比野君の全力の贖罪
どうしよう…。
受験が近い…。
決意が固まった。
それは俺だけの話ではない。
今俺の目の前にいる、柳莢斗も、彼なりの覚悟を決めた。
なら、彼が抱える悩みとやらと、榊柚音が抱える悩みをまとめて解決する術を、俺が見つけなくてはならない。
どうやら二つの問題は関係がある様だし、丁度いい。
「じゃあ、聞かせてもらおうか。柳」
「…は、はい」
真剣な莢斗の顔は見た目から感じる気弱さを感じさせない。
だからこそ、俺も真剣にそれに向かい合わなくてはならない。
そうして身構えた途端、柳は口を徐に開き始めた。
「僕は、昔から弱気な性格に付け込まれて、虐められる事が多いって言うのはご存知ですね?」
それは大前提として榊から聞いている上に、先程からひしひしとそういう風体とでも言う様な物感じているから分か
らなくはない。
それも俺が予想してた以上に遥かに気弱だった。
それこそ幼気な少女とか、高貴でおしとやかなお嬢様と言えるくらいに抵抗も出来ない様子であった。
しかし忘れてはいけない。
こいつは男の娘だ。
紛れもなく、男性だ。
「実は…見て分かると思うんですけど、最近、だんだんエスカレートしてきちゃって…」
「エスカレート?」
次の瞬間、心なしか真剣な表情が翳り出す。
メンタル弱え…。
「カツアゲとかされる様になっちゃって…」
「んー…」
何と無く予想はしていた事だ。
それ故に言葉を失う程ではないが反応に困ってしまった。
しかし、そうだと分かれば話は早いかもしれない。
「じゃあ、それをなんとかすれば…」
様子がおかしいと言う榊の証言の原因がそのカツアゲ犯なら、助けを呼ぶ事は出来た筈だ。
でもそれをしないのにも、必ず理由はある。
それは、榊とコイツの関係を振り返ればなんとなく見当がつく。
まず始めにコイツは、それはダメだと言う。
「それは…ダメですっ!」
ほら思った通り。
そして次に出てくるのは榊の話だ。
「…柚音、あの子に助けてなんて言ったら…」
___「榊が危ない目に遭うから…だよな」
「…えっ?」
図星だった。
まあ、簡単な話だ。
榊は小学生くらいから柳と仲が良いらしい。
しかも、仲良くなったキッカケは柳が虐められていたところを榊が割入って守った事だとおばさんが言っていた。
そして、それをコイツが拒む理由。
案外単純だった。
それが二人にとってどれほどの大事なのかは知らんが、これで話は進められる。
「別に榊に助けを請えだなんて言ってねぇよ…」
「あっ、す、すいません…」
青菜に塩がかかった勢いでシュンとしてしまった…。
感受性豊かすぎねぇか?
…まあそう言う奴も居るんだと割り切ってしまえばいいか。
「んで、いつも自分を助けてくれる榊に助けてもらいたくない理由なんだが……」
少々辛い話にもなりかねんが、今躊躇している暇なんかない。
高まる鼓動を抑えつつ、意を決して訊いてみた。
「俺さっき、お前に脅されているのかって訊いたよな?…その、やっぱり…そうなのか?」
「は、はい…」
柳は羽織っていた上着の中をチラッと見せるように右袖を捲った。
案の定、痛々しい痣の跡が見受けられてしまった。
これがキッカケで榊は優梨乃に助けを求めるべく動いたのだろう。
まあそれは置いといて、気になったのはやはりその対処だ。
柳が助けを呼ばない理由。
それは恐らく誰かを呼んだらそいつもお前も潰すとか、榊を潰すとか、そう言った周りの誰かを巻き込む事を言い分にした脅迫だろうと踏む。
一種の先入観だ。
とすると相手は恐らく二人を知っている人物という事もある程度予想は出来る。
何より榊の事だ。
カツアゲ現場に割入ったら身を呈してでもコイツを護ろうとするのだろう。
おばさんから話を聞いた限りだと、そういう風に話も進んでたしな。
「榊がお前を護ったら、マズいのか?」
「…マズい、というとマズいんですけど…」
柳の表情は更に暗雲立ち込める。
それどころか、もう少しで泣き出すかも知れないくらいに恐怖に戦いた子供の様に瞳を潤わせていた。
しかし、喋る事だけは決してやめはしなかった。
自分の事を教えて、そして榊を助けて欲しいという捨て身の意志はよほど硬いものらしい。
「そんな事より…僕はもう、誰かに護られたくないんです」
「…っ!」
思ったより聡明と言うには程遠い答えが返ってきた。
怯えていた奴のセリフとは到底思えもしなかったし、寧ろ怯えはフリで、恐怖と言う概念を持ち合わせていない様にすら見えた。
それ程までに下品な答えだと錯覚、いや、確信したからだ。
護られたくない。
裏を返せば、護られると、榊は危ない目に遭うと言う事だろうか。
更なる確信を求めてさらに俺は切り込んだ。
「その理由を詳しく聞かせてくれ」
柳の表情は変わらずオドオドしていた。
しかし、やはり彼は話す事をやめない。
彼自身の意志に反した行動を取っている様にも見えるその光景は、世界で一番の高所からの落石の様な衝撃的で異様なものでもあった。
「柚音は…小学校の同級生に虐められてた僕を庇って…男の子達に邪魔するなよって、殴られたんで
す…」
なかなかヘビーな話だ。
しかし俺はその話を知っている。
例の如く、おばさんに聞いたのだから。
今の話との相違点はどこにも無い。
しかし放っておける話でもない。
それは必ず榊に深い傷を負わせた筈だ。
そりゃあ、あんなに性格がひん曲がってるのだもの。
へそ曲がりと言うよりはもう紆余曲折とでも言うくらいに、あいつの性格はツンデレの極みだ。
あっ、まだデレは見た事ないや。
「もしかすると、それがあいつが男嫌いになった理由か?」
「っ、そうです!」
単純明快だ。
紆余曲折どころか針金の如く簡単に、しかし複雑に曲がっている。
何か棒の様なものにグルグルと巻きつけた針金は、真っ直ぐなものより遥かに短い。
それが彼女の気の表れと思うと凄く納得が行くのは俺だけじゃ無い筈だ。
まだ、幼いだけだ、これからまだ巻き返せると。
「…じゃあ、お前の頼みってのは、榊にそれを知らせない事って事になるが、そしたらお前はどうするんだよ」
急いだ結論だった。
呼応するように柳の前に置かれた甘ったるい珈琲が波紋を創造する。
何かが訴えかけるのだ。
きっと彼の願いはそこにしか無いわけではない。
榊を護りたい。
だから榊に自分の現状を悟られてはならない。
そうは言うものの、既に様子がおかしい事が割れていて、その調査を優梨乃を介して榊に頼まれているのが現状だ。
それを知っていて尚、榊に自分の事を黙っていてくれと頼むのは、些か無謀な気もする。
「僕は…」
「このままじゃ、ずっとお前、いびられっぱなしだぞ」
やはり悲壮と言う言葉で片付けられる様なものじゃない。
確実に怖気付いている。
言葉の詰まり様が典型的なビビりな時点でもう色々察せる事が「彼の意気がり」であるが、それは欺瞞に過ぎない。
所詮は自分の無力さを痛感した上での判断。
我慢する事に関しては自分は強いと思い込んだ、荒く言えば愚か者だ。
自分が助けを求めなければ、誰も傷つかない、それはそうかもしれないが無謀である。
「…ぁ…あぁ…」
最初の勇ましさはどこへ行ったのだろうと思うくらいに、今の柳は喋る事すらままならなそうだ。
潤んだ眼が俺にそう語りかける。
これ以上踏み込む事は不可能なのか?
「…あのさ」___
___「はーいストーップ!」
背後からかけられた聞き覚えのある元気だけは良い声。
二人の会話に入り浸っていただけあって、その一喝は俺だけじゃなく、店中をも揺るがせた様に聞こえた。
その証拠に視線が一斉に俺たちに向けられる。
___ゴチンッ☆
「あんぎゃ!」
「場所を弁えろ馬鹿野郎…」
どうやら勝手に二人でどっかに行った紫苑と榊が勝手に戻ってきたらしい。
榊の表情は未まだ殺気を放っている様に見える。
こ、殺されるぅっ!
「莢斗、行くよ」
「えっ、でも…」
「良いから、早く」
榊は柳の手を強引に掴む。
どうやらタイムリミットだ。
まあ柳から詳しい話を聞く事は大体出来たから、よしとしよう。
そして榊は無愛想に柳の手を取って引っ張る様に店を後にした。
律儀にも俺たちの方を向いて会釈とは呼び難い深い一礼をする柳の姿が、彼等の姿が見えなくなった後に根強く記憶に焼きついた。
そして溜め息を吐く。
安堵と言うべきか、不安と言うべきか、とにかくムシャクシャした気分にすらなるひと時ではあった。
まあそりゃ、ジレンマの様な状態になってしまったのだから。
柳の意見を尊重すべきか、榊の意見を尊重すべきか。
それによっては優梨乃の頼みである、榊の援助を達成する事が出来ない事もありうる。
しかしそれではいけない。
それでは…贖罪にならない。
きっと俺はこの先、その贖罪とやらにだけ力を注ぐかもしれない。
もしそうなったら…___
「さっ、先輩、私達も帰りましょう」
「へっ?」
不意にかかった声に少し動揺した。
その反動で椅子から落っこちそうになる。
「…はぁ、急に声かけんな」
「へぇ、人に急に声をかけるとびっくりするシチュエーションってのを初めて見た気がします」
なんだそりゃ…。
まあ、帰れるに越した事は無いし、良いんだけど。
ああ、お家最高。
改めてそう思わされる一日だったよ全く。
でもなんかおかしいな。
一番大事な事を忘れているような…。
「はーやーくー!せんぱーい!」
あれこれ考えているうちに紫苑は既に喫茶店の外に出て、両手をメガホンの様に口元に添えて俺を大声で呼ぶ。
「分かったから大声出すな。まだ勘定済ませてねえんだよ」
まっ、いっか。
紫苑に勘付かれるとこれからまだこのフィザードヒルズの中を引っ張り回されそうな気もするし。
___
数日後の学校。
窓際の席が、俺の時間をどんどん奪って行く。
そろそろ桜は散り切って、緑が映える季節になりつつあった。
そんな景色を眺めつつ、心落ち着かせて目の前のプリントに向かう。
学校の生活アンケートと書かれたその紙は、他人に暴露しないから自分の悩みや学校生活の状況を話してごらんと言う大嘘こいたプリントだった。
そう言うのは仲間内で情報共有されてたり、教師に情報が伝わっていたり、なんなら帰って来た結果のプリントを盗
まれて公開されたりする事もある程の闇を生み出す儀式だ。
質問もありきたりな事ばかりで、そう言う場合は一般的に答え方はほぼ統一化されているものだ。
虐めがどうのこうの訊かれたら、遭った事ないし見た事もないと答えるのがセオリーだ。
それがクラスに知れたら虐めが悪化するしな。
昔、虐めを受けていたとある男がアンケートに真面目に答え、他人に暴露しないと言う備考に安心し切ったところ、
虐められてる事を知った担任がそいつを呼び出してどうなんだと問い詰める事態があった。
因みにそいつが俺だとは一言も言ってない。
って訳でこの所業は純粋な人間を死へと至らしめる絶望の儀式だ。
現に、俺の目の前にはこんな質問が並んでいる。
Q十三:学校に友達はいますか?
直球。
何キロ出てんだよ。
二百キロくらいの速さで投げられたボールから涼しい風が吹いた気がしたぞ。
そしてここで友達がいないと答えると、担任から大丈夫?と心配されて死だ。
でもまあ、うちの担任のゆるふわっとした感じなら俺を恐れて、呼び出す事もしないだろうが。
真に怖いのはそう言う、たった一言に流される人の意志ってところだな。
人殺しに友達なんか出来るわけ_____
_____先輩と…友達でいたい…。
_____青娥がいるから、そう思えるんだよ。
はぁ…。
次っと。
Q十九:あなたの身の回りで虐められている、又は虐められていた人はいますか?
…今日に限ってペンを握った右手が動かない。
俺も少々いらぬヤキが回ったようだ。
視線は自然と緑へ向かう。
始業式を思い出させる良い天気だ。
確か、平ヶ丘中が___
「はーい、アンケート集めまーす。後ろからプリント回してねー」
あっ…半分も終わってねぇ、やっば…。
ったく…この件が終わったら確かに皆から一歩引く事を覚えたほうがよさそうだ。
でなきゃ俺が壊れる。
その内、僕はバカだとか自傷して自殺しそうで怖いしな。
しかし何だろう…?
とても懐かしい記憶が眠っている気がする。
どこにどう眠っているのかなんてのは知らない。
ただ、虐め虐められとか言う関係はもう懲り懲りだ。
構うのも巻き込まれるのもめんどくさい。
そう思えば思うほど、彼等の顔が頭の淵に蘇ってくる。
悲しそうな顔をした者や、虚偽の勇敢さにまみれる者。
それらが出す回答とその真相。
眠る記憶。
考えれば考える程…こんな事考えたくなくなる。
俺は回収する筈のプリントをスッと机の中に隠してしまった。
___
…で。
放課後。
「何でここに呼ばれたの俺…」
体育館の裏側、人気がほぼゼロのこの場所ではたまぁにリア充達がディープキスしたりイチャコラしに来て…え?
違うよね?
「まあ待っててください。もう少しです」
それよりさぁ、誰か聞いてくれ。
俺のケータイにいつの間にか目の前にいるツインテのクソ野郎にの連絡先が入っていたんだ。
俺ケータイ確かに使うけど、でも電話なんてしないよ?
ゲームか時計アラーム代わりにしかならないよ?
大体なんでこいつ俺のケータイのロックが解除出来たんだ?
アレって最近は確か指紋認識だろ?
それがどうして解除できるんだコイツ、焼き殺すぞ?
「…あ、来ました」
「来たって何が…どわぁっ!」
突如ぐわんと体が引っ張られる感覚が俺を襲う。
例の如く、ケータイのSNSに来た着信を見た途端、紫苑は満を持したと言わんばかりに俺の手を引き走り出した。
俺は俺で引きずられるのはごめんだと言わんばかりに反射的に足が動くようになった。
「おぉいこらぁ!何だよ急にっ!ケータイになんか来たのか!?」
今日と言い、休みの日と言い、何でこいつはこう人をすぐ引っ掻き回すかな。
っつか早い。
手、引っ張られてるから良いものの、下手すると引きずられ始めるくらい早い。
ちょ待って、股が裂けそう…。
どんだけ大股で走らにゃならんのだ俺は。
「今日、莢斗君と柚音先輩が休みなのは知っていますか?」
刹那、背筋が凍りかけた。
つい最近、柳の事情を聞いたのに加え、榊の悩みを聞かされた以上、二人が同じ場に存在しなくなると不安しかよぎらない。
「何の話だいきなり…!」
「これですっ!」
紫苑は走りながら彼女のケータイを俺に差し出した。
画面は先程紫苑が見ていたであろうSNSの画面が表示されている。
連絡先は榊柚音だった。
そこに書き出された意味深な三文字。
_____助けて。
場所まできっちり書かれたその「助けて」の内容は、案の定柳の事だった。
そのままその画面に見入ってしまい、思考が停止した。
これはマズい事態になったかもしれない。
「もうすぐその場所です、先輩!」
その場所と言っても、ただ街道が続くくらいで、人が助けを求めている現場なんて何処にも___
_____ガンッ!
「ってぇ!」
ビルの角に沿って天に向かって聳え立つパイプに顔面を強打する。
紫苑が進行方向を変えた拍子にパイプにぶつけられたようだ。
「あっ…」
「いちちち…」
ヒリヒリする顔面をさすりながら徐々(じょじょ)に開ける視界の景色を認識する。
まず人がいる事。
数は目の前の紫苑を含め四人。
紫苑を除く残りの三人は紫苑が俺を引っ張りつつ入った路地裏の壁際で固まっている。
視線はおそらくす全て俺と紫苑の方を向いている。
「青娥…先…輩…」
聞き覚えのある声。
人との関係を可能な限り拒絶して来た俺の知る限り、この女々しさ混じりの震えた声を持つ人物に該当するのは柳のみだ。
外見もさることながら、声まで女々しいと女のように見えるが実は男だ。
ってんなこたいい。
「男が女に守られてて、男が女を殴ろうとしている場面なんて、よく考えたら割とシュールだな…」
「…おい柳、何だあの変態は?お前、榊に助けてもらうだけじゃ足りなくて、あんな変な奴にまで助けてくれって土下
座でもしに行ったのか?」
初対面でいきなり俺を変態呼ばわりする身の程知らずの男は恐らくカツアゲ犯と見た。
意外にもこんな典型的なカツアゲ現場に出くわすとは…。
そして彼が言ったように、柳を守るようにして、柳の前に立ちはだかる榊の姿が漏れ無くそこにはあった。
気付けばその眼だけは俺の方を向いてはいなかった。
ただ目の前の敵を見据える眼。
まるで子を守る母だ。
「柳ぃ、手間取らせんなよ。金がいるんだから早く渡せっての」
おいなんかもう俺等無視されてね?
紫苑なんで俺をここに連れて来たの?
「ふざけんなっ!何でお前なんかに莢斗が金を渡さなきゃいけないんだよっ!」
それはごもっともだな。
確かに気は弱そうだし、カツアゲしやすそうな奴だけど、ダメだってそんな事したら、うん。
「うるせぇよ。お前に用は無いんだけど。話しかけても無いんだけど。それに、柳がお金をあげたそうにしてんだか
ら良いじゃねえかよ」
えぇ…。
何だその飛躍理論。
お前はジャンプで大気圏超えられるのか?
いくら歴代単行本全種類積み重ねたって届かないよ。
「莢斗、あんたもなんか言いなさいよ!」
「えっ…でも…」
おいおいなんだよこの空気。
俺等こそ本当に空気だよ。
シャレになんねぇって。
なんの為に紫苑は俺をここに連れて来たんだ?
「おい、そこのキモいの二人」
「は、はいぃ」
ついに矛先がこっちに向いたよあほんだら。
ここに俺たちいる意味あんの?
もう見たからには生きて返さねえからなって感じじゃんこれ。
「ジッとしてないでこいつ早く抑えてろ」
協力要請するんかぁぁぁぁぁい!
何だこのカツアゲ犯!
緊張感もクソも無えよ!
見ず知らずの奴等犯罪に巻き込むかぁ?あぁ!?
「い、いや、俺カツアゲはちょっと…」
「やんなきゃテメェ等も置いてくもん置いてってもらうからな」
ほら来たあああああ!
っつかいつの時代の言い回しだよぉぉぉぉぉ!
「先輩、ピンチです!早く助けなくちゃ!」
ようやく喋ったと思ったらもう手遅れだよ!
助けられたいの俺!
お前が責任取れこの阿婆擦れがぁ!
「あぁ?お前俺の邪魔するの?」
「い、いやいやとんでも無いです!どうぞごゆっくり続けてください!俺全っ然関係無いんでぇ!」
「えぇーーーーー!?」
いやもう「えー」とか言わないでマジで俺関係無いじゃん。
早く助けないとって…___
「おい、続けろってさ。早くどけよ」
そう言って暴挙に出かけたカツアゲ犯に対抗すべく、彼女の力を振り絞った声が俺に降り注ぐ。
「…アンタ、私との話忘れたの!?」
ギクゥ!?
おい、その革新的な一言を今ここで言うなって!
なんか企んでんの丸出しだろ!
「あぁ?やっぱお前助けに来たの?」
おぉいやめろって俺を巻き込むな馬鹿野郎!
「い、いやぁ…」
「…まぁいいや。邪魔しねえんなら関係無えし。早くどいてくれない?いい加減殴るよ?」
___ッ!?
..
立ち竦む柚音。
震える足。
でもそこに庇っている男の姿は無い。
ただ奴は泣いていた。
でも何でだっけ?
最近それを思い出した筈だよな。
「グッ、あぁあ…」
「先輩?」
知っている。
_____
これ、君のでしょ?
奴を虐める男達から取り返した奴のおもちゃ。
それ以外にも、奴を庇う俺。
じゃあ、あの姿は…何だ?
柚音あの姿は…。
_____
まるで昔の俺だとでも言いたいの?
…じゃなきゃ何だ?
「もう、泣かないでよ…あいつらはいなくなっちゃったよ」
「えっぐ…うぇえん!」
「何かあったら僕が守ってあげるよ」
良心って辛いよね。
そんなもの持ってるから、いざ悪と対峙すると怖くて胃が痛くなったり、足が震えたり、口がおぼつかなくなったり、とにかく拳が止まらなくて。
だったら何だ…。
「ハァ…ハァ…」
___僕の唯一の友達を助けてくれませんか?
___あの子の壁、壊してあげてね。
___もう誰も、傷つけたく無いんだよぉ!
___青娥を…私を、信じて。
様々な願いを聞いた。
でも、よく考えればその願いの一つも叶えられなくなる寸前に俺は立たされているようだ。
気づくのが後少し遅かったら、二人はどうなってた?
唯一の友達に庇われて傷つくのを見たく無い少年と、傷つくのを見ていられなくて自分が代わりに傷つきに行く少女。
___君はどう彼らを救う?
救う?
救うのが望み?
くそッ!
頭が痛い。
瓦でも割る力で殴りつけられたような痛み。
憔悴とも似つかない気分。
悲しいの?
泣きそうなの?
いいや違う。
俺の記憶。
それを返して欲しいだけなんだ。
助けるとか考えてる場合じゃないんだよ。
今そこに転がってるじゃないか。
自分を写した醜くも、足掻こうとする小鳥の如き羽ばたくのも儘ならぬくらいに脆弱な意志。
弱いくせに守る、じゃない。
守りたいのに弱い、なんて馬鹿丸出しだよね。
震える拳。
サワガニの威嚇みたいに広げられた手。
アレが…俺?
違う。
「…好きにすれば?その代わり莢斗に手は出させない!」
アレが…俺…。
違う。
俺知ってるんだ。
_____
「ハァ…ハァ…」
暮れる真っ赤な光。
立ち尽くす俺の拳にこびり付いた血痕。
後光の如く射す光が黒く俺を塗り潰す。
その姿を黒い方から眺めていた柚音。
それもまた立ち尽くしていた。
それらを取り巻く倒れた男達の残骸。
涙を流す者もいれば、気を失って地に伏す者もいる。
でも、じきに一人消えて行く。
恐怖に戦いたであろうヒィッ、と言う声。
失った物を自覚してしまう酷い感覚が突如にして俺を襲う。
慟哭…?
泣き叫んだのかな?
喉が焼かれているような気分。
取り敢えず…死にたいです。
_____
「あっそう、じゃあ」
無造作に振り上げられた拳に痛みを覚悟した無力な少女は目を瞑り歯を喰いしばる。
少女が殴られそうになる光景を不安げに見つめていた柳も、性分から表面に秀でた臆病な部分により、反射的に目を
閉じる。
しかし、彼女の体に痛みが走る事は永遠に無かった。
「…あ?」
黒い瞳。
自分の全てを捨て去っても良い。
それでも叶えたい願いが、それでも護りたい物がある。
かつての俺はそうあった筈だ。
だったら目の前の雑魚供と違って、俺は黒くなる。
俺が人殺しと呼ばれる所以。
全てを投げ打つ覚悟こそがその理由の一つと言っても良い。
あの時も名も知らぬ少年たちが寄ってたかって俺と×××を囲んだ。
その時の俺は、きっと手を広げたりなんかしなかった。
最初は誰だって手を出すまでの思考回路には至らない。
何とかして抵抗しようとする。
俺の場合は、見窄らしい二人に襲い掛かるやべぇ奴止めに行く事がその答えだろう。
見事、少年の振り上げた拳を腕から掴んだ。
「…邪魔すんなって言ってんだろうがぁ!」
少年は少女を殴ろうとした手を俺に掴まれたのが気に食わなかったのか、掴まれていないもう片方の掌で俺に襲いかかる。
しかし、その攻撃をいともせず避けた。
その後、追撃が来る前に一言絶望を添えてあげた。
「皆、お前をぶっ潰して欲しそうにしてたからさ」
追撃の手はその一言で緩んだ。
きっと目の前の俺の表情は紛れもなく例のアレだ。
そう、人殺し。
明らかな殺意を向けたヤクザ顔は最早般若と言うだけでは足りない。
修羅?
羅刹?
なんかそれっぽい言葉を並べると、羅って言葉が似つかわしいのだよ。
カオスだね。
あれこれ考える間も無く、反撃に間髪入れる事をさせずに俺の左手は握り締められながら少年に飛んで行った。
それは見事なまでにクリーンヒット。
アニメ見たいと言えば確かにそうかもしれない。
俺と同じくらいの肉塊がグワッと声を上げてフワッと浮いていたのだ。
そして地に伏した。
ただ俺が向けた殺意は留まらなかった。
いつまでもその肉塊と見做した物に熱い視線を送っている。
再三言うがそれは殺意だ。
起き上がり反撃を加えようものなら殺してやると向けた殺意。
その黒くて醜い姿を背後から見つめる二人がいた。
先程まで目の前の肉塊にビビって目を瞑っていた臆病者達だ。
そんなのでは現状は変えられない。
現状を変えられなかった俺が言うのだから確かな筈だ。
でも、二人はそんな狂乱じみた俺の様子をよしとしてはいないようだ。
むしろ恐怖に戦いている。
あの時のように。
しかし、怒りとか、憤りとか、自分を奮い立たせている感情に狩られた俺がその様子に気づくのはまだまだ先の事だった。
何故なら俺の殺意はここから一層増すからである。
目の前の肉塊は強く地面に打ち付けた体をゆっくり起こし、ってぇなぁと怒り散らすと、ポケットからジャックナイ
フを取り出す。
典型的な奴だな。
建物に囲まれた路地裏では、その輝かしい筈の銀の刃は少し燻っているようにも見える。
だが、燻っていようと欠けていようとナイフはナイフ。
狂乱なのがどっちか分かったものではないと怖気付いてしまえば、胸部の左に緊張と言う脈を押し殺して殺意を向け
る俺の心臓は、串焼きのようにいとも簡単に刺され、そして痛みに焼かれるであろう。
考える事もせず、肉塊はいつの間にか咆哮し、そして俺に立ち向かって来た。
だから、肉塊なんだよ。
これが人間と思える神経の状態が俺は考えられない。
もっとも、今の俺こそがその尋常じゃない神経を携えているのだが。
耳を劈くのは少女の咆哮。
しかし、どちらの少女なのか、俺には分からなかった。
刃に極限の集中を注ぐ。
刃先は何処に行くのか。
その推測をするばかりで他に意識は向かない。
部屋に閉じ込められた囚人のように、意識を刃という牢獄に閉じ込めた。
握られた柄が目の前に突きつけられて行く。
直進は止まらない。
明らかな肉塊の殺意。
継ぎ接ぎ人形が傀儡するようにぎこちなく、まるで点と点で結んだ直線上をカクカクと動くナイフを握った手は殺意に対する恐怖が若干どころかそれはもう大量に乗っかっている。
昭和時代の蕎麦屋が、マリンバイクで出前を届けに行っているようなものだ。
本当ならアクセル全開は不可能。
しかし、出前の品の蕎麦が散乱するのを気に留めなければ、アクセル全開で出前に行く事ぐらい容易い。
つまり端的に言うなら___
「クソ野郎」
サッと右手を前に出す。
___グシャッ!
俺を捉えていたであろう刃は快感に溺れるように震えながら俺の右の掌を刺した。
刺した感覚を楽しんでいるのか、怖がっているのか、高低差を保ったままナイフは刺した掌を前進したり後退したりする。
痛くないわけがない。
しかし、狂乱を確信出来るほどに平生を保っている俺はその手を地面に押さえつける。
その為にズキズキと痛む筈の手をナイフから引き剥がし、その手で間髪入れずに固まっている肉塊の手を血塗られた
手で掴み、地に沈めた。
そして手を使う代わりに左足でナイフを持った手を押さえつける。
するとやはり、空いているもう片方の足が勝手に加速する。
蠢く肉塊を本当の意味で肉塊にするべく、振り上げた足はその顎を粉砕した。
流石の彼も、苦痛に踠き、ナイフを手放す。
カランカランと音を立てて転がり落ちる刃を拾い上げ、倒れ込んだ肉塊のすぐ側まで行く。
その異様な光景を見つめている三人の常人達は言葉すら失って唖然としていた。
俺が、ナイフを持って肉塊の側に行っている事に気付いた時、皆一斉に声を張り上げていたのだが、その声すら虚しく俺には届く事は無かった。
気づけば無意識に肉塊を文字通り肉塊のように扱う如く、踏み潰してその場に固定する。
肉塊は苦悶の声を上げる。
それだけではない。
汗にも似た涙を流してすいませんと喋っている。
肉塊風情が喋るなと物を見る目で訴えかける俺も、無意識化ではその声を聞く事も出来ない。
踏み込んだ足をそのままに、その場にしゃがみ込んで目の前の物を睨み付ける。
護るためだ。
オレモ、ミンナモ…。
ソシテ…___
「人を殺していいのは、死ぬ覚悟が出来ている奴だけだ。お前…死んでみるか?」
仄暗い路地裏。
光はしゃがみ込んだ事によって余計に届かず俺を黒く塗り潰す。
あの日のように。
涙を流し、恐怖に怯え、声すらまともに出す事の出来ない肉塊は気を失いかける。
その前に、断末魔とも言える甲高い声で叫び死を覚悟した。
それに呼応して俺の真っ赤な手は、ナイフを握り締め、それを振り下ろした。
「先輩ダメえええええ!」
その声が聞こえてようと聞こえてなかろうと、俺には関係無かった。
俺がやるのは殺しじゃない。
ただの人格殺しだ。
___カキンッ…。
硬い何かと何かがぶつかる音。
立て続けに金属が強い力で折れる音がする。
ついさっき聞いた所為か、聞き馴染みのあるカランカランと言う音。
折れた刃は建物の隅にあった排水溝の穴の中に入って、チャポンと水音を立てて沈んだ。
その場の静寂。
歴史が変化した瞬間を目の当たりにした様な呆然とした空気がその場を流れた。
そしてそれを割いたのも、また人格殺しの言葉だった。
「ほら、死ぬ覚悟なんて…ないじゃんか」
これで…良い。
護った。
護れたんだ。
これで…良いんだ。
___そうなの?
それが良いの?
手に持った忌まわしき物を排水溝の穴に向かって投げつける。
苛立ちのまま。
怒りに身を任せて。
そして気絶した名も知らぬ少年から目を逸らし、柚音と柳の方を見た。
怯えているに違いない。
知っている。
遥か昔、同じ光景に怯えた少女の事を。
同じ事が起こる。
皆異常者に怯え、逃げ惑うのだ。
ハッ…それも、良いか。
もしそうなら、あいつも心置き無く俺から離れられ…___
「お巡りさんこっちです!この娘達をこんな場所に連れてきた不審な男!」
…え?
「いや、そうじゃなくて…あの、あの人は…」
オドオドした口調で何かを説明しようとする柳の姿。
それを唖然と見つめる柚音と紫苑。
「ハァ…ハァ…君、こんな所で…何をやって…いるのかね?」
遠くから走ってきたお巡りさんらしき人物がここに来るなり、まずワッパで俺の手を拘束する。
まだ何も言ってないんだけど。
…ってか待て。
「ちょ、えええええ!?待ってえええええ!」
「詳しい話は署で聞くよ、比野青娥。ついに尻尾出しやがったな人殺しが」
フルネームで知ってるあたり確実にこいつ悪い事したなって確信がないのにワッパかけやがったこのクソポリ公ぉおおおおお…!
寝込んでるアイツだって、拳と蹴りの二発しか入れてねえからほぼ無傷に見えるじゃねえか!
問題ねえじゃんか!
___
ババァに鬼の様な形相で睨まれながら俺とお巡りさんはその横を通り過ぎる事になった。
「全く、最近の若いのは何するか分かったもんじゃないわ」
テメェこのアマあああああ!
覚えてろぉおおおおお!
「あ、あの、だからその人…」
「良いのよお礼なんて!困ったらちゃんと助けを呼ぶのよ?」
良い事したから謝礼が欲しい感丸出しで噛み合わねえ会話してんじゃねえええええ!
っつか…___
俺は何もしてねえええええええええ!
_____
平ヶ丘病院、優梨乃の部屋。
「…ってな事があった」
「…災難だね?」
「かける言葉に悩んでんならお疲れ様ってのをオススメする…」
何が災難だね?だよ。
あの後の交番でのやり取り。
ババァは謝礼もらいに来るし、あいつらは説得しに来るし。
面倒臭かった。
なんとか誤解が解けたのは良かったけど。
あの後謝礼では無く、謝罪をもらったのは俺の方だったしな。
渋々して謝ってたあいつらの顔は見物だったな。
その、アレから俺は榊柚音とは会ってない。
気付けば三日くらい経つ。
グルグル巻きにした右手の包帯の疼く歴戦の痛みが犇めくのを感じながら過ごした日の中で、柚音にも会っていなければ、紫苑や柳にも会っていない。
紫苑に至っては何故ウチに飯すら食いに来ないのか不思議だが、つまり、変な事があった事に対してクールダウンが必要だと言う事なのだろうか。
「で、どうかな?」
「あ?」
「問題は解決出来た?」
ハッと気付いた。
確か榊柚音は誰も傷つけたくない。
柳莢斗はこれ以上柚音に守られたくない。
でも、この前のアレって、根本的な解決にはならない…よな?
「あぁ…えっとな…」
マズい。
結果的に今回の件は俺が傷つきに行っただけって事として扱われるのか?
誰得だよって言うか、誰も得してないし、寧ろ損しかしてないって事?
「…あぁ…なんて言えば良いのかな?」
キョトンとして期待した返事を待っている優梨乃に、俺はなんと答えれば良いのだ。
俺に期待をしていた彼女に…なんと…。
___ガラッ。
背後に扉が開く音。
そして背中が凍る。
状況が更に悪化しそうな恐怖が、俺を殺そうとする。
「あ、柚音、やっほー」
「あ…」
挨拶をされた少女は挨拶を返す前に視線を俺に固定する。
忘れたわけじゃない。
確かに問題の解決の後、優梨乃と柚音達との干渉を拒否すると言う彼女の意志があった筈だ。
それを聞き入れた覚えは無いし、どうにかしようと思う事も無い。
だがそれを考える前に、まず問題が解決したのかどうかが問題だ。
たかが一回カツアゲ現場から友人を救ってもらっただけで、柚音の問題が解決する筈も無い事は火を見るより明らかに察しがついた。
「どうしたの二人とも?」
お互いに現状を把握し合っていたかは定かでは無いのだが、二人して一瞬あった目を逸らし、沈黙を解き放つ。
その状況がおかしいと察したのか、優梨乃はその静寂を割こうとする。
しかし、その気遣いを物ともせず、柚音は重々しい足取りで俺の前に立ち塞がる。
「アンタ、今空いてる?」
質問の意図は読めなかった。
表情も暗澹に包まれているし、腑抜けた声は明らかに俺の想像を遥かに超えた展開で発され、新たなイメージとして俺の記憶に焦がすように焼きつく。
恐怖をも覚えかねない気持ちに陥った。
「あ、あぁ…」
「じゃあ今来て」
「は?ちょ!」
返答に間髪入れずに再び意図の読めない要求をする。
それには答える間も無く、気付けば俺の体はいつかの俺のように力強く引っ張られている。
そして流れるようにして優梨乃の病室を退室する事になった。
__________
現在地は来る筈の無かった柚音の部屋。
何故そんな事になってるかって?
そんなの俺が知りたい。
目の前ではモジモジしている柚音が正座していて、俺もまた正座している。
こんな事前にもあった気が…。
ただ単に緊迫したこのクソッタレな状況。
明らかに必要無いであろう今という時間を恨む様に俺は拳をこれでもかと握り締めている。
握り締めすぎた掌が痛みを生んでいるのを知らずに、カキ氷を描き込み過ぎたフィードバックの様に握り締め続ける。
とにかく目の前にいる少女の無口さに苛立ちを覚えて平常ではいられなさそうな自分をいなす様に溜め息を吐く。
それが三回目に渡った瞬間だっただろうか。
いよいよ柚音が重々しく口を開くのだが、一週間程部屋にこもって久々に声を出した時みたいな、コミュ障の喋り方の出だしの様な、変な声が出て来る。
咄嗟に口を押さえ、咳払いを入れる。
「…あぁ、あ…ありがとう」
「第一声がそれか…」
不意打ちとでも言おうか。
まあ、予想をひっくり返した返答だった。
「うぅ、煩い!」
謝られたからと行って、俺の苛立ちが晴れる筈も無い。
どうしても俺は今の状況が苦しくてしょうがない。
「…莢斗が…あんたの話ばっかりするの」
唐突に話が変わる。
その事を話す彼女の顔は普段の焦燥を感じさせず、寧ろ憔悴し切った仔犬の様だ。
モジモジしているのはその莢斗の態度の所為なのか?
「それがどうしたんだよ…」
「どうしたもこうしたもない…。アンタのおかげで莢斗も傷付かなかった。でも…」
俯く少女の顔の瞳の奥は見通す事が出来なかった。
項垂れた美しい頸を露わにしながら、正座した体がブルブルと震えているのが分かる。
「もう、私を見てはいなかった」
だんだん声が涙ぐんできているのが分かった。
しかし、物怖じせず話を聞かなくてはならない気がする。
故に俺は黙って我慢した。
イライラを抑えつつ、踏ん張ってやった。
「この写真…見て」
「写真?」
柚音の勉強机に置いてあった一枚の写真を彼女は俯いたまま手探りで机に手を伸ばし探すとそれを俺に差し出す。
そこに映っていた光景は、俺と柚音のツーショット写真だった。
ただし、幼稚園の頃のだ。
こんなもの撮ったっけ?
そう思うより先に、あの現場で蘇った記憶が頭の中を飽和させる
「…私、アンタみたいになりたかった。私を守ってくれるアンタみたいに…」
「それは…あんな人殺しになりたいって事言ってんのと同じだと思うが?」
「違うっ!アンタは…」
___人を殺していいのは、死ぬ覚悟が出来ている奴だけだ。
その言葉がよぎった。
俺がこの言葉を述べたのは実は小学校二年生あたりが初めてだ。
過度にいじめられていた柚音を護るために、死ぬつもりでいじめっ子たちを殺そうとした。
それだけ、人殺しと呼ぶに相応しいバカだったって思い出した時のショックは結構大きかったな。
そんな昔の記憶を、最近まで失っていた事をこいつは知らない。
都合よく思い出せてよかった。
ほんの少しだけど。
「…それで…莢斗が私を頼ってくれないかもしれないから…私が、アンタになれなかったから…」
___私、もう必要無いのかな?
そう思うのは勝手だ。
しかし、その傷の拠り所を俺に求めている、いわゆる媚びる行為が俺にはどうも納得行かない。
柳の願いは柚音に自分を守らせない事だ。
すると、そうであることは結果論的にも別に構わない事だとは思う。
それに気付けていないようじゃ、こいつらまだまだ人間関係も儘なってないようにしか見えない。
「アンタの方が…莢斗を守___」
「___れよ」
「え?」
俺はこいつの腐った性根を許す訳には行かない。
言ってみれば、案外優梨乃の願いにも繋がるだろう。
柚音の悩みを解決する事。
それが願いなら___
こいつの壁を壊す事。
それが願いなら…俺は___
「黙れよバカ」
今のこいつを認めない。
「…は?」
「グチグチ煩ぇんだよ。第一柳がお前を必要としないからなんだ?死にたいのか?お前にとって柳ってなんなんだよ?大体、お前の言う"俺"になるってのは、柳に自分を見てもらう口実に使ってるようにしか聞こえないんだよ。少なくとも俺ならお前みたいにその癒しをお前に求めたりなんかしないし、そんなくたばった犬みたいな面とかしない。それなのに…お前少し幼稚じゃないか?___」
ひたすら言いたい事を言った。
ストレス発散みたいな物かも知れない。
でも、問題点を、彼女が抱く都合のいい彼女を殺さなくちゃいけない。
「…さい」
それが人格殺しの所以かって言うとそうでも無いけど。
「だいたいお前は…」
そろそろ反撃が来る頃だ。
拳を握って膝の上に乗っけて震えているのが見える。
どうせ、煩いって返して逃げようとするに決まってる。
「煩あああああい!煩い!煩い!なんなんだよ!言いたい事ズカズカ言いやがって!アンタに私の何が分かるんだよ!私はアンタみたいになりたかったのに、アンタは私を守るとか言って…そしたらアンタは同級生達を怪我させるくらい乱暴な事して!私は怖かったんだよ!人を傷つけるアンタを見て、怖くてアンタの事なんかとうの昔に忘れてやったんだ!あの頃のアンタが変わっちゃったのが悔しかった!それなのにまた余計な事思い出させてさ!私はアンタを見返したかった!小学生の時、虐められてる莢斗を見てそう決めた!アンタにはその莢斗に私が見られなくなる苦しみが分からないんだろ!知ったような口聞くなバカっ!バカっ!バカっ!青娥の、バカアアアアア!」
圧倒的だった。
涙を撒き散らす勢いで怒涛の不満を連発する彼女は最早自我を保っている様子はない。
無意識に言いたい事をズラッと述べて俺を困らせようとしてるのだろうか?
しかし、俺にその程度の罵倒が通用すると思ったか。
「煩ぇんだよバカ!テメェの事情なんか知った事か!テメェが柳に嫌われようが、その要因を俺に押し付けようとしてんのが丸見えなんだよ!お前の泣き言なんか聞きたかねえよ!」
「何バカなこと言ってんだよバカ!」
「バカって言った方がバカだって聞いたことあるか?バカ!」
「じゃあお前だってバカだ!」
「じゃあお前もバカだ」
「バカ!」
「バカ!」
一見幼稚な争いだが、俺にはこのやり取りに覚えがある。
それも、こいつと喧嘩した時の話だ。
そして手が出ちまったのかな、昔の俺は。
確か、そうだ。
この後俺は張り手かまして泣かしてたっけな。
俺が変わった事でお互いの仲もギクシャクしてたしな。
「バカ!バカァ!バカァ!あぁああ…」
泣き崩れる少女がいた。
しかし、俺が殺しに来たのはこいつの性根だ。
こいつじゃない。
包帯でぐるぐる巻きにされた右腕をそっと号哭した彼女の涙を拭うようにして脳天まで伸ばし、撫でる。
「無理して俺になろうとするな。何もこの手みたいになるまで人を守る必要はない。現に、お前は立派に柳を守ったじゃねえか」
「うぇえぇん…でもぉ…でもぉ…」
「んな泣いてるから柳も心配すんだよ。そんなにあいつに見られなくなったのが悔しいか?」
「当たり前だろォ!お前が私から莢斗を取ったんだぁ!私はもういらないんだぁ…」
理論が名も知らなかったかの少年みたいな勢いで飛んでる気がする。
そうからかうのもアリだが、きっと今のこいつの心の傷は激しいだろう。
「…柳がなんでお前を避けるようになったか知ってるか?」
「ふぇ?」
そんな事を言っても、傷口に塩をねじ込むようなもだが、それが俺の役目だ。
柳には申し訳ないが、これがみんなの為なんだ。
「お前が無理に自分の事を守りに来て、傷付かせたくなかったんだってよ」
「…え?」
「お前はどっちにせよ、あの瞬間求められてた奴じゃない。そう言う事だ」
現実を突きつけるとはなんでこうも残酷なのだろう。
筋肉痛が筋肉を育てるように、壁を木っ端微塵にしたいのならば、それだけ強力な力をぶつけなくてはならない。
例えばクレーン車につないだ鉄球で壁を壊すのなら、鉄球は遥か高くから振り下ろすようにしなくては壁を壊さないだろう。
「…私…は…」
___誰も、傷付けたくないんだよぉ!
違う。
傷付けていたのは、柚音の方だった。
それを知らされる絶望。
彼女が今思う事が手に取るように分かる。
それこそ、私は必要無いと言ったあの気持ち。
初めからそうであった事を知らなかったのが苦痛を極める。
柳を守る自分に恍惚としていた日々を求めていた理由が過去の俺ならば、彼女は踏み出す一歩の方角すら前方では無い事になる。
そして、自分は求められていないと言うダブルパンチは、犬に噛まれ、猫に引っかかれる気分にすらさせるだろう。
「やっぱり…私は…もう、いらないんだね…」
憔悴。
表情も伺えなかった。
しかし、考えてる事が分かるのなら表情なんて見る必要も無い。
大体イメージ出来る。
少なくとも、壁が壊れたって顔はしてない筈だ。
ある意味でそれは、彼女を傷付けているのかもしれない。
「私は…」
言い訳に武者震いとでも言い出しそうに震えている彼女に、俺が出来る事はなんだ?
単純な事だ。
撫でてやればいい。
するとこいつは喜ぶ。
なんて、思い込みかと思うだろうが、違う。
そう言う奴なんだよ。
理解するのには時間がかかった。
少しざらついた手で彼女の頭を撫でると同時に、俯いた顔を上に向くように矯正する。
泣いてる顔を見られたく無いのだろう。
矯正すると同時に彼女は手で自らの顔を覆い隠す。
「そんな事言ってるんじゃねえだろ。柳はただお前に傷付いて欲しくなかっただけだ。何もお前が必要無いなんて思っちゃいない」
「でも…だったら莢斗を誰が守るの?…私に守れないんじゃ…私は必要とされる事なんてもうないじゃん…」
おばさん、すいません。
柚音と昔のように友達になるなんて今の俺には出来ない。
でも、せめて柳とこいつを繋ぎ止める事だけはしてやりたい。
___「…だったら俺がお前を必要としてやる。それで勘弁しろ。その代わり絶対一人になんかさせねぇよ。しっかり柳と向き合って話し合って、それで元通りになるまでずっとな」
驚く事に突如柚音が静かになった。
俺に必要とされるのが嫌だが、駄々こねるのより絶望的な内容で硬直したか?
それでもまあ、大人しくなったならいいか。
「お前は普段通りツンデレやってろ。その方が可愛いんだから」
俺はゆっくり立ち上がって暇を告げる事にした。
そして、彼女の要望通り、もう二度とこいつと関わらないようにしなくちゃ___。
___ギュッ
「ッ?!」
突然襲い来る暖かい体温。
ギュッと何かに抱きつかれた。
この部屋に入る以上そんな事するのは柚音しかいないが。
…しかし、どうもおかしい…。
紫苑の時は感じた二つの物体が感…イヤなんでもない。
そもそも冷静に解釈している場合じゃない。
「なななな、なんだよ…!」
「…ごめん」
「はぁ?」
滴る涙を堪えるのを見られないようにする為なのか、柚音は俺にこれでもかと密着する。
そして逃さないと言わんばかりに俺を両手で抱きしめるのだ。
その行為になんの意味があったのかは分からないが、とにかく、衰弱し切った体を休める様に、彼女は体重を全て、
あとは任せたと聞こえてきそうなくらいに預けて来る彼女は震える事を止めなかった。
「泣いてんの?」
「泣いてないし…」
「じゃあどけよ」
「…ヤダ、泣いてんのバレる…」
おぉ典型的なやり取り。
馬鹿みたいだ。
昔、こう言うやり取りをした記憶がある。
カツアゲ現場の時と言い、今と言い、昔の記憶をビデオテープで再生したような、懐かしさがある。
「…あのな、俺がお前と柳に出来る事は無いと思うし、これからも何も出来ないと思う」
今なら、近づけるかもしれない。
こいつが望む現状を、俺が与えてやれるかもしれない。
それが、俺の贖罪だ。
こいつを傷付けた事にも、優梨乃の事にも、おばさんや柳にも、力が及ばなくてすまないと深々と頭を下げたい気分を、柚音一人に背負わすのは癪だが、今回の件で一番傷付いたのがこいつだと思うと、それもまたアリなのかもしれないとか、柄にもなく思ってしまうのだ。
それが贖罪と呼べるなどと、甘ったれた事を言っていてはまたすぐにみんな傷付けてしまいそうで怖い。
だから、俺が出来る事を最大限してあげたい。
誰よりも、俺よりも、優梨乃の為に。
そして、傷付いた柚音の為に。
「でも、柳が求めるお前になれなくても、俺が必ず繋ぎ止めてみせる。それがお前の願いである事を俺が一番知っている、だから心配すんな」
「…カッコつけんな」
今だけは、昔のままでいたい。
そう言いたいのか、切実にも俺を抱いている手はしばらく離れようとはせず、寧ろ頑なにも放したくないと言うように手に力が込められる。
その拍子に布と布が擦れて聞こえるスルスルと言う音。
昔を彷彿とさせる憧憬。
___「僕が、君を守るよ」
そう言って、虐められる絶望から解放されるかもしれないと思った少女は、無邪気な泣き面で俺に縋るように抱き着いた。
俺はその感傷に浸っている所為か、彼女が俺を放すまで、彼女を撫でている手を下ろそうとしなかった。
キモッ。
自分で言わなくても、きっとみんなそう思うだろうよ。
ったく、ざけんな神様。
_____
Sieg004です。
困った事に文才を培う力が私には無いみたいですって言うのを座右の銘に出来そうなくらい下手くそな小説家です。
これじゃあ商売にはなりませんね。
現実は怖いです。
いざ小説家になった時、私は生きて行けるのか?
そう考えるだけでおぞましいです。
そもそもなれないでしょうとか考えると身の毛が立ちます。
さて、二章目もだいぶ終盤に近づいてきました。
添削時にはもっと良いものに出来たらいいなと思っております。
第一章後書きにも記したのですが、iOSの端末に問う小説の原本があるんです。
今回はその内容を大幅変えてみた感じに仕上げました。
内容に納得が行かないとかで、ガラッとイメチェンさせたんですが、どうも元設定とかからすでに気に入らないのは私だけですか?
とか思ってなんとか作りました第二章終盤。
是非、こいつ誤植多すぎwwwって感じでご覧いただけると嬉しいです。