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1,A Day of Reference

 スマートホンから心地よい音楽が流れ出す。

 同時に、私の一日が始まった。

 布団に入ったまま、右手を伸ばしてスマホを探り当てる。時計の表示は7:00ちょうどを示していた。

 確認を終えた私は、再び目を閉じる。スマホを持った右手はだらりと布団から垂れ下がる。

 今日は月曜日だ。一週間のうちで一番憂鬱な時間。これから5日間、社会と会社に奉仕しなければならない。

 5分ほど、布団の中でだらだらしたあげく、意を決して私はようやく支度を始めた。


 幕張にある会社へは徒歩と電車を使って1時間弱で到着する。出勤前と退社後のこのわずかな時間は、私にとって癒やしの時間だ。

 黒い革鞄から文庫本を取り出し、しおりの挟まったページを開く。今は何度目かのSFマイブームで、これもとある新鋭作家の短編集である。

 作風の幅が広い作家で、個々の完成度も高い。心揺さぶる叙情的な作品があるかと思えば、ハリウッド映画顔負けのハードボイルド作品まである。そしてもちろん、SFの王道ともいえる作品――現在の延長というべき世界での、『人はいかに生きるのか』。

 文字の流れが世界を生み出し、世界は私の知らない扉を次々と開いていく。

 驚異に満ちた設定と、知的で壮大な思考実験。好奇心をエンジンに、私は本を旅する。

 その間は電車の走行音や、否応なくパーソナルスペースを侵害してくる他人から切り離されて、本の世界に没頭できた。


 やがて芋虫のようにゆっくりと駅に到着した電車は、私と同じような格好をした男女を大量にはき出す。

 無秩序にホームを動く人々は、階段に出会うとわずかに秩序だち、改札を抜ける頃にはさらに整然と秩序だっていた。

 それらの人々が、右に左にそびえ立つ巨大なビルの中に次々と吸い込まれていき、次第に数を減らしていくのだ。

 私はこの光景に、いつも近未来のディストピアを重ね合わせる。私がSFの中の話と思っている世界は、すでに現実のものとなっているのかもしれない。

 かくいう私も、最後を見ないままに列から外れてビルに吸い込まれていく、ディストピア世界の住民なのだが。


 夜。一日の労働を終えた私は、コンビニで買った夕食と缶ビールを手に帰宅する。

 最近は会社も残業に対してうるさくなり、暇な時期は今日のように定時で上がれることも多い。

 玄関ドアを内から施錠した後、鍵を鞄の外ポケットに突っ込んで靴を脱いだ。入ってすぐの場所にある冷蔵庫から残り物の漬け物を取り出し、奥へと向かう。

 部屋はよくある作りの1Kで、通路兼キッチンを抜けると寝室兼居間となっている居室がある。

 居室の中央をしめる四角いテーブルにコンビニの袋を置いて座り、リモコンを手にした。

 TVのチャンネルをザッピングしつつビールを飲み、食事をし、結局は大して興味もないチャンネルのまま放置してスマホをいじる。


 SNSを眺めると、世の中には輝いている人間とそうでない人間がいることに否応なく気づかされる。私などはもちろん後者で、子どもの頃、両親から口うるさく教え込まれたこの世のルールは「人様に迷惑をかけるな」ということだけだ。

 道から外れないよう、みんなと違うことをしてしまわないよう生きてきて、勉強もスポーツもほどほどにがんばり、友達づきあいは多くも少なくもなく、深くも浅くもなくこなし、自分にしてはまあ上出来な方の会社に入ることも出来た。

 会社では与えられた仕事を過不足なくこなし、年と経験相応の給料を貰っている。不満がないわけじゃないが、周りを見渡せば、自分よりももっと苦しい生活をしている人も存在するわけで、ましな方なのだと言い聞かせて日々をやり過ごしている。


 けれどふと、夜中に目が覚めて無性に恐ろしくなることがある。

 私は生まれ変わりを半分くらいしか信じてない。この人生が終わったら、私という存在は消えて魂も何も残らないのではないか、と半分くらいは思っている。

 半分なのは、ピンチになれば神に祈るし、盆や彼岸には墓参りをするからだ。それに、いくら家賃が安いと言われても、事故物件には住みたくない。

 つまり心の半分くらいは無意識に、死後の生や神の存在を信じている――信じたいと思っているのだろう。

 話を戻すが結局のところ、死=消滅が怖いのかと問われれば、これは是でありつつも否である。

 そもそも消滅してしまえば何も感じないはずだ。だから私が恐れているのは、消滅そのものではなく、おそらく消滅に付随するものなのだ。

 うまく言えないが、消滅までの間に、何もせず、何も成せず、ただぼんやりと生きてしまうことへの不安、だろうか。

 この不安は、もしかしたら大勢の人が抱えているごく一般的なものなのかもしれない。

 将来に対する漠然とした不安――だけどこいつは芥川龍之介を殺したやつだ。

 一日一日を見てみれば、決して悪くはない日常だ。収入もあり、住むところもあり、食べ物にも困らない。人間関係も良好で、進展させたい仲もある。

 でも、「悪くない」は、「良い」でなはい。

 理由は何だろう。夢や希望の有無はどうだろう。

 子どもの頃は、もっと大きな夢を描いていた。博士になりたいとか、作家になりたいとか、宇宙へ行ってみたいとか。

 でも今は……。

 物語の中に逃げ込み、その世界を旅するくらいしか不安に抗う術を持たない。本を読んでいるときは、主人公の気持ちと一体化して困難に立ち向かい、大事を成し遂げるのに、いざこの世界に戻ってくると矮小な、私という人格の檻の中に閉じ込められてしまう。

 このままでいいのだろうか、と思う私と、このままでいいのだと言い聞かせてくる私が、代わる代わるに現れる。


 スマホが震え、物思いから引き戻された。

 学生時代の友人から、LINEが届いている。

『久しぶりに、みんなで会わねえ?』

 その言葉を、私は待っていた気がした。平坦な日常という砂漠の中で、時たま現れる変化という名のオアシスだ。

 OK、と大きく文字が入ったスタンプを送信した。

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