血肉が灰と変わるとき
今日もまた、悪夢がアルの目を覚ました。
憔悴しきった様子でここが現実なのかを確認する。洞窟の入り口へ目を向けると、朝になる直前の外が見えた。
そして、先に目を覚ましていたクライブが自分のことを眺めていた。
「……早いね、クライブ」
返事はない。別に期待していたわけでもない。最低限の社交辞令を済ませた後、アルはセリアの姿を探す。
だがセリアは洞窟のどこにもなかった。
「……クライブ、セリアさんはどこに行ったの?」
「……」
クライブは答えず、セリアがいないことを確認しようともしない。
嫌な予感がした。
「クライブ!」
怒鳴るアルへの返事として、クライブは嘲るような笑みを浮かべた。人を傷つける笑みが、セリアがどこへ行ったのかを示していた。
嘲笑をにらみ返した後、アルはためらわず外へ歩き出す。横を通り過ぎようとした時、初めてクライブが話しかけてきた。
「……どこへ行くんだ」
「村へ戻るんだよ。そこにセリアさんがいるんだろ。顔を見ればわかる」
直後、クライブの両手でアルを洞窟の中へ押し返した。
転びそうになるのをアルはなんとか踏みとどまる。そして、クライブに抗議しようと顔を上げた。
だがクライブがナイフを取り出すのを見て、抗議の言葉は消え去ってしまった。
「ここにいろ。でなきゃ刺すぞ」
刃先を向けるクライブの目は怒りと憎しみがうずまいていた。
少し前までなら、アルはなにかの間違いだとしか思わなかっただろう。だが今は違う。
「……やっぱり父さんと母さんが死んだこと、恨んでたんだな」
「当たり前だろ。親父や母さんだけじゃない。ラナもダルドも村の奴らだってみんな、お前が余計なことしなけりゃこんなことにはならなかったんだろうが!」
「……ごめん」
クライブの本音にアルは謝ることしかできなかった。
一方で、本音をぶちまけたクライブは荒くなった息を整えると、うわべだけでも冷静さを取り戻した。
「だから今度こそ大人しくしてろ。銀髪が勝つにしろ、魔物が勝つにしろ、時間はかからないだろうからな」
「……あの剣はどうしたんだよ」
「銀髪に教えてやった。代わりにラナを助けてくれって言ったら快諾してくれたよ」
話していくにつれ、クライブが声を押し殺して笑い出した。
「それとな、アル。あの女、お前には危害を加えないでくれって頼んだんだぜ。それに魔物や右腕のことも謝っておいてくれってな。笑えるだろ、何様だって感じだよな」
「……笑えるんだ」
「笑えるさ。笑えるに決まってるだろ! そんな奴にラナのことを頼まなきゃいけないんだからな!」
クライブは叫び、拳で洞窟の壁が叩き始める。
「あの剣だってな! 俺が使ってもなんの役にも立たなかったんだぜ! そのせいでラナまで人質だ! なんで……、なんで俺じゃ駄目なんだよ!」
「……」
何度も叩きつけた拳から血が流れた。だがクライブは見向きもせず、濁った目でアルのことを見た。
「……あの女に言われなくたってお前は俺が守ってやる。お前のことは、ずっと前から親父に頼まれているんだからな」
そしてアルは、クライブが彼自身が作った弓を持っていることに気が付いた。どうして自分のために作った弓を、家に置いてあった弓をクライブが持っているのか、アルにはわからない。
わからないのに、なぜか理由がわかったような気がした。
それでもアルは一歩、前へと踏み出す。
クライブの顔が大きく歪んだ。
「……おい、止めろよ」
「ごめん、クライブ」
「なんで謝るんだよ! 刺されたいのか!?」
「でもさ、セリアさんは僕に教えてくれたんだよ。どれだけ苦しんでいるのかってことも、……助けてくれる人が誰もいなかったってことも」
「なに言ってやがる! そうやって今度はラナも殺す気なのか! 親父と母さんだけじゃ足りないってのか!?」
叫ぶクライブに、アルが近づいていく。そのたびにナイフとアルの距離も近づいていた。
「セリアさんの事情を知っている人は他にはいるんだろうけどさ。たぶん、セリアさんが教えたのは僕だけなんだよ」
初めてセリアを見たとき、短剣を首に当てていたセリアの顔は今にも泣きそうな顔だった。殺してほしいといったときもそうだ。泣きそうな顔をして助けを求めていた。
あの表情を知っているのは僕だけだ。
「だからせめて、僕だけでも味方でいたい」
覚悟を決めたアルはナイフの前に立つ。だがナイフの刃先は揺れるだけでアルに襲いかかってはこない。ナイフを握るクライブは葛藤に震えるだけでアルを殺そうとしなかった。
「……止めろよ……行かないでくれ」
クライブの言葉と姿に、アルは気持ちが軽くなった気がした。
たとえ憎んだとしても、それが殺意につながるとは限らない。今までの思い出や感情が消えるわけでもないのだ。
それでも罪は罪だ。自分のせいで父親と母親が死に、自分の憎しみが多くの人を殺した以上、せめてあの人だけでも命を救いたかった。
「本当、いつも迷惑かけてごめん。兄さん」
アルは灰となった右手で震える刀身を掴み、クライブから奪い取る。
痛みはまったくなく、クライブは抵抗しなかった。
「ラナも僕が助けてみせるよ。……だから追いかけてこないでね。兄さんまで灰にしたくはないから」
崩れ落ちるクライブの横をアルは通り過ぎる。
そのまま、アルは一人でセリアの後を追いかけた。
目を覚ますことなく死んでいった魔物達の家で、セリアはようやく呪剣を手に入れた。この呪剣を手に入れるまでに、セリアによって二匹の見張りと三軒分の魔物達が殺されている。
そのせいで家の外では、死体に気がついた魔物達が必死に叫んでいる。
だが構わず、セリアは外へ出た。
時間からすれば、すでに夜は明けているはずだ。だが分厚い雲が空を覆っているせいで、村の中は夜のように薄暗い。それでも村の惨状を確認するには十分だった。
村の中は大量の魔物で埋めつくされており、その中にはセリアに致命傷を負わせた砂の塊も混じっていた
家を奪われて野宿していた村人も、魔物と同じようにセリアのことを見ている。例外は見せしめとして首を吊られた人質と、そしてラナぐらいだった。
村の一番奥には、今日首を吊られる予定のラナがいた。彼女の手足を縛られ、首にも縄がかけられている。まだ死んでこそいないがその目は虚ろで、セリアのことにも気がついていない様子だった。
ラナの様子を確かめていたセリアへ、武功に目がくらんだ魔物が後ろから掴みかかる。だがセリアが振り返ると同時に、呪剣によって両手と胴体が同時に断ち切られた。
仲間が死体に変わった光景に周囲の魔物達が顔を歪める。セリアが油断ならない敵であるにも関わらず、殺してはいけないという二重苦に苦しんでいるようだった。
一方でセリアもまた、想定外の状況に舌打ちしていた。確かに呪剣の鋭さは凄まじいが、生き物が灰になるような気配はみじんもない。それに剣を手にしている右腕も、アルのように灰へと変わる気配はなかった。
このままでは単に切れ味がいいだけの凡庸な剣だ。
役に立たない呪剣を捨ててここから逃げるか、それとも約束通りラナだけでも助けるか、セリアは一瞬迷う。その結論が出る前に、魔物達は一斉に襲いかかってきた。
セリアは砂の塊と距離を維持しつつ、拘束しようとする魔物やネットを斬り裂いていく。
だが百をこえる魔物を、ただの剣だけで相手できるはずがない。
心臓を貫かれる直前、八匹目の魔物が呪剣の柄を掴んだ。絶命した魔物から呪剣を動かせないとわかると、セリアはためらわず手を離す。
そして、最後に残った弓矢を手にした。
同時に、両親を殺した自分に逃げ場所などないことをセリアは思い出す。逃げるのを止めた彼女はラナを救うために、あるいは一人でも多く道連れにして死ぬために魔物へ突っ込んだ。
その動きは怪我人とは思えないほど素早くなり、魔物にはついていけない。だが魔物が死ねば死ぬほど、比例して残りの矢も減っていった。
飛びかかろうとした魔物の顔面を撃ち抜いた後、セリアは最後の矢を手にする。周りには多くの魔物や砂の塊が残っており、ラナがいる絞首台はまだ遠い。
それでも、セリアからすればもう十分だった。
最後に残った矢を両手で固く握り締める。
「……もう後はないの。死ねば全部終わるのよ」
言い聞かせるように呟いた瞬間、セリアは自分の喉へ矢を突き刺す。
突き刺すつもりだったのに、両腕は少しも動かなかった。
「……私はなにがしたいのよ」
死ねないことに絶望し、セリアの手から最後の矢を落ちる。周りでは、魔物達が彼女を拘束しようと動いていた。
その後ろで、一人の少年が死体に刺さっている呪剣を手に取った。少年が手にした瞬間、押さえ込んでいた死体が灰となる。
灰の中から呪剣を引き抜いたとき、なにかが嘲笑った気がした。
そしてアルは脈打つ呪剣を魔物達へ振り下ろした。直後にセリアを拘束しようとしていた魔物達が巨大な黒炎にのみこまれ、焼きつくされていく。
二十を近い魔物が灰になっていく光景は、魔物と村人から言葉を奪った。だから、セリアへ歩み寄るアルの言葉は村中に響いた。
「……死にたくないなら今すぐ逃げろ。でないと、誰かに巻き込まれて死ぬぞ」
警告するアルの顔には脂汗がにじんでおり、足取りも不確かだ。それとは逆に呪剣を持つ右手は大きく脈打ち、力がみなぎるかのように轟いている。
子供とは思えないアルの姿と言葉に、今まで無表情だったラナの顔が強張った。
「来ないで!」
ラナの叫びもまた、村中に響いた。
「やっぱりお前も魔物なんでしょう!? アルだったら……、アルだったらこんなことしない!」
アルの歩みが止まる。
自分がなにをやっているのかをはっきりと突きつけられ、アルの心にまた一つ傷が増えた。
だがアルが止まっている間にも、まだ魔物の一部はセリアを捕らえようと動いていた。
「……ごめん、ラナ」
ラナには聞こえない呟きと共に、アルは呪剣を振り下ろす。一部への攻撃は十匹以上の魔物を巻き込み、灰へ変えた。
光の鏡の時と同じ光景に耐え切れなくなり、ラナは壊れたように泣き出し始める。そして恐怖に駆られた村人達はラナを見捨てて逃げだしていった。
彼らの目にはもう、アルの姿が魔物よりも恐ろしいなにかとしか見えなくなっていた。
それらすべてを無視して、再びアルは歩き出す。
魔物達だけはなんとかその場で踏み止まっているものの、内心ではアルと呪剣への恐怖がいつあふれ出してもおかしくはなかった。黒い鳥からアルと呪剣のことを教えられていたにも関わらずだ。
魔物が想像していたものなど、現実のアルと呪剣に比べれば子供騙しでしかなかった。
「……逃げないってことは、そういうことでいいんだな?」
呪剣が振り上げられたのを見て、魔物達は一歩後ろへ下がる。もしなにも起こらなければ、彼らも恐怖に屈してこの場を逃げ出していたかもしれない。
だが逃げ出そうとする直前、家屋の陰から一匹の魔物がアルへと襲いかかった。
アルは剣を返して狙いを変えようとするものの、相手のほうが一瞬早くアルの右腕を掴み、力ずくで呪剣を停止させる。
死角から襲いかかり、呪剣を止めたのは魔物の隊長だった。
「ミろ、所詮は子供だ! ニんげんのなど我々の敵ではない! ワれわれの一族に泥を塗るような真似はするな!」
隊長の激励に、逃げだそうとしていた百近い魔物が雄たけびを上げる。彼らは使命を果たすためにセリアへと、隊長を援護するためにアルへと突撃を開始した。
そして魔物の隊長は、アルの右腕を潰すつもりで掴んでいる手に全力を込めた。人間の腕など枯れ草のようなもので、たやすく握り潰せるはずだった。
だが全力を込めた瞬間、アルの右腕は灰の粒となって、隊長の手からすり抜けてしまう。霧散した灰はそれでも呪剣を離さず、アルの右手へと戻っていった。
説明のつかない現象に驚く隊長とは逆に、アルは少しもためらわずに剣を振り下ろす。振り下ろされた先にいたのは隊長ではなく、自分達に突撃してくる魔物、セリアを捕らえようとしている魔物だ。
数え切れないほどの魔物が、またも黒炎にのみこまれ焼きつくされた。無事なのは人工物であり、燃える物を持たない砂の塊だけだった。
「オのれ、化け物め!」
叫んだ隊長がアルヘ斧を振り下ろそうとする。
二度目の雷鳴が鳴り響き、空から大量の雨粒が降り落ちてきたのはちょうどその時だった。
直後に振り下ろされた斧は、灰と化したアルの右腕に受け止められてしまう。灰の右腕は先ほどとはまったくの別物で、鋼鉄のように固かった。靴の中まで濡れるような雨の中、隊長は戦慄に震え、武器を捨ててでも距離を取ろうとする。
その隊長へアルはためらわず、呪剣を振り下ろした。
だが何故か、黒炎が生まれることも隊長が焼きつくされることもなかった。
再び攻守が逆転し、アルは振り下ろした呪剣で自分の身を守ろうとする。
それより早く、隊長の突進がアルにぶち当たった。
非情なまでの体格差はアルを大きく跳ね飛ばし、地面へ叩きつけた。
「……ケいけんを重ね、判断力を身につけていたのなら。アるいは貴様が無慈悲だったら、俺のほうが危なかったかもしれん」
一度は死を覚悟した隊長が、昏倒しているアルに近づいていく。
アルの手を離れた呪剣から黒炎が滲みだしていることに、彼はまだ気がついていなかった。
「ダが所詮は人間だ! マしてや、この俺が子供などに負けるはずない!」
頭を踏み潰そうと隊長が足を振り上げる。その瞬間、隊長の右目が弓矢により貫かれた。
アルを救った矢は、セリアが自分の命を断つために取っておいた最後の矢だった。
「いつまでみっともない姿をさらしているの! 口だけの男なんて興味ないんだから、さっさと立ち上がりなさい!」
必死に叫ぶセリアは弓矢を捨てていた。代わりに灰の山から奪った両手剣で無数の魔物を相手にしている。彼女がかろうじて持ちこたえているのは、雨粒によって砂のゴーレムが著しく動きが鈍っているおかげだった。
「……ワるあがきを!」
右目から矢を引き抜いた隊長も灰の中から斧を拾い、セリアの元へ向かおうとする。
その直後、巨大な黒炎の触手が隊長の左にあるものをすべて薙ぎ払った。
かろうじて巻き込まれなかった隊長は恐怖に足をすくめ、触手が伸びてきた背後を確かめる。
そこで見たのは未だに気絶しているアルと、呪剣から生み出された巨大な黒い炎が暴れ狂っている光景だった。
巨大な黒炎は雨水を飲み込もうと身をよじり、その通り道にあるものを無差別に薙ぎ払っていく。家屋はたやすく薙ぎ倒され、木々や魔物達は灰へと変わり果てた。
一度は踏み止まった魔物達も現実離れした光景に正気を失い、後先考えずに逃げ惑い始める。
「オちつけ! コんなのはまやかしに過ぎん!」
隊長は統制を取り戻そうとするものの、ほとんど意味をなさない。また、果敢にも黒炎に立ち向かった少数は何もできずに灰となってしまった。
その光景が魔物達の恐怖を余計に煽りたてた。
また、呪剣の力に抵抗できるはずのゴーレムも巨大な黒炎に叩き潰されて砂と散ってしまった。
「アル、起きなさい! 早く!」
その中でセリアは暴れる炎を掻い潜り、惨劇の中心にいるアルを目指していた。何度も黒い炎がすぐそばを通り過ぎるものの、彼女は一度として止まろうとしなかった。
絞首台のラナは、手足を縛られているせいで、その場から動くことができなかった。近くでは、今も逃げ惑う魔物が灰に変わっている。ラナはパニックになるものの、子供の力で縄から逃れるのは不可能に近かった。
そんな二人の姿に、昏倒していたアルの右手がかすかに動いた。無意識のうちに灰と化した右手を伸ばし、呪剣と巨大な黒炎を抑えこむ。それが功を奏し、巨大な炎の勢いが弱まった。
代わりにアルの右腕が赤く輝きだし、刺さっていた斧が燃えカスに変わる。
そして焼けつくような激痛に、アルの意識が覚醒した。
この触手は光の鏡を枯らし、錆びた棒を呪剣へと作り変えたあの炎だ。ただし、光の鏡で見たときよりもずっと長く、巨大となっている。
意識の戻ったアルは自分がやるべきことをはっきりと悟った。
ためらわず右手で呪剣を抑えこみ、完全に炎を消滅させる。代償としてアルの右腕は急激に燃え上がり、炎が外へ出ようとうごめきだした。際限なく大きくなる激痛が、戻ったばかりの思考を塗り潰していく。
「……自己犠牲なんて頼んでいないわよ!」
それでも、セリアの声がどこからか聞こえた気がした。
叫ぶセリアの前には、砂の塊が立ちはだかっていた。濡れているせいで動きは鈍く、体も一回り小さくなっている。
だが呪剣の影響なのか、振り回す腕に手加減はない。捕らえるはずのセリアを明らかに殺しにきていた。
サンドゴーレムが壊れている事に気がつかないまま、魔物の隊長は呪剣ごとアルを叩き潰そうと斧を振り上げる。炎をアルが抑えこんでいる今、止める者は誰も居ない。
そのはずだったのに、振り下ろされた斧はセリアによって受け止められてしまった。
「ナぜ、助ける!? キさまも死ぬ気なのか!」
受け止めるのに必死でセリアは答える余裕もない。無理にゴーレムを突破した代償として右腕は折れてしまい、彼女は怪我をした左腕だけで両手剣を支えていた。
自分を守ろうとするセリアの姿が、アルの目に映った。
隊長の斧を受け止めていたセリアに、横からサンドゴーレムが襲いかかってきた。容赦のない攻撃がセリアから両手剣を叩き落した。
セリアさんが来たせいで自分の父親と母親が殺された。
村がめちゃくちゃになった。
隊長が再びアルを狙おうとするものの、セリアが抱きついて阻止する。隊長は腕を振り回し、セリアを水溜りへと叩きつけた。
セリアさんが来たせいで自分の右手が灰となった。
クライブとラナが壊れてしまった。
立ち上がったセリアはなおも隊長に掴みかかろうとする。だが、背後からゴーレムの一撃を食らってしまい、倒れ伏してしまう。
セリアさんのせいでたくさんの人々が死んだ。
セリアさん自身がそう言った。
怯えていることを認めないかのように、隊長はしつようにアルへ斧を振り上げる。
振り下ろした瞬間、アルと斧の間にセリアが割ってはいってきた。死ぬとわかっているのに、あれだけ死ぬのを怖がっていたのに、セリアはただアルのことだけを見ていた。
だからアルは残った左手で剣の柄を握った。
セリアさんのおかげで自分は何度も助けられた。
事情も本音も教えてくれて、自分に笑ってくれた。
アルの憎しみと怒りに反応し、剣が形を変えていく。
こんなことになった元凶への怒りと憎しみに。もしくはセリアへの同情と思慕に。
様々な思いを込め、アルは目の前にいるセリアへ剣を振り上げる。
直後に、力の奔流が辺りに満ちた。
奔流に巻き込まれたゴーレムと隊長は灰すら残さず、一瞬にして消えていった。さらに力の奔流は、村に残っていた魔物も消し去りながら広がっていく。
奔流が静まったとき、魔物も、強く降っていた雨も、空を覆っていた雲すらも幻のように消えてなくなっていた。
魔物が消えた廃虚で、アルは倒れているセリアの生死を確かめる。
彼女はただ気絶しているだけだった。とはいえ、今までの怪我や折れた右腕が治っているわけではない。アルは剣を持ったまま、セリアを運ぼうとする。
だが終わらせなければならない戦いはまだ一つ残っていた。
腐った血の臭いと足音に感づいたアルは、運ぶのを止めて振り返る。そこには曲刀を突きつけられたクライブと銀髪のセリアを追い続けてきたよそ者がいた。
よそ者はクライブを突き飛ばし、腐り始めている片足をひきずってアルとセリアに近づいてくる。
「クライブになにをした」
「銀髪の居場所を案内させただけだ。出会ったのは偶然で、傷つけてもいない。俺の目的はその女を殺すことだからな」
そしてよそ者は、ごく最近までは村だった周りを見回した。自分が思っていたとおりになったのが嬉しいのか、その顔には薄笑いを浮かんでいた。
「この有様を見れば、認めないわけにはいかないよな? その女のせいで多くの人間が死に、俺のような人間が生まれたんだ」
「……わかってるよ。セリアさん自身がそう言っていたんだから」
「だったらなんで助けた!?」
よそ者がアルヘ曲刀を向ける。
「別に。助けたいと思ったから助けただけだよ」
「そんな理由が許されると思ってるのか!? セリアはな! 死ななきゃならないところを一人で逃げたんだぞ! そのせいで俺の故郷は滅ぼされ、家族もみんな殺されたんだ……!」
そう叫ぶよそ者は、かつてセリアを監視していた見張りだった。彼があの地獄から生き残れたのは、隊長の死体が隣にあったおかげで死体と勘違いされたこと。
そして、セリアへの殺意が彼を突き動かし続けたことだった。
「お前も故郷を滅ぼされ、家族だって殺されているんだろ!? お前は俺と同じだ! 俺と一緒に、セリアを殺すのがお前のやるべきことなんだ!」
見張りの言葉と行動が正しいのか、アルにはわからなかった。わからないまま、アルは自分が感じたとおりに行動する。
セリアをかばい、自分と似た境遇の見張りへ剣を向けた。
「……いいじゃん、同情だって。誰かを守るために、誰かを殺したりするんだ。だったら理由に大差なんかないよ」
殺す覚悟を決めた途端、剣が黒炎をまといだし、元の呪剣へと戻っていった。同時に剣を握っていた左手に激痛がはしり、指先が右手のように灰へと変わっていく。
それでもアルは構わなかった。
「ふざけるなよ! それで死んだ人間が、残された人間が納得いくと思うのか!」
アルは答えず、ただ待ち続ける。
「父さんも母さんも、兄貴も妹も爺ちゃんだって……」
見張りが片足を引きずり、アルとセリアへ襲いかかる
「……納得できるはずないだろうが!」
そして見張りが曲刀を振り上げた瞬間、アルは呪剣を薙ぎ払った。黒炎が見張りの体に食らいつき、焼きつくしていく。
「なのに、なんでセリアだけが……」
炎の中からそんな言葉が聞こえたような気がした。だが黒炎が消えたとき、残ったのはいつも同じ灰だけだった。
見張りを殺したアルは、構えを解いてクライブの姿を探す。クライブは吊り縄から助け出され、気を失っているラナを抱きしめていた。抱きしめながらアルのことを見ていた。
目を合わせているうちに、二人の心に言葉があふれでてくる。
だが、アルとクライブの中に同じ言葉は何一つとしてない。
それらの言葉を何一つ声にしないうちに、気絶していたセリアが目を覚ました。
言葉を呑み込み、アルはセリアへ近寄っていく。
そしてクライブになにも届かないまま、アルはセリアと共に姿を消した。
この道がどこに続いているのか。呪剣を引きずりながら進むアルにはまったくわからなかった。
後を追っているだけの自分と同じように、セリアも惰性で進み続けているようにしか思えなかった。
「どこへ行くんです。周りの村や町は魔物に占領されてるそうですけど」
セリアの返事はない。止まろうともしない。
それでもアルは構わなかった。黙ってしまったら最後、悲しいこともつらいこともすべて直視しなければならないような気がしていた。
「とりあえず右腕の治療をしませんか。折れたところ、固定しないと」
そう提案するアルは、炎を抑えこんだ代償として、右腕全体が灰に変わっていた。それどころか肩の先まで進み、胸の一端まで灰が届いている。左手の指も灰と化していた。
右腕を斬り落としても、すでに無意味だった。
それでもセリアは返事をしない。振り返りもしない。
冷淡な様子にアルは一瞬迷った後、セリアにもう一度だけ尋ねることにする。それはアルにとって最も答えを聞きたくない質問でありながら、最も答えを望んでいる質問だった。
「……僕はどこまでが間違っていましたか?」
初めてセリアが立ち止まった。
だがもう遅い。抑えていたアルの疑問が、葛藤が、言葉となってあふれ出していく。
「結局、僕は最後まで思ったとおりに行動しました。なのに、父さんも母さんもそれ以外の人も魔物も死んで、最後には自分の意思で人を殺しました」
見張りが灰に変わる瞬間も、最後の言葉も、アルははっきりと覚えていた。父親と母親が殺されるときと同じぐらい、はっきりと。
「今更だってことはわかってます。わかってても考えてしまうんです。もっといい方法があったんじゃないか、なにもしないほうがよかったんじゃないか」
クライブのナイフを見つめながら、さらにアルはたずねてしまう。
失った多くの物と引き換えになにを得たのか、アルにはわからなかった。
「……セリアさんは、まだ死にたいと思っているんですか?」
セリアが振り返り、言葉を止めるかのようにアルへ抱きついた。抱きついたとき、白金の髪がアルのすぐ近くで揺れた。
「……私の髪が見える? 銀色じゃないわよね?」
「似てますけど、でも、少しだけ違うような気がします」
「……私にはよくわかるわ。これが元々の色だもの」
アルの隣でセリアが笑顔を作った。笑うと同時にセリアの涙がアルの頬に伝わった。
「……無様よね。わかった途端、泣きそうになって」
アルはなにが間違っているのか、なにが正しいのか、わからないままだった。
「本当に、私は……」
だが少なくともセリアを救えたことは確かだ。
アルはそう信じながらセリアと同じように泣き、セリアを抱きしめ返した。




