人間初心者
地竜バルムート……名前と存在はずっと前から知っていたが、リアンは会うのはこれが初めてだ。
しかも、千年以上も前から姿を消していた地竜が、こんなにあっさり見つかるとは思わず、リアンは少し驚き固まっていた。
「用がないならば、我は寝るとするのだ」
「ま、待って! ちょっと待って!」
バルムートはそんなリアンを放って、また眠りに着こうとしたので慌てて止める。
「えっと、教えて欲しいんだけど、君はずっとここで寝ていただけなの?」
「ああ、寝ていただけだ」
「世間からは千年も姿を消していたけど、まさかずっと?」
「……そうか、我は千年も寝ていたのか」
バルムートは千年と言われても、特に驚く様子もなく、のんびりと受け止めていた。
「ずいぶんとぐっすりと眠れたのだ。お前さんのおかげだな、レヴァリス」
「……あの水球はやっぱりレヴァリスがやったんだ……」
「自分でやったことを忘れたのか? 地上の音がうるさくて寝れんと言ったら、お前さんがあの水の幕を張ってくれたではないか」
「そういうことか〜〜〜!」
リアンは思わず頭を抱えながらうずくまった。
つまりは、地竜の安眠のための騒音対策として、あの水球は存在していたのだ。
その結果、地竜は無事に安眠することができた……千年も続いた安眠を。
(千年! 千年も地竜を表舞台から遠ざけて、何してんの!? 国は分裂するし片方は滅んだよ!?? っていうか先代が滅ぼしてる!!)
大国グラングレスの守護竜であった地竜バルムート。
そんな守護竜が表舞台から姿を消した結果、グラングレスは五百年にも及ぶ王位継承戦争を始め、二国に分裂し、最終的にグラングレス王国が滅びた。
地竜バルムートが居れば起きなかったかもしれない戦争だ。
そのバルムートが姿を消した理由の大元凶がレヴァリスだった。
しかも、グラングレス王国が滅んだ原因にもレヴァリスにある。
(またか……また君のせいなのか、先代ぃ!!)
……どうせそうだろうとはリアンは思っていた。
思っていたが、やっぱり驚かずにはいられない。
「さっきから何をしているのだ、レヴァリス?」
「あー、どこから話せばいいんだ? とりあえず、私はレヴァリスじゃないよ!」
とにかく今は……全力でバルムートの勘違いをどうにかしなければならない!
バルムートはリアンのことをレヴァリスだと思っているようだ。
だが、それは非常に困る。
なにせグラングレスの守護竜だったバルムートに、グラングレスを滅ぼした存在と同じに見てもらっては困る。
最悪今までのように、レヴァリスへの恨みをぶつけられそうだ。
「何を言っているのだ。お前さんはレヴァリスだろう?」
「違うよ! 人違いならぬ、竜違いだよ!! 私の名前はリアン……レヴァリスの後を引き継いで二代目の水竜になった、リアンだよ!」
リアンが必死でそう言えば、バルムートは首を傾げた。
「ふむ? ……まぁ良い。そういうことにしておいてやろう」
「そういうことじゃなくて……本当に違うんだってば……」
「分かった、分かった。二代目の水竜なのだな?」
……全然分かってくれていない。
「……にしても、ずいぶんと地上は静かなのだ」
「あっ……それはその……」
リアンの表情が引き攣る。
地上のことを、グラングレスのことを話すべきか。
バルムートの様子からしてリアンのことを信用はしていないから、余計に話すのを躊躇してしまう。
だが……隠してもどうせすぐにバレることだ。
「地上は……グラングレス王国は滅んだよ。レヴァリスの手によって」
「それは、どういうことなのだ?」
リアンは腹を括ってすべてを話した。
グラングレスが滅んだ経緯を。
「……そうか、我が寝ている間にそんなことになっていたのか」
すべてを聞き終わった後、バルムートは頭上を見上げた。
「……通りで、誰の声も聞こえてこないわけなのだ」
「えっと……怒らないの?」
「我が怒って何になるのだ? お前さんに――いや、レヴァリスに怒ったところで何も返ってこぬ。我が寝ていたのがいけなかっただけなのだ」
「君が寝ていたのも、滅んだ原因もレヴァリスだよ?」
「……寝るのを受け入れたのは我なのだ。それにレヴァリスは我に代わって、願いを聞き届けてくれたのだろう? それも、本来は我がやるべきものだった。……つまりは、我が原因と言えるのだ」
バルムートはゆっくりとした口調で、そう言った。
そこにレヴァリスに対する憎しみや怒りなどは見えない。ただ少しだけ、悲しみが見えていた。
「レヴァリスは願いを叶えようとしただけなのだ。そうであろう?」
琥珀石のような輝く瞳が、リアンを写しながら、そう言った。
「さて、話はこれでよいか? 説明は聞いたが、やはり実際にこの目で確かめねばならぬな」
バルムートはゆっくりとした動作で立ち上がる。
「あ、地上に行くならちょっと待って!」
「なんだ、まだ何かあるのか?」
「いや……そのドラゴンの姿で行くのはマズイかなって」
今のバルムートは竜の姿だ。
鋼鉄のように硬い鱗。
琥珀色の輝きを宿す宝石のような瞳。
ゴツゴツと尖った岩が背中に生えており、それが山脈のように見える。
「地竜は千年も姿を見せてない。今その姿を世間に晒すと……騒動になる」
……しかも、この時期に地竜が出ていくのはいけない。せっかくこの地の人々は地竜の加護に頼ることなく、人々の力だけで生きようとしているのだから。
「ふむ……騒がしいのは好かんのだ……」
「君は人の姿にはなれないの?」
「人の姿か……確かにいい考えだが、どうやれば良いのだ?」
「……もしかして、やったことないの?」
「人の姿になるなど、今までその必要がなかったのだ」
バルムートは今まで人に化けたことは一度もない。
それは歴史の中でも、その記録がされていないほどだ。
「お前さんはどうやっておるのだ?」
「私は……よく分からないな。何となく人のイメージがあって、それに合わせて姿をとってるから」
リアンは今までこの少女の姿にしかなれなかったが、今は違うイメージを抱けば別の姿になれる。
……ただ存在しないようなイメージがなかなか難しいため、失敗している。
今のところは、他人に化けられる程度だ。それでも、長時間維持するのは安定しない。
「イメージか。難しいことを言うのだ」
「なら、参考になる人はいない? モデルがいるとやりやすいよ」
「ふむ……」
バルムートが少し考え込む。
しばらくして、バルムートの体が土の塊となり、変化していった。
大きかった体は圧縮されるようにどんどんと縮んでいく。
リアンの目線から、少し下まで下がっていく。
「こんなものか?」
気付けば、目の前に少年がいた。
さらさらとした白髪に、艶やかな褐色肌。
瞳はアメジストを嵌め込んだような美しさがあった。
「……人は小さいとは思っておったが、こんなに小さいのだな」
少年……の姿をしたバルムートが動きを確かめるように、手を閉じたり開いたりしていた。
「さて、これならば良いだろう?」
「いやまだ一つあるよ、バルムート」
「なんだ、まだあるのか? これで完璧ではないのか?」
「……服を着ないとダメだよ」
……そう、今リアンの目の前にいるのは、すっぽんぽんの少年だった。
なにがとは言わないが、だからリアンは直視しないように目を逸らしている。
というか、付いているのに気付かなければ、少年とも思わなかった。それくらいに、中性的な可愛らしい少年だった。
「そういえば、人間は服を着ておったなぁ」
リアンは何となく、自分が初めて人になった時のことを思い出す。
あの時の自分は裸で慌てていたが……目の前のバルムートは全くそんな気配なく、のんびりとした雰囲気のままだ。
(……まぁ、恥ずかしがる必要ないかもしれないけど、気になるものは気になるしね! 乙女心を忘れたつもりはないよ!)
……花も恥じらう乙女のつもりなら、少年の裸を見たらもう少し慌てているはずだが、リアンは落ち着いていた。乙女心とは?
まぁそもそも、竜に性別なんてないだろう。
バルムートだって今は少年の姿をしているが、それはモデルになった人間が男だっただけで、バルムート自身が性別はどっちか分からないし、どっちでもないかもしれない。
(それにしても……誰かに似ている気がする……)
少年の顔を見た時、リアンはそう思った。
あと少しで答えが掴めそうなのに、なかなか掴めない。
「……まぁとりあえず、私の服を貸してあげるから、それを着ておいて」
考えるのは後にして、リアンは自分の体内に仕舞い込んでいた、予備の服を取り出すことにした。
何かと服をダメにすることが多いので、最近は予備の服を事前に体内ポケットに入れ込んでいた。
リアンは足元に体の一部で水溜りを作り、そこから服を取り出した。
今のバルムートはリアンと似た背格好をしている。
女性ものの服とはいえ、特に性差がないので今のバルムートでも着れるはずだ。
……そう、残念ながら、少女体型だから、女性らしい部分が少ないのだ。
「すまないのだ。……それで、これはどうやって着ればよいのだ?」
「そっか……人間初心者にはここから教えないといけないのか……!」
……長生きな竜でも知らないことはあるようだ。




