金髪の兄貴
「看護師さん、豊の治療費は、だいたいで、いいんです、だいたいで。それでおいくらくらいになりますか」鼻が完全に曲がってしまい、整形手術をしないと元には戻らないと言われた。手術をするような金は、うちには無かった。かあちゃんの苦しそうな顔。
「事務方に聞いてみないと、わからないんですよ、すいません」若い看護師は、困った顔をして答えた。それでもかあちゃんは食い下がり
「ほんとっ、すいません、こっそり教えてください、こっそり」眉間に軽く皺を寄せて看護師は去って行った。どこまでも、みみっちい親なんだ、オイラの心配より金か・・・。
街外れの慶生病院に運ばれていた。隣の県にも近く、最新の設備があるのは、この辺りではこの病院くらいだった。大きな事故があると救急車もわざわざ遠い、ここまで何十分もかけて搬送するのが、お決まりだった。ただ、ここではオイラの家族の保険証では、いつもの病院みたいに、タダで診療を受けさせてくれるわけではなかった。退院間近になった頃に、よく母親が看護師をつかまえていた。
「豊!あんた、その子からは、お金をとれるのかい」何度も聞く。
達也の事を思い浮かべると、ふつふつと怒りがこみ上げてくる。学校に戻ったら、馬乗りになって死ぬまで殴り続けてやる。車の板金やっている金髪の兄貴が、話を聞いて殴り込みに行くと、怒り捲っていたが、それをやられたらメンツが立たねぇから、止めてくれって、頼みこんで納得させるのに大変な思いまでしたんだからな。でも、あの目つきは本当に気持ちが悪かった。
二人して失神して救急車で別々の病院に運ばれたという、脳の精密検査には数万もかかり、母ちゃんは悲鳴を上げていた。オイラが病院を退院してからも、達也はなかなか戻ってこなかった。久しぶりに学校に行った。
クラスのヤツラが近づいてきてはひと目、鼻の曲がり具合を確認しようと話しかけてくるが、どいつもよそよそしく、そして負け犬を見つめるようだった。イライラして、ヒロシを呼びつけて怒鳴るが、言うことを聞かない。片襟を巻き上げて威嚇するが、こちらを見ようともしない。
「やめろよっ、やめろって」落ち着きはらった声で、ヒロシが言う。
「豊、お前さ、達也に頭突きされて、しょんべんチビったの、覚えていないの」ヒロシは手を振り払って、勝ち誇ったように顎をしゃくり上げ、襟元をただすと視界から消えた。
「くそっ、達也は絶対に許さねぇ」戻って来たら、同じ目に遭わせてやる。
達也が戻って来たのは、三週間後だった。
一時間目の授業が始まった頃に、保健の先生に付き添われて、前のドアから入ってきた。いつものようにヒロシが足を差し出して、転ばせるのが、お決まりになっていたのだが、ヒロシは達也に関心を示さなかった。使えない奴だな、と思いながらつまらない授業が終わるのをひたすら待った。
ベルがなり、達也の席まで、飛び出すように近づいて行った。下を向いている達也は、呼びかけに、やすやすとは応じなかった。
「この前はやってくれたじゃねぇか」達也は目を伏せて、うつむいたままだった。
「お前、顔上げろよ」
ゆっくりと顔を上げた達也の目は、前のおどおどとした目ではなかった。何かを、見透かすような視線だった。
「とにかく、また痛い目合わせるから、よく覚えとけよ」と言うか言わないかのうちに、音もなくすっとヤツが立ち上がった。咄嗟に腕を前に構えてしまった。また頭突きをされると思ったからだった。
ヒロシ達が、情けねぇなと言わんばかりの視線を投げかけてくる。ポケットに手を突っ込んで廊下に出ていった。手先がぶるぶると震えていた。
(あれは達也じゃねぇ、誰かに入れ替わってる)
気持ちが落ち着かなくなってトイレに駆け込んだ。小便をする気など元々なかった。自分のイチモツを出そうとするが、いつもは便器につかないように気を遣わなくていけないものが、縮こまっていた。
達也の前に立つと、他の連中もオイラと同じように、腕で顔面を防御しないと、危ないという感覚を持つようになっていた。達也の表情もいつも無表情で、先生も腫れ物に触るように、達也の発言や発表の機会を避けているように見えた。体育の授業で達也がバットや棒状の物を持つと、それで誰かを殴るんじゃないか、そんな雰囲気を持つようになっていた。ヒロシが職員室でのひそひそ話を聞いてきた。達也の脳には異常があるので、下手な刺激を与えない方がいいと、先生同士が、話してたという。
「やべぇな、確かにあいつの目つき普通じゃねぇよな」
「やばい、やばい、絡んで頭突きされたら、しょんべんチビっちゃうかもしれねーしな」
笑いながら、そいつらがコチラを見たが、何も言い返せなかった。