人と竜
「ふふふ、ふふふふ……」
夕暮れに染まる祭りの通りを、ヒノカは嬉しそうに片腕を上げながら歩いていた。
手首には夕陽の光を浴びて光るブレスレットがあった。花の飾りがあしらわれたもので、さらに赤と青と緑のガラス玉が宝石のように輝いていた。
「ふふ、ヒノカ様とお姉様とお揃いで買えて良かったです」
「うん、そうだね」
ファリンとリアンの手首にも全く同じブレスレットを付けていた。
そのブレスレットは先ほどの出店で買ったものだ。
好きなパーツを組み合わせて作ることができるブレスレットだったので、三人は互いの色のガラス玉を買い、それをさらに交換してブレスレットに付けたのだ。
「ああ、これは妾にとって新しい大事な宝になったのじゃ……」
けして高級なものではない。ただ今日の三人の思い出のつまったガラス玉は、どんな宝石よりも美しかった。
「……ああ、ファリン、よかったですね……本当に嬉しそうで……」
「じゃあ、なんであんたは悔しそうな顔してるんだよ……」
今度はアルバーノがリュシエンに呆れたような目線を送っていた。
「そうでした、お兄様! はい、これをどうぞ!」
ファリンはリュシエンに綺麗にラッピングされた袋をプレゼントした。
「ファリン……私のことを忘れていなかったのですね……!」
リュシエンは嬉しそうにその袋を開けた。
中には持ち手のついた大きめの櫛だった。
「それはお姉様とヒノカ様と一緒に選んだんですよ」
「リュシエンにはいつもお世話になってるからね」
「妾は前の温泉饅頭や服などで世話になったからな。その櫛、あの中で一番の職人の手によるものだった。本来ならもっと高い値が付くじゃろう」
先程、三人一緒にブレスレットを選ぶ傍らで選んでいたのだ。
「ファリンだけでなく、リアン様とヒノカ様まで……ありがとうございます」
リュシエンは大事そうに櫛を受ける。
「しかし、困りましたね。……こちらから渡す物も被ってしまいました」
そう言ってリュシエンが包みを三つ取り出して、三人に手渡した。
中身を開けると、揃いの櫛であった。
「何を言っているのですか、お兄様からの贈り物ならなんでも嬉しいですよ!」
「おお、妾にもあるのか! 新しい宝が増えたのじゃ!」
「さすがリュシエンお兄ちゃん……ありがとうね」
「お兄ちゃんではありませんよ」
リアンからの言葉はいつものように否定しながらも、リュシエンは悪くなさそうに笑っていた。
「…………」
「お前さんは良いのか?」
そんなリュシエンたちの様子を遠巻きに見ていたアルバーノに、バルムートがそう声をかけた。
「いいんだ。オレはもう昔に渡したようなもんだ」
「……やはり、あの槍はそうだったのだな」
アルバーノの言葉に、バルムートは理解したように頷いた。
「……貰うこともないのか?」
「ああ。……あっちはこれ以上関わるつもりはないんだろうな」
「……お前さんの運命か。難儀なものだな」
バルムートは視線をリュシエンに向けた。
「もしくは……ロアと同じか」
「……どういう意味だ」
「秘匿の竜よ、こういうのは無闇に暴くものではないだろう?」
バルムートは目を伏せ、口も閉じる。このことを詳しく話すつもりはないらしい。
「しかしながら、お前さんはまだあんなことをやっていたのだな。お前さん、今も美しいおなごを攫ったりしているのだ?」
「まぁな」
大昔から風竜が人を攫うことはよくあった。それらは神隠しとして伝承に残っているほどだ。
「ふふ、昔と変わらずのロリコンジジイなのだ」
「そう言うあんたも変わらずのショタコンババアじゃねぇか。なんだその容姿は」
「む? 人の形の参考にしたまでだが?」
「ちょっと二人とも、なに言い争ってるの……」
リアンが二人の会話を聞いて、間に入り込んできた。
「このクソババアが喧嘩ふっかけてきただけだ」
「喧嘩などしてないのだ。ただ昔話をしておっただけなのだ」
怒っているのはアルバーノだけで、バルムートは相変わらずのほほんと、穏やかに話していた。
「君が言われたことは事実じゃん。……にしても、年齢は気にしないのにそういうのは気にするんだ」
「そこはそんなに気にしてねぇよ。同類なのに、一方的に言われてるのが納得いかなかっただけだ」
「同類? 我はショタコンでもなければ、ババアでもないのだ」
「じゃあ、なんでそんな格好してるんだよ……」
「人の姿の参考に。その中であまり知られていないロアの姿を選んだのだ。……だが確かに、この時期のロアは愛いものであった。出来ることなら人目に晒すことはしたくなかったのだ」
「ほら! こういうところだ!!」
「そうかな……?」
リアンには少し判断が付かなかった。
ロアのことを愛しんでいる様子ではあるが。
「というか、なんでお婆さん呼びなの?」
「こいつ、人々の中では度々大地の母だの、地母神だのと言われてるからな」
「まぁ、確かにそう言われている。……ロアにも言われたことがあるな、まるで母親のようだと。その時のロアも実に愛いものであった。天涯孤独の身であったから親というものを、つい我に求めてしまったのだろうな」
「ほらっ! こういうっ! ところだぁ!」
「そうかな……?」
リアンはまた首を傾げた。我が子を愛しむ、慈愛の母のような雰囲気があったから。
「そういえば一つ聞きたかったのだ。ジ――アルバーノよ、その人の姿はいつも同じではないのだな? どうやっておるのだ?」
「あ、それはちょっと気になってた」
「気になる会話をしておるのじゃ! 妾も聞きたいぞ!」
ヒノカも加わってアルバーノのほうを三人は見る。
全員歳が若く背の低い少年少女なので、教えを乞う生徒のようにアルバーノを見上げていた。
「どうやるって……まぁ簡単に言えば、いくつかの人間のパーツを組み合わせてるな」
「へぇ、完全に一から作り出しているわけじゃないんだ」
「記憶に残ってる人間たちの中から選んではいるな。ただ慣れてくればそこから細かい変更もできるから、完全に同じにしないこともできる」
アルバーノの記憶の中には、少なくとも五千年以上の人間たちの記憶がある。その中から特徴を引っ張り出してきているのだ。
「容姿も存在を証明するものの一つだ。完全に実在しないものは難しい。だから、実在していた者の一部を引き継いだほうがやりやすいな。丸々借り受けるのが楽なのはこういうことだ」
「なるほどね……」
「オレの場合は、基本的に前の容姿と被らないようにランダムにしてるな。自分でやると偏るから……まぁそのせいで女になる時もあるが」
「えっじゃあ、おじさんじゃなくて、お姉さんだった可能性もあったの!?」
アルバーノの今の容姿は、長い年月の中で出会ってきた人間たちのものを組み合わせたものだろう。
当然、女性の特徴もあるわけだから、そちらになることもある。
「どんな姿していてもオレはオレだから、あまり変わらなかったと思うぞ? 女っぽい演技とかしないから」
「まぁ、それなら確かに」
「でも、ちょっと見てみたかったのじゃ」
「……オレは嫌だ。女の時はしっくりこないから、できればなりたくねぇよ……」
リアンは少し想像をしてみたが、確かにあまり変わらないと思った。容姿から来る印象の違いはあるかもしれないが、行動が変わらないのであれば、今と同じように話していたことだろう。……彼は嫌がっていただろうが。
「あとは、そうだ。自分の一部を反映させることで、存在を安定させることもできるぜ」
リアンの姿には水竜の時の特徴がある。そのため、人の姿であっても、人とはかけ離れた容姿をしている。
「そうだったのか……ならば妾の髪色も前のように出来るのじゃ? 母上と同じ黒髪で気に入っておったのじゃが……」
「母親からそれを引き継いだんなら、簡単に出来るはずだ。やってみろ」
「む……おお、出来たのじゃ!」
燃え盛る炎のような色をしていた髪色はみるみると艶やかな黒髪になっていく。
ヒノカは嬉しそうにその黒髪を撫でた。
「父上の人間の時と同じ髪でよかったのじゃが、母上の髪色も捨て難くてな。感謝するぞ、アルバーノよ」
「……アイツも人間態になったことあんのかよ」
「ふふ、確かにヘルフリートも我と同じで、人の姿をとったことなどなかったのだ」
「妾の父上は滅多に人の姿をしなかったから、あまり好きではないのは変わっておらぬと思うのじゃ」
火竜ヘルフリートの人間態を、風竜と地竜は知らない。矮小な人間の姿をなぜ取るのか、と言うのがヘルフリートであったのだから。
「ああ、そうだ。おじさんにも渡すものがあったんだ。はい、これ」
「あ? オレにまで気を使わなくて良かったんだが……なんだこれ?」
手のひらサイズの小さな小瓶だった。中身はクリームのようなものが入っていた。
「保湿クリームですよ、わたしが作りました!」
「お主……鱗が剥がれ落ちるのじゃろう? これを使うとよいと思うのじゃ」
「実は昨日から用意していたんだよね。君には形が残らない物がいいって聞いたし」
アルバーノは思わず三人を見た。
ファリンは自信満々の顔をしているし、ヒノカは少し憐れむような目線を送っている。
最後に元凶のリアンは、満面の笑みを浮かべていた。
「……感謝するが、お前だけは許さねぇぞ」
リアンにだけ聞こえるように、最後の言葉をアルバーノは言った。
「これになったのは私のせいじゃないんだけど」
「じゃあ、誰のせいなんだよ」
「それは教えな〜い」
リアンはくすくすと笑って、アルバーノから離れた。
「あの……クソガキ」
「ははは、良いものだと我は思うが?」
「あんた、分かってて笑ってるだろ……」
鱗が剥がれ落ちるなんて嘘だ。そんなことありはしない。そもそも、この量では足りないだろう。
「ああ。だが、その人の肌は荒れるのだろう? ……お前さんはだいぶ人間よりなのだから」
「……よく気付いたな」
瓶を手にするアルバーノの手先は確かに荒れていた。
リアンもバルムートも、人の形をしているだけで、体質まで人間に変わったわけではない。
肌が荒れると言った変化は起きないのだ。それは人の形に精巧に作られた水や土の元素の塊でしかないのだから。
ただアルバーノは風竜としては力が弱い。力が弱いため、存在を保つには風の元素だけでは無理なのだ。
そのため、その存在自体が人間に寄っている。人間の肉体に近しくすることで、存在を保っているのだ。
しかし人間に寄るということは、人間らしい変化の部分が出てくる。肌が荒れたり、髭が伸びたりなどだ。
その状態は、半人半竜のヒノカのそれに近いだろう。
「気付いたのは我ではないのだ。……まったく、難儀なものだな」
「……どういうことだ?」
アルバーノは首を傾げた。
その様子に、はははとバルムートは笑って、前を歩き始めたリアンたちの後を追った。
「…………」
「……アルバーノ様、置いていかれますよ」
「……ああ、悪い」
しばらく立ちすくんで悩んでいたアルバーノだったが、見かねたリュシエンに声をかけられ、歩き始めた。
「……それ、無くさないできちんと使ってくださいね。ファリンがせっかく作ったものですから」
「分かってるよ。せっかくもらった物だしな」
アルバーノは小瓶をポケットに仕舞い込みながら、続けた。
「あんたは本当に妹のことが大事なんだな」
「ええ、妹をもう一人にはしないと亡き両親に誓いましたので」
「……亡き両親?」
「……そういえば、詳しい話をしていませんでしたか」
リュシエンが妹のために村に残ったことはアルバーノでも知っているが、確かに詳しい話を聞いたことはなかった。
「私たちの両親は流行病で亡くなってしまいまして。……だから妹は私が帰ってくるまで、一人でした。レヴァリスに願ったことで、村人たちから迫害を受けていましたが、それを一人で耐えていたんです……」
村に帰ったその時をリュシエンは忘れることはない。自身は自由を求めて外に飛び出した結果、後に生まれた妹に課してしまった負担があまりに大きかった。
「もしも、私が村に留まっていればと、何度考えたことでしょうか」
「それは……」
「ええ、そうなっていたら、"アルバーノ"という存在はいなかったかもしれませんね」
リュシエンは少し前を歩く。
かつては隣に並んでいたその横顔がどんな表情をしているのか、今のアルバーノには分からなかった。
……いや、今はそれよりも、気になることがある。
「……なぁ、あんたらの両親がかかった流行病はエルフだけにかかるやつか?」
「ええ、そうですよ。昔からある感染症の一つです。特効薬があるので普段は大したことはないのですが……当時は村中に流行ってしまって薬が足りなかったようです。しかも、その薬の作り手が私たちの両親でしたから」
ちょうど薬が切れたタイミングで、リュシエンの両親たちはその病に倒れてしまったのだ。
両親たちが必死に村人たちを救った一方で、唯一の犠牲者となったのも両親たちだった。
村を救った功労者であったが……その後、村人たちはその娘であるファリンに対して冷遇したのだ。
これはリュシエンがあの村の者たちを嫌う理由の一つとなった。
「……そうか」
相変わらずリュシエンの表情は分からず、そして他人行儀で、必要以上にアルバーノに干渉しないようにしている。……だが、今はそれがありがたい。
「……まさかな」
アルバーノは今、考えたことを振り払う。
それはきっとない。そうに違いない。
だが、いくら考えても、それはへばり付くようにアルバーノの脳裏に残ってしまった。