洒落た洋館には洒落にならない奇人がいる
話に聞いていた あの子が私の屋敷に泊まるなんて、夢のようだ。
私はあの子を知っているけれど、あの子は私を知らない。そんな事は問題ではない。少しずつ知っていけば良いのですから。
問題なのは、あのことをどうやって知られずに事を運ぶか、ただそれだけなんですよ。
ガコン。ぎしっ、みしり。
「うっ、勝手に閉まったなこの扉!からくり屋敷かよ…。」
「出て来てください!ヨスガさん!どうして逃げるのですか。私が何かしましたか!出て来てケーキ食べましょうよ。紅茶を淹れたばかりなんですし、冷めないうちにいただきましょう!」
誰が紅茶とケーキにつられるものか。手に持ってるものをよく見やがれ、と言いたかったが、私は息を殺してだまっていた。
一体なぜこの様な事態に陥ったのか、扉問答をやり過ごす間よくよく思い出してみようと思う。
私、高坂縁は大学の研究室の助教授である村雲幸成先生とK村へ、隣のN地区の民俗文化の調査の為に来ていた。N地区は山奥にあるので、麓のかなり開けている都市部から一時間以内の距離のK村を拠点として活動するつもりだったのだ。今私が逃げているこの無駄に広い館は、村雲先生の友人の田上真司さんの別荘らしいが、その田上さんに追い回されているのだからたまったものではない。
そういえば、ソフトクリームを食べに茶屋へいった先生はまだ帰って来ていない。携帯も持たずにいってしまったから、連絡の取りようもない。無い無い尽くしではないか。
途方にくれた時、玄関方向から戸が開く音がした。先生が帰って来たようで、先生の声もする。普段は世話される側の先生の世話になるなんて、とは思いつつも心の中では拝み倒したい気分だった。
「…おや、村雲、帰って来たのですか。ケーキの前にアイスを食べるなんて、腹回りに余計なモノが付きそうですけど。」
「アイスじゃなくてソフトクリームだ。それより、ヨスガはどこに?」
「先生、わっ‼︎」
私は扉を半分蹴るようにして開け、飛び出した。驚かすために隠れた、という方が取り繕えそうだったからだが、先生の反応は上々の様である。
「はは、たった何十分かでこんなに仲良くなったのか!」
「ええ、私もこんなに早くヨスガさんと仲良くなれるなんて思ってもいませんでしたよ。」
田上さんは殺人的にきらきらとした童話の王子様の様に、にっこりとした。私には飾られた面を被った狼にしか見えないのではあるが。
「紅茶が冷めてるでしょうから、私、淹れなおしてきますね!」
と私は言い残してキッチンへ直行し、風の様な速さでお茶を淹れなおした。
ー だって、私が自分でお茶を淹れないとまた田上さんに怪しい粉を盛られかねないのだから。
事が起きたのはつい30分程前、建物の様子見でいらした田上さんが、持ってきたお高そうな紅茶を淹れてくださった。ケーキは先生が用意していたので、田上さんが来たら並べて紅茶を注ぐだけの状態になってはいたのだが、注ぐ時にかさ、としないはずの音がしたのだ。よく見ると白い粉が私のカップの中に入れられている。砂糖ニ決マッテルヨ、と現実逃避したいが、砂糖のざりざりとは明らかに違う質感、重量感、溶けた瞬間の様子に気づいてしまうと目が背けられなくなって、凝視してしまっていた。
「おや、どうかなさいましたか。」
まずい、見ていたのがばれたようだ。 私は今までこんなに怖い「どうかなさいましたか」を聞いたことはない。
「お砂糖、勝手に入れてしまいましたが、宜しかったですか。」
断じてお砂糖であるはずがない。その整った顔の、丸眼鏡の奥の柔和そうなタレ目が笑ってない作り笑顔が、砂糖ではないと言っている。
「ああ、流石に騙されませんか。純粋で騙されやすい所がある、と聞いてましたけど、冷静でカンが鋭いとも言ってましたしね。」
「あっさり、嘘だと認めるんですね。」
「バレている相手に嘘をついてもどうしようもありませんしね。」
欠片も取り繕わないのも恐しいものだ。これはどうしたらいいのだろうか。どう行動すれば、そう考えながらじりじり無意識に後ずさる。相手は余裕の表情で、どこかうっとりして詰め寄ってくる。こちらの恐怖心も全部全部お見通しらしい。
「どうして後ずさるんです?顔色も悪いようですし、体調が優れないのではないですか?」
田上さんは わざとらしいことを言いながら距離を縮めてくる。
背中に硬いものが当たった。「壁か!」と思ったその瞬間顔の両サイドに腕が見える。俗に言う壁ドンだ。これって本当に圧迫感が凄いのだな、と冷静な自分に呆れつつ、逃げ場を探す。
「本当に冷静なんですな。ふふっ。」
ちょっと嬉しそうに田上さんが笑うが、こちらは全く笑う状況ではない。
「そんなに怖がらないでもいいではないですか。ああ、さっき何を入れたかが気になるんですね。教えましょうか。」
「ええ、是非教えてくださいよ。」
と返事をするとふゆりと微笑んだ。綺麗な顔で恍惚としてらっしゃることだ。
「ふふ、さっき入れたのはですね…。」
今だ!とばかりに頭突きを顎に食らわせた。152センチ舐めるなよ、と思いつつも脱兎の如く駆け出した。目指すは玄関から近い一室、まだ田上さんは呻いている、その隙に目的地へ飛び込んだ。
ガコン。ぎしっ、みしり。
「うっ、勝手に閉まったなこの扉!からくり屋敷かよ…。」
「出て来てください!ヨスガさん!どうして逃げるのですか。私が何かしましたか!出て来てケーキ食べましょうよ。紅茶を淹れたばかりなんですし、冷めないうちにいただきましょう!」
この扉問答の後、先生が帰ってきて今に至る。疑問は山のようにあるが、ひとまずティータイムを乗り切らねばならない。席は先生のぴったり隣に、紅茶も自分で注いだ分だけでやり過ごした。
「もうこんな時間か。久しぶりに田上に会って話が出来て楽しかったぞ。」
「そうですな。お互い忙しい身だが、また会いましょうね。もちろんヨスガさんも。」
最後の部分には目を閉じて、笑顔で田上さんをお見送り。少し遅い夕焼けに小さく溶けていくのを確認してから屋敷の中へ、先生と戻った。
「さて、ヨスガ。詳しい話を聞かせてもらってもいいか?夕食の後にでも。」
先生はどこからどこまできづいたのだろうか。
田上の奴もヨスガも様子が変だったな。まあ、この屋敷が有名な避暑地に近いのにこれだけ立派なのは、当然訳があるんだが、田上はいつまでたっても理由を教えてくれなんだ。 やはり出るのだろうか、何か。それとももっと厄介な奴、とかな。
まあ、助教としてはヨスガに何かあってからでは遅いからな。この件も含めて調べるか。