第8話 昔からやればできる子って言われてた
戦闘は一分もしない内に終わった。
もっともそれはアーグヴァランにとっては戦闘と呼べるような代物ではなかったが。
二○名の騎士たちは全員戦闘不能。生き残っている者もそれなりにいるようだが大半は気絶状態。意識がある者もまともに動けないだろう。
「くだらん。所詮人間などこの程度か」
生き残りを処刑しようかとも思ったが、そんな価値もないと改めた。
それよりもあの少年の方が遥かに重要だ。
「ふん、私から逃げられるなどと思ってはいないだろうな?」
カケルが隊長らしき騎士を連れて逃げるのをアーグヴァランも確認していた。
攻撃して動きを止めようかとも思ったが、自身のスキルで解析したカケルの能力値はあまりにも低すぎた。
アーグヴァランの攻撃がわずかでも掠っただけで死亡する可能性がある。
仕方なくアーグヴァランは周囲を飛び回る蠅から始末することにした。
どうせこの時間ではそう遠くまでは逃げられない。十秒もあれば簡単に追いつける。
「補助魔法の重ね掛け、か……」
そんなスキルが本当にあるのなら、あの人間は必ず生け捕りにする必要がある。
もし地竜の残骸がなければアーグヴァランもあんなスライムの言葉を真に受けることもなかったが、こうして王国の騎士団の戦闘力を体感してみればあの言葉は無視できない。
この程度の騎士たちに、アーグヴァランが従える地竜を倒せるとは思えない。
まして地竜の死に方は尋常ではない。相当な高火力の一撃を受けた痕跡がある。
そんな規模の補助魔法をあんな小物ごときに施せるとは思えないが……。
「まあそれもあの小僧を捕まえれば知れること」
もしカケルがそれほどの器でなかったなら殺せばいいだけの話。
探知魔法を発動。カケルの反応を追う。
一秒もしない内に捕捉完了。
ここから三〇〇メートル程度しか離れていない。一分もの時間を与えてこの程度の距離しか走破できない人間の貧弱な脚力を憐れみながら、アーグヴァランは転移魔法を発動した。
一瞬にしてカケルの座標まで瞬間移動する。
「え? ――うわあッ!?」
突然現れたアーグヴァランにカケルが驚愕して尻もちをつく。
「な、なんだいきなり!」
「この程度で何を狼狽している」
そう言って、そういえば人間は転移魔法すら使える者はほとんどいなかったな、とアーグヴァランは納得した。
「本気で逃げられると思っていたのか? この私から」
「ちょ、ちょっと待って! 待ってください! 降参します! もう逃げませんから!」
カケルは持っていたカバンを投げ捨てて両手を上に上げた。
地面に激突した鞄が水音と共に揺れる。あのスライムはどうやらまだあの中にいるようだ。
「……」
アーグヴァランはカケルを見遣り……僅かに目を細めた。
アーグヴァランは視界に捉えた対象のステータスを暴き出す魔眼を持っている。
カケルのステータスは先程と全く同じ。相変わらず虫けらの如き脆弱な肉体しか持っていない。
――だが、魔力がほとんど残っていなかった。
先ほど見た時よりも更に減っている。
何らかの魔法を行使したと見て間違いないだろう。
つまりカケルは誰かのステータスを上昇させたということ。
その目的は当然、アーグヴァランへの反撃のためだ。
「一度だけチャンスをやろう」
「チャンス、ですか?」
「抵抗せず魔王城までついてこい。もし貴様が本当に補助魔法の重ね掛けなどというスキルを使えるのであれば、その力で魔王様の悲願に貢献せよ」
「も、もちろんです! 光栄です! 全身全霊お役に立てるよう頑張ります!」
媚びへつらう鼠のような姿に、アーグヴァランは冷め切った視線を向ける。
――だが同時に、アーグヴァランはカケルから別の気配も感じ取っていた。
「……」
違う。
この少年は、強者にただ怯えているだけではない。
懐にナイフを隠し持っている夜盗のような気配。その気配を隠しきれていない時点でこの少年の力量など高が知れるが、カケルは明らかに何かを狙っている。
アーグヴァランを倒すための、何らかの策があるのだ。
「ふん」
その策というのが――まさかとは思うが、背後の草むらに隠れて息を潜めているあの白魔導士による奇襲なのだとしたら、失笑を禁じえない。
確かに体は隠れているが、こんな稚拙なカムフラージュで本当にアーグヴァランを欺けると考えているのだとしたら、滑稽を通り越して侮辱にも等しい。
仮に本当にカケルに特殊な力があったとしても、こんな拙い作戦でアーグヴァランの虚を突けると本気で思っているのだろうか。
あの白魔導士がどれほど攻撃力を高めたか知らないが、そもそもアーグヴァランに接近することすら不可能だ。
静かな怒りを覚える。
やはり見当違いだったか。こんな小物が偉大なる魔王の悲願に貢献できるとは思えない。
虫けらに対してアーグヴァランが与えた最大限の慈悲すら反故にして牙を剥くというのなら、もう生かしておく価値もない。
「じゃ、じゃあ……行きましょうか。俺、その、魔王城? までの道とか分からないんで案内をお願いできると助かるんですけど……」
えへへ、などと引きつった笑みを浮かべながらカケルはゆっくりとアーグヴァランに歩み寄ってくる。
両者の距離が三メートルほどまで詰まる。
「……止まれ」
アーグヴァランがカケルを制止する。
びくん、と過剰なほど身体を震わせて立ち止まるカケル。
「な、なんですか?」
「……」
何故わざわざカケルが距離を詰めてきたのかが解せずにアーグヴァランが僅かに警戒する。
白魔導士に襲わせるつもりだとしても、アーグヴァランからは距離を離したいと思うのが普通ではないだろうか。
まさかとは思うが、アーグヴァランに確実に攻撃を当てるために羽交い絞めにでもするつもりか。
「……」
アーグヴァランは念のためもう一度カケルのステータスを読み取った。
能力値はどれも一般人以下。昨今ここまで低レベルな者は人間でも珍しいほどだ。
ステータスの上昇は見られない。補助魔法はかけられていない。武器も持っている様子はない。仮に武器を持っていたとしてどうなるものでもないが。
「何を企んでいる?」
「――――た。企む。企む……? なにをですか? あ、あは……企むなんて、そんなまさか」
目に見えて動揺するカケル。
あからさまと思えるほどのそれも、この小物感満載の少年を考えれば妥当な反応に思えた。
嘆息する。
もういい加減面倒になってきた。
カケルに向けて右手をかざす。
つい攻撃魔法を放ってしまいそうになったが、自制した。簡単な催眠魔法を発動。
カケルを眠らせて魔王城まで運ぶ。ついでに背後の白魔導士も始末しておくとする。
「ひっ……!?」
アーグヴァランからの敵意を感じたカケルが悲鳴を漏らす。
――それが決定的な合図となった。
カケルの危機を察した白魔導士が草むらから飛び出した。
アーグヴァランの背後を取った奇襲。――のつもりならばお粗末もいいところ。
もとよりアーグヴァランには初めから気取られていた以上、奇襲の体すら整ってはいなかったが、それを差し置いても白魔導士の突撃は誰もがはっきりと分かるほどだった。
よほど慌てたか、奇襲に気づかれてもそれより早く攻撃できると思い上がったか。
振り返るまでもない。
アーグヴァランが魔力を放出すると、それだけで凄まじい衝撃波が背後に巻き起こった。
「きゃあっ!?」
白魔導士――シャロンの身体が吹き飛んだ。
木に激突したシャロンはそれだけでろくに動くこともできなくなったようで、地面に倒れ込んだまま苦しそうに呻くだけだった。
「くだらん」
つまらなさげにシャロンを一瞥するアーグヴァランは、同時にシャロンのステータスを覗いた。
「……ほう?」
予想通り、シャロンの攻撃力が上昇していた。
やはりカケルに補助魔法を施されていたようだ。
……が、アーグヴァランの想定を超える程の上昇値ではなかった。
確かに低レベルの白魔導士が補助魔法をかけたにしてはそれなりに上昇しているが、この程度の効力の補助魔法をかけられる者などいくらでもいる。
……やはり過大評価だったか。
そうなればカケルを生かしておく理由もない。アーグヴァランが与えたチャンスを足蹴にしたのだ、極刑に処すのは当然。
そう思ってアーグヴァランが視線をシャロンからカケルに移したそのとき。
「――うおおおおおおおおおお!!!」
雄たけびと共にカケルが右手を振りかぶった。
それはまさに『奇襲』だった。
背後から襲い掛かったシャロンを迎撃したアーグヴァランが、彼女のステータスを確認し、その際に意識がカケルから外れるはず……その一瞬の隙に全てを賭けた攻撃だった。
両者の距離はわずか三メートルあまり。カケルが一歩踏み込むだけで十分にカケルの拳が届く距離になった。
「――」
まさかカケル本人が攻撃を仕掛けるとは予想していなかっただけに、確かにアーグヴァランは意表を突かれた。
……が、それがどうしたというのか。
カケルのステータスは全く上昇していない。ただの人間のパンチなど、アーグヴァランに当たればむしろカケルの腕が砕け折れるだけだ。
予想外の奇襲だっただけに、アーグヴァランは反射的に魔力防壁を展開。
こんな雑魚にわざわざ使用することもなかったが、一枚の半透明なバリアがカケルとアーグヴァランを隔てる。
一流の黒魔導士の最大火力すらはね退ける鉄壁の護り。カケルごときの攻撃で突破できるはずもなく――
「――ヤマモトオオオオオオオオオオ!!!!」
カケルの衣服の袖から、何かがぬるりと現れた。
バリン、とガラスが割れるような音と共に、魔力防壁が砕け散った。
「何ッ!?」
驚愕するアーグヴァラン。鉄壁と信じていた防壁があっさりと突破され、カケルが更に一歩距離を詰める。
再び振りかぶられるカケルの拳。
――その拳は、半透明の液体によって覆われていた。
まるでグローブのようにカケルの拳を覆うそれがスライムの肉体の一部だと気づいたとき、アーグヴァランはカケルの策の全貌を悟る。
先ほどカケルが見せつけるように鞄を投げ捨てたのもフェイク。まだあの中にスライムがいると思い込ませ、実際にはスライムはカケルの衣服の下に潜んでいたのだ。
あの白魔導士もアーグヴァランの注意を引くための囮。
カケルが本当に補助魔法を施したのは、このスライムだったのだ。
「――ば」
馬鹿な、と思わず声が漏れる。
カケルの衣服から現れたスライムが視界に入り、そのステータスがアーグヴァランによって解析される。
脆弱なステータスが並ぶ中、唯一『攻撃力』のパラメータだけが、有り得ない数値を叩き出していた。
数多くの強大な魔族を見てきたアーグヴァランですら、これほどの値は滅多に見たことがない。
ただの一介のスライムがこれほどの攻撃力を手にするなどあり得ない。
これが本当にこの少年の補助魔法の力なのだとしたら……。
――間違いない。この力があれば、必ずや魔王の悲願も――
「――うらあ!!」
カケルの渾身の一撃がアーグヴァランの胴体に命中する。
直後、激しい閃光と轟音が森に轟いた。
「……」
目の前の光景が信じられず呆然としていたシャロンの意識が徐々に覚醒していった。
激しい粉塵と吹き飛んだ木片でしばらく目を開けられなかったが、やがてそれが収まるにつれてその光景がはっきりとシャロンにも確認できるようになった。
地面に突っ伏しているカケルと、その下敷きになって潰れているスライム。
どちらも衝撃により意識を失っているようだが、命に別状はないようだ。
そして――アーグヴァランの『足』。
彼は足首から上が綺麗に消失しており、主を失った両脚だけが冗談のように地面に立っていた。
だがそれもやがて黒い粒子となって消えていき、やがてアーグヴァランがその場にいた痕跡はなくなった。
地面には、まるで小型の隕石が地面を滑ったかのような、凄まじい削れ方をした破壊の爪痕があった。
周囲の木々は全て吹き飛び、ここ一帯だけ更地のようになっていた。
今こうして三人(正確には二人と一匹)が無事なことも奇跡としか思えなかった。
「倒、した…………魔王軍、幹部を……」
その意味の重さをシャロンはしばし持て余した。
――魔王が現れて百年あまり。
人類は魔族に対して必死の抵抗を続けてきたが、月日を重ねるごとに強大になる魔王軍に人類は限界まで追いつめられてきた。
魔王軍の幹部を討伐できた実績など、片手があれば全て数えられるほどしかない。
「……彼は、いったい……」
――その歴史に、今日新たな偉業が刻まれた。
――北条翔。
後に最強の白魔導士として語られる彼の、伝説の初戦だった。
続きはカクヨムの方に先行して投稿していこうと思います。
もしよろしければそちらをご確認ください。
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