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それが世界の理

 津波はすべてを飲み込んでいく。

 流される人の悲鳴さえ、無慈悲に攫っていく。

 一瞬にして、一つの街は島ごと沈んでいった。


「呆気ないものだな」


 僅かに残った時計塔の最上階。街のほとんどが海水に沈み、海上に残っているのはこの時計塔のような高層の建物の屋上ぐらいだ。

 その屋上に、この津波を呼び寄せたレヴァリスが人の姿のまま立っていた。


「しかし、お前はそうではないな?」


 海面から突然、竜巻が立ち昇った。

 水を巻き上げながら天に昇り、それは姿を現した。

 風に舞い散る緑葉のような鱗。

 走る風に乗ることに特化した四肢。

 あれこそ、風の化身。四大元竜が一柱。

 風竜が、空を飛んでいた。


「……リュシエン、大丈夫か?」

「ええ、私は大丈夫です」


 風竜の背にはリュシエンが乗っていた。

 名を忘れ去られた風竜は名を呼んでもらわなければ、その力を取り戻すことはできない。

 その名を知るリュシエンに名を呼んでもらったのだろう。


「……ぐっ……!!」


 空を飛んでいた風竜は突然フラフラと、バランスを崩した。

 ……幾ら竜に戻れたとして、彼には痛みが刻まれている。

 風竜はそのまま海面に向かって堕ちていき、高い水柱を起こした。


「……やはり、弱くなったものだな」


 水面の上をゆっくりと歩きながら、レヴァリスが風竜に近づいていく。

 街の残骸と同じように、風竜は海面に浮いていた。

 名を呼んでもらった所で、彼は最弱の竜には変わりない。

 人々からの認識が薄まれば薄まるほどに、力を失っていく。それがこの世界の理だ。


「そしてお前もなぜ出てくる?」

「……あなたのような邪竜の好きにはさせたくありませんから」

「そもそも風竜は死を望んでいる。それを邪魔するというのか?」

「どう見ても、あなたには望んでいませんよ……!」


 リュシエンが風竜の前に立った。

 借り受けた風牙槍を手にして、水面を駆けた。

 風を身に纏い、風竜の代わりにリュシエンはレヴァリスに挑んだ。


「建前を並べおって。本音を代わりに言ってやろう。……お前は親友を守りたい」

「私とあの方はもう――」

「しかし、もう親友ではない。……そう否定するのは、風竜を縛りたくないからだ」

「……それはッ!」


 否定するように鋭い風と、槍が突き出される。

 しかし纏う風は乱れている。彼の心を表すように。


「お前が嫌うエルフの伝統を今だ身に纏うのもそうだ」


 水が跳ねた。突き出された槍はレヴァリスに届くことなく、空を切る。


「かつて友として並び立った過去を否定するために。風竜の友であった"アルバーノ"など自分ではない。彼とは関係のない、エルフの"リュシエン"――それが自分であるとしたいのだろう?」

「……なぜ、それをっ」

「私の前で、隠し事をできると思うか?」


 そして、隠そうとするその心は無断で暴かれていく。


「あれはお前の憧れだ。自由を象徴する存在だ。

 ……そう、お前が並び立つ資格はない」

「……ッ!?」


 レヴァリスが風牙槍を掴む。刃のような風を纏っているそれを持てるのは所有者であるリュシエンだけだ。

 それをレヴァリスは無理矢理掴んで、彼を引き寄せた。


「そう、お前は同じ人だと思っていた。だが、違ったのだ。……お前とは違う存在だった」


 肩を掴んで、その長い耳に声を流し込む。

 その心に直接触って、引っ掻き回すように。


「お前は親友の正体を知った時に、そう思ったのだ。決して並び立てない相手だと知ったのだ」


 人と竜、それはエルフと風竜でも同じこと。

 同じ位置に並び合っていたはずの親友は、遙か上の存在だとリュシエンは知ったのだ。

 そして正体を知ったと同時に、彼は風竜の名を知った。


「だからお前は線引きをして距離をとった。……己如きが風竜の名を知り、縛りのようになるのが、嫌だったのだろう? たとえ風竜自身がそれを望んでいようとも」

「……ええ、そうですよ。出来ることなら、私は風竜の名前を忘れてしまいたかった」

「リュシエン……」

「あなたの隣に並び立つ力のない私が、あなたの運命を握っているだなんて……烏滸がましいと思ったのですよ……」


 リュシエンの背を風竜が見つめていた。

 リュシエンはその視線を受けながら、諦めたように話した。


「そうだ、烏滸がましいな。そうと分かっていながら、お前は風竜を助けるのか」

「……当たり前です」

「――それがお前の両親が死に至った元凶でもか?」

「……元凶……?」

「やめろ、レヴァリス!!」


 突風が吹いたが、それは水の壁を前に阻まれる。

 神秘の竜が隠そうとした真実すら、暴いていく。


「世界から名を消すのは簡単なことではない。それこそ、お前たちエルフのような長命種がいるのだから余計にな。……ならば、それらの邪魔な存在は消すに限るだろう?」

「まさか……しかし私の両親は流行病で」

「その流行病こそ、世界に広めたのはそこの風竜だ」


 それはエルフたちにしか罹らない奇病だった。

 植物に罹る病の一種として生まれたその病は、やがてエルフにも感染するようになった。


「あるエルフの里で流行ったその病は、その里を滅ぼした。しかし、そのエルフの里もまた人里から隔離されていた。だから、他に広がることもなく、本来ならそれで終わるはずだったのだよ。……そこに風竜が現れるまでは」


 風竜は見つけてしまったのだ。その病を。


「彼はその病を風に乗せて世界にばら撒いた。……そして世界に存在するエルフの大半を死に至らしめた」


 今より八百年以上も前のこと。当時はエルフのみが罹る疫病として恐れられた。

 エルフの人口が少ないのは、この時の疫病のせいである。


「多くのエルフが死に、残されたのは免疫が高かった百歳以下の幼いエルフたちばかりだった。この時エルフの歴史もまた、多くは失われたのだ……その中の一つとして、風竜の名がある」


 疫病を広めた存在として、わずかに生き残ったエルフの大人たちは恐れから風竜の名を口にすることもしなくなった。その結果、やがてこの病を広めた事実すら、名と共に残らなくなった。


「特効薬が生み出されたとはいえ、風竜が広めたこの病は今も世界に残り、時折エルフたちを苦しめる。……そう、お前の両親がそうであったようにな」


 リュシエンは震える手で、風牙槍を掴んでいた。

 その槍の力の根源こそが、両親を奪ったのだ。


「風竜はお前にこの事を黙って、親友面をしていたのだぞ?」

「違う! オレは……オレは……知らなくて」

「気づいてもなお、お前は言わなかったではないか、風竜よ」


 風竜は痛みとは違う、苦しみの表情を浮かべていた。

 八百年も前に風竜自身がやったことが、その時の罪が、巡り巡って自身に降りかかっていた。


「それでもお前は、風竜を守るのか?」

「……リュシエン。……ああ、そうだ、オレなんて見捨てればいい……あんたの妹だって苦しめちまったんだ……」


 風竜が彼を友と呼ぶ資格などありはしない。

 両親を死に至らしめた疫病の元凶。

 それは妹を孤立させた由縁にもなった。

 リュシエンの家族を苦しめた存在だ……無理に助ける必要はないのだ。


「……それが、何だと言うんですか」


 しかし……それでもリュシエンは、風牙槍を手放さなかった。


「その話が本当だとしても……邪竜を放っておく理由にはなりません……!」


 風竜は確かに名を消すために多くの人々を犠牲にした。

 しかし、それよりも多くの人々を殺しているのは……リュシエンの目の前にいる邪竜だ。


「邪竜が私の妹を……ファリンを苦しめたのだって変わりない!」

「私は願いを叶えてやっただけだが?」

「あなたが勝手に叶えたのでしょう! それに……リアン様だってあなたが殺した!」


 リュシエンは邪竜を睨み付けた。


「少し良い目をしているが……やはり私はお前のことは好かないな」

「……なっ!?」


 荒れ狂う暴風の中からレヴァリスは無理矢理、槍を奪い取った。


「お前は線引きをして……その線を越えようとしなかった。……超える努力すらせずに、諦めた」


 吹いていた風が止まる。

 波打っていた水面が凪となる。

 まるで一瞬時が止まったかのような、静寂の中、レヴァリスの声のみが響いた。


「――だから、お前はここで死ぬのだ」


 風牙槍の槍先が、リュシエンの心臓を貫いた。


「ああ……がっ……」

「リュシ、エン……嘘だろ、リュシエン!!」


 赤い血が海を染め上げる。

 力を失ったリュシエンの体は倒れ、突き刺さった槍と共にゆっくりと海に沈んでいく。


「これも、お前のせいだな。風竜よ」

「オレ……のせい……?」

「お前に関わらなければ、彼が今、死ぬこともなかったのだ」

「違う……はっ……オレは……ぐっ……いや、オレの……オレの……せい……あぁ、あああああああああああああああ」


 まるで溺れているかのように、発狂し、感情のままに、風竜は尻尾と翼を海面に叩き付けていた。

 無理に動かせば痛みがあるだろうに……いや自分を痛め付ける為にそうしているのだろう。


「お前も、同じように殺してやろうか?」

「……オレは……オレは」

「お前の名を知るのはもう私だけだ。私を殺すことも出来ないならば、お前は無様に生き続ける。名を叫び、私を殺せたとして同じことだ。……これから先、お前は今までのように、正気を保ったまま、生きられるわけがないだろう?」

「オレ、は…………」


 名を失い、唯一無二の友を失った。

 罪悪感を引き摺りながら、終わりのないこの先を生きられるだろうか?

 しかし、終わりの選択肢ならば、今目の前にある。


「私に願え、風竜よ。私ならばお前の願いを叶えてやれる……お前を殺してやれる」


 あんなにも力強く反抗的に見返してきたその瞳が、今は揺れ動いていた。


「――そいつの言葉に耳を貸すなァ!!」


 怒号のような叫び声と共に、邪竜と風竜の間に人影が飛び込んできた。


「ああ……遅かったではないか。……英雄よ」


 夜明けの大剣を片手に飛び込んできたのは、黒髪の英雄ロアードであった。


「全く、先走っていくからこうなるんだ……!!」


 ロアードはリュシエンと共にこのララハ諸島に向かっていた。しかし道中、見つけたアルバーノ海賊団の船を見つけ、そこに風竜がいないと気づくや否や、リュシエンはロアードを置いて一人で行ってしまったのだ。

 風竜の風を纏うリュシエンに追い付くのはさすがのロアードでも難しく、また途中で津波による被害から人々を助けながら来たため、遅れてしまった。


「おい、風竜! リュシエンを連れてここを離れろ、それくらいは出来るだろ!」

「だが、リュシエンは……」

「これくらいでリュシエンが死ぬわけないだろ! お前はリュシエンを信じないのか!」

「……!! そ、そんなことはない……!」


 ロアードの言葉に、風竜は動いた。

 風竜は沈んだリュシエンを引き上げると、なんとか飛び立って離れていく。


「……あと少しで、あれが折れるところを見れたかもしれないのに」

「こんなことをして何になるんだ……」

「私が愉しい」

「……やはり、お前は邪竜だな」


 空が黒に染まっていく。

 暗雲が光を遮って、闇を落としていく。


「英雄よ、お前は私を愉しませてくれるか?」


 それは人の姿を捨て、邪悪に変わっていく。

 人々の恐怖と絶望を集めた存在に。

 ――禍々しい闇に染まった邪竜となった。


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― 新着の感想 ―
うーむコイツ仮にこの後リアンが復活して倒されたとしてもこれが死というものか……とかニタニタ笑いながら消えそうで色々と無敵すぎる
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