舞崎さんの甘酸っぱい友達理論
一章完結と言ったな。
あ れ は ウ ソ だ 。
___あれ?
どうしたんだっけ。
何があったんだっけ?
確か…泣き疲れた紫苑をおぶって…紫苑のおっぱ…いや、なんでもない…。
ん、待てよ?
おぶって、どこへ行った?
帰ったのか?
でも紫苑の家なんて知らないし…。
じゃあ俺は今どこにいて何をしてるんだ?
___視界がホワイトアウトしていく…。
丁度俺は、目を覚ましている。
と言うのはつまり、ほんの一瞬前までは俺は寝ていた事になる。
だんだん視界がはっきりしてくる。
見慣れた俺の部屋の天井が視界に入ればそれでよし。
あれは夢だったとでも思う事にしようか。
「おっはようございます!先輩!」
…いや、違う。
今もなお俺は夢の中にいるに違いない。
起きたら高校生が目の前でモーニングコールしてくれるサービスなんて、三十、四十くらいのおっさんが頼みそうなもので、俺はそっちよりもっと年増が…嘘で
す高校生でも大歓迎です。
「紫苑、俺のほっぺた抓ってくれ」
でもこいつにだけは起こされたくない。
「分っかりました!」
ギュゥっと頰を引っ張られる。
だが、俺はどうやら起きているようだ。
じゃあ次にやる事は一つだ。
「紫苑、俺のケータイ取ってくれ。ここが家なら俺の鞄の中にでも入ってる筈だ」
「何言ってるんですか、ここは紛れもなく先輩の家ですよ。っと鞄鞄…」
ああそうか俺の家か。
「はいっ!どうぞ!」
「おうサンキュー。じゃ一、一、零、発し___」
「ちょちょちょちょおおおっと先輩!何してるんですか!」
紫苑が携帯をひったくろうと四つん這いの体勢から俺の身体にダイブするように身を委ねる。
ちょっと重いのはきっと豊胸の所為だ。
サラッとセクハラするな、俺。
だってしょうがねえじゃん。
密着する紫苑の体の部位で一番存在感が出てるのが、押し付けられてる胸なんだから。
そんなんだから紫苑から自然と目を背けちゃうじゃな
いか。
「いぃ、し、紫苑…近い」
「ケータイしまってください!」
「分かった分かった…だから近い」
「お胸の感想言わないと退きません!」
「デカい…」
何を言わせてるんじゃおどれは…。
若干嬉しそうにしてんじゃねえよ気色悪い。
第一、気色悪いもキモいも俺にしか合わない台詞なんだからな。
自分に言ってナンボなんだぞ。
「分かればいいんです!テヘッ」
うっわウゼェ…。
やっぱ電話しよっかなぁ…。
「退け小娘。お前に構ってる暇はない」
「まだお返しのおはようを聞いてません、おはようっ
て言ってください友達なんですから」
あぁあ、今お前は俺が夢だと思おうとした事をそう出ないと断言してしまったな。
そうですね現実なんですねこれ。
Q:何で知らない女の子が俺の部屋にいるんですか?
___これが現実だからですかそうですか。
「あーはいはいお休みなさい永遠に。だから退け」
「おはようですらないじゃないですか!?」
朝一番にイライラさせるなよ仕事たくさんあるのに…。
家の掃除に朝の炊事、洗濯、アルバイト、土曜だからって俺は休んでられないんだよ。
この家を一人で切り盛りしてくからにして…土曜は学校あってもサボって急いで用事済ませて楽するのが流れなんだから邪魔すんなほんと。
出席日数?
まあまずけりゃ土曜も出席するようにすれば何とかなんだろ。
「いい加減にしろ!だいたいなんで四つん這いなんだよお前!それは友達であろうとする事じゃな…い……だろ…」
絶句。
そして紅潮。
マズい。
いや、最初から色々マズかったけど…。
お前が俺と友達だと一人語りするならそれはそれで構わんが、俺はそれ以上を許しも求めもする気は無い。
だからその、確信犯かどうかは知らないが___
「どうしました先輩?顔真っ赤ですよ?」
「し、紫苑…何も言わずにその場を退け…早く…」
「だーかーらー、おはようって言って…」
「いや、あの、女の子なんだからさ…せめて下着はしっかり隠して…」
しかもなんだかゲテモノ臭が凄い。
白いブラウスかと思いきやそうじゃ無い。
思いっきり色物だ。
大人ぶってるの?
それとも豊胸がそうさせてるの?
いやこいつには案外ピッタリ…ってそうじゃ___。
「え…?」
紫苑はやっと気付いた様で、同じように顔が真っ赤になる。
「はわぁわわわわわわ…ど、どこ見てるんですか先輩!変態なんですか!?」
「だからそれお前に言われたく無い台詞ナンバーワン…だから早く退け!」
これぞ激動の朝よ…。
勝手に色仕掛けして勝手に自爆すんな俺がついて行けねえだろ。
「で、でも…先輩が…ほ、欲しいなら…」
「いらねぇよ!だから退けぇ阿婆擦れがぁぁぁぁぁ!」
悲報、俺氏、堪忍袋の緒が切れる。
何故こうもこの女は色仕掛けが多いのだろう。
そして何故こうもウザいのだろう。
カーテンの隙間から射す陽光がそのウザったらしく激しい一日の合図でもするように、顔に反射するのだった。
___
俺の一日は自分で作る朝飯から始まる。
顔を洗い、キッチリと目を覚まし、キッチンコンロの上のフライパンに向き合う。
コンロの電源を入れ、フライパンに少々油を投入。
朝飯と言えばこれに卵やソーセージ、場合によってはベーコン等をぶっ込むだけでおかずが一つ出来上がる楽チンさがポイントだ。
って訳で今日はベーコンエッグにしよう。
先にベーコンをさっと炒めて、若干生焼けの状態で上
から卵を割り入れるのだ。
ほらほらどうだ?
美味そうだろ?
後は蓋をして待つ。
主食は値引きのタイミングを見計らって買った食パン。
こうすると食費がグッと節約出来る。
独り暮らしたるもの、節約せねば死あるのみだ。
そう、独り暮らしは…。
孤独死じゃ無いよ?
べ、別に寂しくなんて無いんだからねっ!
キモッ…あ、また自分で…。
そんな事より、なんだか喫茶店のモーニングメニューの様な気がしていいと思わないか?
俺は思う。
珈琲を淹れ、焼き上がったベーコンエッグを綺麗にプレートに乗っける。
ベーコンエッグの利点は焼き上がりの時卵を崩すケースを低く出来る事。
カサカサッと卵が残っちゃったり、フライパンに張り付くのも、ベーコンがあれば綺麗にプレートに上げる事が出来る。
時間がある時はやってみるのが得だ。
卵が張り付いてしまうと、フライパンを洗う時にスポ
ンジをより強く擦らなくてはならない。
それではフライパンを傷めるし、洗い物も大変だ。
ベーコンの場合、多少は張り付く事があっても、テフロン性のフライパンでそれを優に防げる。
卵はそうもいかない事が多い。
なんにせよ、うちは節約のためフライパンは鉄製だ。
卵よりくっつかないベーコンを利用する事で、後に閊えた家事に使う時間を少しでも増やす。
どうだ、俺はベーコンエッグの話題だけでもこんなに話す事が出来るんだ。
人殺しのする生活じゃないな。
「せんぱーい、トースト焦がしちゃいました…」
だから…誰か友達になって…ください。
あんなのよりマシな友達を下さい。
いや別に友達いらないけど、それを世界が強要するならば俺はアレより良い人がいい。
「ってかテメェ…」
「どうしました?焦げたの食べますか?」
「お前は俺の癌促進でも望んでるのか?!ってか…食パンセール、月一しか来ねぇのに何晒してくれとんじゃ己はあぁぁぁ!」
「ひぇえええごめんなさあああああい!」
握った拳の指の爪が皮膚にめり込みそうなくらいにブチ切れてます。
本当誰か友達下さい、もう十八年顔が理由で居ませんけど。
___
「ハァ…」
なんだろうどっと疲れた。
それは言うまでもなく、目の前の小娘が俺の仕事量を倍にしてくれたからだ。
俺物理は苦手なんだよ…なんだ仕事量って。
俺の日常ワットかなんかで動いてんの?
「先輩…」
「…なんだ」
目の前にベーコンエッグに珈琲、焦げたトーストがあるにも関わらず、それに目もくれないでただ俺は疲れのあまり突っ伏している。
子供を持つとこうなるんだな。
まあ、きっと無いけどそんな時は一時も。
「これ超美味しいです!先輩みたいにガサツな人が作ったとは思えません!」
「あーはいはい。ガサツなのは見た目だけって一番言われてるだろ、テスト出すから覚えとけ糞餓鬼」
一体何故こいつはこうも平然と俺の家で飯を食っている…。
ガス水電気代はキッチリと戴かないと気が済まないな。
「あのさ、お前家帰らなくていいの?」
「ん?あぁ、家近くなので大丈夫です」
「そうじゃねえよ…お前、考えたくなかったけど…実は昨日から俺ん家いるだろ?」
「ええ、先輩が玄関でぶっ倒れてたので、お世話っていうか…」
「一晩寝ただけで何をお世話する必要がある…そうじゃなくて親とか心配しないわけ?」
呆れた奴だ。
せめて親に泊まったの連絡くらい入れるのが筋だろう。
本当に俺の上で四つん這いになってただけなのか?
うっ、頭が…。
思い出すだけで悍ましい。
見えてしまった…ピンクのブ…なんでもない。
「…どうしたよ?親、心配してる筈だろ?」
「親は…いません。二人ともジャーナリストで、私を置いて海外で働いてます」
心なしか寂しい表情をすると思ったが、案外そうでもなかった。
もう慣れているとでも言っているような顔で、素っ気なくそう言った。
「あ、いやぁ…悪い。変な事訊いたな」
「それは結果論です。気にしてませんし、平気ですよ」
紫苑は無理なつくり笑顔でその場をやり過ごそうとする。
こいつこんな一面もあるのか。
取り敢えずそれに便乗しとこう。
「ほ、ほら、俺も親いないんだ。あいつらも俺を置いて勝手に出て行ったからさ…」
「先輩も…親がいないんですか?」
「ま、まぁな…実質、独り暮らし…」
紫苑は意外だなぁという反応をするのだ。
それはきっと、こんな境遇で生きているのは自分だけだと思っていたからだろう。
確かに、親のいない家庭って異常なくらい不思議な話だ。
一人暮らしに憧れる奴はいるけど、実際に一人暮らしする奴は高校生にはほぼいないに等しいだろう。
アパートや寮みたいな宿泊施設ともかけ離れた、完全無欠の一人暮らしは、ケースとしては稀な事だろう。
___ピンポーン
「…誰でしょう?」
「バカ言え、俺の家を訪ねる輩がいる訳ねぇだろ。悪戯だよ悪戯」
まあ、ここ数年、インターホンなんて押された事は殆どないからな。
そう思わざるを得ない。
玄関先で何が待ち受けているのか、多少は心配なもので、取り敢えず新聞なら間に合ってまーすと独り言を呟いたが、どうやらドアの向こうは無人らしい。
それを確認すると、俺は玄関を開ける。
「なっ…」
なんと陰湿な事か。
目の前にはゴミ袋に入った大量のゴミ。
誰かがここに置いて逃げたとしか考えようがない。
まためんどくさい虐めを考えたものだ。
っと、感心してる場合じゃない。
しかもなんだか異臭が激しい。
随分と時間が経った後のゴミのようだ。
全く…土曜の仕事を増やしやがって…面倒くさい。
異臭を撒き散らすだけでもどれだけ掃除の手間がかかると思っているんだ 。
消臭に限らず、洗浄からゴミ処理だけでやることは三つだ。
「ったく…」
しかし、そのゴミ袋、一つ違和感があった。
生ゴミが捨てられているのかと思いきや、そうではないらしかった。
中には分別出来ていないゴミがある事を確認した。
俺の家事本能はそれを許さない。
腰のポケットに仕込んでおいたゴム手袋を取り出すと俺はそのゴミ袋をさっさと開ける。
それから中のゴミを漁る。
遠巻きしながらその光景を汚いものを見つめる目で紫苑が見ている。
決して缶詰を探している猫の気分になっているのではない。
持ち主が分かりそうなアイテムを探しているのだ。
そうすれば注意喚起が出来る。
ゴミが分別出来ない奴は、ゴミ処理施設の人からゴミを捨てるのを拒否される事がある。
これは仕返しだ。
二度とそいつがゴミを捨てれないようにしてやる。
「お、なんかノート見っけ」
学校のノートのようだ。
どうやらこの家庭には学生の子供がいるようだ。
「んーっと名前は…」
「先輩、朝ご飯食べないんですか?」
朝ご飯どころじゃないんだよこっちは…。
____それとゴミどころでもない…。
「紫苑…」
「はい?」
「お前ん家って何処だっけ?」
「近場ですよ。って言うか隣ですね」
そう言われて右隣を見ると大層立派な家が一戸建っているのだ。
そうかこれが紫苑の家か。
ああ、ドウデモイイ。
取り敢えずコメントを出すなら、「最悪だ」。
「紫苑…このノート、見覚えないか?」
「ノート?…あ゛っ…」
典型的なこれマズいの顔だ。
そりゃそうだ。
このノート、舞崎紫苑って名前がしっかり書いてあるからな。
「親…本当にいないの?」
血管がミシミシ言っている気分だ。
額に浮き上がりそうな気がする。
「ち、違います違います!親は本当にいませんけど…」
俺は紫苑の御託を聞く間も無く、舞崎と言う表札のかかった隣の家の玄関にズカズカと足を運ぶ。
「ちょ、待ってください先輩!ダメです!開けないでください!危険です!」
んな事知ってる。
嫌な気がしてるのは気のせいなんかじゃない。
玄関先に立っただけで異常なまで異臭が漂うのだもの。
俺はひとまず大きく深呼吸した。
___よし。
今思えば、その時舞崎家の玄関を開けなかった方が身のためだったと思う。
「おじゃましまああああああああああす!」
玄関には鍵が掛かっていなかった。
しかし、それは無警戒と言う訳ではない。
単に何か取られても問題ないものしかないと言う解釈も出来るのだ。
「な、なな…」
「あちゃー…」
玄関を開けると、地獄絵図という言葉では足りず、最早、冥府と言ってもいいくらいに残酷景色が広がっていた。
「なんじゃこりゃああああああああああ!」
_____
「て、てへぺ…」
___ゴチンッ!
「アイタッ!」
「何がてへぺろだ糞餓鬼!テメェ家をこの状態で放置してんじゃねえよ!」
ゴミの散乱、埃まみれの床、食器やコンビニの弁当の容器で溢れたシンク、脱ぎっぱなしのパン…服。
隣の家がこんな感じって結構ゾッとするな。
だが、俺も俺だ。
なんでこれに気づかなかったんだろう…。
すぐ側に住んでいたというのに。
「はぁ…誰が俺んとこの玄関にお前んとこのゴミ置いてくんだよ…」
とやかく言う前にそこがショックだった。
しかし、案外それに心当たりがある。
少し前から異臭がする、ゴミの撤去をしろ、ゴミ野郎と玄関に落書きされた事があった。
もちろん俺の家にそんなゴミはない。
となれば…。
「つまり、私が異臭に関して何も言われなかったのは、先輩が私のスケープゴートだったからですね!」
___ゴチンッ!
「また痛っ!」
「誰が山羊だバカッ!そうじゃなくて、お前んとこのゴミ使ってみんなが嫌がらせしに来てたって事だろうが!」
「それは災難ですねぇ…」
「お前が元凶なんだよ少しは申し訳なくしろ!」
「てへぺろりん☆」
___ゴチンッ、ゴチンッ!
「ひゃうう!」
もうショートコントって事でよくね?
俺は何も見てません。
異臭とかゴミとか知りません。
それでよくね?
「紫苑…家事経験は?」
「家庭科の授業以外ありません!」
お前の方が生まれたての子山羊じゃねえか。
呆れた。
第一、その状態であったとしても、どうしてここまで放っておけた。
こいつ新生の馬鹿なのか?
「兎に角だ。これ片付けんぞ…」
「先輩、家の家事があるんじゃ…」
___コチンッ。
「イテッ」
今度は俺の後頭部に衝撃が走ったと思ったら、からんからんと音を立ててジュースのアルミ缶が落下した。
後ろを振り返ると、年端も行かぬ青年がこちらに向かって缶を投げた後で中指立ててからダッシュで逃げるという一部始終を見てしまった。
今の一瞬で俺の脳内回廊は地殻変動のような変化を成し遂げた。
「掃除機だ…掃除機持って来いコラアアアアアアアアアア!」
「ひぃいいい!りょ、了解しましたぁ!」
半日もあればなんとかなるだろうか。
腕がなるな、と若干のワクワクを感じつつ、同時にイライラが限界に達して噴火したような、やる気という名の怒りが身体中から溢れ出てくるのだ。
「まずはゴミの分別、その後掃除機チャッとかけて、雑巾掛け、洗い物を出来るだけ減らして…ああクソッ!」
人生史上、最も新しく、最も忙しい土曜日が今始まろうとしていた。
___
あれからどれほど時間が経っただろう。
無心で舞崎家の掃除を続けるなどという、予定には微塵も入る筈のない事に予想通り半日の時間がかかった。
時刻は夕方七時半。
電灯がつき始めるくらいの時間に事件は起こった。
「よぉし…これで…ハァ、終わり…ハァ、だな…」
「凄いです、先輩…たった半日でこの家の掃除をしてしまうなんて…」
先輩を誰だと思っている。
この比野青娥、伊達に一人暮らしはしてねぇぜ。
もうこれビフォーアフター出せる。
「新築みたいに綺麗です!」
「おう…ハァ、家は…大事に…ハァ、しろよ…ハァ…」
こびりついた臭いを落とすのには一番苦労したもんだ。
忙しく動き回っていた所為で息切れが酷い。
こいつ、俺が掃除するのに半日もかかるような汚いところで今まで生活してたのか?
不気味だよ…。
まぁ、少なくともこれで、何処の馬の骨とも知らぬ紫苑の家のゴミを嫌がらせに俺の家の玄関の前に置いて行く事も無くなるだろう。
そもそも、なんでこいつの家のゴミが持ち出されるかというと、ゴミが玄関前にまで進出していたからだ。
そりゃ異臭の被害も出るし、俺に嫌がらせで勧告もしに来るわ。
俺のゴミじゃないのに…。
「じゃぁ、俺帰るからな…」
「ま、待ってください。晩ご飯、どうしましょう…」
何故それを俺に訊く…。
「どうって、コンビニで買ってくりゃいいだろ、今までそうだったんじゃねえの?」
その根拠はゴミ袋の中を一番大量に占めたプラスチックのコンビニ弁当の容器だ。
あれだけでプラスチック専用のゴミ袋が三枚も持って行かれてる。
しかもこいつのじゃなくて俺のが…。
「そうですけど…」
「冷蔵庫は?なんか無いの?」
「それが…」
そうだった。
実のところ、こいつの家の掃除はなかなか捗るものでは無かったのだ。
何故なら…。
「そうだな、お前ん家、電気とガスは止まってるんだったな…」
開戦前に掃除機を持って来いと頼んだが、電気が通ってない所為で結局箒で掃除する事になったのだ。
洗濯機に関しては俺の家のを使った。
ただ水だけは辛うじて出るみたいなので、水回りに関しては十分とは言えないがなんとかなった。
雑巾が冷たくて、暑くなり始める今の時期には最適な水温で床を拭く事によって、打ち水のような効果も期待出来る。
まあ、気休めと言えばそんな気もするが、窓を全開にして多少水を伸ばす様に雑巾掛けをすると、その後の掃除が快適なのだ。
おかげで汗は殆ど掻かなかった。
話は戻るが、故に紫苑の家の冷蔵庫の中の食品はほぼ腐っていた。
量が少なかったのが幸い掃除の時間短縮にはなったかが、要は冷蔵庫も長らく使われていないという事であって、それはそれは掃除の手間を省かせるなんて事をさせるなどとは言い難い。
「しゃぁねえな…コンビニ行くか」
___バタンッ。
いかにも何かが倒れた音がした。
コンビニ行くかと言いながら紫苑の方を振り向いた俺には倒れたものの正体が分かっている。
「…紫苑?」
床を見下ろした。
どうやら俺の仕事はまだ終わっていないらしい。
「紫苑!?」
「あ、あれ?…バランス…崩しちゃったかな…」
俺は咄嗟に紫苑のそばに駆け寄って紫苑を抱き起す。
すると倒れた原因がすぐにはっきりする。
「熱っ…お前、熱あるんじゃ無いのか?」
「そんな事…無いですよ」
「無いですよってんな訳あるか!あんなに涼しかったのに汗ビッチョリじゃねえか…ったく、世話焼かせやがって…」
よく考えれば、体調を崩す要因っていくらでもあった様な気がする。
逆に考えると、あんな劣悪な環境でよく生き残れたなと叱ってやりたいところだが、そうも行かなそうだ。
「立てるか?」
「先輩…」
「なんだ?苦しいのか?」
なんと言うか、いつもの明るさがまるで嘘の様に消えている。
言葉で表すなら、風前の灯とでも言える程、衰弱した紫苑になんとなく同情心が湧いてしまったのだ。
「出来る事があったら何でも言ってくれ」
「おんぶして二階の私の部屋のベッドまで連れて行く間、私の胸が密着してて先輩喜び___」
___ゴチンッ!
「部屋まで運べって言え変態」
「先輩の変態に付き合ってあげてるんですよ…アイタタタ…って言うか病人にげんこつってどうなんですか?」
「永遠に寝かせてやろうか…?」
鬱陶しい。
この上なく鬱陶しいよ。
結局今日は紫苑の家の切り盛りしかしてないじゃないか。
何故こうなった?
誰か俺に教えてくれ。
「ったく、しょうがねぇな…。お前の部屋でいいか?」
「はい…ごめんなさい、迷惑かけちゃって…」
らしくないセリフだ。
気持ち悪い。
いざそういうの聞くと弱いからやめて欲しいまである。
「…謝るくらいなら、体調治せ。お前の心配なんざしてねぇよ…」
そっと紫苑を抱き上げた。
おぶるとなんか負けな気がするから。
汗まみれの体は、上半身のみが着衣したまま川に飛び込んだ後の様で触ってて気分のいいものじゃなかった。
しかし、濡れた服が乾いて冷たくなっていても、紫苑の過剰な体温はそれを通り越して俺に伝わる。
家にはまだ朝食の用意が食卓の上に残っている。
しかし、最早そんな事どうでもよかった。
ただ、こいつが心配だった。
変な事もあるもんだ。
俺がこいつに同情するなんて、絶対にない事だと思っていたから。
何故なら、俺とこいつは___。
___友達じゃない。
仲間とは言ったが、友達と言った覚えは無い。
しかし、紫苑にはそんな事言っても真面に聞きはしないだろう。
それならそれで構わない。
だから不思議なのだ。
特に何の思い入れもなかったさ。
でも、確かに俺の中にはそんな感情が渦巻く。
これは俺の持論だ。
人間ってのは、情には逆らえない。
自分が本心とは違ってこうしよう、ああしようと考えても、中身の感情は常にそれに背反的だ。
いくら取り繕っても、それは拭い様の無いモンだ。
好きな人に嫌いと言う様な、アンビバレンスを抱いてしまう、そんな不思議な事も、人間にはあるモンなんだ。
でも、本心に逆らう事は出来ない。
シチューに浮気しても、カレーは嫌いにはなれないぜ。
「まぁ、今晩はシチューでもカレーでもねえけどな」
_____
紫苑を部屋で寝かせた後、濡れたタオル、水分補給用のスポーツドリンクを拵えてからキッチンへと向かった。
準備が色々整った上で、ひとまずひと段落ついたと溜め息をついた。
そして、まだまだ聳え立っている課題の壁を打ち破るべく、よしっ、と気合を入れた。
俺の家の厨房、炊飯器の中には研いだ米と通常より量の多い水を入れた土鍋がセットされている。
炊飯器の蓋を閉め、調理スタートのボタンを押す。
見ての通り、お粥だ。
確か、俺が一番最初に覚えた料理が白米、その次がお粥だ。
かなり思い入れのある料理なだけあって、アレンジを加えたりする事には凝っていたりもする。
例えば、お粥には塩を入れる事で水とコメの味しかしないお粥に気休め並みの味をつける事が出来る。
だが俺は、鶏ガラを含んだ水で炊き上げたお粥に葱と茹でた鳥のささみを添える。
これだけでお粥に面白みが出る。
もはやお粥ではなく雑炊に近い。
多少健康思考が垣間見えるオシャレ感もいい感じだろう。
バリエーションは様々だ。
お粥は実質米。
アレンジなんてし放題だ。
お粥が出来るまでは時間が相当かかる。
ならば、せめてもの情けだ。
あいつのそばにいてやるか、と腰に巻いたエプロンを外し、紫苑の自室へ向かう事にした。
___
夜もすっかり更けて午後九時を回ろうとしている。
未まだ自宅に帰らず舞埼家をうろうろする自分を不思議がって___
「紫苑、大丈夫か?」
と一言。
紫苑から返答は無かった。
代わりに静かな部屋の中に彼女のスゥスゥという小さな寝息が聞こえてきた。
リボンもまだつけたままだった彼女の寝顔を見ると少し安心感を覚えて頰が緩む。
おっとっと、キモッ。
あ、また言っちゃた。
もうおっとって言ってる時点でやらせ感が否めない。
「ったく、リボンくらい外せよ…」
俺はツインテールを作る二本のリボンを外すために紫苑のそばに、よりそばに寄った。
すると気づいてしまうのだ。
「ん?」
本当、抜かりなくて良かった。
俺のこの家事のこなし様は、母親譲りの知恵だったり、一人暮らしをきっかけに始めた独学で培われたものだ。
だから知っている。
熱が出た病人をベッドに寝かせる時は、ベッドにシーツ代わりになるタオルを敷けって事。
そのタオルがビショビショになっている。
こりゃベッドシーツも終わったな…。
仕事がまた一つ増えたとげんなりする。
とりあえずタオルを変えなくては、汗で濡れたタオルが冷えると風邪の原因になる。
しょうがない奴だ、とタオルに落ちた視線をだんだん紫苑の体に沿う様に上げる。
「なっ…?!」
シャツが透けて最早下着が丸見えだった。
だから白い制服は嫌いなんだよ。
なんか上にベストとか着てれば見えなくていいじゃねえかこういうの。
いや、ベスト着てたら余計熱いよな。
風邪を引いた訳ではないのだからやたら体温を上げてもあまり意味がない。
いやしかし、女性のプライドを護る良いアイテムと言えば聞こえは確かに良い。
でもやっぱり熱いよね。
っつかそれ以上に___
「どうするよこれ…?」
このまま放っておけば汗が乾き、逆に風邪を引く原因になる。
しかし、こいつのビショビショの服を脱がして着替えさせれば問題無い。
じゃあそういう事で…。
「え…?」
いや何がそういうことでだぁ!?
そりゃマズいだろ!
主人公的にもマズいだろ!
主人公補正って言葉があるけど、それってこういう時
のためじゃねえと思うだろ!
どーしたら良い?!
風邪引いて、またそれが長引くとまた厄介だ。
どうせ一瞬にしてここはまたゴミ屋敷に…そして苦情は止まることを知らなくなるだろう。
そんな事になればまた半日もかけてここを掃除しなきゃならない!
しかし、だからと言って無闇に服を脱がすと…。
___「ぎゃあああああ!先輩に処女汚されたあああああ!」
何を考えてるんだ俺はぁ!
もう良いじゃん、ほっときゃ良いじゃん!
で、でも掃除が面倒くさい…。
ならば…。
___「先輩なら…良いですよ。私の体、好きにして下さい…」
どんな妄想だあああああ!
おいもう完全に男モードじゃねえか!
最早女狩りの野獣にしか見えねえよ!
美女と野獣じゃねえよ、美女とケルベロスだよ!
じゃあもうやっちまうか…。
「って待て…」
女子の制服ってどう脱がすんだぁあああ?!
知らねえよそんなの、やった事ないもん!
お袋がちょっと昔のセーラー服着て遊んでたの知ってるけどそれを脱がす練習なんてしてねぇよ!
っつかそれなんの練習?!
もう完全に夜這いじゃねえか!
時間をかけずに手早く選択するんだ。
さあ、俺は、どうする!
「ちっ…男青娥、一生に一度の恥だ、許せ紫苑!」
結論から言おう。
俺はあくまで被害を最小限に抑えるため、紫苑の着替えと、面倒を見る事に決めた。
本当それだけで、別にこいつの下着姿見ようとか、そういうことは決して思ってない…と嘘になるけど、っつかもう上半身見えてるけど、相変わらず色物の下着が見えてるけど。
ただこうする事が正解だと思っただけだ。
こうすりゃ近隣住民にゴミによる被害で迷惑もかからないし、紫苑にとっても良い筈だ。
まあ、着替えさせた事で俺がボロクソ言われる心配はあるが、そういう意味では被害者は俺だけだ。
紫苑の勝手な妄想で紫苑自身が被害者になりそうだがそれはお粥で許してもらう。
完璧なプランだ…。
結局、選んだ道は愚かしいものだった。
「やって…やろうじゃねえかあああ!」
今になって思ったのはそもそも人ん家掃除しに来ること自体おかしいんだよなぁ…。
___
あれからどれほど時間が経っただろう。
現在深夜二時。
もう時間なんて殆ど意識してなかった。
だから大体こんな台詞で始まるのだ。
眠い目を擦りながら俺は紫苑のそばにい続けた。
すると、紫苑がゆっくりと眼を覚ます。
でも、俺はそうも行かなかったみたいです。
今度は俺が、寝息を立てながら、椅子に座ってベッドに突っ伏したまま寝てしまっている様だった。
なんとなく寝ているのは分かった。
でも、もう目は覚めていられなかった。
___
でも、先輩に抜かりは無かったですね。
「ん?」
そばにあった書き置き、それは青娥が書いたものだ。
___お粥、作り置きしたから食べろ。
比野 青娥。
「先輩…」
勉強机の上にラップのかかったお粥と銀の匙が置いてあった。
おっと、いけない。
銀のスプーンの方がいいですね。
ゆっくりと身体を起こすと、額に乗っかっていた濡れたタオルがぽとりと落下する。
「看病してたんだ…ふふっ、やっぱり優しいんですから。ちゃんと見ていましたよ、先輩」
それはもう大忙しな先輩の姿。
私の部屋に何回出入りした事でしょう。
タオルと水分用意して、汗の掻いた制服をなんとか脱がして、体拭いてくれて、着替えまでさせてくれて。
とんだ変態です、先輩。
でも、きっと、それでいいのかもしれません。
おかげで、大分楽になりました。
「お疲れ様です、先輩」
静かにそう呟いて、私は右手で先輩の頭を撫でた。
疲れ切った彼は小さな寝息を立てて寝ている。
その寝顔はどことなく普通で、でも頼り甲斐ある、頼もしい先輩の寝顔。
「優し過ぎて…泣いちゃうじゃないですか…グスン」
脆く震えた声でそう、言ってしまった。
___
あれからどれほど時間が___
「うるせぇええええええええ!」
俺は起きてハッとした。
何言ってるんだろ。
そう、俺はどうしたんだっけ。
いろんなことを考えるが思考が追いつかない。
起きると同時に手で抱えた頭がパンクする。
「はっ…紫苑!」
どうやらそれだけは思考回路が繋がっていた様だ。
前を向く。
そこにはちゃんとあった。
少女が半身身体を起こして、外を見つめる姿。
まるでいつもの優梨乃の様だった。
「先輩、おはようございます!」
時刻は朝六時。
起きるにしては少し早めだったが、それに越した事は
無い。
「お前、体調は…」
「もうすっかり良くなりました。昨日のが嘘みたいです!」
それを聞いた瞬間、俺は脱力した。
あはは、と気の抜けた嗤い聲をあげて。
本当に俺は、紫苑の面倒を見たんだなと改めてそこで認識した。
「全く…心配かけやがって…っはは…」
「そうですね…すいませんでした。罰は受けます、何でも言ってください」
訳の分からん奴だ。
何だ罰って…。
「私の身体なんてどうでしょう?」
「立ち直って早々で悪いがまだ寝てていいぞ」
そうだよな、何だよ罰って…。
罰っていうか、なんかもう生きてる事が罰っていうか、むしろ罰受けるの俺っていうか…?
「私のじゃ、満足出来ませんか?牛とか、雌豚とか、なんとでも言ってください!ほ、ほら、私の胸だって…Cくらいあ…る…」
だから何言って…。
くだらんとまた軽くあしらおうと思った瞬間紫苑がわなわなと震え出した。
いや、まさかね。
うん、問題無いよね俺とこいつと近隣住民の保身のためだから…え?
「先輩…」
「は、はひ…」
ヤッベェ冷や汗とまらねぇ…。
あーちょっと風邪引いたっぽいな、帰って休もうかなぁ…。
「先輩…私の服脱がしましたねぇえええええええええ?!」
「まま、待て!これには深い訳が!いや言うほど深くねぇけど…」
「今小声で深く無いって言いませんでした?!もしかして…私の身体は既に弄ばれていて、それに飽きたから私じゃ満足出来ないと…そう言う事なんですね!?」
「だから待て!そうじゃなくて訳を聞いてくれ!」
「問答無用です!変態青娥先輩!」
「だからそれお前に一番言われたくない台詞!」
お互い息が切れる。
なんか前にもこんな事あったような…。
「まさか…私もう処女じゃないんですか…?」
「誰が好き好んでお前の処女取りに行くんだ!俺は…」
痞える。
口に次の言葉が出せない。
顔が紅潮する。
恥ずかしい、きっと今俺の感情を表現するにはこれが最適だ。
認めたくないが。
「何ですか?」
「い、ぃゃ…その…」
ついに再び俺は紫苑に背を向けた。
優梨乃の病室でも、ここでも俺はこいつに負けた。
「…っただ、お前が風邪引くと思って、お前のためを思って…体冷えるし…」
ああくそっ!恥ずかしい!
イライラする…!
そんな事で女の服を脱がすとか…どうかしてた!
「っふふ…」
「怒りたきゃ怒れ、何でも言われる覚悟は出来てる…」
「じゃあ…」
紫苑が息を思いっきり吸う音が聞こえる。
そんなに大声じゃなくてもちゃんと聞こえるから。
だから言いたい事言って早く俺を家に帰してくれ。
「アッハハハハハハハハハハ!」
「…は?」
驚き。
それに尽きる 。
俺は何でも言えと言った筈なのに、紫苑は俺にいちゃもんつけるどころか、まず高らかに笑い出した。
「ハハハ…い、いいえ、怒りなんてしませんよ」
「何で…」
「だって先輩は今言いました___」
___私のためを思って、やったんですよね?
「あぁ、いや…それは…」
「先輩、嘘つくの下手くそですね!」
「う、うるせぇ!」
「何が、テメェの心配なんざしてねぇよですか!かっこつけちゃって!プフフッ…」
「もういい、寝てろ!」
ったく、と吐き捨ててそれは恥ずかしさの余り、その場を後にした。
が、その前に一個言わなくちゃいけない事がある。
出て行った紫苑の部屋の戸を再び開けて、ドアの隙間越しにこう言った。
「何ですか先輩?」
「飯、三食くらいなら、作ってやる…だから、そん時はうちに来い。そんだけだ。じゃあな」
バタン、と強めにドアを閉めた。
___
ドアの向こうでブツブツなんか言ってるし…。
でも、なんか、すごい盛り沢山な数日間だったなぁ…。
いや、言っても三日間くらいか。
数日とか思えるくらい色々あったからなぁ。
だからかもしれない。
私の涙は止まらない。
嬉しかったから。
同時に思い出す中学の頃。
友達が出来ても自分で失って行くとか言う過失。
自分のせいとは言え嫌だった。
だから、長らくこんな感じ、思い出してなかった。
「先輩…ありがとうございます。大好きですよ」
留めておかないと、きっとそれはグチャグチャになっちゃう。
だから、そばに置いておきたい。
だから、いっぱい知りたい。
大事な人の事を、いっぱいいっぱい知りたい。
でも、彼にとっては混沌と表現できそうなくらい邪魔くさくて、凄く素晴らしい事なんだよね。
これが、私の…友達理論なんだよね。
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Sieg004です。
前書き通り、一生まだ完結じゃなかったってのを思い出した。
ガバガバだなぁ…。
番外編に関しては、新しい小説という形で連載しようと思います。
まあ、当小説に関しては、次は二章をあげていくという形になります。
今後とも、Sieg004をよろしくお願いします。
他に言う事が無い。