ロアの末裔たち
「……兵士たちよ、この不届き者を捕えよ!」
エルゼリーナの声で何者かはバルミア兵たちに命令を飛ばした。
「ロアード様、申し訳ありません……!!」
兵士たちは困惑していたが、主君の命令には逆らえない。彼らは剣を引き抜いてロアードに果敢に挑んだが……。
「……謝るのは俺のほうだな」
やはり実力差があり過ぎた。兵士たちはロアードに敵うこともなく、一瞬で無力化されていった。
「……使えん雑魚共が」
勝てないと分かっていながらも、命令通り動いた忠実な兵士に向かって吐き捨てるように言い、近くに倒れた兵士の一人をエルゼリーナが蹴った。
「やめろ!」
「私に指図をするな、愚か者め。……この女がどうなってもよいのか?」
腰に差していた剣を引き抜いたエルゼリーナは、自身の首にその刃を当てた。
薄く切ったのか、白い首筋から赤い血が流れた。
「……やはり、その体は本物のエルゼのものか」
「そうだ。首を掻っ切ればこの女は死ぬ。……もちろん、私は死ぬことはないがな」
ロアードは言う通りに、動きを止めた。
その様子に、エルゼリーナがにたりと口の端を吊り上げて笑う。それは決して彼女がするような表情ではない。
「理解したならばその宝剣を……クロムバルムをこちらに渡せ!」
「なぜ、これを欲しがる?」
「それは私のものだからだ!」
独占欲を隠すことなく、エルゼリーナに取り憑いた何者かは言う。
「さっさと渡せ。それは貴様のものではないぞ」
「……いいだろう。欲しいと言うならくれてやる。元より俺たちにはもう必要ない物だ」
ロアードはクロムバルムを壇上の地面に突き刺した。
木製の板を組み合わせて出来た簡易のステージであるため、簡単に刃は突き刺さった。
そのまま後ろに下がり、大剣から離れていく。
「これの価値も分からんとは。やはり貴様が持つには相応しくないな」
あっさりと手放したロアードを鼻で笑い、エルゼリーナはクロムバルムに近づき、そしてその柄を掴んで引き抜いた。
「ああ……やっとだ。やっと私の手元に戻ってきた……」
黒曜石のように艶やかに輝くクロムバルムの刃が、鏡のようにエルゼリーナを映し出す。
凛々しく美しい彼女の顔は、今は我欲の笑みに塗り潰されていた。
「そうだ、クロムバルムは私の手にあるべきだった。グラングレスの正統なる後継者である、王たる私の手の中に!」
邪悪な魔力がエルゼリーナの身体を包んでいき、幻影を重ねていく。
黒髪は変わらず、しかし、瞳は赤から紫に変わっていく。
体格が女性のそれから、男性のがっしりとしたものへ。
昔の王族たちの肖像画から、そのまま飛び出してきたかのような、豪華で煌びやかでありながら、古風な衣装に身を包む中年の男。
そして、己の立場を示すように、その頭の頂に王冠を乗せていた。
「……私が誰か、分かるか?」
「ああ、知っている。――第二十五代目グラングレス国王、ザムエル・バルミア・グラングレスだな?」
「教養はしっかりとしているようだな?」
ロアードの答えに、ザムエルと呼ばれた男は忌々しくも満足そうに頷いた。
「知っていて当然だ。……貴様はグラングレス王国の歴史において、最も最低な暗君であったと記録されているからな」
「……誰が暗君か!」
――ザムエル・バルミア・グラングレス。
その男は確かにグラングレスの王であった。
だが、歴史を紐解けばすぐに分かる。彼は王には相応しくない人物であったと。
「民に重税を敷き、逆らう者は容赦なく処刑していった……故に貴様は王弟とその臣下に謀反を起こされ、王位から降ろされたではないか」
「黙れ!」
歴史を語るロアードに向かってザムエルは怒りを露わにして叫ぶ。
「民は王の為にあるものだ。搾取して何が悪い。それらは全て王である私の物だろう? 逆らう者も殺して何が悪い。王こそが絶対の存在だ。命令に従えぬ無能者たちを排除しただけだ。だと言うのに……あの忌々しい愚弟どもが! 私を殺したのだ! 王たるこの私を!!」
ギリリと、ザムエルは歯を食いしばる。
「何が民のためだ、何が国のためだ! そんな事のために王たる私を殺すなどふざけている!」
ザムエルは心底理解が出来ないのだろう。取り乱しながら、かつて自身を殺した弟たちに向かって怒りをぶつける。
「ああ……そうだ。あの地竜も、バルムートも許せない……!」
ザムエルは手にした大剣を忌々しく見る。
「あの時、王たる私を貴様は守らなかった! あまつさえ私からクロムバルムを取り上げ、愚弟の味方をした!」
ザムエルは会場に……いや、大地に向かって大きく怨みを叫んだ。
「守護竜であるならば、なぜ王たる私を守らなかったのだ! バルムートよ!!」
壇上での出来事に困惑する観客たちに、その声は響き渡った。
その声はもちろん……。
「……やはり、あれはザムエルなのか……」
観客に混じる地竜……バルムートにも聞こえていた。
「……ああ、そうだ。我はお前さんを、守らなかった……そうしなければ、他の者たちが苦しむだけだと思ったから……だが、我は、我は……本当なら、お前さんも、守らなくてはならなくて……なのに、我はお前さんを……」
「バルムート? 大丈夫?」
「おい、どうしたというのじゃ、バルムートよ」
「バルムート様……!」
リアンたちは隣のバルムートに心配するように声を掛けた。
……バルムートの声はまるで懺悔をするように震えていた。温和なその表情が、今は苦しそうに歪んで、倒れ込むように地面に座り込んだ。
「ザムエルを……ロアの末裔を……我は……我は……殺してしまった……守らねば、ならなかったのに……約束を、したのに……」
「バルムート……あんた、やっぱり……」
――その様子はどう見ても、普通ではなかった。
「姿を現さないのか、バルムートよ!」
壇上では変わらずに、ザムエルが叫んでいた。
「……地竜は千年と姿を現していない。今更出てくるわけがない」
「ふん。出てこないのならば、それはそれで都合が良い」
ロアードの言葉にそう返事をし、ザムエルは大剣を……クロムバルムを掲げた。
「剣に宿りし大地の力よ、盟約に従い、力を解放せよ! ――ザムエル・バルミア・グラングレスの名において!」
大剣に宿し地竜の力が解放されていく。
何故ならザムエルはロアの血を引く王族であり、今依代にしているエルゼリーナもそうだ。
故に、クロムバルムの力を使う資格がある。
「貴様らはいつかこの地で起こる大地震を憂いておったな。それを、今、起こしてやろう!」
――大地が悲鳴を上げた。
地響きが轟き、竜咆峡の裂け目が増えるように、地割れが走る。
「私を裏切った貴様らに天罰を! 私を殺してまで守った民どもを……守護竜よ、貴様の力を使って殺し尽くし、地の底に沈めてくれる!!」
逃げ惑う観客たち……ここにいる民たちはかつて守護竜によって守られた民たちの末裔だ。
「た、助けてくれぇぇぇ!!」
「嫌だ、落ちるっ……!」
「お母さん……お母さんー!」
逃げ遅れた人々がまるで地面に開いた口のような地割れに飲まれて、落ちていく。
式典の会場は地鳴りと悲鳴、そしてザムエルの邪悪な笑い声が響き渡る地獄と化した。
「……我が……助け、ねば」
民たちの助けを求めるその声に、バルムートは反応した。
「われ、は、守護竜、なの、だから……」
震える声を絞り出して、バルムートは立ち上がり、その身を竜に戻そうとした。
「――ダメだよ、バルムート」
だが、リアンが立ち上がりかけたバルムートの肩に両手を置いて止めた。
「どうして止めるのだ! 彼らを助けねば……!」
「ここに来る前に約束したよね、バルムート。ここでは地竜の力は絶対に使わないって」
「確かに……そうは言ったが」
バルムートは今も、地面に飲まれていく民たちから目が離せなかった。
「お前さんは、見捨てろと言うのか……?」
「そうは言ってない。だけど、今は信じて欲しいんだ」
「信じる……? 何を……」
「君が守ろうとしている人間たちを」
リアンが真っ直ぐにバルムートを見た。
「彼らなら、大丈夫だよ。だから、君は何もしないで」
「お前さんの言葉を……信じろというのか? お前さんの言葉など……!」
「……私の言葉は信じられない? なら、私のことは信じなくていい。……だけど、人間たちのことは信じて欲しいな」
水鏡に映る月のような瞳と、バルムートは目が合った。
いや、正しくは、そこに映り込む自身の……アメジストの瞳と目が合った。
それはかつての親友と呼んだ人間、ロアと同じ瞳に。
「……いや。……リアンよ、お前さんの言葉は信じよう……」
借りたアメジストの瞳にリアンを映して、バルムートは頷いた。
「ありがとう、バルムート」
バルムートの返事にほっとしながら、手を差し伸べて立ち上がるのを手伝う。まだ歩くのも上手くいかない様子なため、そのまま支えるように手を持つ。
「……リアン、本当に放っておいてよいのじゃ?」
「うん、大丈夫だよ。だから君たちも、絶対に手出しはしないでね?」
「まぁ、リアンがそう言うのであれば……」
「また守護竜とかに祭り上げられたいなら、無理には言わないけど?」
「むぅ……それは遠慮しておくのじゃ……」
ヒカグラの民たちの信仰で散々な目に遭ったヒノカは、うんざりするようにそう返事をした。
だが、他国の民であっても心配をするのは、ヒノカらしい優しさが見えていた。
「……言われなくても、オレは最初から手なんか出すつもりなかったけどな」
「……私もですね」
「もう、お兄様たちは……。でも、お姉様がそう仰るなら、大丈夫なのですね!」
「がう!」
アルバーノとリュシエンが最初から手出しをしないのは予想が付いた。関係がなければとことん無関係を装うのが彼らだ。
ファリンだけは少し心配そうにしていたが、リアンの言葉に頷いた。ミレットも同意するように返事をしていた。
「よし、とりあえずここから離れるよ。死にはしないけど危ないしね」
すでに地面が盛り上がって高い壁になっているようなところもある。
それに巻き込まれたとして、リアンたちは死にはしないが、竜の力を使わないままで留まるのは無理だろう。
「リアン様、私たちは普通に危ないのですが……」
「そうだぞ、リアン……おじさんこう見えてか弱いんだぞ?」
「いや、君らは逃げる力くらいはあるでしょ? あ、ファリンはちゃんと助けるつもりはあったよ?」
元一級冒険者とそれとやり合える海賊が何を言っているのか。
ちなみに、ファリンに何かあったとしても、リアンを含めて兄の加護だったり、火竜の加護だったり、白虎の加護だったりが入るので全く問題ないだろう。とても厚い四重のガードだ。
(さてと……あとは任せたよ、英雄)
そもそも、ここにはあの英雄がいる。
――だから、大丈夫だ。