結ばれる糸
週末、金沢へ急遽帰省した。越後湯沢で乗り換えて4時間以上かかるが、新幹線が開通すると乗り換えなしで2時間半になるので、帰省が随分楽になる。実家では両親に事の成り行きを話した。もし話が進んだら、結婚することになってもよいとの了解を得た。午後6時に山本家を訪問して夕食をすることになっている。
丁度午後6時に山本家を訪問。家の造りは7年前とほとんど変わっていない。少し年取った母親が家の前まで迎えに出ていた。こちらを見つけると笑顔で挨拶をくれる。玄関を入るとすぐに、紗耶香が部屋で待っているので行ってやってほしいという。2階へ上がる。以前と同じ紗耶香ちゃんの部屋があった。
ドアをノックすると、どうぞの声。「こんばんは」といって、部屋に入る。部屋の雰囲気は変わっていないが、短大の女学生の部屋になっている。紗耶香ちゃんが以前のように勉強机の前で椅子に腰かけてこちらを向いている。まぶしいような美しい女性になっている。
「紗耶香ちゃん、大人になったね。そしてとてもきれいになった」
「先生、お久ぶりです。とっても会いたかった。帰省した時には会いに来てくれると思っていました」
「それはできないよ。ご両親になんといえばいいの?紗耶香ちゃんからご両親に話して連絡をくれたら、こられたかもしれないけど」
「先生に恋人ができていたら迷惑になると思って遠慮していました」
「ずっと、恋人なんかいないよ」
「父から話を聞いていると思うけど聞いてください」といって、紗耶香ちゃんが話はじめた。
短大に入ると、両親が紗耶香ちゃんに早めの結婚を勧めた。身体が丈夫でないから、お勤めしないですぐお嫁に行きなさいと。結婚するにはまだ早いと思っていたけど、今年の春に縁談があり一時は結婚が決まっていたとのこと。父親の建設会社と取引のある県内でも1,2位を争う建設会社の社長の息子さんとの縁談で、結納まですませたが、息子さんに好きな人がいることが分かって向こうから破談を申し入れてきたとのこと。
この破談の話は父親からは聞いていなかった。紗耶香ちゃんはあまり気が進まなかったが、父親がその縁談を少し強引に進めていたこともあり、破談になると、紗耶香ちゃんに随分謝ったという。そして、破談になってよかった、もう、紗耶香の気の進まない縁談は勧めないと言ったという。
紗耶香ちゃんは、また気の進まない縁談が来るとも限らないので、父親に、結婚するなら家庭教師だった合田先生とさせてほしいと頼んだそうだ。でも、中学3年生の時、結婚の約束をしたとは話していないという。
父親と母親はとても驚いていたが、それがよいと、父親がすぐに先生に連絡して、東京へ会いに行ってくれたとのこと。父親から「結婚は紗耶香ちゃんと話し合って決める」という返事を聞いて嬉しかった。先生はあの時の約束を覚えていてくれていると思ったと言った。
「今日は、紗耶香ちゃんにプロポーズに来ました。あの時の約束のとおり、僕のお嫁さんになってくれますか?」
「うれしい、よろこんで。ありがとう」と言うのと同時に、紗耶香ちゃんが抱きついてくる。彼女を抱きしめる。なんて華奢な身体なんだ、力をいれると折れそうだ。それに何と良い匂い。そっと額に口づけ。
これ以上、2人きりで部屋にいるのはまずいと思い、ご両親に挨拶に行こうといって、階下へ降りて行く。
紗耶香ちゃんの両親に、娘さんをお嫁に下さいと挨拶した。両親はとても喜んでくれた。それから、4人で食事。食事の時に、紗耶香ちゃんから両親に中学3年の時にした結婚の約束の話をした。
両親は目を丸くして聞いていたが「2人は運命の赤い糸で結ばれている」といって、感慨深げであった。両親にはその席で、一人娘の紗耶香さんが東京へお嫁に来てもいいのかを確認した。両親は娘が幸せになるのが一番なのでよろしくお願いしますときっぱりと言った。
次の日に、紗耶香ちゃんを実家の両親に紹介した。両親は一目見ると、彼女が気に入って、婚約を喜んでくれた。それから4人でお茶を飲みながら交通事故や家庭教師の話をした。
その後、紗耶香ちゃんを自宅まで送り、その足で駅から東京へ向かった。新幹線の中で、紗耶香ちゃんを抱きしめた時の、華奢な身体の感触を思い出して幸せな気分に浸った。婚約してよかった。
次の週末も帰省した。結婚となると、電話では済まないことが多い。両家の顔合わせの日程や結婚式の日程を調整。結納は省略して、挙式は金沢で。結婚式場は幸い駅前のホテルを来年3月20日に予約することができた。新婚旅行は、紗耶香ちゃんが近くの方がよいというので、和倉温泉の宿を2泊予約した。
一方、東京では、新居の手配をしなければならなかった。今住んでいるのは、1LDKの小さな住まいなので2人では狭い。同じマンションに2LDKの部屋があいていると聞いたので、3月から入居できるように不動産屋に交渉したり、会社への手続きをしたり、また、紗耶香ちゃんの荷物の搬入の日程の調整などもして、忙しかった。結婚は意外に手数がかかる。これをいうと紗耶香ちゃんにしかられるかもしれないが、1回で十分。
それからもいろいろな準備でバタバタした日が続いた。9月に婚約して、3月下旬に式の日が決まったので、それまでの6か月の間に、挙式と披露宴の準備、新居の準備と自身の引越しをしなければならなかった。
紗耶香ちゃんの誕生日は7月9日。20歳のうちに結婚させたいとの両親の希望があった。それでも死んでしまうかもしれない21歳までに3か月半しかない。それまでに結婚させて幸せな生活を始めさせたいとの親心があった。それが分かっているだけに、できるだけ、早く確実にことを進めたかった。
紗耶香ちゃんは、結婚を急ぐ理由となっている21歳の件は知らされていない。しかも、毎回帰省しても、2人でゆっくり話をする時間を取れないので、少し寂しい気持ちでいるのが憂いのある表情で分かる。それで、紗耶香ちゃんの部屋を訪ねて、「時間がとれないけど、もう少しすると2人きりの時間はいくらでもできるから、今は我慢して」と言って、抱きしめることにした。効果は覿面で、すぐに憂いが去って明るくなる。それがまた可愛い。
東京からは、毎日、時間ができると必ず電話した。短い時間でも、話しをすると、紗耶香ちゃんの声が明るくなるのが分かった。
結婚式の2週間前に、紗耶香ちゃんの荷物を新居に搬入した。紗耶香ちゃんと母親が立ち会いに来たので、東京駅まで迎えに行った。翌日の午前中に荷物を搬入した。多くはないが、梱包をほどいて片付けるのに丸1日かかった。母親は部屋中を一生懸命に掃除してくれた。
2人はマンションの最寄りの駅近くのホテルに2泊したが、新居を見て、また荷物が無事収まったので、安心して引き上げて行った。ただ、母親がいたので、紗耶香ちゃんとはちょっと手を握り合っただけ。でもここまできた。
紗耶香ちゃんは3月10日に短大を卒業した。あとは結婚式だけとなった。