呪いは願い
(※津波に関する描写がありますので、ご注意ください)
ララハ諸島にある一つの島。
そこは以前あった、シーサーペント事件の被害は受けていない島だった。
少し大きな港があり、航路を行き交う船たちの中継地点に使われていた。
シーサーペントが討伐されたことで活気を取り戻していたのだが……。
「なんか、全体的に暗いでやすね〜、船長」
「そりゃあ、邪竜が復活したらしいからな」
活気のない街中を堂々と海賊たちが歩いていた。
彼らを見ても人々は気にしない。それほどに余裕がない。
「おかしな話ですぜ。邪竜復活の儀式は失敗したんじゃなかったでやすか?」
「……オレに言われても、知るわけないだろ」
船員の一人とやり取りをしていた髭面の船長は街中を険しい目で見ていた。
「それより船長、補給はどうしやす?」
「……いや、補給は止めだ。お前たちは今すぐ船に戻って出航しろ。オレのことは気にするな」
「え、急にどうしたんでやすか、船長? ……まじか、どこ行ったんすか、アルバーノ船長!?」
隣で話していた船長はいつの間にか姿をくらませていた。
話をしていた船員と他の船員たちも慌てたように辺りを探すが見つからない。
仕方なく彼らは探すのを諦めて、言いつけ通りに船の方に戻っていく。
「……クソが」
船員たちの前から消えた船長……アルバーノは人通りが少しある道を早足で歩いていた。
道ゆく人々は彼を気にしない。いや、誰も彼を認識していない。たとえ人にぶつかっても、アルバーノには気付かなかった。
アルバーノはそうやって無理やり人々を掻き分けながら、その後ろ姿に辿り着いた。
通りの向こうに見たあの後ろ姿。
――あれは間違いない。
「なんで、テメェがここにいるんだよ!」
肩を掴んで無理矢理振り向かせる。
そこにはアルバーノの記憶の通りの、美しい女がいた。
「……以前と違って、ずいぶんと乱暴な口説きだな?」
妖艶に微笑んだ女に向かって、アルバーノは容赦なくぶん殴った。
しかし、その拳は届くことはなかった。
女は霧のように消え、代わりによく似た美しい青年が姿を現した。
「なんだ、嬉しくはなかったか? あの女の容姿をお前は好きだっただろう?」
「中身が最悪過ぎるんだよ……! このクソ竜のレヴァリスが!」
アルバーノが青年の……レヴァリスの胸倉を掴んだ。白い祭服のようなローブ服が僅かに持ち上がり、綺麗な刺繍に皺が寄った。
「なぜ、生きてやがる……! テメェは死んだはずだろ!!」
「死んだのは嘘だっただけだ」
「本当に……嘘だったのかよ。オレらを騙しやがったのか!」
道行く人々は二人を気にしない。
アルバーノは認識されず、そしてレヴァリスも、周囲に漂い始めた霧に紛れていた。
「半分くらいは本当に死んでいたとも。ただ、リアンがこの嘘に気づいてしまったからな」
「……リアンが?」
胸倉を掴まれたまま、飄々とした態度のまま続けた。
「ただの人間にしてはリアンは賢過ぎだ。もう少し愚鈍であれば、まだ遊べたというのに」
「ただの人間……? 遊び、だと……?」
「ああ、リアンの容姿はどうだった? お前好みで、可愛かっただろう?」
ガチンと地面を鳴らす音が響き、風を切る音がした。
ジェット・ブーツのフルスロットルの蹴りは、レヴァリスの上半身を吹き飛ばした。
「やれやれ……気に入らなかったか?」
……しかしそれは水の塊でしかない。形が戻るように水は人型を再び取り始める。
「テメェを甦らせようだなんて思ったのは間違いだったな。……テメェみたいなクソ竜は例え嘘でもいいから、死なせたままにしておくべきだったんだ……」
レヴァリスの死が嘘である時点で、レヴァリスはいずれ復活したことだろう。
それは今か百年先かの違いでしかない。
それくらいのことはアルバーノでも分かっていた。
しかし、そう思わずにはいられなかった。
「……本当、なんつーもんを呼び戻してくれたかな、嬢ちゃん……」
目の前の最悪の竜を、再び呼び覚ましたのは、彼女の気付きによるものだ。
もしも、彼女が騙されたままなら、その死は本当になったことだろうに。
「彼女を恨むか?」
「恨むわけないだろ。……嬢ちゃんはどうした?」
「用済みになったから、消したが?」
「聞くまでもなかったな、クソ竜が!」
再びジェット・ブーツが唸りを上げた。
古代遺物特有の魔術の煌めきを纏わせて、音速の蹴りをアルバーノは繰り出した。
「全く、この程度で私に勝てるはずもないだろうに……」
そのアルバーノの蹴りを、レヴァリスは片手で掴んで受け止めた。
「分かってんだよ、そんなこと……。でも、テメェをぶっ飛ばさなきゃ、気が済まねぇんだよ!」
アルバーノの色素の薄い瞳は、今は強い怨恨の色を滲ませていた。
「テメェにはもう一つ聞きたいことがあったな……ヘススたちをなんで殺したんだ!」
「……あぁ、そんなことか」
アルバーノが片足を引き、再び蹴りを入れるが、それを受け流しながら、悠長にレヴァリスが答える。
「彼らは船長に会いたかったのだろう? だが、普通に死んでしまってはけして会うことはなかっただろう。彼らは寿命の差があり過ぎたからな」
「……だから殺して亡霊にしたっていうのかよ。下手したら魔物に成り果てていただろ」
運が悪ければ、ただ意思もなく彷徨う魔物のアンデッドと成り果ていたことだろう。
例外として、それでも意思は残るものもいる。あのザムエルがそうであったように。
「そうならないように、名を呼んでやったさ」
「……やっぱり名を呪ってやがったじゃねぇか! 通りで百年も退治されなかったわけだ!」
ただの亡霊程度なら、除霊の魔法で祓うことが出来た。
そうならないように、レヴァリスがヘススたちの名を呼んだ。……それによって彼らは少し特殊な亡霊になったのだ。
「だが、そのおかげで、彼らの願いの通りになったではないか」
ヘススたちは百年近く亡霊として、海を彷徨うことになったが、確かに彼らの船長と再会した。
「そうだとしても……アイツらは死の痛みを、テメェに与えられたんだ……テメェに分かるか、この痛みが!」
「分からないな。私は死んだことはないから。しかし、それはお前も同じではないか、風竜よ。……いや、今のお前だから分かるのか」
――バキリ。古代遺物の硬い装甲を持つ鉄靴がひび割れた。
レヴァリスが鉄靴を受け止めたその時に握り締め、そして――。
「……っ! ぐ、あああああ!?」
――アルバーノの右足を鉄靴ごとへし折った。
右足はあり得ない方向に曲がっていた。
「お前は存在を見せるために人に寄った。だから、人と同じように、痛みも感じるのだろう?」
「がっ……あああ!」
倒れ込んだアルバーノに追い討ちを掛けるように、レヴァリスは折れた右足を力強く踏み付けた。
「お前は痛みを知り、人をさらに知った。しかし、人々はお前を忘れていく」
悲鳴は通りに響いていた。
「今何か聞こえなかったか?」
「いや、気のせいだろ」
しかし、誰も気付いていない。
人々は踏み付けられたアルバーノに気付くことなく、その横を通り過ぎていく。
「だが、すべてを忘れたわけではない。……風竜の存在は覚えている。だから――」
鋭い水の刃が、アルバーノの胸を貫いた。
痛みが全身に駆け巡り、息もできない苦しみが彼を襲う。
それは正しく、死の痛みだ。心臓を貫かれた、致命傷だ。普通の人であれば死ぬものだ。
しかし――。
「この程度では、お前は死なない」
「うぐ……ぐぁ……」
死が訪れることはなく、死の痛みだけがアルバーノに残る。
確かに彼は人に寄った。だが、それでも彼が風竜であることは変わらない。
血のように流れているそれも、元素の残滓に過ぎない。
人と竜の特徴を中途半端に持っているが故に、それが彼を苦しめる。
「違う……オレの名前をテメェが覚えてるから、死ねないんだ……」
痛みで苦しみながらも、その目は反抗的にレヴァリスを睨んでいた。
「お前は相変わらず諦めの悪い目をする」
……まるで今にもこちらを殺すような目をしていた。
決して勝てないと分かっているだろうに。それでも彼は強い意志を持って、刃を突き刺すように睨みつけてくる。
「お前のそういう所は実に好ましいな」
「オレは……テメェのそういう所が昔から大嫌いだ! 弱者を痛ぶって弄んで、そんなに楽しいかよ!!」
「弱者? お前は違うだろう」
レヴァリスは倒れたままのアルバーノの顔を覗き込むように少し屈んだ。
「本当の弱者はすぐに諦める。諦めて抵抗をしない。……お前はそうではないだろう?」
今だに諦めることなく睨み続けてくる瞳を、月の輝きを宿した瞳が受け止めていた。
「……私がお前を忘れようと、お前が死ぬことは難しいぞ」
「何故だ……」
「風竜の座がお前を求める。お前の名が忘れ去られたとして、お前は自分が何者であるかを忘れ、誰にも認識されずに、この世界に有り続けるだけだ」
「……!? そ、そんなはずは……」
確かに彼という存在は消え失せる。
それはある意味、死とも言えるだろう。
しかし、本当の死とは程遠い。
「だから私が殺してやると言っているのだ」
今までの死の痛みはあくまで人の死の痛みだ。
竜の死にはなり得ない。
その竜にとっての死を、レヴァリスは与えることはできる。かつて火竜を屠った時のように、全てを終わらせることができる。
「それでも誰が頼むものか! ……前にも言ったはずだ、レヴァリス! テメェに殺されるのは死んでも御免だってな……!」
アルバーノはレヴァリスに向かって唾を吐き捨てた。
「はははは! やはりそうか! ……お前を殺すのは簡単だ。だが、それをするのは勿体無いな。……前から気になっていた、お前はどこまで諦めないのかを。お前をどこまで追い詰めれば、私に死を乞うのかを」
好奇心が泉のように湧き上がる。
興味が狂気を連れてやってくる。
それはまるで無邪気な子供のように、はしゃいでいた。
「次は何をしようか。ああ、お前が好きな退屈凌ぎがあったな? それでもするか?」
「……地獄に堕ちろ、クソ竜の邪竜め」
「堕とせるなら堕としてみろ、名も亡き風竜よ」
――邪竜は愉快そうに、嗤っていた。
「……その辺りでやめて頂きましょうか、邪竜レヴァリス」
「――なんだ。意外と来るのが早かったな?」
……それの首を絞めた所で彼が来た。
邪竜が掴んでいた片手を離せば、どさりと力なくそれが崩れ落ちていく。
そこに割り込むように、槍先が邪竜を薙ぎ払う。
同時に風と共に、彼がその場に飛び降りてきた。
金の髪が流れるように舞っていた。
「……りゅ……しえん……?」
「遅くなって申し訳ありません」
現れたのはエルフの青年……リュシエンだった。
リュシエンはまるでボロ雑巾のように変わり果てた親友の姿を見て、悲痛の表情を浮かべていた。
「なんで……きた……」
「ヒノカ様が邪竜に襲われたので、次に来るなら貴方様のところだろうと」
「ちが……にげ……ろ」
「そうだ、風竜の言う通りだ。お前では私に勝てないだろう?」
「……っ!」
気付けば距離をとっていたはずのレヴァリスが、リュシエンの至近距離に現れていた。
「お前と風竜はもう関係がないのではなかったか?」
「……流石に放って置けませんでしたので」
「放って置いても死なないだろう? だって彼は風竜なのだから」
……そう、アルバーノはこの状況を覆す手を持っていた。
簡単な話だ。アルバーノの本当の名を叫べばいい。
風竜としての名を叫べば、彼は力を取り戻し、邪竜にも対抗することができるだろう。
「お前はその切り札すら、切らなかったが……」
抵抗もできずに痛め付けられてもなお、アルバーノは死を乞うこともせず、切り札を切ることもしなかった。
「今まで……積み重ねたものを……テメェにぶっ壊されて、たまるか……」
「私が名を叫べばすぐに壊せるがな。……それをしても、面白くないからしないでやるが」
――それに、壊す方法は幾らだってあるのだ。
「……そう、見ての通りだ。お前が来る必要はなかったのではないか?」
「……私だって分かっていました。しかし、私は自分の気持ちを無視できませんでした」
すでに風牙槍の力は開放されていた。
槍を薙ぎ払えば、突風がレヴァリスに襲いかかった。
「風竜の力か。しかし、あくまで借り物の力だ」
水の壁が現れ、突風がレヴァリスを避けるように流される。
流された突風は近くの建物を破壊した。
「な、なんだぁ! 何が起こったんだ!?」
「あなたたち、今すぐこの場から逃げなさい!」
通りにいた人々は状況が理解出来ずに慌てふためいていた。
彼らに向かってリュシエンは叫んだ。
「逃げる? 果たしてそれが出来るだろうか?」
「この音は、まさか……!?」
海の方から音がした。潮が一気に引いていく、嫌な音。
海の方を振り向けば……沖合から高い波が迫ってきていた。
――それはこの島ごと飲み込むほどの津波だった。




