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終わりの夜明け

 悪霊ザムエルにより、中断された式典はその翌日の早朝に続きを行われることとなった。

 一つの区切りとして、地竜祭の終わりを朝日が登る前に終わらせることをエルゼリーナたちは望んだのだ。

 大方の救助が終わったこともあり、式典は再開されることになった。


「まずは感謝を述べます。昨夜の出来事があったにも関わらず、こんな早朝に皆が集まってくれたことを!」


 夜明け前の星空の下、作り直された簡易の壇上に立つエルゼリーナは声を張り上げ、それに返すように拍手が起こった。

 裂けた大地の上に集まる目の前の観客たちは、バルミア国民たちだ。

 首都カーディナルまで巻き込んだ地割れがあったにも関わらず、手の空いている者たちがこの場に集まったのだ。


「先日の邪竜に引き続き、悪霊の被害が我らに襲いかかりました。しかし、我が国民たちは逞しかった。その天災とも呼べる被害を跳ね除け、今この大地に立つ、あなたたちのような国民を持って、王として誇りに思います」


 エルゼリーナの言葉に、再び応えるように拍手が巻き起こる。


「かつて、我らは守護竜バルムートの加護を受けていました。しかし、今の我らにその加護は必要ないのだと、改めて思いました」


 邪竜も、悪霊も、それを退けたのはロアードだ。

 彼は竜ではなく人間だ。

 そして被害を受けた街を再建したのは国民たちだ。

 また、今回国民たちを守ったのはエルゼリーナであり、使われた技術はすべて人間が作り出したものだ。

 それは、人間の力のみで、その難局を乗り越えたのだと言える。


「我らは自らの足で、この大地に立つことができるのです! 故に、かつて我らを守護してくださったバルムート様に感謝を捧げながら、別れを告げましょう!」


 再び応えるように歓声と拍手が上がる。

 誰一人として、異議を唱えるものはいない。


 そして側に控えていたロアードが、エルゼリーナに近付き、クロムバルムを差し出した。


「……以前、貴方に断罪して欲しいと言ったことがあったわね」


 クロムバルムを受け取りながら、エルゼリーナがロアードだけに聞こえるように言葉を溢した。


「……私は、許されたかったんだと思う。裁かれれば、それで私の罪は終わり、許されるのだと」

「……エルゼ、それはお前のせいではない」

「私はそう思っているのよ。だから、自分が許せなかった」


 邪竜レヴァリスに名を縛られ、エルゼリーナは多くの冒険者たちを生贄のように邪竜に送り続けた。

 その罪を彼女が忘れることはない。


「でも、あなたは私を裁いてはくれなかった。……後から思ったけど、それで良かったわ。……結局私は、自分が許されることしか考えていなかったから」


 エルゼリーナは、渡されたクロムバルムを両手で掲げるように持つ。


「私がしなければならないのは、裁かれて死ぬことじゃない。贖罪のために生きること。……私のせいで死んでしまった人々の分以上に、誰かを助けていくこと。……そのために私は女王であり続けなければならない」


 バルミア公王という立場なら、それがしやすい。

 以前はその立場を利用して、生贄を送ってきたが、その逆も然り。

 今回ヒカグラの国と交渉がスムーズに出来たのは、国長であるシュモンと直接会って説得が出来たからだ。それも、バルミア公王という立場があってこそ出来たことだろう。


「だから、ロアード。これからも、手を貸してくれるとありがたいわ」


 彼女はクロムバルムの柄の方をロアードに差し出した。


「……そういう申し出なら、幾らでも手を貸す」


 ロアードはその柄を支えるように手にした。


 そして二人はクロムバルムを掲げながら、竜咆峡の裂け目に近づいて行く。


「我らが守護竜よ、今ここに、クロムバルムを大地にお返しします」


 二人は言葉を揃えていい、クロムバルムから手を離した。

 黒曜石のような大剣は、静かに地の底に落ちていった。




「……我が、間違っていたのだろうか」


 式典の最後を見届けながら、バルムートが呟いた。

 場所は変わらず、盛り上がった崖から、夜明けまでの出来事をずっと眺めていた。


 ふと、歌が聴こえてきた。

 式典に集まっていた国民たちが揃って歌い始めたようだ。

 優しい旋律のそれは、子守唄のようだった。


「この唄は……ロアの……」


 バルムートはそれを知っていた。

 それもそうだ。これはロアが歌ってくれた子守唄だ。


「……千年以上も経つというのに、まさかこの唄も残っておったのか……」

「……人間は短い時間を積み重ねて歴史を作る。ロアが残したものが、受け継がれたんだよ」


 かつてロアードが言ったこと、リアンは思い出す。

 この子守唄は、ロアの叙事詩に書かれていたものだ。


「確かに、人は弱いかもしれない。でも、彼らは先人から歴史を学び、受け継ぐことができる」


 ザムエルを祓った魔術も、国民たちを守った英雄ペンダントも、すべては過去から受け継がれた人間たちの技術だ。


「そうして彼らは、強くなることができるんだよ」


 歴史は人々の繋がりだ。繋がりこそが、人の強みと言えよう。


「君は……その人の強さを信じられなかったんだ」

「……そうだ。我は信じられなかったのだ。ロアの末裔たちを……」


 個人だけを見れば確かに人々とは弱い。簡単に堕落し、落ちぶれていくような者たちもいる。


「ロアは我に何の願いもかけなかったのだ。何も、望まなかったのだ」

「……じゃあ、ロアとの約束って」

「我が一方的に結んだ約束なのだ」


 バルムートは、ロアに願いをかけられたわけではなかった。


「我がロアの最後に言いかけた言葉を汲み取ったのだ。……彼は覚醒者の中でも群を抜いて天才だったのだ」


 覚醒者たるロアは、何でも万能にこなす事が出来る天才であった。

 偉大なる初代国王としても、人々に慕われたロアは、最後に国と国民たちの行末を案じていたことを、バルムートは汲み取ったのだ。


「ロアがすべてを一人で守ってきた。我の力を借りることもなく」


 ロアが統治していた時代、実はバルムートは一度も彼らに手を貸したことはなかった。

 国王たるロア一人がすべてを解決していた。


「あの大剣も、実はロアは一度も使ったことがないのだ」


 クロムバルムはバルムートが望んだから、ロアに託したのだ。ロアはけして竜の力を望んだことは一度もなかった。


「そんなロアだから、己とは違う人々の行く末を案じていた。それは己とは違い、力を持たぬからだと思っていたのだ。……だが、今にして思えば、我にそれを言わなかったのは、ロアが人間たちの可能性を信じていたからなのだろう」


 今見た光景を見て、初めてバルムートはそれを理解した。


「本当に……全てお前さんが言っていた通りなのだ……」


 アメジストの瞳が、眼下の人々を映す。

 彼らは決して弱くなどなかったのだ。

 その瞳の持ち主は、彼らを信じて何も言わずにこの世を去った。

 残された親友は、そんな彼らを信じることが出来ずに、一度も貸さなかったその手を、差し出してしまった。

 そして、その行為こそが、彼らを弱くしたとも言える。


「……やはり、我のせいか」

「それは違うと思うよ。……君が手を貸さなくても、そんなに変わらなかったんじゃないかな」


 リアンの言葉に、バルムートは眉を寄せた。


「お前さんは、人々を信じていたのではないのか?」

「そうだけど、やっぱり人間は弱くもあるから。……だって彼らは今、英雄を信じているからね」


 暗かった空が白み始める。

 壇上に立つ英雄、ロアードに向かって、人々の歓声が聞こえてきた。


「君がいなかったら、信仰する対象が別の何かに変わっていただけ。君がロアの代わりになったようにね。まぁでも、この違いは大きいことだけどね」

「なぜ、我ではいけなかったのだ」

「君が竜だからだよ。ロアも、ロアードも人だから。……同じ人間を信じることは、自分も同じような人間になれるかもしれないって希望を抱けるでしょ?」


 街で出会ったあの子供たちのように、彼らは目標になることができる。


「だけど、竜は根本からして違う存在だ。そんな存在を、崇めることは出来ても、憧れることは出来ないよ」


 竜神と呼ばれる者と人間が、同じ存在になることなど、最初から出来はしない。

 同じ存在になれないならば、人々はその存在を見上げて、崇めるしかないのだ。


「……夜明けが来るね」


 朝日が登り始めた。輝かしく、眩しい太陽が。


「……あれは、ロアか?」

「バルムート……?」


 その光の中に、何を見たのか。

 バルムートは朝日に向かって一歩、歩いた。


「あぁ、そうか。迎えに来てくれたのか。……そうだったのだ。竜も、死ねるようになったのだったな……」


 砂が舞った。キラキラと朝日に照らされながら、舞う砂に囲まれながら、少年の姿から地竜の姿に戻っていく。

 だが、竜の姿になっても体から砂が落ち続けていた。


「友が呼んでおる……」


 リアンたちには何も聞こえない。

 その声は、バルムートだけに聞こえるようだ。

 それはきっと彼をずっと苦しめていた声たちではない。

 その声にかき消されて、聞こえなかったただ一人の声だろう。


「我はひと足先に眠るとするのだ。永遠の眠りにな」

「そっか。じゃあ少し残念だけど、さよならだね」


 眠りに誘う子守唄。それは千年前に姿を消した地竜に向けた別れの歌であり、人々が地竜に手向けた鎮魂歌でもあった。

 その歌声に導かれるように、バルムートの姿が砂となり、大地に還っていく。


「全く、難儀な者め……」


 バルムートがその長い首を曲げて振り向いた。


「だが、お前さんの願い……叶うとよいな」


 ……最後に穏やかに琥珀の瞳を細めて、竜の口の端を緩めて笑った。

 朝日の中に包まれて、バルムートはその身の全てを砂にさせて消えていった。


「……いってしまったのじゃ。あんなにも、あっさりといけるものなのじゃな……」

「そうだな……」


 竜の死を目の当たりにした火竜ヒノカと風竜アルバーノ。

 ヒノカは父親を含めれば二回目だ。彼女の父親は水竜に殺されたから、穏やかな死を見るのは初めてだ。


「バルムートの、守護竜としての役目は終わったようだからな……。あいつを縛るものはもう、何もなくなったんだ」


 アルバーノ自体は竜の死を一度も見た事がないから、これが初めてだった。

 アルバーノの表情には、穏やかに逝ったバルムートに対して嬉しさと寂しさ、そして羨ましさが混ざっていた。


「私、バルムート様に献花と祈りをして参ります」

「妾も一緒にするのじゃ」


 いつの間に買っていたのだろうか、記念で買ったらしいロアの花をファリンはその場に捧げて、ミレットとヒノカと共に冥福を祈り始めた。


(……私の願い?)


 バルムートが消えた後も、登っていく朝日を眺めながら、リアンは一人考え込んでいた。

 ……それは、最後にバルムートが言った言葉が気になったからだ。


(……私の願いなんて、言ったことあったかな?)


 バルムートなら、言わなくても察することくらいはするだろうが……。


(そもそも、私の願いって……何?)


 そこで、リアンは考え込んでしまった。


(うーん? 私は二代目の水竜。だがら、私の願いは、先代の後始末? いや、それは役割であって、本当の私の願いではないかな)


 あくまで水竜の立場を引き継いだ時に、リアンがやるべき役目として思ったことだ。


(私の願い? 何か覚えていたら、あったのかな……)


 リアンは過去が記憶ない。もしも、過去を覚えていたなら、願いの一つや二つはあっただろう。

 だが、忘れてしまったから、何もない。


(……人間は過去から学ぶなら、過去を失った私は人間じゃないとも言えるか)


 少しだけ、哀しくなってしまった。

 あったはずのものがない。空となってしまった記憶しか残っていない。

 それはまるで、自分の存在すら、空っぽのように思えてしまう。


(いや、そもそも前世の願いなんてどうでもいいか。大事なのは今の私なんだから)


 こう考えるのは自分らしくない。リアンは前向きに、もう一度改めて、願いについて考えてみた。


(私は、まだ少ししかこの世界で生きていない。だから生きることが今の私の願いかな。先代みたいに死にたいってまだ思わないし……うん? あれ?)


 ……そこでふと、彼女は思った。


(ちょっと待って……あれって、本当に私に向けられて、言われたことだった?)


 この場にはリアンの他にヒノカやアルバーノ、ファリンとリュシエン、そしてミレットがいた。

 しかし、あの時確かに、あの琥珀の瞳はリアンを見ていたはずだが……。


(あっ……)


 ふと思った。最初の地竜の勘違い(、、、)は、きちんと正されただろうか?

 ふと思った。ならば、あの言葉は、誰に(、、)対して言われた言葉か?

 ふと思った。彼の願い(、、、、)は、本当に叶ったのか?


「……気付いちゃった」


 ――気付いてしまった。


「……気付かなきゃよかった」


 ――気付かないほうがよかった。


「……最悪なことに、気付いちゃった」


 ――最悪なことに、気付いてしまった。


(……やられた。違う、やっちゃった!! ああ、もう最悪!!)


「リアン様、どうかされましたか?」

「――! リュシエン……いや、大丈夫。なんでもないよ……ちょっとバルムートに黙祷を捧げてくるね……」


 リュシエンに話しかけられて、頭を抱えて唸っていたことにリアンは気付いた。

 訝しむリュシエンにすぐに平常を装いながら離れ、慌てて周囲を見渡した。


(……出てこない? いや、まだそのタイミングじゃないとでも言うの?)


 警戒を解きながらも、リアンは震える片手で顔を覆った。


(……それとも、猶予でもくれるの? 全く、本当に、嫌な奴……)


 顔を覆いながら、リアンは深く嘆息した。


(……大丈夫。って信じるしかないか)


 リアンはそのままバルムートに向けて、黙祷を捧げた。

 ……朝日はもう完全に、登りきっていた。



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