2,最初のずれ
火曜日の朝。
二度寝してしまって、いつもよりも10分ほど押してしまった朝の準備を慌ただしく済ませて家を出た。
玄関を出て鞄に手を入れ、鍵を探す。
――見当たらない。焦った。
片脚を持ち上げて腿の上に鞄を置き、一番外側のポケットを大きく広げて中をあさる。ない。ない。いつも鍵はここにしまっているはず……
焦れば焦るほど、捜し物というのは不思議と見つからないものなのだ。
「おはようございます」
「あ、どうも……」
隣の部屋の住民がドアから出てきて、私の背後を通り抜けていく。30代半ばくらいの、感じのよい女性だ。
エレベーターを呼んだ後、彼女はこちらを確認したが、私がまだ玄関前でばたばたしているのを見ると、小さく会釈した。私も慌てて会釈を返す。扉が閉まる。
「あー……、部屋の中か」
鞄からこぼれ落ちたのかもしれないと、一度部屋に戻る。
玄関を入ったところで、冷蔵庫の上に無造作に置かれている鍵に気づいた。
「なんだよ……、こんなところに置いてたよ」
脱力と安堵の混じった吐息がこぼれる。
なるほど。夕べ漬け物を取り出したときに、無意識に置いてしまったのか。
私は納得し、鍵を施錠してエレベーターに乗った。
電車に乗った私は、座れた幸運に感謝しながら鞄を開く。
最近は電子書籍でも本を買うが、長く親しんだ紙の書籍とも完全には離れられないでいる。紙の手触りや重さ、匂い。印刷された文字列はデジタルの、光を背景に浮かび上がる文字とはやはり趣が違う。
ブックカバーの掛かった文庫本を取り出し、しおりの挟まったページを開いた。
「あれっ?」
思わず、声に出ていた。隣に座った紳士からの視線を肌に感じたが、本に視線を落としてやりすごす。
視線が外れるのを待ったのち、本の扉を開く。
アガサ・クリスティーだ。
私はSFだけを読むわけではなく、ミステリやファンタジーも好きなので、家にはこれらの文庫本も所蔵している。しかし、クリスティーとは……
一時期大いにハマり、映像化されている有名どころ作品から初めて、無名だが評価の高い作品までいろいろ読んだ。クリスティーが好きなのは、人間を描けているからだ。ロジックを特徴とする別の作家がつまらないとは言わないが、私は、犯行に至る心の機微、明らかになっていく人間関係、事件に出会ったときの人の行動により引き込まれる。クリスティーはとてもおもしろい。
だが、ここ最近は読んでいない。
それが、どうして鞄に入っているのだろう。
本を閉じ、書店でかけてもらった紙カバーを表に裏に眺めてみる。
おそらく――
昨日読んでいたSFと取り違えて、同じ書店カバーの別の文庫本を持ってきてしまったのだろう。鞄から本を出し入れした記憶はなかったが、夕べは酒も入っていたし、友人たちとLINEをやりとりしてから眠るまでの記憶は曖昧だった。
私は、久しぶりのアガサ・クリスティーを新鮮な気持ちで冒頭から読んだ。