それが私の願いだ
透明度の高い水のようなセミロングの髪に、願い星の輝きを宿す瞳。
白と青のローブワンピースは少女の見た目相応の可憐さを引き立たせながらも、大人びた淑女らしさを与えていた。
「ねぇ、聞こえているでしょ」
作り与えられた完璧な容姿を持つ少女は、決して人間ではない。
彼女は椅子に深々と座りながら、なおも誰もいない部屋に向かって話しかけた。
「まぁ、いいや。このまま話すね」
彼女は目を閉じながら、一人話を続けた。
「君が付いた嘘について。君が最初についたのは自分が死んだことだったね」
……確かに嘘をついていた。死んでいないのに、死んだと嘘をついた。
「でも、この時。君はもう一つ、嘘をついたよね」
……確かにもう一つ、嘘をついていた。
「それは私の存在そのものだ」
彼女はゆっくりと目を開いた。
「私は最初から存在なんてしていない」
その口振りには一切の迷いもない。
彼女は真実を話すように続けた。
「過去の記憶? そんなものはなくて当たり前だ。元々そんな記憶なんてないんだから。元人間だった? 死んで転生した? ――それすら全部、君の嘘だ!」
彼女は誰もいない空間を……いや、明確に、こちらを見ていた。
星の光のような瞳は裏に潜む存在を視ていた。
「君が今まで私を演じていた。君がリアンを演じていたんだ」
――彼女の言う通りだ。
リアンという者は存在しない。
リアンという名を与えられ、記憶を奪われ死した人間の魂なども存在しない。
リアンとは創り出された嘘の存在だ。
「――そうでしょ、レヴァリス?」
そう、すべてはレヴァリスが――いや、私が演じていた。
私が"リアン"という名の架空の存在を作り出し、私が"リアン"と名乗り、私が"リアン"として行動していた。
そう、今までのすべては、私が騙っていたのだ。
本当によく分かったものだ――リアンよ。
「……なんだ、やっぱりまだいるじゃん。なんですぐ出てこないの」
……私はもうすぐ消える。
今の私はお前の中に残るただの残滓に過ぎないのだから。
それにすぐに出てきても、面白くないだろう?
「そうかな?」
そういうものだ。
「まぁいいや、ちゃんと出てきてくれてありがたいよ。君とはまだ話がしたかったからさ」
彼女は再びカップを手にし、一口飲んだ。
「……それ、まだやるの?」
せっかくお前のために最初から語っていたのだ、最後までやり通すつもりだ。
「そんなに楽しかったの、それ」
結構、愉しかったな。
「私も何千年と生きたらこうなるのかな、嫌だな……」
彼女には微塵も分からなかったようだ。
しかし、いずれ彼女にも分かる日が来るかもしれない。
「勝手に描写をしないでほしいんだけど?」
……しかしながら、なぜ彼女は自身の正体について知ったのか。
「無視ですか。……まぁ、それね。簡単なことだよ」
私の嘘は完璧であったはずだ。
なのに彼女はそれを見抜いてきたのだ。
「自分でよく完璧って言えるよ……君わりとナルシストだよね?」
彼女はその答えを語った。
「さっさと言えと? ……まぁ、君は完璧だったって言うけど、そうじゃなかったでしょ。ほら、クラウディアに最後の言葉を言った時」
――ああ、あそこか。
「クラウディアに『死んだら逢えますか』って聞かれて、その時の私は『君が望むなら、きっと』って答えてたけどさ、私ならそんなふうには答えないよ」
……そうだ。お前ならこう答える。
「私なら、『きっと逢えるといいね』と答えるよ」
お前なら『きっと逢えるといいね』と答える。
「クラウディアはレヴァリスに死んだら逢えるかどうかを尋ねてきた。その時点では私は君の死を疑ってはいなかった。だから、君は死んでいる、死後の世界にでもいると思うから彼女は君に逢えるはず……そう思って、私は『きっと逢えるといいね』と言うはずなんだよ」
彼女の言う通りである。
本来なら私はそう言うつもりだった。
「だけどその時の私は『君が望むなら、きっと』と答えた。……まるで、クラウディアがそう望むことを願うような言葉だ。……これは私の言葉じゃないよね?」
……そうだ、お前の言葉ではない。あれは殆ど、私の言葉だ。
「君は正確には死んでいなかったから。だから、クラウディアが死んだとしても、逢えることはない。……でも、君が近い将来で死んだなら可能性はある。だから君は、クラウディアにそれを望むように促したんだ」
……クラウディアは、私の死を否定していた。
そんな彼女から死を望まれるなら、これ以上ないだろう?
「本当、君って死にたがりだね」
そうでなければ、お前を生み出したりはしない。
「……結局のところさ、私はどういう存在?」
お前は人の願いが生み出した存在だ。
私たちが自然の概念に名を付けられて、生まれ出たように、お前もその名を人々に呼ばれ求められたから、生まれたのだ。
「そう言えば、君たちも元は無象から生まれていたね」
魔法も元始の竜も、人々の想像から生み出されたのだ。
それがもし、竜の想像が作り出した存在であったとしても、人々がその想像の存在を求めるなら、それを元に生まれてもおかしくはない。
実際、ヒノカはそうやって生まれ出たのだ。
ヒノカは一人の人間の願いによって生み出された。
「だから……私を演じたのか」
人に求められるような、決して邪竜にはならないような、理想の水竜を。それを求めたつもりだ。
「……ここまで出来るんだったら、君がやれたんじゃないの?」
実際、お前が私の死に気付かなければ、そうなっていた。
私がお前を演じ続け、いずれ私自身がお前になっていたことだろう。
しかし、嘘というものは暴かれて初めて嘘となる。
故に、暴かれない嘘はただの真実だ。
……だから、私はお前にここまで暴かれて、嬉しく思う。
なにせ、私は嘘つきな水竜だからな。
「人間たちにそう思われて、願われたから?」
そうだ。私は人間たちが好きだからな。
私は人間たちの願いを叶えてきたつもりだ。
「人間という種族が好きなだけで、個人はそこまででしょ? だから君は平気で人を殺せる。種族として生きていればそれでいいから」
そうでなければ、邪竜など務まらんだろう?
「それも人間に思われたから、やったんだ。……下手したら人間も世界も滅ぼしそうだったのに?」
私をそう呼ぶようになったのも、また人間だ。
それに、"私は邪竜じゃありません"と、私が言ったところで、さて誰が信用する?
「……人を騙すような嘘つきな水竜の言葉。それは……誰も信用しないね」
そうだろう? 誰も私の言葉など信用しない。
なら、私は嘘をつくしかない。
誰も私の言葉を信じないが、嘘の言葉なら信じて騙されてくれる。
私は嘘つきな水竜であり、いずれ世界を滅ぼす邪竜だった。
本当にそうなっても構わなかった。それが人間の願いとなるのだから。
しかし、私は人間とこの世界のことが好きだった。
私という邪竜が倒されたとして、世界がこのままでは、再び私のような邪竜が生まれ出ることだろう。
それを止める世界の守護者たる竜神、元始の竜も完璧ではない。彼ら自身が、その存在に成り果てかねない。
だから私は、私のいないこの先の世界のために、お前という嘘で、人々を騙すことにした。
私の跡を引き継いで世界を見守る者が必要だった。
そのためには元始の竜は変わる必要があった。
不死を撤廃し、代替わりが出来るようにする。
そのために、二代目という概念を定着させねばならなかった。
ヒノカだけでは足りない。もうひとつ、事例が欲しかった。
「だから私は……二代目水竜なんだ」
そういうことだ。
不死を撤廃したのも、代替わりがしやすくするために……いつでも簡単に、この座を降りられるように。
……私たちは死に逃げることも許されていなかった。それは竜が狂う一因であったというのに。
そんな苦しみを、次代の竜にも担わせるわけにはいかないだろう?
その為には、私たちは死ななければならなかった。
「初代で残っているのは、風竜のおじさんだけになったね」
ここまでくれば、風竜はあの座から普通に降りられただろうが……一番確実なのは、やはり誰かにそれを望んでもらうことだろう。
今後は人に望まれぬとも死を選び、座だけを降りることだって出来るようになるだろう。
……それはお前たちよりも先の代になるかもしれないが。
「だからあの二人にちょっかいを……」
……正直、私はあのエルフのことは今だに好かない。諦めねば覚醒者になれたかもしれないというのに……勿体無い男だ。
「君、諦めない人が好きだね……」
見ていて愉しいからな、あの手のものは。
その最たる例が覚醒者だろう。
だから、人が覚醒しやすいように色々としていたら……邪竜と呼ばれる由縁を作ってしまったが。
……そう、この先もし、邪竜のような世界を危機に落としいれる存在が生まれ出たとしても、人々からそれを止める者たちが現れることにも期待もしている。
覚醒者の中には世界を滅ぼそうとする者もいる。古代帝国の皇帝然り、ヒノカの母親然り。
しかし、千年に一度しか同じ存在が現れないようでは、間に合わないのだ。
人間もまた変わらねば、ならなかった。
ロアードという人間は……まさに待ち望んでいた存在だ。
トウカの死からたったの百年で現れた逸材だ。
あれを最初に見た時はまだ幼い子供だったが、一目で素質があると分かった。
実際にロアードは覚醒者となったのだから……やはり私の目に間違いはなかった。
グラングレスを滅ぼした甲斐があったものだ。
「君、もう一回ロアードに斬られたほうがいいんじゃない?」
残念ながら、私はもう死んでいる。
「……君の願いって、結局、死ぬことじゃないよね」
……ああ、そうだ。
「……嘘つきめ」
私は嘘つきだからな。
「死ぬのは目的のために必要だっただけで……君の本当の願いはこの世界の未来か」
この先の未来の為に、できる限りのことはしてきたつもりだ。
「……思ったんだけど、私は邪竜にはならないの?」
お前は邪竜ではない水竜を望む、人の願いから生まれたのだ。
そうなることはあり得ない。
お前がそのように振る舞うなら、なるかもしれないが、お前はそんなことはしないだろう?
「そうだね。私はそんなことはしない」
彼女は微笑みを持って返してくれた。
……私が作り出した、その人型の容姿で。
「今更変えてもね? 私はこの顔で通っちゃってるから」
だが、悪くはないだろう?
「美少女だからね」
彼女は微笑みながら、カップを置いた。
「そろそろ、お喋りも終わりの時間かな」
ああ。私もそろそろ逝くとしよう。
……あんなに待ち望んだ死だというのに、死にたくないと思ってしまう。
「まだ君はそう思うのか……」
だってそうだろう?
この世界は愉しい。出来ることならまだ生きていたい。こんなにも、悔しいことはない。
「ダメだよ。君は死ななきゃいけない。君は生きていてはいけない。……どうしてもって言うなら、転生でもしてくることだね」
……果たして竜に、それが出来るかは分からない。
「その為に、私を元人間にしたんじゃないの?」
さて、どうだろうか。
一つ、言えるのは……それができたとして、私は世界に存在を否定されたから無理だろう。
「……確かに君は無理だ。生きたいと願おうとその願いだけは叶わない。なぜなら、世界を恐怖に陥れた邪竜にその資格はない……邪竜に相応しい罰だ」
だから、心の底から悔しい。
この先の未来を生きられる、お前が羨ましい。
「君が私を生み出したんだから、諦めることだね」
……そうだな。私はもう死んだのだ。
残滓の私もそろそろ消えよう……。
「……じゃあね、レヴァリス」
彼女の声が遠のいていく。
意識が掠れていく。
僅かに残っていた、私という存在が消えていく。
私の役目が、終わったからだ。
人の繋がりから生まれし竜――リアンよ。
これからはお前が、二代目の水竜だ。
私の話は、ここで終わりだ。
ここからはお前の物語だ。




