なんだかなぁと、しみじみ思う、冬の夜。
あー、誰かに愛されたいなぁ。
私のか細いつぶやきが、冬の空に溶けていった。見上げた先ではいくつかの星が瞬いている。新宿の繁華街でも視認できるということは一等星だろうか。ネオンに負けない星の光は、なかなかきれいだ。
吐く息が白い。
手袋を忘れたことが本当に悔やまれる。居酒屋ではあんなに体が熱かったのに、外に出て一瞬で冷えてしまった。指先がじんじんする。周辺には居酒屋しかなく、夜の十一時をすぎた今、まわりは出来上がった人ばかりだ。皆寒いと楽しそうに言葉を掛け合いながら、もう一軒行こうとかカラオケ行こうとか、これからの相談をしている。だって今日は金曜日。家に帰るにはまだ早い。
私はどうしようか。
ぼんやりと選択肢を浮かべているところに「お待たせ」と後ろから声がした。
振り返ると、いまだ店内の熱気をまとう壮太が立っている。彼は今日の飲み相手で、割と昔からの知り合いだ。いつも通りうさんくさい笑顔を張り付かせて「外寒いねー」と、厚手のマフラーに口元を隠し肩をすくめる。その後当たり前のようにバッグから手袋を取り出しているのを見て、くやしさが湧き上がった。完全にお門違いな感想なのはわかってる。でも手袋が羨ましい。ものすごく。
「壮太」
半分貸して、と手を差し出す。今日手袋忘れて手が冷たい、もう凍えそう、凍傷になるとまくしたて気味に主張したら、壮太は意外にあっさり右手用を貸してくれた。黒のスエードの手袋は、中がもこもことしていてとてもあったかい。指の部分が相当余っているが抜けるほどでもない。
「こっち貸して」
一歩進んで私の隣にやってきた壮太が、私の左手をとった。そのまま彼のコートのポケットへと誘われる。断る理由もないので、私はされるがまま。ウールの柔らかい感触が気持ちいい。
今日は寒い夜だから、暖かいというだけで心が和らぐ。
「万里ちゃん、もちろんまだ帰らないよね?」
「タクシー代出してくれる?」
「ホテル代出す」
「のった」
私はつないだ手に力を込めた。満足そうに壮太も笑い、私たちは繁華街を抜け出すことにした。
◆
人を愛する、ってどういうことだろう。
すぐになだれこんだホテルの一室、壮太と体を重ねながら私は考える。
愛し合うってこういうことって昔思ったこともあったけれど、三十歳になった今、もうそんなの幻想だと悟った。
嫌いな相手とはさすがにできないけど、ちょっと好きレベルの相手なら致すことはできる。
壮太のことは好きだ。
でも恋と言えるほどに気持ちに色があるわけでもない。おそらく彼もそうで、だから私たちは円満にセフレを続けている。
愛が体のことじゃないとすると、心ということになる。
愛する心ってどんな心?
どうすればこの人を愛してるってわかって、愛されてるってわかるんだろう。
こんなことをぐだぐだ考えているから、恋がままならない。そんなのわかってるけど……
「ちょっとぉ……今日上の空じゃない? なんかあった?」
首筋をするりとなでられた、と思ったら脇の下をくすぐられる。子供か! 少なくともそれ、絶対最中はやめたほうがいい。気分がまるっと削がれる。
「たった今、壮太が上の空にした! 断固抗議する!」
「えー? 俺のせい?」
口元をとがらせながらも壮太は面白そうだ。彼にかかると、どんなことも面白いことに変換される。それは彼が私より六つ年下で若くて伸び代があるからなのか、もともとの性分なのか。でも家庭教師の生徒として出会った頃からこんな感じだったから、きっと後者なんだろう。
「会社で嫌なことあったの?」
今度は脇腹をつつきながら、壮太がたずねてくる。マウントポジションから添い寝に体勢を変えたところを見ると、彼も何となく気持ちが穏やかになったみたいだ。その指を払いのけながら「ない」と即答。私も臨戦体勢をといて、大きく伸びをした。
「じゃあプライベート? 悪い男にでもひっかかった?」
「ひっかかってない」
そう、何もない。私の身には、何も。
ただまわりには色々と巻き起こっている。主に結婚の嵐が。中学、高校、大学とそれぞれの友達が、はかったかのように結婚報告をしてくるのだ。隔月で結婚式というのは今の段階の予定。もう少ししたら毎月になるかも。おそろしや、結婚適齢期。
そして今日また一つ、結婚式の予定が組み込まれた。
同僚同士の社内結婚。相手の男の人は、一時期私ともいい感じになった人だった。
でも付き合うまでには至らなかった。
多分、違う、と思われたんだろう。だって私の方はしっかり好きだった。
そこまで考えて、唐突に壮太と目を合わせた。彼の方はずっと私を見ていたようで、すぐに視線がかち合う。
「壮太は結婚したい?」
その一言で壮太は察したようで「あらぁ」と同情するような笑みを浮かべた。その後で「ぜーんぜん想像できないね」と言いのける。そういうこと、こういうときに言える男、島谷壮太。あっぱれだ。
彼に恋をする女の子は大変だ。
いるのかいないのかわからないけれど、一応ちょっと同情したあとで「私はしたい」と言った。
「でも選ばれる気がしない。なんでだろ……」
私は容姿も体型も、割合平均的なはずだ。もてないわけでもない。でも、付き合っても続かない。そして好きになった人には好きになってもらえない。
「万里ちゃんはこんなにかわいいのにねぇ」
私の髪の毛を指に巻きつかせながら、壮太が言う。軽い。まったく重みを感じない言葉をありがとう。いっそ清々しい気分で私は目を閉じた。
さっきまで酒が胃のあたりにくすぶっている。調子に乗って熱燗を飲みすぎたのかも。
「おーい、寝ないでよね。ホテル代出したの、俺なんだからぁ」
ほんとにデリカシーのない男だな。
この潔さが、時にいらつかせ、時にこの上ない彼の魅力に感じる。
私は壮太に恋はしていないけれど、セフレとしてはキープしていたいと思えるほどには好きだ。
ここまで考えて、ふと浮かぶ。
「……こんなことしてるから、愛やら恋やら遠ざかってるのか」
「ピンポーン」
なぜ君がドヤ顔なのよ。
「あー、誰かに愛されたいなぁ」
今度はしっかりと口に出して言った。
そして壮太が茶々を入れる前に「心から」と今度は私の方がドヤ顔で言ってやった。
「いや、そこでしてやったり感出すの間違ってるから」
楽しそうに壮太は笑い「では体の方はワタクシめが」と私の手をとった。
◆
毎日は楽しい。
しっかり働いてお給料をもらい、友達と美味しいごはんを食べて、息抜きにセフレに会って、趣味も楽しむ。
なんだかんだ満たされている。
でも、時に寂しい。
誰か、私を丸ごと愛して欲しい。
私のことを必要だと言って欲しい。
深夜、何となく目が覚めたから、壮太の寝顔を眺める。
彼がいきなり私に愛の告白をして、一途に想ってくれるとしたら、きっと私は喜んでそれを受け入れるだろう。
「……ないな」
誠実な壮太なんて想像できない。
私はため息をついて目を閉じた。
胸の小さな痛みは、気づかないふりをして。