5,四番目のずれ
目が覚めると真っ暗だった。停電かと枕元を探るが、そこにあるはずのスマホは手に触れない。ざらざらとしたコンクリートの手触りが返ってくるばかりで、心臓が飛び跳ねて一気に覚醒した。
「どこだここ……、ゆうちゃん?」
隣で眠っているはずの恋人に声をかける。もぞもぞと衣擦れの音がして、息を吐き出す気配がする。
「なに……。もう朝?」
「わからない」
聞き覚えのある声にほっとしつつ、周りを見回す。少しずつ、目が慣れてきた。
声の反響から、随分広く、がらんとした空間にいることに気づく。北部さんが身を起こし、伸びをしたのがぼんやり見える。
「……ふあ……、夕べはまた随分とうるさかったわね」
「え? ごめん、いびきでもかいてた?」
「あっは! なに言ってんの!」
北部さんが私の背中をばしっとたたいてきた。冗談だとでも思ったらしい。私はよく分からないままに愛想笑いを返す。ガシャリ、と硬い音がした。
「さ、朝食を取りに行きましょう」
「う、うん」
朝は外で食べるのかな、などと思いながら立ち上がる。丁度外から光が差し込み、室内の様子が見えてきた。
私たちが眠っていたのは、ビルのワンフロアらしき場所だった。廃ビルのようで、天井も壁も床もむき出しのコンクリートだ。ところどころ、鉄筋がちぎれた血管のように突き出している。無数のひび割れが走り、フロア内に幾つか見える柱は真ん中がなくなって床にがれきの山が出来ているものもあった。
――な、なんだ、夢か。びっくりした。
私は小さく息を吐き出す。北部さんを振り返ると、彼女は汚れたベージュのつなぎを着て、肩から不釣り合いなほど大きい銃を下げていた。
「ダーリンも、早く銃もって」
彼女はあごで床を示す。視線を落とすと、彼女が持っているのと似たような銃が無造作に置かれていた。私が着ているのも、彼女のとそっくり同じつなぎだ。
この夢は、近頃SFばかり読んでいた弊害か。でも何となく設定は飲み込めた。何らかの理由で文明社会が崩壊した後の、無政府状態の中にいるってところだろうか。ポストアポカリプスものだ。
「えっと……、俺たちはレジスタンスでもやってるの?」
「それは、ボケ? 突っ込んだ方がいいの?」
北部さんは目を丸くし、どう反応すればいいのか困ったようだった。私は持ったことも使ったこともない銃を、彼女の見よう見まねで肩にかける。セーフティーロックは外し方よりも、ちゃんと掛かっているかどうかが気になった。
崩れかけの階段を下りて外に出る。
「わあ……。………」
よく見たことのある風景が広がっていた。ぼろぼろに破壊されて崩れかけたビル群。道路に広がる瓦礫の山。ぺしゃんこになった車両の残骸。折れ曲がり、錆だらけの信号機……
そこにビルの陰から頭をのぞかせたばかりの朝の光が差している。
これは夢じゃない。
――現実だ……!
その解像度の高さ、細部までつじつまの合ったパースは現実でしかあり得ない。
私は震えた。つじつまが合わないのは私の存在か? 世界か?
昨日までは、世界はなじみのあるものだった。
――果たして、そうだったろうか? 私は昨日、部屋から出ていない。
足下がぐらぐらと揺れて、崩れていく心地がする。
私がめまいに襲われている間、彼女は銃を構えて辺りを警戒していた。小さく吐息して肩の力を抜き、こちらを振り返る。
「大丈夫そうね。あいつら、やっぱり夜の内にこの辺りからは去ったみたい」
あいつら、というものの正体を聞きたく思ったが、また怪訝な顔をされてしまうに違いないので黙っている。急ごう、という彼女に促され、瓦礫や廃ビルの間を縫うようにしていずこかへと向かった。
昨日とのつながりは、彼女だけしかない。彼女が行くなら、ついて行くだけだ。
10分ほどの早足でたどり着いた先は、工場だった。ひしゃげた鉄扉の隙間から順番に身を押し込む。天井や壁にところどころ亀裂が入っているため、中は意外と明るい。くずれた段ボールの周りに、書類が散乱していた。
奥の扉をくぐると、短い通路があり、観音開きの扉の向こうに直角に接続する廊下がある。廊下には4枚ほどの扉が見えた。
北部さんは、左から二番目の扉へ迷わず進み、扉を開く。
部屋の中には段ボール箱と、缶詰がたくさん置かれていた。缶詰工場だったようだ。
この部屋ではできあがった缶詰の梱包がなされていたようで、彼女は手近の空段ボールを拾うと、テーブルや棚に置かれている缶詰を物色し始めた。
肉や魚など、さまざまな缶詰が置かれている。棚に置かれていた一つを手にとって眺めたとき、聞き慣れない物音を聞いた。
振り返ると、部屋の入り口に丸みを帯びた三角錐の形をした機械が現れていた。
三角錐の頂点付近に三眼のレンズがあり、回転している。足はボール状だ。
レンズの下のランプが緑色から赤に変わったとき、とても嫌な予感がした。
「危ない!」
私はとっさに叫び、近くの柱に隠れる。
先ほど立っていた背後の棚から派手な音がして、缶詰の中身が飛び散った。
「!?」
発射音は聞こえなかった。
光も見えなかったが、何らかのレーザー兵器かもしれない。
すぐ隣に、北部さんが滑り込んでくる。
「見られた。やっかいだな。すぐに移動しないと」
言いながら彼女は銃のセーフティーロックを外し、柱から身を出すと同時に相手の方向へ撃った。向こうも撃ち返してくる。柱の一部がはじけ飛んだ。
「当たったか!?」
「……っ、わかんない」
彼女の米神から血が流れるのを見、私はパニックに陥りそうになる。大丈夫、破片が当たっただけ、と彼女は袖で血をぬぐった。
落ち着け! こういう状況は今までにもよくあった! ――本の中で!
焦っても何も事態は好転しない。深く息を吸い込み、緊張とともにはき出す。未だに現実感が薄いのが幸いした。
私の手には、先ほど眺めていた缶詰がある。
「援護してくれ」
「……何するの?」
「しっ」
自走機械が、こちらに近づいてくる。かすかな機械音に耳を澄ませた。
右か、左か。
どちらから回り込んでくる……? 隣で彼女が、銃をいつでも撃てるように準備している。
音が自分側のほうに回り込んでくるのを感知すると、私は柱から転がり出た。
北部さんが何か叫んだ。
私は機械を視認するやいなや、それの頭頂部に向かって缶詰を投げ、直後に横に飛び退く。
機械からの反撃の初撃は右の二の腕をかすめ、第二撃は投げた缶詰に命中した。
缶詰が機械の上で破裂し、そのボディに中身をぶちまける。
「撃って! 今ならそいつ、目が見えない!」
私の指示を聞く前に、もう北部さんは撃っていた。立て続けに二発・三発。
機械からの反撃はない。
「やったか!?」
「……たぶん」
数瞬、息を潜めて動きを待った後、私たちはそう結論づけて立ち上がる。自走機械は撃たれた反動で壁際まで吹っ飛んでいた。彼女の攻撃は二発が命中していて、ボディに穴をうがつと同時に中の部品をショートさせていた。カメラアイはミートソースまみれだ。
荒い息を整えようと努力しながらそれを確認する。
「死ぬかと思った……」
「でも、生きてる」
「いっつ……、腕がもげたかも……!!」
アドレナリンが引いていくと、撃たれた二の腕が急速に痛みだした。彼女が私の右腕の怪我を確認し、背中をバンとたたく。
「だいじょぶ、かすり傷。……手当はあと!」
私たちは急いで缶詰を拾い集め、その場を離れた。