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くんかくんか

「恋人じゃと……」



 シュメルクハーケンは紙切れを壁から剥がした。裏を見るとハウルの伝言が書かれている。エリザ・ベンガルという個人名に覚えはなかったが、ベンガルという名字には聞き覚えがあった。ベンガル家は闇属性魔法の名門で、著名な魔法使いを数多く輩出している。このエリザがシュメルクハーケンのことをお兄さんと呼んだローブの少女に違いない。



 シュメルクハーケンは紙切れを床に置くと、身流身化の魔法を唱え、一匹の猟犬に変身した。猟犬は魔王よりも鼻が利く。鼻を近づけ、紙切れに付着した匂いをかぎ分ける。相手はわざわざ自分の名前を書くようなやつなのだ。一番強い匂いを残しているはず。シュメルクハーケンはそう確信していた。



(よく考えたら、この方法で行方不明者なぞ簡単に炙り出せるではないか。ほほほ、ワシって天才)



 シュメルクハーケンはこれだ、と感じた匂いを一つ選んだ。それは部屋の外まで続いていた。シュメルクハーケンは導かれるようにして外へと向かった。



 ◆



 猟犬になったシュメルクハーケンは、街中をくんくんと地面の匂いを嗅ぎながら走っていた。時刻は夕暮れに差し掛かる頃合いである。野良犬と勘違いしているのか、餌をやりに来る人や撫でに来る人もいたが、シュメルクハーケンはすべて無視した。街中にはありとあらゆる匂いが入り混じっている。しかし、追跡している匂いは、その中でも明瞭に存在を主張していた。また、分かれ道をつくっているわけでもなく常に一本道だったので、見失うことはなさそうだった。



 街を抜けて街道に出ても、匂いはその先へと続いていた。街道では誰ともすれ違わない。空には月と星が出ていた。匂いは道に沿っていたが、途中から道を逸れ、森の中へ入っていった。シュメルクハーケンも臆せずに追随する。森の中では薄暗さが増す。木々のせいで月明かりが地表に届かないからだ。進んでいく最中、シュメルクハーケンは違和感を覚えた。この森は静かすぎるのだ。聞こえるのは風に揺られる葉と枝の音のみで、夜行性の獣やモンスターの鳴き声はない。それどころか気配すら感じられなかった。



 やがて、土が盛り上がった丘のようなものが見えてきた。その丘の周辺だけは木が生えておらず、木々に囲まれる形になっていた。匂いは丘の一番高いところで消えていた。

 シュメルクハーケンは人間の姿に戻ると、周囲を探索しようと一歩踏み出した。しかし、その足が土を踏むことはなく、そのまま地面を突き抜けていった。落とし穴だ、と分かった時にはもう遅かった。体勢を崩し、穴の中に落ちてゆく。



 三メートルほど落下すると、シュメルクハーケンの体は底に叩きつけられた。そこは狭い通路だった。両側の壁には一定の間隔で燭台が掛けられており、その上で蝋燭が燃えている。換気装置のようなものは見当たらないが、呼吸に支障はない。上を見上げると、落ちてきたはずの穴はなく、土の天井があるだけだった。そして、シュメルクハーケンの前には黒いローブの少女――エリザ――が立っていた。

 シュメルクハーケンは立ち上がると、目の前の少女を見据えた。



「私の家にようこそ、お兄さん」



「おう、来てやったとも。お前の匂いは強烈だったからの。すぐに見つけられたわい」



「ふふ、男性が女性にかける言葉としては最底辺ね。もっと匂いをバラバラに付けておいた方が面白かったかも」



 失礼な言葉をかけられても、エリザは微笑みを絶やさない。人差し指を顎に当て、何かを考える仕草をすると、シュメルクハーケンに言った。



「お兄さんじゃなくて、魔王様と呼んだ方がいいかしら」



「『様』をつけるんじゃったら何でもよい。気づいたのはあの競売のときか?」



「魔王の右腕の近くに、高位の変身魔法の使い手……。まさかとは思ったけれど、確証はなかった。だから今、かまをかけさせてもらったの。ごめんなさいね」



 ほう、とシュメルクハーケンは感心した。エリザはシュメルクハーケンについてある程度の知識があるようだ。それに、魔王を前にしているというのに恐れている様子は全くない。

 シュメルクハーケンは右腕をエリザの方へ伸ばし、指さした。エリザが残した紙切れについて、どうしても訂正しておかねばならない部分があったからだ。



「忘れんうちに言っとく。ハウルはワシの従者であって、断じて恋人ではない」



「そうだったの? それは失礼なことを書いてしまったわ。あなたたち、とっても仲良しに見えたから」



 エリザはさも意外そうに言った。シュメルクハーケンはそんなエリザを睨んだ。



「ワシの質問に答えろ。なぜハウルを攫った。それと、なぜワシの体を買った。一体何を企んどる」



「いいわ、教えてあげる。ついてきて」



 エリザはそう言うと、背を向けて歩き出した。その背中はシュメルクハーケンを警戒している様子はなく、あくまでも自然体だった。シュメルクハーケンはエリザの少し後ろをついて歩く。二人は通路の奥へと向かった。

 通路は一直線ではなく、曲がっていたり、下り坂になっている部分があった。地中であるからか、木の根が露出している部分もあった。シュメルクハーケンはそれを見て言った。



「それにしてもお前、モグラみたいな生活しとるんだな。ベンガル家のやつはみんなそうなのか?」



「ふふ、涼しくて快適よ。魔王様も住んでみる?」



「けっ。こんなじめじめした場所、魔王には似合わん。キノコが生えちまう」



 それを聞いたエリザはクスリと笑った。二人はまた無言になった。



 通路の突きあたりはだだっ広い部屋となっていた。家具などの生活用品は何一つとして置かれておらず、二つの蝋燭が部屋を照らしているだけだった。そして、その奥にはハウルがへたり込んでいた。両手は手錠で拘束され、右足は鎖で地面につながれている。俯いていたが、二人が入ってきたことに気が付くと顔を上げた。



「シュメルクハーケン様!」



 ハウルはシュメルクハーケンに駆け寄ろうとしたが、鎖に足を取られ転びそうになった。



「早く行ってあげなきゃ。魔王様なら手錠と鎖くらい、簡単に壊せるでしょう?」



 シュメルクハーケンはエリザの意図を掴みかねていた。しかし、ハウルが人質になっている以上、エリザの言葉に従うしかなかった。

 エリザから離れハウルのもとに向かう。短い距離だったが、罠が仕掛かられている可能性もあるので、慎重にならなければいけない。幸いにも罠は仕掛けられておらず、シュメルクハーケンはハウルのもとに到達した。ハウルは裸足だったが怪我はないようだ。



 シュメルクハーケンは一度手錠に触れた後、変身魔法を使って一匹の虎になった。しかし、黄色と黒の縞模様ではなく、白色と黒の縞模様をもつ虎である。ハウルが呆気にとられているのにも構わず、鋭い爪を手錠と右手首の間に器用に差し入れた。力任せに爪を引っ張ると、手錠の輪の部分が千切れた。左手と右足の部分も同じように破壊すると、ハウルは自由の身になった。



「あの、すみません……。私、私……」



 ハウルはシュメルクハーケンから目を逸らしていたが、その声は涙声だった。人間の姿に戻ったシュメルクハーケンはぶっきらぼうに言った。



「まったく、こんなところで仕事をさぼりおって。この分の給料は引いとくぞ」



 エリザは、シュメルクハーケンがハウルを解放するまでの一部始終を黙って眺めていたが、ハウルの拘束が解かれると、唐突に拍手をした。



「やっぱり、恋人みたい。私、そうゆうの好きよ。憧れる」



「え、恋人って……?」



「お前は黙ってろ!」



 恋人という言葉にハウルは反応したが、シュメルクハーケンはハウルを怒鳴りつけた。



「おい、エリザ。ハウルをあっさり解放したのは、ワシに用事があったからじゃろう。目的は何じゃ。サインか握手あたりならいくらでもくれてやるが」



 シュメルクハーケンは冗談交じりに言った。常に微笑みを絶やしていなかったエリザだったが、今は真顔だった。



「魔王を復活させるの。魔王様みたいな弱い魔王じゃなくて、歴代最強と謳われた初代魔王様を。私はその主となる。それで私は……。ふふ、ここから先は魔王様には関係のない話ね」



 エリザは再び微笑んだ。次の瞬間、エリザの右手には開かれた分厚い本が、左手には競売にかけられていた魔王の右手があった。しかし、魔王の右手を縛り付けていた鎖はどこにもなく、そこからは目に見えるほどの真っ黒な魔力がほとばしっている。

 部屋の入口にはエリザ、部屋の真ん中にはシュメルクハーケンとハウル。シュメルクハーケンは次に起こることを本能的に察知した。



「蘇生魔法! ワシの体を生贄に捧げるつもりか」



「そうよ。この場には右腕と頭しかないけれど。それでも、動物ごっこしか能のない魔王様よりは、ずっと強い魔王が生まれる」



 エリザは本に書かれている呪文を唱え始めた。変化はすぐに現れた。緑の光が床の上で円周の形に浮かび上がる。呪文が唱えられるにつれ、円の内側も徐々に光で満たされる。円の内側が光で塗りつぶされたその時、蘇生魔法は完成するのだ。



「この不良娘が!」



 シュメルクハーケンは白い虎にもう一度変身し、エリザとの距離を一気に詰めた。エリザは詠唱に集中していて回避行動を取っていない。本を叩き落とせば蘇生魔法は中断される――。



「ぐおぅ」



 くぐもった鳴き声は白い虎のものだった。シュメルクハーケンは自分の体に何が起こったか理解できなかった。精一杯に伸ばした前足は本にかすりもしておらず、体が宙に浮いているような感覚を味わっていた。



「ほら。やっぱり弱い」



 シュメルクハーケンは床から突如出現した鉄棒に体を貫かれていた。その数は五本。それぞれが右前足、左前足、心臓、右後足、左後足を正確に貫いていた。

 鉄棒が床の下へと戻っていくと、虎の巨体が横向きに倒れた。まもなく虎は人間のシュメルクハーケンの姿になった。だが、数分前のシュメルクハーケンとはまるで別人だった。その肉体には大きな穴が開いており、床にはおびただしい量の血が流れ出ていった。



「シュメルクハーケン様……? 嘘、ですよね……? 嘘、嘘……!」



 ハウルは覚束ない足取りでシュメルクハーケンに近づいた。しゃがみ込んでシュメルクハーケンの顔を覗き込む。目の焦点は定まっておらず、口元は血にまみれていた。酸素を求めているのか、口を魚のように動かしている。そのどれもが、ハウルの知るシュメルクハーケンとは異なるものだった。

 シュメルクハーケンは正気のない目でハウルを捉えると、蚊の鳴くような声で言った。



「……ワシ、死ん、とし、も……。最、任……果た……」



 最後に言い残したのは途切れ途切れの言葉だけだった。やがて、シュメルクハーケンは動かなくなり、遂には息をしなくなった。


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