道を歩いて夢を知る
ウォーキングしながら思いついた短いお話です。
小さい頃は、自分よりも遥かに背の高い色んな人たちがカッコよく見えて、自分もこのようになりたいと、色んな夢を持っていました。
けれど、自分で地に足ついて歩くことに慣れていくと、つまり現実を知るうちに希望は失望へと変わり、あるいは関心すらなくなっていってしまいます。縁がなかったと思えば諦めの助けにはなりますが、虚しさを拭い去ってはくれません。
夢を叶えた人たちは運や才覚に恵まれています。努力をしても必ずしも実を結ぶとは限りません。けれども、運や才覚に恵まれただけではなく、その過程には努力があったこともまた事実。
生きている限り目の前に道はあります。どの道を進むかを選び、歩むことをやめない。走り出すことはできなくても、一歩ずつでも前に進み続ける。その先に夢という名のゴールがあるかはわからないけれど、私は前に進み続けることを決めました。
そのおかげでしょうか。もう逢えないと思っていた初恋の彼と再会し、彼と結婚して『大好きな人のお嫁さんになる』という夢を叶えることができたのは。
小さい頃は、いえ、実際に夢を叶えるまでは、夢とゴールを同一視していました。けれど、夢はゴールではなくてチェックポイントに過ぎませんでした。
生きている限り、道は続くのです。道を進み続けるには新たな夢が必要になりました。欲深いでしょうか。でも、良いんです。ちょっぴり強欲な私でも、彼は好きになってくれたんですから。
夢へと続く道は無機質なものではないことに、少女の頃には気づいていました。
目標という点が道の上には撒かれているのです。大きくて遠くにある点は夢と同じくらいに遠いところにあって、小さくて近くにある点はほんの身近なところにあります。目の前の小さな点を拾い上げていくことで、足は自然と前に進んで行きます。
その繰り返しがきっと、生きていくということなのではないでしょうか。
◯
「ウォーキングへ行きませんか?」
彼女がそう言い出したのは、ある休日の午後のことだ。昼過ぎのこの時間帯は何もしていないと、睡魔に襲われて昼寝をしてしまうからな。後悔するのがわかっていても、とても気持ち良く眠れるんだ。今日も午睡を試みてはダメかな?
「ダメです♪」
ダメが入った。ご丁寧に指でバッテンまで作られてしまった。
「最近、運動不足な気がすると言っていたじゃないですか」
「まあ、確かにね」
「……十代の頃の代謝の良さはいつまでも続かないんですよ?」
「わかった。行くよ。行かせていただきます」
薄っすらと感じる三十路の気配を、愛妻にきちんと把握されていたのだった。
「腕をきちんと振ると、より効果があるそうです。前よりも後ろに振ることを意識すると前に進みやすくなるみたいですよ」
「……おお、ホントだ」
どこかで調べたらしい彼女の情報通りに腕の振り方を意識したら、確かによく前に進むようになった。
俺と彼女は家の近所を歩いている。西の駅のある方角は車通りの多い広い道があるので、それを避ける形で東に向かって歩いている。住宅街が続いていて、都会の喧騒を避けられるのが良い。
中学校の前を通ると、テニスコートで中学生たちが部活に励んでいるのが見える。側から見ると、実情はわからずとも、青春しているなと思ってしまう。
「君は中学生の頃は何の部活に入ってたの?」
「華道部でした。元々習っていたので、その延長でしかありませんでしたけれど」
「そうなんだ」
自然と彼女の実家の光景が思い出される。何故か家の中よりも、外の塀と竹藪の方が印象が強い。
「貴方は運動部でしたよね?」
「うん。サッカーをやってた。ボールを追いかけてずっと走り回ってた」
「青春の汗を流していたんですね」
「蹴るのはボールだけじゃなかったよ。知ってるかい? サッカーは相手の足を削りに行くスポーツでもあるんだぜ」
「あらあら。乱暴はメッ、ですよ」
「ははは」
部活に励んでいた当時の俺に聞かせてやりたいね。彼女みたいな綺麗な女性から言われたら、素直に従うような気がする。
しばらく歩いて行くと、川沿いの並木道に差し掛かった。赤みがかったレンガが敷き詰められた道。川のフェンスには等間隔に魚の絵が描かれている。
「こんな道があったんだな。知らなかったよ」
「ええ。私も初めて来ました。ふふっ、昼寝をしていたら、こういう発見もできなかったでしょう?」
「ありがとう。感謝してるよ」
「それほどでもあります♪」
確かに、普段暮らす街の知らない風景を発見するのは面白いけれど、それ以上に。
楽しそうにしている彼女の隣を歩けることに、俺は贅沢と幸せを感じられるのだった。
ところで、俺には将来の夢と呼べるものは何もなかった。小学校に上がる前や、小学校の低学年の頃にはやたらと将来の夢を問われて、適当な答えで流していた。何と書いたか今では全く思い出せない。
目先のやりたいことを楽しんだり、やるべきことをこなしてたりしている内に、気づけば大人の一員となっていた。
時は不可逆的なもので、抗いようもなく前に進むものだ。まるでエスカレーターのように、終わりに向かって流され続けるのだと思っていたーー彼女と再び出逢うまでは。
風に飛ばされた帽子を取ってあげた、という程度の小さな親切は、その些細さ故に記憶から消えていてもおかしくはなかった。けれど、その時の女の子がとても綺麗な子であった以上に、垣間見えた心の清らかさが強く印象に残っていて、記憶の片隅に残り続けた。
彼女と再会し、恋に落ちて結ばれたことは、俺の身に余る奇跡だと思う。
そして、その奇跡が、俺がエスカレーターの上ではなく、道の上に居ることを気づかせてくれた。彼女の為になりたいという行動の選択と積極性は、流されているだけでは絶対にあり得ないことだからだ。
俺は自分で道を選んで、自分で道を歩く。その隣に彼女が居てくれることに感謝しながら、手を取り前へと歩みを進める。
決して平坦な道ではなくとも、道に落ちている小さな幸せを拾い集めて行って、やがて未知なる幸福を得られるのだろうーーそれに気づいた時に。
俺は初めて夢を持つことができた。