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涙の記憶

「うーん……」


 真っ白く滑らかで、それでいて鉄のような無機質な壁に囲まれた部屋の中。

 そこには天蓋付きのベッドや木でできたテーブルや椅子などが置かれている。

 そんな過去と現代が入り乱れる、チグハグな部屋の中でリアンは悩んでいた。


 クコ島の襲撃事件から二日。

 あれから大きな物事は起こっていない。


 といってもそれはリアンからみたら、だ。

 あれからこの深海に沈んだ古代帝国の宮廷だった遺跡に連れて来られたリアン。

 自分を誘拐した海賊、アルバーノと名乗る男から、自分を取り上げた溟海教団の水竜の巫女、クラウディア。

 今はそのクラウディアにより、この一室を与えられ、手厚く"保護"されていた。


「そろそろ動くべきか、どうするべきか……」


 一先ず、大人しくしながらリアンは様子を見ていたのだ。


「リアン、入りますわよ」


 部屋の扉がスライドしながら開く。

 これは自動扉だ。

 古代帝国の宮廷だったこの場所は、この場所自体が大きな古代遺物(アーティファクト)と言える。

 術式のシステムは今も生きているため、こうして機能しているわけだ。


「昼食の時間ですわ、一緒に食べましょう?」


 入ってきたのはベールで顔を隠したクラウディアだった。

 その後ろから控えるように付いてきたお供の信徒たちが、テーブルの上に二人分の料理を配膳をしていく。

 魚介類を使った海鮮料理だ。

 暖かなスープも用意されており、湯気がゆらゆらと揺れていた。


「ああ、もうそんな時間だったんだね」


 太陽の光さえ届かないこの深海では時間の把握がし難い。

 時計はあるものの、しっかりと見ていなければ、分からなくなっていく。


 リアンはクラウディアの対面の椅子に座る。

 ここに来てからというもの、食事はいつも彼女と共にしていた。

 クラウディアが強く希望して、そうなったのだ。

 リアンとしても、彼女のことは気になっていたので、文句もなく受け入れていた。


「リアン、何か不自由なことはありませんか?」

「全然、問題ないよ」

「それはよかったですわ」


 クラウディアはいつもリアンのことを気にかけてくれていた。

 何か必要なものがあれば、すぐに用意してきたものだ。


 例えば、今のリアンの服だ。

 今のリアンの服装は目の前のクラウディアや、溟海教団の信徒たちに近いものだ。

 白いローブのような祭服。

 着替えとして、クラウディアが用意したものだ。


「では、レヴァリス様について、何か思い出したことはありませんかしら?」


 慈愛に満ちた笑顔のまま、クラウディアがリアンに問いかけた。


「……何度も言うけど、私は何も知らないよ」


 繰り返し否定しながら、リアンは白身魚のソテーを切り分けて口に運ぶ。


 毎回クラウディアとは会うたびに、レヴァリスとの関係をしつこく聞いてくる。

 リアンの容姿が、レヴァリスの人間態に似ているからだ。


 ……実際、リアンは水竜だ。

 レヴァリスとも直に会ったこともあるため、何も知らないのは嘘だ。


 だが、レヴァリスのことはよく知りはしない。


 リアンはあの時、力を受け継いで人から水竜となり、死に逝くレヴァリスを見送った。

 そこで少し会話をしただけだ。

 レヴァリスについては、彼が残した災厄と行いからしか知っていない。

 だから、何も知らないというのも、あながち嘘でもないのだ。


「そう……本当に何も知らないのですね」


 クラウディアはベールで顔を隠していても悲しんでいると分かるくらいに落ち込んだ様子を見せた。


(悪いけど、本当のことは話せないよ……)


 ……リアンは彼女たちにレヴァリスのことを話すか悩んだ。

 だが、世間では邪竜と呼ばれたレヴァリスは英雄ロアードによって討伐されたことになっている。

 レヴァリスは自ら死を望んで死んだ事実を伝えれば、その世間の認識を歪ませるリスクがある。

 どこから話が広がるかも分からない。

 人々の噂というものはそういうものであり、そして正しく伝わるとも限らない。

 何処かで尾ひれがつき、捻じ曲がったものが真実になることだってある。

 故に、必要以上に話すべきではない。


(それに……まだ彼らを信用したわけじゃない)


 ロアードやリュシエンの話では溟海教団とそれを率いるクラウディアとは困った人々を助けるような慈善の集団であるという話だった。

 では、なぜワワ族を拉致したりなどしたのだろうか?


「……あの耳の付いた人たちは無事?」

「ワワ族たちのことでございますか? ええ、全員、丁重に扱っておりますわ」


 唇がゆっくりと弧を描く。

 微笑みを浮かべながら答えるクラウディアは、評判通りの善人にしか見えない。


「どうして彼らをこんなところに連れてきたの? 君たちの目的は何?」

「……この世界を救うためですわ」

「世界を救う?」

「ええ、このままでは世界は滅んでしまいますから」


 クラウディアの言葉は真剣だ。

 とても冗談を言っているようには見えない。


「リアン、あなたは知りたがりですね。大丈夫です、いずれ全ては明らかになりますわ」


 食事が終わったことで、話も終わりとなってしまった。

 クラウディアはまるで子を諭すようにいいながら、リアンの頭を優しく撫でた。


「……えっと、クラウディア」

「もう、何度も言ってますでしょう? お母さん、ですわよ?」

「こっちも何度も言ってるけどお母さんじゃないって……だから子供扱いしないで欲しいんだけど」


 リアンがそう言えば、クラウディアは悲しそうに唇を引き結ぶ。


「そもそもなんで私を子供扱いしてるの……」

「あなたがレヴァリス様に似ているからですわ。あのお方の娘の可能性が捨て切れませんから」


 リアンの両手を包むように優しく握りながら、クラウディアはリアンを見つめる。


「……そんなの、ありえないよ。レヴァリスの娘だなんて」


 ある意味、娘と言えなくもないかもしれないが、リアンはそうではないと思う。


「ではあなたのご両親は?」

「……いないよ」


 人であった過去にはいたかも知れないがリアンは思い出すことすらできない。

 下手に嘘も付けなかったため、いないと答えた。

 ……どちらにせよ、この世界にリアンの両親はいない。


「なら、可能性はあるではありませんか。あなたがレヴァリス様の子で、わたくしの子であるという可能性も」

「……君ってレヴァリスとはそういう関係だったの?」

「まぁリアンったら、直接聞くだなんて恥ずかしいではありませんか」


 クラウディアは少し慌てながら、リアンを嗜めるように言う。


「ですが、わたくしとレヴァリス様はそのような関係ではありません。あのお方と夫婦になるなど……畏れ多いことですわ」


 クラウディアは敬虔な水竜の信徒であった。

 信奉する神に対してそのような気持ちを抱いたことはない。

 彼女にあるのは絶対なる忠誠と崇拝である。


「じゃあ、どうして私の母でもあると言うの?」

「……それは」


 ぽたりと、何かがリアンの頬に落ちた。

 ……それは涙だった。

 見上げれば、ベールの僅かな隙間から、クラウディアの頬に涙の流れた筋が見えた。


『なぜ、ですか……レヴァリス様!』


 瞬間、リアンの脳内に声が響いた。

 同時に知らない光景が流れ込んでくる。

 地面は赤く染められ、血生臭いにおいまで脳裏に流れてくる。

 胸に抱いた肉塊は愛おしい()だった。

 同じような小さな()たちが周囲に複数散らばっている。

 どれも胸に抱いた()と同じだ。

 もう、二度と動くことがない。


『――お前には失望したぞ』


 その光景の中心に男がいた。

 流るる清らかな水のような長髪。

 水面に映る黄金の月の瞳。

 人とは思えぬほどに均整な顔立ち。

 否、それは人ではない。

 人の形をしただけの自然の摂理。

 災厄の名を宿す者。


 リアンはそれが誰であるかを直感した。

 そう、この男こそがあのレヴァリスであると。


(い、今のは……クラウディアの記憶?)


 それらは一瞬の光景だった。

 幻のようにすぐに掻き消えていく。


 この光景の視点と聞こえた声からして、クラウディアの記憶だろう。

 どうやら彼女の涙を通して見えたようだ。

 リアンは初めて知ったが、これも水竜の力の一端なのだろうか?


「ごめんなさい……この話はあまりしたくないの」


 記憶からも深い悲しみをリアンは感じていた。

 クラウディアはそっとリアンから離れ、立ち上がる。


「わたくしはしなければならないことがありますから、もう行きますわね」


 食卓の片付けを済ませた信徒の部下を引き連れて、クラウディアは部屋を後にした。


(レヴァリスとクラウディア……この二人の間にも、何があったんだろう?)


 今もレヴァリスを信奉している様子のクラウディアだが、レヴァリス側からは切り捨てられたように見えた。

……涙を通して見えた記憶からして、ろくな出来事ではなさそうだ。


(それにしても……そっくりだったなぁ)


 初めて見た人間態のレヴァリスは、リアンの人間態とも似ていた。

 レヴァリスの子供であると勘違いをしても仕方ない程だった。

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