それが邪竜と呼ばれるもの
――邪竜レヴァリスが復活した。
その事実は瞬く間に世界に広がっていった。
邪竜レヴァリスは一度討伐され、その後に二代目の水竜リアンが現れたという情報を塗り替えるように。
人々はこの真実を最初は信じなかったが、各地の街を襲うレヴァリスを前に、邪竜は復活したのだということを認めざるを得なかった。
その最初の被害者となったバルミア公国、首都カーディナル。
現在、首都の半分は吹き飛んでおり、首都を飲み込ような巨大な湖ができていた。
レヴァリスが放った水のブレスは首都の防御結界すら突き破り、大きな爆発を引き起こした。
その後出来上がったクレーターに水が溜まり込み、湖となったのだ。
湖の水は決して綺麗ではない。濁った水だ。
それはこの湖が多くのものを飲み込んだからだ。
崩壊した首都の建物はもちろん……多くの死体も水の底に沈んでいた。
「首都は完全に機能停止……今出来ることは生き残った国民たちの救助が先……」
雨が降る王城の中庭。
そこには臨時で設営されたテントが並んでいた。
そのテントを前に、エルゼリーナは疲れたように頭を抱えていた。
ここはバルミア公国の王城だ。
首都は壊滅的な被害を受けていたが、王城はそうではなかった。
そのため王城にいたエルゼリーナは巻き込まれずに済んでいたのだ。
現在、王城はその門扉を広げ、棲家を失った国民たちや、怪我人を受け入れている避難所と化していた。
「被害者は推定で五万人……首都が半分吹き飛んだにしては少ないのは不幸中の幸いかしら……」
「エルゼが配ったあの魔導具のおかげだろ」
「あなたのおかげでもあるわ、ロアード。……すぐにあなたが救助活動をしてくれたから……」
隣に立つロアードの言葉に、エルゼリーナはそう返した。
バルミア公国が被害を抑えることができたのは二つの要因がある。
一つはエルゼリーナが災害対策用で国民たちに配った、英雄ペンダントだ。これにより、致命的な一撃から護られた国民たちが生き残ることができた。
もう一つにロアードの存在がある。
彼はあの後、すぐにバルミア公国に向かい、救助活動に専念した。
「陛下……騙されてはなりません!」
テントの中から数人、エルゼリーナたちの元に声を荒げながらやってきた。
「どうして邪竜がまた現れているんだ……お前が倒したんじゃないのか!」
「あんた、嘘をついていたんじゃないでしょうね!! 私の家族を返してよ!!」
「何が英雄だ、嘘つき野郎!」
止める兵士たちを押し退けて、人々はロアードに向かって罵倒し、中には石を投げた者もいた。
しかしロアードはその石を避けなかった。額に当たり、血が流れた。
「やめなさい……!」
エルゼリーナの一言が、その場にいた人々の動きを止めた。
「邪竜が復活した理由は不明です。故に彼を責めることは出来ません。……そもそも、貴方たちは忘れたのですか? この国は何度と彼に助けられてきたことを」
「それは……そいつが」
「そーだ! ロアード様はおれたちを助けてくれたんだ!」
ロアードの前に現れたのは三人組の子供たちだった。
「そうよ、ロアード様が嘘なんてつくはずがない!」
「ロアード様は英雄に違いない! きっと今度こそ邪竜を倒してくれるはずだ!」
「俺たちの代わりに仇を討ってくれ、ロアード様!」
一部始終を見ていた他の国民たちがロアードを支持する声を上げた。
その声は大きく、彼を罵倒した数人は逃げるように退散していった。
「ロアード様、頭は大丈夫?」
「……大丈夫だ」
「やっぱりぼくたち、出なくてもよかったんじゃ……」
「そんなことはないわ、ありがとう」
エルゼリーナが心配げに見上げる女の子と男の子の頭を優しく撫でた。
「ああ。……ここに居ては風邪を引く、早くテントに戻れ」
「分かった! ロアード様、邪竜なんてはやくやっつけてくれよ!」
三人組の子供たちはテントの方に駆けていった。
「……ロアード、こっちに」
中庭から離れ、王城の一室にエルゼリーナはロアードを連れて行き、そこで彼の額の怪我の治療をすることにした。
「……ロアード、ごめんなさい」
「エルゼ、お前が謝ることではない」
「国民がしたことよ。私は公王として代わりに謝らなければならないわ……」
ロアードの血を拭いて真っ赤に染まった布を、エルゼリーナは握りしめた。
「いいえ、私のせいかもしれないわ……。私が、レヴァリスが死んでいると思って……約束を破って貴方たちに、全てを話してしまったから……」
レヴァリスに名を縛られ、エルゼリーナは多くの冒険者たちを生贄のように、邪竜に送り続けていた。
そのことは口外することを禁じられていた。
今回バルミアがこうなってしまったのは、その約束を破ったことに対する罰であると、エルゼリーナは考えていた。
「あいつは確かに死んでいたような状態だった。だから、お前が禁を破ったことにはならない。……そもそも、全ては嘘を付いていたレヴァリスが悪いんだ」
……そうだ。ロアードの言う通りであった。
全てはあの邪竜レヴァリスが元凶である。
「お前の縛りはリアンによって解かれている。……だからお前は、国民たちを守る行動ができたんだろう?」
「ええ……そうだったわね……」
ロアードが手を伸ばす。
エルゼリーナの涙ぐむ目元を優しく拭き取り、そのまま包むように頬に触れた。エルゼリーナは彼の手に自身の手を重ねて頷いた。
その時だ。コンコンと窓を叩く音がした。
「すみません、お邪魔でしたでしょうか?」
「もう、お兄様! 分かってて今やりましたでしょう!」
「リュシエン……ファリン。それにミレットか」
窓の外には見慣れたエルフの兄妹と白虎がいたのだった。
「邪竜が復活したと聞きましてね……ロアード様は事情を知っておられますか?」
「突然押し掛けてすみません、ロアード様。ですが……お姉様がずっと帰って来なくて……。レヴァリス様が再び姿を表された時から……一体どういうことなのでしょうか……!」
「がう……」
室内に招き入れた彼らは雨具を取ることも忘れて、ロアードに詰め寄った。
「お前たち……リアンからは何も聞いていないのか?」
「リアン様はわたしたちには何も話してくださいませんでした……」
リアンのことを心配しているのか、不安そうにファリンは俯いた。
「分かった。……俺が知っていることを話そう」
ロアードはファリンたちに、あの日の出来事を話した。
レヴァリスは死んだと嘘を付いていたことを。
リアンは騙され、その魂を弄ばれていたことを。
そして、邪竜として、再び世界に姿を現したことを……。
「……本当に、レヴァリスが死んだということが嘘だったとは」
リュシエンは最初こそレヴァリスの死を疑っていた。だが、リアンの行動からその死を信じたのだ。
リアンは確かに嘘は付いていなかった。しかし、嘘をついていたのは、レヴァリスの方だったのだ。
「ロ、ロアード様……今の話は、本当……なのですか……お姉様が、お姉様が消えた、だなんて」
「ああ……以前、リアンは、自分は一度死んで転生したようなものと言っていた……きっと死者の魂をレヴァリスが利用していたんだろう」
元々人間だったというが、リアンにはかつての記憶がなかった。そのためリアンは自らのことをあまり話さなかったが、ロアードに大剣を向けられた時にそのようなことを言っていた。
「そのリアンの魂を解放したのかは分からないが……リアンは俺の前から消えてしまった。レヴァリスは死んだようなものだと言っていた……」
「そんな……リアン、お姉様が……」
「ファリン……!」
「がうが……!」
泣きながら崩れ落ちるファリンを、リュシエンが支えた。足元でミレットが心配そうにファリンを見上げていた。
「お姉様が……あまりに不憫です……こんな、こんなこと……!」
ロアードから手渡されたリアンの衣服と三色の揃いのブレスレットを、ファリンは抱きしめた。
もうこの世界に存在しない、わずかに残った気配を抱き留めるように。
「陛下……ご報告があります」
「……何かしら?」
部屋の外、扉の向こう側から少し焦ったような兵士の声が聞こえてきた。
エルゼリーナが許可を出し、扉を開けて入ってきた兵士が敬礼をしながら報告をし始めた。
「ヒカグラの国にて、邪竜レヴァリスが目撃されました。同時に、火竜ヒノカと交戦中であると、冒険者ギルドを通して報告がありました」
「ヒノカ様が……!?」
皆が驚く中、真っ先に声を上げたのはファリンだった。
火竜ヒノカもまた、彼女にとって大切な友人のひとりだ。
「……火竜ヒノカは、復讐を果たそうとしているのか?」
火竜とはいえ、ヒノカはロアードと同じく、家族をレヴァリスに奪われているのだ。レヴァリスが再び現れたのなら、それを果たしに行ったとして不思議ではない。
「お兄様、今すぐヒカグラに行きましょう……!」
「ダメです、ファリン! 万が一巻き込まれたらどうするのですかっ!」
「ですが、ヒノカ様が心配なんです……!」
ファリンはリアンの衣服を握りしめた。その手首には三色のガラス玉が連なったブレスレットが揺れていた。
もしもヒノカに何かあれば……ファリンにとってはリアンに続いて友人を二人失うことになる。
「俺が行ってくる、ファリンたちは待っていろ」
「ロアード様……」
「元より俺はあいつが……邪竜レヴァリスが許せないんだ……必ずあいつに罪を償わせる……!」
再び、ロアードには復讐の炎が燃え始めていた。
十五年前の復讐を、そして新たに犠牲になった者たちの仇を討つために。
「ロアード、少し待って」
「……止めるならば無駄だぞ」
部屋を出てヒカグラに赴こうとしたロアードを、エルゼリーナは引き留めた。
「止めても貴方は行くと分かっているわ。……せめてこれを持って行って欲しいの」
エルゼリーナは胸に抱いていた大きな布に包まれたそれをロアードに渡した。
「これは……」
「武器が無ければ、戦えないでしょう?」
それは大剣であった。
剣先に向けて淡い紫のグラデーションが刀身に掛かっている。まるで彼の瞳を写したような夜明けの空色だ。
そして流れ星のように入る光の筋は魔導具に見られる術式の線だ。
「我が国とヒカグラの鍛治職人と魔導具職人の技術を合わせて作り上げた魔剣よ。その魔剣の名はオルトゥス」
「魔剣オルトゥス……」
「……宝剣クロムバルムを還すと決めた時から、私は代わりに人々の象徴となるものを造り出そうと考えていたのよ」
竜との縁を断ち切り、新たな人の時代を歩むために。
この魔剣オルトゥスには、そんなエルゼリーナの願いが込められていた。
「これがあなたの役に立つかは分からないけど……持っていって欲しいの」
「……お前の想い、受け取っておく」
ロアードは魔剣を受け取り、それを背負う。
不思議な程にそれはロアードにしっくりと合っていた。
「……代わりと言ってはなんだが」
ロアードは少し迷いながらも、ポケットに仕舞い込んでいたものを取り出し、それをエルゼリーナに手渡した。
それは彼が地竜祭の日に、エルゼリーナに渡そうと悩んで、結局手渡せなかったものだ。
「これは……英雄ペンダント……いえ、まさか本物のほう?」
ロアードが手渡したのは、丸いコインのついたペンダントだった。
しかしそれはコピー品の英雄ペンダントではなく、本物のほう……古代遺物の身代わりコインの方であった。
「……少し違うな。これは"本物"の"英雄"ペンダントだ」
ロアードは、ペンダントを手にするエルゼリーナに手を重ねた。
「俺は必ず邪竜を倒し、そして本当の"英雄"となることを誓おう」
嘘から生まれた逸話を持つコインに、ロアードは誓う。このコインのように、偽りの英雄から、本物の英雄になることを。
「ロアード……必ず戻ってきなさい。英雄として……必ず」
「……ああ」
ロアードは彼女から手を離し、歩み始めた。
もう振り返ることもなく、彼は前を向いて進んでいく。
……邪竜の元へと、突き進んでいった。