知らしめる
《還らずの海》の上空は変わらず曇天だった。
その空を背に、水竜が飛んでいた。
周囲にはエスパーダ船団の船隊。
その船の周りには、彼らと争っていた溟海教団の水生族たち。
そのすべての人々が、いきなり現れた水竜を見上げていた。
「……えっと」
水竜も……リアンもまた少し、この状況に固まっていた。
「……落ち着け! 邪竜は俺が倒した! あれは邪竜ではない!」
その時、人々の混乱する声を遮って、よく通る声が聞こえてきた。
そちらを見れば、ある船の甲板にロアードがいた。
彼はリアンを見つめたまま、頷いた。
(……しっかりお膳立てしてくれたんだね。ありがとう、ロアード)
リアンは一つ、はばたきをする。
それだけで、まだ騒がしかった人々の声は静かになった。
「諸君、突然だけど初めまして! 私の名前はリアン。新たにこの世界に生まれた水竜だ!」
リアンの言葉は波打つ水面のように、人々に広がっていく。
「あれが……新しい水竜?」
「あの噂は本当だったんだ! 竜神が死んだら、代替わりのために、新しい竜が生まれるって!」
「邪竜レヴァリスじゃない……水竜リアン……」
様々な声が上がり始めるが、悪くない感触だ。
ヒカグラの国でロアードが示してくれた可能性の種は無事にここまで伝わっていたようだ。
「だけど本当にそうなのか……?」
しかし、不安の声はまだ消えない。
「いえ、あれはレヴァリス様よ!」
溟海教団の水生族たちに至っては、リアンに向かってそう叫んだ。
「私はリアンだ。レヴァリスじゃない」
「――そうよ、アナタはレヴァリス様ではありませんわ!」
否定の声と共に、リアンの足元の海面から複数の触手が伸び、リアンの体に巻き付いた。
「……ああ、そうだったね。君との話はまだ終わってなかったね、クラウディア」
それは海中から這い上がってきた。
船よりも大きな図体をした怪物。
タコにもイカにも似た巨大な軟体生物。
それが彼女の、クラウディアの本来の姿。
「騙されないで! コレはレヴァリス様ではありませんわ!」
低く、くぐもったクラウディアの声が響く。
そこに込められた感情は怒りと憎悪。
あの紛い物をレヴァリスと呼んだ人々への怒り。
「アナタは……いいえ、キサマは赦さない。レヴァリス様以外に水竜を名乗るなど赦さない!!」
――そして、水竜を名乗るリアンに対しての憎悪だった。
クラウディアは触手の締め付けを強めた。
ギチギチと嫌な音を立てながら、リアンは絞められていく。
たが、リアンは先程と同じく、水になることであっさりとその拘束から抜け出していく。
「……認めない!」
次にクラウディアは墨を吐いた。
その墨はただの墨ではない。
触れた物を溶解し、さらには猛毒にも侵す。
一度その墨を吐けば、周囲一体の海は汚染され、生態系は崩壊する。
それをリアンは、水のヴェールを作り出し防ぐ。
さらには周囲の人々に被害が出ぬように墨を回収し、浄化までしてみせた。
「認めない……認めない認めない認めない認めない認めない認めない認めない認めない認めない認めない認めない認めない認めない認めない認めない認めない認めない認めない認めない認めない認めない認めない認めない認めない認めない」
クラウディアは、あの手この手でリアンに歯向かうが、赤子を捻るように全て対処されていく。
それでも、彼女は止まらない。
「キサマが、水竜なるものですか!」
――けして認めてなるものか。
「水竜はかのお方だけ!!」
救いの神だった。
あの日、あの時、クラウディアに手を差し伸べて、地獄から救い出してくれたのは、かの方だ。
「かのお方が……レヴァリス様が死んだなんて――」
「――彼は死んだよ。もういないんだ」
目の前にいた存在が無慈悲に告げた。
クラウディアは何が起こったのか分からなかった。
痛みすらなかった。
ただ、振り回していた手足が……触手がいつの間にかなくなっていた。
「君は私に勝てるわけないよ」
ボトボトと、大きな音を立てて、海に複数の触手が落ちていく。
誰が切ったなんて、明白だ。
目の前にいた存在が、崇拝したかのお方と同じ竜の姿をした存在が、水を操って全ての触手を切り落としたのだ。
「君はもう存在しない先代水竜の眷属だ。そんな君は私には勝てない」
今のリアンは、今まで以上に力が溢れていた。
それは世間に自分の存在を……二代目水竜の存在を知らしめたからだろう。
リアンを邪竜と疑っていた人々は、皮肉にもクラウディアの言葉によってその疑念を否定された。
他でもない溟海教団の指導者、水竜の巫女が、レヴァリスではないと証言し、リアンの存在を証明させたのだ。
ロアードが流れを作ってくれたのもあり、人々はリアンを二代目の水竜として信じたのだった。
「どうして……どうしてですか……」
どうして、世界はこんなにも簡単に、かのお方の死を受け入れるのか。
どうして、世界はこんなにも簡単に、代わりの者を受け入れるのか。
……クラウディアには理解が出来なかった。
「……レヴァリス、さま……」
天に向かって、触手を伸ばそうとしたが、もう伸ばせる触手はなかった。
その手を握ってくれる者も、もういない。
悲しみの声をあげて、クラウディアは海に沈んでいく。
流した涙は、海に溶けて消えていった。