英雄として
《還らずの海》は混戦としていた。
エスパーダ船団の船隊がシーサーペントを囲むように展開していた。
しかし、これを援軍に来た溟海教団の水生族が邪魔をする。
結果として、エスパーダ船団は彼らの相手をするだけで手一杯だった。
つまり、今シーサーペントを相手に戦っているのはただ一人……ロアードのみ。
荒れ狂う波の上に立ちながら、ロアードはシーサーペントと戦っていた。
すでに戦闘を開始してから四十分は経っている。
水中呼吸のポーションの効果が切れるまで残り時間は少ない。
効果が切れた後に追加のポーションを飲んで効果を延長することはできない。
この手の魔法ポーションは一定期間に飲み過ぎると、中毒症状を引き起こす。最悪肺の構造が変わってしまい、呼吸が正しく出来なくなる。
「……そろそろ決着を着けなければならないか」
ロアードが立っていた海上に尾が叩き付けられた。
すぐに足下の結界を解除して、海に潜ることで衝撃を逃れる。
しかし、それを逃れたところで逃げ場はない。
相手は海に住まう魔物。
海中に落ちてきたロアードを喰らうように、シーサーペントは大口を開けていた。
一級の魔物とは大国を滅ぼす力を持つ。
規格外の災厄級に分類される元始の竜たちを除けば、冒険者ギルドが定める最高ランクの怪物。
その強靭な鱗はあらゆる攻撃も魔法も通さない。
その鋭き牙はあらゆる存在を噛み砕く。
たとえ竜に匹敵しないとはいえ、人々は簡単に倒せる相手ではない。
「……っ!」
その圧倒的な存在感に、ロアードは気押された。
「俺は英雄だ……」
たが、彼は英雄と呼ばれる者だ。
邪竜殺しの英雄、たとえその肩書きが本当ではないとしても。
「暴れる火竜をも静めた……」
……あの時、火竜ヒノカと対峙した時。
ロアードは今以上に、その存在に気押されていた。
初めて竜神の力を前にして、彼は死を覚悟した。
邪竜……リアンと戦った時も感じたが、それ以上だった。
自身の力を過信していたわけではないが、ロアードの想像以上に力の差があったのだ。
結果として、リアンがその戦いに割り込み、ロアードは死ぬことはなかった。
たがしかし、世間ではロアードが火竜を静めたことになっている。
あの時、リアンが表に出るわけにはいかなかった。
そうリアンが望んだから。
「だから、俺が英雄なんだ……。相応しい英雄に、ならなければならないんだ!」
そうだ、リアンと約束したのだ。
もしも彼女が邪竜になるようならば、切り捨てると。
シーサーペントすら倒せないようでは、それは出来ない。
けしてリアンが邪竜になると本気で思っているからではない。
彼女を信じて、約束したからこそ、約束を反故にしてはならない。
それに、実績に見合うほどの強さがなければ、すべての嘘が疑われる。
それだけは、あってはならない。
ロアードは宝剣クロムバルムの柄を握り締める。
その剣に眠る地竜の力を使えば、勝てるだろう。
「リュシエン……やはり、俺にはそれは出来ない」
……だが、今回ロアードはそれに頼ることはしなかった。
ロアードはあろうことか大剣を構えるのを止め、片腕を前に……迫り来る大口に突き出した。
「――ぐあっ!!」
直後にガキンッと固いもの同士が当たる音が響く。
ロアードは右腕を噛み付かれたまま、海中をシーサーペントに引き摺られる。
右腕は《防御甲冑》を掛けたことで噛みちぎられずに済んでいた。
たが、そのアーマーが軋みをあげ、同時に痛みが走る。
このままではすぐに魔術は破られてしまうだろう。
だが、これを待っていた。
このシーサーペントが噛み付いてくることを。
「お前の鱗は硬い。外からではどうしようもない……だが、その内側はどうだ!」
ロアードは噛まれたままの右腕に魔力を集中させる。
……人の魔術は魔法に憧れ、それを模したものだ。
魔法と違うのは創造力さえあれば、なんでもできることだ。
「……《大嵐》!」
この魔術はよくリュシエンが扱う風の魔法によく似ていた。
何度も見た魔法だ。
それを食らったことだってあった。
故に、創造は完璧だ。
「キシャアアアア」
風の刃がシーサーペントの内部を容赦なく暴れ回る。
やはり内側は外側の鱗ほど、強度はなかったようだ。
抵抗するように暴れ、シーサーペントは海上に顔を出した。
そこでやっと力尽きたのか、海面に向かってその長い図体が倒れていく。
「――シーサーペントは討伐した!」
そしてロアードが、シーサーペントの上に乗り、この海域にいるものたちに届くほどの大声で、勝利を伝えた。
「うおおおー!」
「さすが英雄、ロアード様だぁ!」
エスパーダ船団の人々の喜びの声が上がる。
「そんな馬鹿な……」
「大海蛇様が……」
周囲には倒れて浮かび上がったシーサーペントを、信じられない表情で見る水生族たちの姿があった。
「ロアード様!」
「ゴゥグか」
ネネ族の族長ゴゥグが乗る船がロアードに近づいてきた。
ロアードはその船に飛び乗った瞬間に、脱力するように座り込んだ。
「ロアード様、右腕が」
「問題ない……」
シーサーペントを討伐できたことで、緊張の糸が緩んだのだろう、無視していた右腕の痛みも感じ始めた。
脅威は排除されたが、まだやるべきことは残っている。
あとは残る溟海教団たちを捕らえ、拉致された人々を救わなければ。
「……なんだ?」
荒れていた海が元に戻りかけていた。その時だ。
再び、波が立ち始めた。
そして、海中から空に向かって、水柱が突然上がった。
水柱が晴れ、海中から出てきた存在が見えた。
それは美しい半透明の鱗を持っていた。
大きな両翼が羽ばたくたびに、水飛沫が舞い落ちる。
まるで水中を泳ぐかのようにして、優美に飛ぶ。
それは――。
「水竜……なぜ、ここに!?」
「おい、あれってまさか、邪竜レヴァ――」
「……落ち着け! 邪竜は俺が倒した! あれは邪竜ではない!」
狼狽え始めた人々の想像を、ロアードが否定する。
「……ロアード様がそう仰るのです! あれは邪竜ではありません!」
ゴゥグの言葉も続き、徐々に落ち着いていく。
人々はロアードの言葉を……英雄の言葉を信じたようだ。
「……やはり無事だったようだな、リアン」
誰もが突然現れた水竜を見ていたから気づきもしない。
ロアードが一人、安心したような表情を浮かべていたことに。




