赤色のビニールテープ
病院のベッドに寝かされていた。点滴が吊されている。額に鈍く重い鈍痛があった。
カーテン越しに、懐かしい声が聞こえてきた。誰かが、何かを話している。
みゆきさんの声だった。それを聞いた途端に胸に暖かい、お湯が流れるような感覚があった。
「幼いときに充分な栄養を与えられなかったと、お聞きしましたけど、それが原因かどうかわかりませんが、脳の高次機能障害である可能性が高いかもしれません・・・一度、精密検査を受けた方が良いと思います」
みゆきさんは、返事ともつかないような声で応えていた。
話し相手の先生らしき人物が去ってから、薄黄色のカーテンがゆっくりと開いた。窓越しに山々が見えた。肩幅の大きなみゆきさんがいた。目尻の横の皺が増え、金縁の眼鏡をかけていた。前よりも太っていたが、間違いなくそこにいたのは、みゆきさんだった。嬉しかったのに素直に話かけられなかった。
(僕は捨てられたんだ)
鈴木夫妻に叩かれる度に、みゆきさん、みゆきさんって思っていたのに。今更会っても言葉が出てこなかった。横を向いて窓の外を見た。あの夕焼けを眺めたときのように、目からお湯があふれては、ポタポタとシーツに音をたてて何粒も落ちた。みゆきさんもハンカチで目を辺りを拭っていた。ナフタリンの匂いがした。
もうあの長浜で散歩した頃のように素直にはなれなかった。自分の中に大きな壁が出来ていた。何度もやさしく話かけてはくれたが、何故だか、口先を尖らせてしまい、言葉が出てこなかった。声を出す事を何かが拒んで、自分を強く押さえつけた。
みゆきさんも今は、そっとしておく方がいいと思ったようで、あっさりと長浜に戻ってしまった。
鏡を見ると鼻が横に幅広に広がって、頭はグルグルの包帯巻きで、額には何枚もガーゼが押し当てられていた。目は腫れ上がり細く、鼻とのバランスがジュゴンのようだった。腫れたような厚みがあり、痛みというよりは熱を持った塊が額にあるような感じだった。
精密検査は行われず、ただ安静にしているだけだった。
鈴木夫妻が頑なに、検査を拒んだらしい。
自分のしたことを思い出して、身体の底から震えた。今度、豊にあったら復讐される、そんな怖れを感じた。冷たい何かが胸を満たして、歯がカチカチとなった。ふとんを頭から被り、太ももに手を挟んで、息を口から吐く。ふとんの中に暖かい空気が満たされる、息苦しいが、じっと耐える。そうすると震えも段々と治まってくるのだった。
退院に合わせて、鈴木夫妻と共に学校に呼び出された。事の顛末を学校の校長と担任に聞かされているときの青ざめた夫婦の横顔。この後にまた頭を叩かれるのだろう、と漫然と考えていただけだった。
道子が僕の視線に気付くが、前のように見つめかえしたりせずに、そっと顔を背けた。無言で校舎を後にし、僕はバスで、鈴木夫妻は軽自動車で帰るとき、離れ際に
「頼むから、もう二度とあんな真似はしないでおくれ」と松男に言われただけだった。そして二度と頭を叩かれることがなくなった。高校を卒業したら早く家を出て欲しい。そう懇願され、離れの農具置きを改築したプレハブに住まわされた。
松男が古びたパソコンをプレハブに持ち込んで、無言でネットにそれを接続させた。自分達が以前使っていた型落ちの自作のパソコンだった。使い方を教える訳でもなく、ただ設置し、無線でネットに繋げただけだった。母屋のパソコン類は、今まで一切触らせてくれなかった。
「これは仕事の生命線なんだ、だから、絶対に触ってくれるなよ」と、毎回顔を見る度に言われていたので、いきなりパソコンを持ち込んで面食らったが、とにかく外の世界に早く行って欲しいという、願いが込められているように感じて、別に有り難いとも思わなかった。
それからは食事の時にだけ、母屋の鈴木夫妻の所に顔を出すという生活になった。
食卓を囲むというような事は二度となくなり、いつも冷えた御飯が置かれているだけで、母屋はいつも、ひっそりとしていた。そして、なぜか、お小遣いを置かれた。今まで学校の行事関係で必要なときに、しかもそれも疑いのまなざしで、渋々お金を渡すような鈴木夫妻の変わりように驚いた。今までの躾と称する小さな暴力からは、簡単に解放された。
それからも学校側の指示で、退院後も一ヶ月間、自宅待機させられた。また学校に行かなくてはならないと、考える度に苦々しい重苦しさと、下腹部にモヤモヤした感覚を覚えた。考えや感情と連動して、何かが流れていくようだった。寝ようと横になると、何度も虐められていた場面が浮かんだ。毎夜、寝付けずにネットで動画をたくさん見た。何度も繰り返し見たのは、海外のストーリーファイトもの、ボクシング動画だった。それを見る度に、モヤモヤした何かを下腹部に感じた。
たくさんの動画を見ていてひとつ気付いた事があった。それはやられるかもしれないという気構えのある対峙だと、距離感が必要以上に存在し、なかなかケリがつかない、ということだった。
ボクシングではイギリスのナジーム・ハメドの試合を何度もリピートした。ハメドは殴り合う前提のリングの中で、ノーガードで自由に動き回り、遠い間合いから、なぜだか相手がガードすら出来ないようなパンチを繰り出し、一撃で相手をKOしていた。何回見てもパンチを打つ拍子というのが、わからなかった。タイのキックボクサーでは、ブアカーオ・ポー・プラムックという選手。この人の意識は、実際の頭蓋骨の中や、身体の付近に収まっているのではなくて、後頭部の斜め上の方にそれが、あるように感じた。そしてそこに意識があるので、殴られても脳が揺れない。そんな雰囲気があった。意識が肉体に収まっていない。そうであるがゆえに攻撃が読めない不気味さが、いつも漂っていた。そしてその攻撃のひとつひとつには迷いがなく、一切の遠慮が無かった。
今までは虐められる事に対して為す術もなかった。自分の中の何かが抗って想像の中で反撃を繰り返した。ハメドやブアカーオのように戦うんだ。何度も何度も、目を閉じると迫ってくる豊の大きな顔に対して、イメージでパンチを何時間も繰り出しながら、毎日眠りについた。それはやがて残虐な妄想に変わっていった。
そして、ホームセンターで鉄アレイを軽い物から重い物まで買い揃えた。安っぽい赤色のビニールテープが巻かれた、青い塗装で彩られた鉄アレイ。それをつかんだ後には、テープ越しに鉄の匂いが手に残った。血の臭いに似ていた。持ち上げるとズシっと重さが響く、容赦のない重みが在った。重力は強く鉄を下方に引く。
あのモヤモヤとした感覚を、また感じた。
体を重さでいじめ抜くと、胸のつかえや、お腹にたまる何かの感覚が薄れた。感覚に突き動かされるように、そして未来の怖れを、少しでも薄める為に鉄アレイで鍛え続けた。テープは、剥げ落ち、汗に覆われた鉄分は、塩分と反応しイオン化し空中に舞った