ。……彼らが俺をそう呼ぶようになったのは、お前たちが俺にそう望んだからだ」
バルミア公国の首都を襲った邪竜を討伐し、彼は英雄となった。
その後、ヒカグラでは、怒りに我を忘れた二代目火竜を落ち着かせ、ユハナの民たちを救った。
ララハ諸島では、暴れていたシーサーペントを討伐しただけではなく、二代目の水竜を保護していたことを明らかにした。
さらにバルミアの国民たちを助け、悪霊ザムエルを祓った。
その功績はすべてロアードのものだ。
しかし、一部の功績は本当はロアードのものではない。リアンやエルゼリーナが彼に与えたのだ。
そうして出来上がったのが、今の英雄ロアードという存在だ。
「本当はそんな"英雄"は存在しない。……だが、人々が願う、そんな"英雄"が存在するのだと、俺は証明し続けたい。……それが今の俺の願いだ」
開いていた手を握りしめて、ロアードは力強くその言葉を口にした。
……彼の瞳の奥に秘めた意思の輝きは、どんな宝石よりも強く光り輝いていた。
「……そう、お前と約束したからな」
「約束……」
「忘れたのか? お前が邪竜となるようなら、俺はお前を斬ると約束しただろう? ……英雄と呼ばれるくらいでなければ、それも出来ないからな」
「……そっか。私との約束、ちゃんと覚えててくれたんだね。嬉しいよ」
あの約束を覚えていてくれた。それがリアンにはこれ以上ないほどに、嬉しかった。
「ロアード……君なら本当の英雄になれる。そう、君なら本当に、邪竜を倒すことだってできるね」
リアンは微笑んでいた。眩しいものを、美しいものを、見るように。
「……何を言っているんだ、リアン。邪竜はもういないだろう」
「……本当に、そうだと思う?」
「――待て、お前が言ったんだぞ。邪竜レヴァリスは死んだと、お前が言ったんだ」
いまだに微笑んでいるリアンに、彼女の言っていることに、ロアードは薄ら寒いものを感じてきた。
「確かにお前以外に、邪竜レヴァリスの死は見ていない」
それは今まで彼女が必死で訴えてきたことだ。
レヴァリスは死に、そして自分が二代目の水竜だと。私はあの邪竜ではないのだと、言い続けてきた。
「そのためにお前が邪竜を演じ、俺を巻き込んでまで、その邪竜の死を世界に広めたんだろ?」
ロアードも含めた多くの者たちに疑いを掛けられた。
それでも彼女は疑いを晴らすために行動していた。
「だからお前を信じたんだ。俺たちはお前の言うことを……邪竜の死を信じたんだ。――それをお前は今更、覆すと言うのか……!」
瓦礫に座り込んだままのリアンの前に、ロアードは立ち、見下ろした。
紫の瞳が鋭く輝いた。しかし今は疑念に揺れ動いている。
「全部、嘘だったと言うのか……」
「……嘘じゃない。私は確かにその時は、本当にそう思っていたんだ。先代は……レヴァリスは自ら死を望んで、死んでいったのだと。――だけど、気づいてしまったんだ」
リアンは一度、目を伏せた。
そして夜明けの空のような瞳を見上げた。
「本当に、死を望んだだけで、竜神は死ねるのかと」
……そう、リアンは気づいてしまったのだ。
(同じように死を望んだ風竜は、自身の名前を人々の記憶から消そうとした)
不死たる竜が死ぬために。
風竜は人々の記憶から名前を消すことで、それを成そうとした。
人々に語り継がれることがなく、名を忘れ去られる。それこそが真の死であると、彼は思ったからだ。
(ヒノカの父親、火竜ヘルフリート……その死が元始の竜の不死を初めて否定した。……火竜の死は人々が願い、世界が変わったから)
一人の願いにより狂ってしまった火竜ヘルフリート。人々は世界の循環の為にも、火竜の死を願った。
(地竜バルムート……。バルムートが死を望めたのは、火竜の死という前提もあるけど……人々が地竜と別れることを望んだからだ)
子守唄は鎮魂歌のように、大地に響き渡っていた。
それは、千年以上も姿を見せていない地竜を、人々は死んだものと扱ったからだ。
(竜の死には、必ず人々が関わっている。……人々が望んで初めて、竜が死ねる)
……ならば、あの時。
(それなら、水竜レヴァリスが死んだ時は?)
リアンが初めてレヴァリスと出会ったあの時。
はたして、彼は人々に死を望まれていただろうか?
(人々から邪竜として畏れられていたけど、死は望まれていなかった。……だから、あの時に、レヴァリスは死んでなんかいない)
……リアンが今まで知り得たことを、繋ぎ合わせていく。
(特にクラウディアたちだ。溟海教団はレヴァリスの復活を願っていたほどだった。そう、あの時復活しなかった理由が……実は水竜が生きていたなら……そうなって当然なんだ)
考えれば考えるほどに、嫌な音を立ててピースがハマっていく。すべてが繋がっていく。
(みんな気付かなかった。私だって死んだものだと思っていた。でも、地竜だけは気付いていたんだ)
「……あれは私に向けられた言葉じゃない。君に向けられた言葉だよ。……そうでしょ、レヴァリス」
リアンが立ち上がり、その名を呼び掛けた。
「勘が鋭くて困るな。あれも、お前も」
月の光に照らされて出来たリアンの影が動いた。
影から水が染み出る。それはやがて水塊となり、人型になっていく。
揺れる水面を写し取ったような長髪。
人々の中から決して産まれ出ない、理想をそのまま映したような美しい顔立ち。
見た者が狂うほどに輝く満月のような瞳。
「こうして会うのは久しぶりだな……リアンよ」
形の良い唇がゆっくりと弧を描く。
――それは先代水竜にして、邪竜と呼ばれるもの。
人の姿をしたレヴァリスが、リアンたちの目の前に現れた。
……そう、私は死んではいなかったのだ。




