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閑話 泡沫の記憶

※R15表現あり。ご注意ください。

 ――そこは地獄だった。


「さっさと動けグズが!」


 怒鳴り声と鞭の音がした。

 何度も何度も鞭が振るわれる音が、波と軋む船の音の合間に聞こえてくる。

 悲鳴なんて最初に微かに聞こえただけだった。

 それはもう動かないで床に倒れていた。

 薄汚いボロ切れのような布を着た、年端も行かない鱗とヒレが付いた水生族の少女だった。

 その子がもう死んでしまったことを、檻に入れられたもう一人の少女は知っていた。

 光のない真っ黒な(まなこ)が、そのもう一人の少女の姿を映していた。


 同じような薄汚いボロ切れを着ていた。

 髪に当たる部分は触手だった。それがだらりと垂れて顔の大部分を覆っている。

 僅かな隙間から見える(まなこ)も、同じように真っ黒だった。


「あいつは使えなくなっちまった。だから、お前が相手をしろ!」


 ガチャリと鍵が開き、鉄格子の扉が開く。

 ジャラジャラと、鎖の音が鳴る。

 痩せ細った手首の枷に繋がる鎖を引っ張られて、少女は檻から引き摺り出された。


 ――その昔、人魚の肉を食べれば人間は不老不死になれると言われていた。

 そのため人魚を含めた水生族の多くを人間たちは捕らえられたのだ。

 しかしながら、これは迷信であり、結果として人魚の肉を食べても人間は不老不死にはならなかった。


 ……願いが叶うこの世界において、なぜそうなったのか、答えは彼らが人間だったからだ。

 人間は寿命ある生き物だ。そういう存在だ。

 だから、不老不死にはけしてなれなかった。

 人間のままで、不老不死にはなれないのだ。

 不老不死になったら、それはもう人間ではない。


 全ては迷信に終わった。

 だが、人間たちは水生族を逃すことをしなかった。


 見目の美しい人魚はそれだけで価値があった。

 籠の中の鳥のように、水槽に入れて飼い、その歌声を楽しむ者もいた。

 半魚人の水生族などは海上の労働力として都合が良かった。

 大量の水生族と船を鎖で繋ぎ、馬車の馬のように船を引かせる者もいた。


 そう、彼らは奴隷として扱われるようになったのだ。


 その中で、彼女たちの扱いも、ひどいものだった。

 見目の美しい人魚なら、高値で売れるから粗末な扱いをされることもない。

 だが、見目の悪い水生族というのはそうではない。

 男であれば労働力として扱われただろうが、彼女たちは違う。


 少女は引きずられるように歩いていく。

 これから起こることは嫌というほど知っている。


 船というのは長時間航行するものだ。

 陸から離された閉鎖空間で、船員たちの溜まった鬱憤を晴らす必要がある。

 ……少女たちはその捌け口にされていた。


 転がったままの少女の屍を超えていく。

 ……羨ましかった。その表情は苦痛に苛まれて死んでいったのに、幸せそうにすら見える。

 この地獄から抜け出すには、彼女のように死ぬしかない。


「……死に……たい……」


 ――ジャラジャラと、鎖の音が鳴る。

 だが、鎖を引っ張る力がなくなっていた。

 気付けば、足元に切れた鎖が落ちていたのだ。


「……え?」


 ずっと下を向いていた少女は初めて前を見た。


 自分を引きずっていた男が死んでいた。

 首を綺麗に切られて、赤い血の海を作り出しながら。


「お前の願いは、コイツらが死ぬことではなかったか?」


 その赤い海を踏みしめる、一人の青年がいた。

 透明度の高い海の色を宿した髪に、海中から見上げた太陽のような瞳を持つ人間。

 息を飲むほどに整った相貌は、どんなに美しい人魚でも霞むほど。


「……あなたは……」

「私の名はレヴァリスだ」


 掠れた声で問いかけた少女に、そう名乗る。

 少女はその名前に心当たりがないのか、何の表情も返さなかった。

 檻の中からでは世界を知ることは出来なかったのだろう。

 そして膝を曲げ、少女に目線を合わせ、安心させるように微笑んだ。


「死にたいと願うならば、殺してやってもいいが、どうする?」

「わたし、は……」


 少女は思案する。

 死にたいと確かに今、願った。


「やっ、ぱり、生きた、い……死にたく……ない……」

「ならば殺さないでやろう」


 泣き出した少女に、青年は変わらずに微笑みながらそう返した。


 やがて落ち着いた少女を連れて、二人は甲板に出た。

 ……この船の乗組員たちは全員死んでいた。

 甲板には屍の山が出来上がっていた。

 そんな甲板を見渡しながら、少女は不安そうに青年を見上げた。

 けして青年が怖いからではない。少女はずっと青年の服を握っていた。


 この船に乗っていた同族たち……少女と同じように捕まり奴隷にされていた水生族たちが船から海に飛び込んで、逃げ出していく。

 彼らは少女と同じように救われたのだ。

 この青年によって。


「行くべきところがないならば、共に来るか?」

「……いいの?」

「ああ。……お前の名は何という?」

「……ノロマ? アホ?」

「それは名ではないな」

「じゃあ……ない」


 他の同族たちは帰るべき場所があったのだろう。

 だが、少女にはそんな場所はなかった。

 生まれて物心付いた時から、少女は檻の中だった。


「ならば名付けてやろう」


 二人残された甲板で、青年は少し悩む。

 波の音だけが二人の間に流れた。


「――クラウディア。お前はこれからそう名乗るがいい。そして、私に仕えるのだ」

「……クラウ、ディア」


 少女は……クラウディアは青年を見上げた。

 真っ黒に塗り潰されていた(まなこ)に、光が差し込んだ。



 ◇◇◇



「お久しゅうございます、我が主よ」


 数年振りに見る(しゅ)を前に彼女は深々と頭を下げた。

 同時に彼女の後ろに並んだ信者たちも同じように、頭を下げる。


「ああ、久しいな、クラウディア」


 名を呼ばれたことで彼女は……クラウディアはこの上ない喜びを噛み締めた。

 名付け親であり、崇拝するかのお方自らに、その名を呼ばれたのだから。


 幼少期をかの方と共に過ごしたクラウディアは、やがて同じ志を持つ水生族と共に溟海教団を立ち上げた。

 溟海教団の指導者となってからは、かのお方と過ごすことは少なくなったが、時折こうして姿を彼女の前に見せてくれる。


「また教団の規模が大きくなったようだな」


 ここは溟海教団が所有する深海の秘密の拠点だった。

 古代帝国の宮廷だった白くて長い廊下を歩きながら、信徒たちに神と崇められる青年が、クラウディアにそう声をかけた。


「ふふ、これも貴方様の威光の賜物でございますわ。……南の大海蛇の名も聞き及んでおります」

「シーサーペントか。あれは突然変異した海蛇だったな。物珍しさから人間たちに狩られそうになっていたところに手を貸してやった」

「素晴らしい……さすが我が主です。救いの神とは貴方様のことでしょう」

「さて、どうだろうか。火竜を殺してからは、私を邪竜と呼ぶ者も増えてきたからな」


 邪竜という単語が出た瞬間、クラウディアは口元を悲しげに引き結んだ。


「……最近、わたくしたちの教団も、邪竜を信仰する邪教と呼ばれるようになりましたわ。……貴方様は邪竜ではありませんのに」

「お前から見ればそうだろう。だが、他の人間たちにとっては違うだけの話だ。……それに邪竜と呼ばれるのも悪くない」

「そうでこざいますか……」


 クラウディアは納得がいかない表情をした。

 だが、他でもない主が気にした素ぶりを見せないので、それ以上は何も言わなかった。


「……それで、最近お前は何をやっているのだ?」

「やはり、お気付きになられておりましたか」


 クラウディアは嬉しそうに頬を緩ませる。

 この海での出来事を、かのお方は知らずはずがない。


 クラウディアは早足になりそうなのを抑え、祭服の裾を揺らしながら目的の場所に歩いていく。


「こちらでございますわ」


 クラウディアは壁のボタンを操作し、スライド式の扉を開いた。

 その部屋は白く明るい空間の多いこの宮廷の中で、薄暗い部屋だった。

 ぼうっと光る古代遺物(アーティファクト)の光だけが、その部屋を照らしていた。


「以前、貴方様はわたくしに子供は出来るのかと仰いましたね?」

「ああ、言ったな。だがお前は否定した」

「当たり前です。竜神と人の間に子など出来ませんから」


 部屋の中に進み入ったクラウディアの足が止まる。

 自然と主の歩みも止まった。


「……火竜は出来ていたが?」

「はぁぁぁ……それは本当に嘆かわしいことです」


 クラウディアは主の言葉に、深く嘆息した。


「生殖行為を行うのは人や生物だけです。……竜神たる貴方様がそのような低俗で野蛮な行為をなさる必要など、全く持って、いりません! ああ、考えるだけで穢らわしい! 神聖な貴方様方に対して不敬ではありませんか!!」


 クラウディアは嘆いた。

 なぜ竜神と人を同列に扱わなければならないというのか。


「確かにわたくしは貴方様になら、この身もこの命さえも捧げても構いません。しかしながら、それだけは、絶対に赦せませんわ。……火竜を堕落させた女と一緒しないでくださいませ!」


 ベールに包まれていても分かるほど、今にも泣きそうな表情で、懇願するように、クラウディアは言った。


「ああ、分かっている。だから、手を出してないだろう? 風竜と違ってな」

「……あのお方にも困ったものですわ! 自ら神格を貶めるようなことをして……!」

「人として振る舞うならば自然だろう。……それにあれは戯れでやってるのだろうな」

「なら尚更、赦せないですわ」

「私が人と遊ぶのと変わらんさ。あれも退屈しているのだろう」


 風竜が聞いたらぶっ飛ばしにきそうだ。

 だが、対して変わらない話だ。

 退屈を紛らわす方法が違うだけの話なのだ。


「だから、あまり悪く言ってやるな。風竜もまた、私の同胞であり、友だ」

「……申し訳ありませんでした」


 クラウディアはまた深々と頭を下げた。


「して、これはなんだ?」


 この薄暗い部屋には縦長の水槽のようなものが幾つも並んでいた。


「……わたくしは確かに否定しましたわ。ですが、貴方様の願いですから、どうにかして叶えられないかと模索しました」


 水槽には丸い肉塊のような物が浮いていた。


「そしていい方法を見つけましたわ。一から造ればよろしいのです。貴方様の子を」


 丸い肉塊は……心臓のように鼓動していた。


「……見たことがあるな。旧文明の技術だ」

「はい、その通りですわ。人造生物……キメラなどを生み出したかつての技術です」

「帝国は技術力に加えて、人造生物を用いてこの大陸を支配した。……だが、これは禁術とされた」


 水槽に手を当てると、それに合わせて肉塊が鼓動した。

 ――それには意思があった。

 肉塊に生えた複数の眼が、美しい容姿を映す。

 それは複数の人や、生物を掛け合わせて出来たモノだった。

 すべてが歪に絡み合って、生きていた。


「ええ、ですが技術としては素晴らしいです。この技術を使えば、貴方様に近い存在を生み出すことが出来ます。そうすれば貴方様の願いも叶いましょう」


 クラウディアは主の返事を待った。

 これならば、きっと主も喜んでくださると、信じながら。


「……そうか」


 ――一言、冷めた返事がクラウディアの耳に届いた。

 同時に、すべての水槽は赤く濁り、そしてすべての水槽が破裂した。


「ああ……ああああ!」


 クラウディアは地に落ちた肉塊を抱き上げた。


「なぜ……」


 ベールの僅かな隙間から、クラウディアの頬に涙の流れた筋が見えた。


「なぜ、ですか……レヴァリス様!」


 胸に抱いた肉塊は愛おしい()だった。

 同じような小さな()たちが周囲に複数散らばっている。

 どれも胸に抱いた()と同じだ。

 もう、二度と動くことがない。


「――お前には失望したぞ」


 赤く染まって血の海となった床を主は踏みしめ、クラウディアを見下ろした。


「痛い、苦しい、寒い、助けて……すべて今聞いた言葉だ。殺してくれと言われた、だからそうした」

「ですが……この子たちは貴方様の子に――」

「クラウディア」


 名を呼ばれたことで、クラウディアは顔を上げた。

 水中越しに見た太陽のような瞳と目が合った。

 己と同じ色をしていて、しかして美しさに違いがある。


「私が望んだのは、私と同等になり得る存在だ。近しい存在では意味がない」

「ああ……それは、無理です……」

「無理? なぜだ?」

「貴方様は、絶対なる至高の存在……尊きお方……。貴方様と同等の存在など、あり得ません……そんな存在はこの世界には存在しません……」


 ベール越しのクラウディアの瞳に、(しゅ)の姿が映る。


 彼女は主を崇拝している。

 彼女は主を疑うことはない。

 彼女は主を唯一と信じている。

 彼女は主の存在以外を否定している。

 彼女は主を――レヴァリスという存在だけを認めている。


 ――狂気に揺れる黄金の(まなこ)は、レヴァリス一色に染められていた。


「……ああ、お前はそういう存在だったな」


 クラウディアの名に込められた意味とは、それだった。



 ◇◇◇



 白い宮廷の廊下に、一人だけの足音が響く。

 泣き喚く彼女を一人残して、部屋から出た。

 もう二度と会うことはないだろう。


「……私と同等の存在は、この世界には存在しないか」


 火竜のように上手くいかないようだ。

 人側に堕ちるならば出来そうだが、今の状態では無理だろう。


「ならば、見つけねばならんな」


 その独り言は泡のように消えていく。

 誰に聞かれることもなく。

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