翻弄する運命
目を覚ましたとき、セリアは見たこともない小屋のベッドで寝かされていた。近くには自分の弓矢が置かれており、周りの床や壁には血がついている。
ただ、セリアの服は不器用な補修がされており、血痕も色あせているだけとなっていた。肩の傷にも背中の傷も縫われた上で、薬の塗られた布が巻かれていた。
そんな命を繋ぎ止めてくれた治療の形跡を、セリアは激情を押し殺した目で見つめる。
ふと、テーブルの上に置かれているナイフがセリアの目にとまった。
引き寄せられるようにセリアは立ち上がり、布を切るために使われたナイフへ手を伸ばそうとする。そのせいで、床に転がっていた毛皮を踏んづけてしまう。
直後に、悲鳴が小屋中に響きわたった。
「……!」
咄嗟にセリアはナイフを掴み、うごめく毛皮に刃先を向ける。だが毛皮の中から這い出てきたのは、見覚えのある赤い髪の毛だった。
「……夢?」
毛皮の中から現れたアルが憔悴した顔でセリアを確認する。
自分の手足は動かせるし、彼女を燃やしつくすような炎も現れない。ここが現実だと知ったアルはため息にも似た深呼吸をし、その後でセリアに笑顔を作った。
「……意識戻ったんですね」
「おかげさまでね。それより、もう少しまともな場所で寝なさい。そんな所で寝るから変な夢を見るのよ」
「そう言われても、ベッドは一つしかないですし……」
立ち上がるアルは一瞬だけ視線を自分の右腕に向ける。だが心配させたくないアルは、すぐにセリアへと向き直った。
「それより目覚めて、本当よかったです。このまま、寝たきりなんじゃないかって心配したんですから」
「私としては放置されるかか、永遠に眠っていたほうが幸せだったんだけどね」
まるで助けたことを非難するような言い草に、アルの顔が抗議に染まる。その表情にセリアは笑みを漏らし、手を振って先ほどの言葉をかき消した。
「冗談よ、冗談。それで私は何日寝ていて、ここはどこなの。外を見れば、森の中だってことはわかるけど」
「あれから九日過ぎていて、ここは村から一番遠い狩猟小屋です。たぶん村人も魔物もここまでは知らないはずよ」
「よくそんなところまで、私を連れて歩けたわね」
「運が良かったんだと思います。九日の間に少しずつ遠くの小屋へ移っていったんですけど、……一度も村の人や魔物には会いませんでしたから」
最後の言葉と共にアルの顔が曇った。
「もしかしたら村で何か起こっているかもしれない。だから村が心配でたまらない、ってところ?」
「当たり前です。当たり前ですけど……、だからって村へ戻れなんていっても聞きませんからね。当分は面倒みないといけないくらい、セリアさんは重傷だったんですから」
「……ずいぶんというようになったわね」
図星なのか、プライドが傷ついたのか、セリアが口元を歪めた。
「いいわ。そっちがその気なら、嫌になるくらいわがままを言わせてもらうから。ほら、さっさと食べる物よこしなさい」
「食べられるんですか?」
「あの薬みたいなスープならね。今なら文句は無しにしてあげる」
「じゃあちょっと……、いえ、すいませんけど結構待っててください。それと野菜が足りないんで、代わりに採ってきた薬草でもいいですよね?」
「……い、いいわよ」
自分から言いだしたことなのでむきになっているのか、セリアは自信ありげに頷く。もちろん虚勢を張っていることがわかっているアルは笑いながら付け足した。
「大丈夫ですって。ちゃんとセリアさんでも食べられるのを選びますから」
タオルが飛んできたが、予想していたアルは笑いながらそれを回避した。
長い調理が終わるとアルは二つの空き瓶にスープを詰め、そのうちの一つをベッドのセリアへ手渡した。
受け取ったセリアは、一応、念のため、万が一のときにといって水を用意しつつスープに口をつける。
そして少し苦いだけのスープの味に、拍子抜けと安堵の顔を浮かべた。
「……本当に苦くないわね」
「だから食べられるのを選ぶって言ったじゃないですか。信用してなかったんですか?」
「それに前のスープより、こっちのほうがまだマシね。あれは煮込みすぎたせいでまともな味がしなかったし」
「えー……」
自信満々だったアルはショックを受けたような顔で、スープの味を確かめようとする。
だがスープの瓶を掴もうとした瞬間、アルの右手がいきなり跳ね上がった。咄嗟にアルは左手で、自分の右手を床に押さえつける。暴れていた右手は徐々に動きを弱め、やがて完全に止まった。
床に広がっていくスープなど気にせず、セリアはぎこちなく立ち上がる。
「ちょっと……。大丈夫?」
「大丈夫です。びっくりしただけですから」
セリアではなく、自分の右手を注視しながらアルは答える。そしてアルは革の手袋を外し、自分の右腕を露にした。
灰は右手首を完全に覆い、肘へと進み始めていた。
侵食されていく自分の体を手袋で覆い戻し、アルはむりやり笑顔を作る。
「驚かせちゃってすいません。拭く物取ってきますね」
離れようとするアルの右手をセリアが握り、引き止めた。
「……セリアさん?」
セリアは黙ったまま、アルの右手を見つめる。その姿は辛そうでもあり、苦しんでいるようでもあった。
「……やっぱり、お前には話しておくべきでしょうね」
再びセリアが口を開いたのは一分以上葛藤した後だった。
葛藤のせいで、何を話そうとしているのかアルにはわかってしまっていた。
「……いいんですか?」
「いいわよ。どうせ魔物の目的が私だってこと、とっくにわかっているんでしょう」
「……はい」
それがセリアとの距離が縮まった証だとしても、アルは聞きたくなかった。魔物がやってきた理由がセリアだとしたら、父親と母親を殺されたのは誰のせいになるのか。
正しいか、間違っているかの問題ではない。
ただセリアを憎み、恨んでしまうのが怖かった。
「どこまで話していたかしら。あの剣はエストの剣だってところ?」
「……そのあたりです」
「なら、話はその続きからね」
怪我を負っているセリアはベッドに腰を下ろし、呪文を呟いた。
次の瞬間、虚空から見覚えのあるスクロールが現れる。だがスクロールに描かれているのは剣ではない。
それは、精悍な男性が影のような化け物に立ち向かっている絵だった。
「エストが邪神を討つ話は世界中で聞けるけどね。エストが姿を消した理由についてはあまり知られていないわ。知らないでしょう?」
「邪神を討ち果たした、で終わらないんですか」
椅子にもベッドにも座らずにセリアと向かい合ったまま、アルは問い返す。それがアルの知っている結末だった。
「このスクロールによるとね、致命傷を負った邪神は最後に炎となって襲いかかってきたの。邪神の炎は一瞬にして、エストの半分を灰に変えてしまった」
「……灰に」
まるでアルの右手のようだった。
「だけどエストも黙ってはいなかったわ。自分の剣をもって灰となった部分を斬り落とした。邪神の炎はエストの剣に燃え移った後、消滅したそうよ」
セリアがスクロールの端でなぞる。どういう原理なのか、エストと邪神の絵が、地面に突き立つ剣とそれを取り囲む小人の絵に変わった。
「体の半分を失ったエストも力つきるように姿を消した。後に残ったのはエストの力と邪神の炎が宿ったこの剣だけ。人はこの剣をトゥルーツとか灰の剣なんて名づけたそうよ」
「……そんな剣がこんな所にあるって、おかしくないですか? 普通、もっと厳重に保管すると思いますけど」
「私だって知らないわよ。このスクロール、最近のことは書いてないし」
もう一度スクロールをなぞると、今度は骸骨が剣に貫かれている絵が現れた。ただ、骸骨を貫いた人間の姿はどこにもなかった。
「あの剣はね。四回復活した魔王を四回地獄に叩き落としてもいるの。魔王に対抗できる武器として、神殿でまつられていてもおかしくないはずなのよ。本当、隠した馬鹿を締め上げてやりたいわ」
「……魔王を倒した人はどうなったんです」
アルの質問にセリアの顔が曇る。さらにスクロールをなぞると、今度は名前によって一面が埋めつくされた。
「……ここに書かれているのは、あの剣を手に魔物へ立ち向かった人間達。あの剣を使うと徐々に体が灰になり、最後には剣の中に飲み込まれるの。魔王を討ち果たした英雄も、みんな最後は行方不明になっているわ」
その話を聞いた途端、アルの頭に鈍い痛みがはしった。
少しずつ大きくなる灰を見て、もしかしたら自分は死ぬのかもしれないと考えたことはある。だが明確に宣告された瞬間、初めて自分の死が現実味を伴い始めた。
「ま、待ってください! 変わっているのはまだ右腕だけなんです。エスト様と同じように斬り落とせば……」
「……かもね。その気があるなら、手伝ってあげるけど。ただ、利き腕を失うことは決して安くはないわよ」
セリアの言葉に、アルは自分の右手を強く抱き締める。頭痛がさらにひどくなった気がした。
「……すいません。少しだけ一人で考えさせてください」
「そうしなさい。私は疲れたし、寝させてもらうわ」
スクロールを魔法でしまいこむと、セリアはベッドの中へ入る。鍋にはまだスープが残っていたが、二人とも食事を続ける気になれなかった。
「……ちょっと外の空気吸ってきます。近くにいるんで心配しないでください」
そういって、アルは一人で外に出ていった。
「……私もいつまでも逃げてられるかしらね」
アルを目で追った後、残されたセリアが一人呟く。彼女は彼女で、決心したはずなのに肝心なことを言い出せない自分の弱さに歯噛みしていた。
アルの薬のおかげか、目覚めたセリアは一日たつごとに回復へ向かっていった。
それと同時にアルの灰も確実に大きくなり、右ひじに近づきつつあった。
だがアルは自分の右腕をどうするか、なかなか決心がつかない。セリアもアルが悩んでいることには気づいている。それ故、自分の事情を言い出せずにいた。
セリアが目を覚ましてから三日過ぎた日の朝。アルは水が残り少なくなっていることに気がついた。料理に洗濯と、水はどれだけあってもすぐ足りなくなるのだ。
空瓶を革鞄に詰め込むと、アルはリハビリしているセリアへ声をかける。
「水が足りなくなりそうなんで、湧き水のところまで行ってきます。このままじゃ、明日にはスープが食べられなくなるでしょうし」
「意外と重いわよ、水って。それ全部に詰めたら運べないんじゃないの」
「その時は……。そうですね、二回往復しますよ」
いつもより笑みが重いアルが玄関の扉を開ける。
だが、二人組みの男が小屋のすぐ近くまで来ているのを見て、アルは開けた体勢で固まってしまうことになった。
二人ともアルがよく知っている村の人間だった。
「オッドさん! ウォーレルさん! 無事……」
「おい、本当にいたぞ! アルとあの女だ!」
「わかってるよ! それより早くアルを捕まえろ! 女が動く前に早く!」
怒号にも似た叫びが、駆け寄ろうとしたアルの足を制止させる。それは光の鏡でセリアを排除しようとしたときの叫び、もしくは集会所で自分を生贄にしようとしたときと同じ叫びだった。
男達が害意を持っていることに気がついたアルは、セリアの元へ逃げようとする。だが近寄った分だけ逃げ遅れてしまい、力ずくで組み伏せられてしまった。
「動くなよ! 動いたらアルがどうなるか……」
警告しようと顔を上げたとき、すでにセリアが目の前にいた。
セリアのつま先が一人目の顔にめり込み、意識を一瞬にして刈り取った。
容赦のない攻撃に二人目は悲鳴をあげ、仲間を見捨てて逃げだし始める。が、逃げ切る前にセリアの投げつけた短剣が男の太腿を抉った。
「怪我は?」
「……大丈夫です。驚いただけで」
アルは立ち上がりながら、安心させようと笑みを返す。だがその笑みは先ほどよりも重く、すぐに消えてしまった。
だからセリアは無言で、苦しんでいる二人目に近づいていく。そして二人目の腹へ容赦のない蹴りを叩き込んだ。
「ここへなにしにきたの。子供を人質にするのだから、それなりの理由があるんでしょう」
「……ま、待てよ。俺達は、アルに協力してもらおう……と思っただけで……」
「いいから、死ぬか答えるか選びなさい」
セリアが短剣を引き抜くと、抉られた傷から血があふれ始めた。
命の危機にアルは急いで小屋の中から治療道具を取ってくる。だが治療しようすると、セリアが鋭い目で制してきた。
次の瞬間、彼女は男の傷をかかとで踏みにじった。傷が潰される痛みは、男のプライドを簡単に踏み砕いた。
「はな、話す……! 話すから止めてくれ……!」
「話すなんて言葉より、具体的な答えが聞きたいんだけど。もう一度、傷を潰されてみる?」
「魔物の奴らがそう命令したんだ! 十二日の間にアルとあんたを探せって。それを過ぎたら一日ごとに一人ずつ殺す、……そう言われたんだよ」
「魔物達が? どうして人間に任せるわけ」
「……俺達のほうが森に詳しいからだって魔物は言っていた。だけど本当の理由は、あんたにやられた怪我が治りきってないせいだと思う」
空気を振動させる魔法は、人間よりも魔物に対してのほうが効果的だったらしい。セリアは嘲笑し、再び太腿の傷へかかとを振り上げる。
「なのに、魔物に従ってるのね。せめて他の町に助けを求めるくらいしたら?」
「それくらい考えたに決まってるだろ! だけど動ける魔物だけでも、俺達を簡単に皆殺しにできるんだ! それに、周辺の町や村にも占領しているから無駄なことは考えるなって……」
「……そう。周辺もね」
セリアの呟きはどこか諦めの響きがこもっていた。足を戻し、待っていたアルと入れ替わった。
「聞きたいことは聞いたから、お前の好きにしていいわよ」
「はい。……止血するんで動かないでくださいよ」
セリアと交代したアルは固く太腿を縛り、怪我の確認と止血を進めていく。
だが男の目はアルではなく、セリアを追っていた。彼のほうはまだ話が終わっていなかった。
「なあ、魔物の狙いはあんたなんだろ。どうしてこんな小さな村へ来たんだよ」
「……さあね。忘れたわ」
「魔物が来たせいで、村がどうなったか知ってるか? 大事な牛や馬は殺されてみんな魔物の胃袋だ。今は越冬用の食料が食い荒らされてる。」
「……」
「その上、明日からは一人ずつ人質が殺されていく! そいつらを殺すための絞首台だって俺達が作ったんだ! なぁ、なんでこの村に来たんだよ!? アルもアルだ! どうしてこの女を助ける!? こいつは銀髪なんだぞ!」
逆上した男が拳を振り回して暴れ始めた。
「落ち着いてください! まだ血が止まってないんですから!」
「村がめちゃくちゃになったのはお前らのせいだ! 二人揃って魔物に殺されちまいやがれ!」
落ち着かせようとしたアルが殴られたのを見て、再びセリアが前へ出てくる。
「言いたいことはそれで終わり?」
「終わりなわけないだろ! 村が襲われたとき、何人死んだと思ってる! 恨み言ならたくさんあるんだ!」
「あいにく、私も恨み言はたくさんなの」
次の瞬間、セリアは男の首を締め上げた。頭への血を止められた男は数秒もしないうちに意識を失った。
「今のうちに治療しなさい。終わったら私はここを発つから」
「……まだ怪我は治ってないですよ」
「ここに居続けるほうがずっと危険でしょ。それとも、この二人を喋らせないようにしてもいいの?」
自分の安全だけを考えるなら、発つにせよ、残るにせよ、殺して隠したほうが後腐れがない。セリアが二人を殺さないのは、自分が嫌がるからだとアルは悟った。
「……僕も一緒についていっていいですよね」
「好きにしなさい。右腕のこともあるでしょうし」
村人の止血が終わると、アルは革鞄の中身を空瓶から薬瓶と食料に入れ替えていく。そんなアルを、弓矢と短剣を携えたセリアは静かに待ち続けた。
狩猟小屋を発ったセリアは、ただ前へ歩き続けた。森の奥に入り、道がなくなってもセリアは歩みを止めようとしない。
後ろからついていくアルの疑問は膨れ上がっていく一方だった。
「あの、どこへ向かってるんです」
「どこでしょうね。周辺は魔物だらけだそうだから、どこへ行っても同じでしょうし。あてがあればそちらにするけど?」
「……村から出たことないので」
「そう」
一度は立ち止まり、振り返ったセリアが再び前へ歩き出した。
「……剣はもういいんですか?」
「見つける前に見つかるのがオチよ」
「……ですよね」
二人はまた無言に戻った。
会話も目的もないまま、二人は前へ進んでいく。
その沈黙を、セリアは振り返らずに破った。
「ねぇ、私を説得しようとは思わないの?」
何が言いたいのかわかっていながら、アルはあえて聞き返した。
「……どういう意味です」
「とぼけないで。魔物の狙いは私だってわかっているんでしょう。村のために犠牲になってほしいと説得しないわけ?」
アルがためらっていた言葉を、セリアははっきりと言葉にする。逃げ道を塞がれたアルは消え入りそうな声で、自分の考えを言葉にした。
「……本当のことを言うと、お願いするべきか考えました。でも、しません。間違っていると思いましたから」
「正しいとか間違っているとかじゃなくて、お前の考えを聞きたいんだけど」
「だから間違っていると思ったんです! すでにいっぱい人が死んでいるんですよ! セリアさんが犠牲にして村の人達を救うのと、その逆がどれだけ違うっていうんですか!」
叫んだアルはセリアの腕を掴み、無理にでも振り返らせる。もう、膨れ上がる疑問を押さえることはできなかった。
「……セリアさんは死にたいんですか?」
「なんだ。ちゃんとわかってるじゃない」
絶句するアルに、セリアが笑みを浮かべる。
「私ね。もうすぐ魔王に生まれ変わるらしいの」
言葉の意味も、笑う理由も、アルにはわからなかった。
「……なんです、それ」
「不思議に思ったことはない? 魔王はどうして復活するのかって。わかっているだけでも四度復活しているでしょう」
「別人が魔王を継ぐとか、おとぎ話だからじゃないんですか!?」
「そうだったらよかったんだけどね。実際には、魔王は人間を拠り代にして復活するのよ。その証がこれ」
セリアが自分の髪を指でつまむ。災厄の象徴とされる銀色の髪を。
「魔王の拠り代にされるとね。髪が銀色に変わるの。そうなったら、人間でいられるのは一年くらい。それ以上になると体や心が徐々に魔王へ変わっていく」
「……そんな」
「心配しなくても解決策はあるわよ。ただ、銀髪の人間を殺せばいいだけ。そうすれば、また世界のどこかで誰かの髪が銀色になり、一年の猶予ができるわ」
風がないはずなのに、長い銀色の髪が揺れたように見えた。
「逆に魔物からすれば、銀髪の人間をなんとしても生きたまま確保したいのよ。だから、髪が銀色となった人間のそばには魔物が現れる」
「……」
「こうして銀色の髪は災厄の象徴とされ、各地で生贄の伝説が生まれることになりました。知ってみると、案外繋がっているものでしょう?」
そしてセリアの笑みが歪んだ。
「……殺したときは、まさか自分に返ってくるなんて夢にも思ってなかったけどね」
歪んだ笑みのまま、セリアが鞘から短剣を抜く。
「さぁ、アル。今の話を聞いてどう思った?」
「どうって……」
「お前の村が魔物に襲われたのは、まぎれもなく私のせいよ。それだけじゃない。周辺の町や村が襲われたのも私のせいだし、ここへ来るまでに何人もの人間を殺してきた。自分が生き残るためにね」
自分の腕を掴んでいたアルの手へ、押し付けるように短剣を手渡した。そして刺しやすいようにセリアはしゃがみこみ、服の襟を開いた。
「……セリアさんはあと何ヶ月なんですか?」
「三ヶ月くらいね。そろそろ誰かに殺されてもいい頃よ」
ここを狙えと、セリアが己の首肌を撫でる。
その姿に激情を抑えることができず、アルは短剣を強く握りしめる。アルが次に取った行動は、森の中へ短剣を思いっきり投げ飛ばすことだった。
セリアの歪んだ笑顔が困惑に変わる。
「……なんのつもり? 魔物に父親も母親も殺されたんでしょう?
だったら……」
「だったらなんで怒らせようとしたり、諭したりするんですか……。そのつもりがあるなら、自殺なんて一人でできるはずです」
結論に辿り着いたアルが顔をあげる。
大人になるまでまだ多くの時間を必要としているはずの少年は、セリアを許そうと笑みを作った。
「……無理しなくていいです。死ぬのが怖いんですね」
「ッ! 知ったふうなことを言うんじゃないわよ!」
図星だった。セリアは今まで何度も自分の喉を斬ろうと試してきた。自分を巻き込むような魔法のペンダントを盗んだのも自殺が目的だ。
だが喉に刀身が触れた瞬間、ペンダントを叩き潰そうとした瞬間、いつもセリアの手は固まってしまう。
だからこそ、アルを救うためにペンダントを砕いたとき、セリアはとても嬉しかった。追い求めていた死がようやくはっきりと見えたのだ。
それなのに、そのアルは自分に死んでほしくないという。セリアは裏切られたような気すらしていた。
「だったら今すぐお前の村へ行ってみる!? 私がここに来た結果がわかるから!」
「必要ないです。父さんが死んだときのことも、母さんが死んだときのことも覚えてます。それでも、僕はセリアさんを殺すなんて嫌です。……死んでほしくもありません」
「人の話を聞いていなかったの!? 私に、死ぬ以外の選択なんてあるはずが……」
怒りのまま、セリアは襟首を掴んでアルを引き寄せる。だが間近で目を合わせたことで、アルの目が怒りと憎しみを内包していることに気がついた。
怒りも憎しみも知っていてなお、アルはセリアを気遣っていた。
「……いつか絶対後悔するわよ」
震える声でセリアは強がる。
そしてアルから手を離すと、またあてもなく前へと歩き出した。
彼女の後をアルは黙って追った。
アル達が小さな洞窟を見つけたのは、ちょうど日が暮れてきた頃だった。セリアは中の獣を食料として狩ると、相談することもせずにここで寝泊りすると決めた。
ただ、夜が明けても、アルとセリアは洞窟を離れようとしなかった。あてもなく目標もない二人は、その日もその次の日も一日を洞窟で潰した。
そして三日目の朝、初めてアルはセリアを外へ誘った。革鞄の中が寂しくなってきたため、薬を作るための薬草が必要になってきたためだ。
セリアはまだ、アルが差し出す薬を黙って飲んでいた。
「薬、だいぶ減ってきてるんです。一緒に薬草探しにいきませんか。ついでに薬草の見かけ方、教えますから」
「死ななきゃいけない人間の薬なんて作らなくていいわよ。行くなら一人で行って」
「でも、少しは動いたほうが気分が晴れますよ。洞窟って不衛生ですし、ついでに他の寝床を探すのもいいと思いません?」
「……一人で行きなさい」
にべにもない態度にアルは誘うのを諦める。ただ、セリアを一人にはしないよう、洞窟の近くを離れないことに決めた。一人にすれば、そのままどこかへ消えてしまいそうな危うさが今のセリアにはあった。
一人で薬草を探し始めたアルは、何か起こるたびに何度もセリアがいることを確認する。当然探索できる範囲は小さく、余計な手間もかかるせいで薬草をほとんど見つけることができない。
そしてセリアに注意を向けていたせいで、アルは足音が近づいていることに気がついていなかった。
気づかないまま、クライブが目の前に現れた。
「……クライブ」
家族だった青年の姿に、アルは言葉を失う。
クライブの体は泥と汗で汚れており、憔悴しきっているせいか顔が青黒くなっていた。また、無理に歩いてきたせいで治りかけの太腿から血がにじみでていた。
クライブにとってもアルと出くわしたことは予想外だったらしく、目を大きくしている。
だがすぐそばの洞窟にセリアの姿を確認すると、黙って洞窟へ歩き出した。それだけではなく、クライブは足をひきずりつつも懐からナイフを取り出す。
セリアも短剣を抜いたのを見て、アルはクライブに追いすがった。
「なに考えてるんだよ、クライブ! セリアさんには勝てないってまだわからないの!?」
クライブは止まりもしなければ、アルを見ようともしない。無視するというよりは、いない者として扱っていた。
「この、人の話を聞けって!」
アルを黙殺したまま、クライブはセリアの前に立つ。
直後にクライブはナイフを捨て、その場に座り込んで頭を下げた。
「お願いします! どうか、俺達の村へ戻ってくれませんか!?」 地面へ頭をこすりつけるクライブに、止めようとしていたアルがたじろぐ。
「……魔物を倒してくれってこと? クライブは知らないだろうけどさ、セリアさんも怪我しているんだよ。そもそも、あんなことあったのに頼み事だなんて虫が良すぎるだろ」
「そうね。村のために捕まってくれなんて、よく言えるわよね」
白け顔で訂正するセリアの言葉に、アルは息をのんだ。
そして否定してくれることを祈りつつ、クライブの次の言葉を待つ。だがその言葉は、アルの望みとはかけ離れたものだった。
「このままじゃ人質にされた奴らが全員殺されるんです! 一昨日、人質の一人が本当に殺されました! たぶん昨日も今日も、誰かが殺されているはずです!」
「だったら、最初のように力でどうにかすればいいじゃない。怪我人相手なんだから、案外勝てるかもしれないわよ」
「力ずくじゃ無理なことはわかっているんです。お願いします! どうか一緒に村へ来てください!」
アルにとってクライブは憧れであり、兄ともいえる存在だった。そのクライブがプライドを捨てて懇願する姿を見ていられず、目を背けようとする。
だがクライブは、アルが無関係でいることを許しはしなかった。
「人質のなかにはラナもいるんです! 早くなんとかしないとあいつも殺されるんです!」
それはセリアへの懇願を装った、アルへの宣告だった。
実際、ラナが人質になっていると聞いて、大きく反応したのはアルのほうだった。
「……だったら、あの剣をどこに隠したのか教えろよ」
アルの顔色が変わったのを見て、クライブは暗い笑みを浮かべた。
「……お前とラナが隠したんだろ。あの剣があれば、魔物を倒すくらい簡単だってこともわかっているんだろ! お前も目の前で見てるんだから!」
「お願いします。一緒に村へ来てください」
「ふざけるなよ! ちゃんとこっち見て話せよ!」
クライブの襟首を掴み、むりやり目を合わさせる。だがその行為はクライブの暗い笑みを濃くさせるだけだった。
怒りの一線を越えたアルは、拳をもってクライブへ殴りかかろうとする。唯一冷静さを保っていたセリアが止めなければ、本当に殴っていただろう。
「怪我人でしょう。殴ったらお前のほうが後悔するわよ」
諭されてもなお、アルはクライブをにらみつける。だがやがてクライブを放し、力なくうなだれた。
「……ラナを助けたいんじゃないのかよ」
クライブの笑みが消えただけで返事は無かった。
期待してなどいなかったが、それでもクライブが答えなかったことがアルには悲しかった。
すでに体力を使い果たしていたらしく、クライブは言い争いが終わると気を失うように眠ってしまった。
アルはそんなクライブを見捨てることもできず、太腿の傷を手当てする。
曇り空を眺めていたセリアがふいに話しかけてきた。
「それで、治療が終わったら村へ向かうの? それとも剣の場所を聞き出してから戻る? ラナとやらは、お前の友人なんでしょう」
「……わかりません。さっきはあんなこと言いましたけど、クライブが剣を隠したとは限りませんし。……それに、戻ったところで今更のような気もしますから」
その言葉にセリアは微笑し、曇った空からアルへと視線を移した。
「なら、私と一緒に逃げるというのはどう? どこまでも逃げて、最後に私がお前の右腕を斬り落とすの。その代わり、お前が私を殺す。なかなかロマンチックでしょう」
セリアが提案した未来を、アルは心の中に思い浮かべてみる。セリアと一緒にどこまでも逃げる自分は想像できたが、セリアを殺す自分がまったく想像できなかった。
その代わりに想像してしまったのが、変わり果てたセリアに殺される自分だったのでアルはつい苦笑してしまう。
「いい案かもしれませんけど、たぶん僕にはセリアさんを殺せないですよ」
「……そうね。そうでしょうね」
セリアが空へ視線を戻す。自分が死ななければ彼女にとってなんの意味もなかった。
会話がなくなり、治療の音だけが洞窟の中に響き渡る。次に沈黙を破ったのはアルのほうだった。
「……こういうとき、どうするのが正しいんですか?」
「正しいもなにもわかりきってるでしょう。誰か一人でも私に味方しろなんて言った? 親ですら私を殺そうとしたのに」
「……親も、ですか」
小さくなるアルの言葉とは裏腹に、セリアは穏やかな声で話を続ける。
「同情しなくていいわよ。銀髪の人間を探し出して殺す組織が世界中にあってね。私の両親も私もその一員だったの。やってきたことをやられただけの話」
穏やかだったセリアの声に郷愁が加わった。
「自分で言うのなんだけど、銀髪になる前の私は本当ひどかったんだから。銀髪になった途端、みんなから見捨てられるくらいだし」
「やっぱり、みんな離れていったんですか?」
「もうちょっと生々しいかしら。例えば、同年代の女達は大喜びで私を牢にぶちこんでくれたわ。私はあいつらを見下して、あいつらは私が気に食わなかったから」
「……」
「逆に男達なんかは、私を助けたいなんて言いながら迫ってきたわよ。体目当てなのが見え見えの奴らでね。罵声と拳を浴びせたら誰も来なくなった」
「……人間なんてそんなものなんでしょうか」
「さてね。ただ、私の両親だけは思い残すことがないように働きかけてくれたわ。それが認められて、死刑の執行まで一ヶ月の猶予が与えられた」
それは、先ほどの言葉と食い違っている気がした。だがアルは横槍を入れない。続きを聞いていれば、その意味がわかるという確信があったから。
「その一ヶ月のおかげで、私は今ここにいられるのよ」
セリアがそう遠くない過去を語り続ける。
その日もセリアは、気に食わない空を眺めて時間を潰していた。こうして日の移り変わりを眺めていると、一瞬一瞬が処刑台への階段に思えてくる。
こんなことなら、髪が銀色になったときにさっさと殺されたほうがずっとマシだった。
処刑まで残り一週間。おそらく最後まで、自分は空を眺めて時間を潰すのだろう。そう思うと、余計なおせっかいをしてくれた両親を罵りたくなってくる。
そういう時に限って、見たくもない物がやってくるものだ。化け物のような黒鳥が隣の監視塔に降り立ち、じっとセリアと目を合わせてきた。
あの黒い鳥は、毎日やってきては牢の中にいるこちらを眺めてくる。まるで閉じ込められている自分を嘲笑っているかのようだ。
衝動的にセリアは黒鳥を殺せる武器がないか、牢屋の中を探し始めた。その浅ましい姿に、見張りの男がうんざりした様子で話しかけてくる。
「おい、大人しくしとけよ。おとぎ話のように、都合よく抜け道なんかないんだからな」
「偉そうに話しかけるんじゃないわよ! 私を牢屋にぶちこんだおかげでたっぷり休暇がもらえているんでしょう!? 見張りなら見張りらしく黙って突っ立ってなさい!」
セリアのヒステリーに気圧され、見張りが口を閉じる。しかし、黒鳥を殺すことまではセリアの思い通りとならなかった。
窓へ目を戻してみると、すでに黒鳥は消えている。逃げられたことにセリアは歯ぎしりし、布団ごとベッドに蹴りを入れた。
あらゆる出来事が不愉快で、のうのうと暮らしている自分以外の生き物がたまらなく憎かった。
最低な気分にもう一発蹴りを入れようとしたところへ、見張りが話しかけてくる。その奥には、心配そうに自分を見つめてくるセリアの両親がいた。
「今日も来てくれたぞ。会うよな?」
「……会うわ」
セリアの返事を見張りが伝えにいき、見張りと共に両親が牢の前までやってきた。
激昂しているセリアの姿に、父親は心配そうにたずねてくる。
「大丈夫か、セリア? 少しやせたようだが」
「……もうすぐ死ぬ人間に体調の心配するとか、なにがしたいわけ? それより父さん。今度来るときは私の弓矢を持ってきて。初仕事の祝いにくれたあの弓矢よ」
「武器の持ち込みは禁止だぞ! 見つけたらすぐに処刑だからな!」
邪魔してきた見張りを、セリアは殺意のこもった目でにらみつける。だが武器の持ち込みを許可するほど、見張りも軟弱ではなかった。
にらみ合う二人にセリアの母親は慌てふためき、場違いな話を始める。
「弓矢は無理みたいだけど、果物とかお菓子とかなら平気よね。なにか食べたい物はない? 今からなら一週間に間に合うはずでしょうし」
「果物やお菓子がなんになるのよ! もういいから帰って! 本当に役立たずなんだから!」
そう言ってセリアは顔を背け、牢の奥へ戻っていく。残された両親は鉄格子の前でセリアを待つが、戻ってくる気配はない。やがて二人は諦め、その場を後にすることにした。
「また明日も来るからね」
そう言い残し、両親は去っていった。
両親が去っていったのを足音で確認し、セリアは一人小さな声で呟く。
「……その程度で諦めるなら、最初から構わないでよ」
その言葉は、まだ大人になりきれていない子供そのものだった。
両親以外誰も訪れないまま、昼が終わって夜となった。いつもならそのまま夜も過ぎていき、セリアはまた一つ処刑台への階段を上がることになる。
だが、この日の夜は違った。
この日もセリアは、いらだちながら眠気をやってくるのを待ち続けていた。だから、どこからか聞こえてきた呻き声と肉の裂ける音にすぐ気がつくことができた。
今の音が聞き間違いなのか、確信がもてないセリアは窓から外の様子をうかがう。
そこから見えたのは、たくさんのなにかが夜の闇に紛れて砦を取り囲んでいる光景だった。
「魔物だ! 全員起きろ! 魔物がすぐそこまできてるぞ!」
砦の中から聞こえてきた叫びと窓からの光景が、セリアになにが起こっているのかを理解させる。
時々、かかり火が抵抗する人間の姿を映し出した。だがすぐに魔物達によって、かかり火も人間の姿も見えなくなった。
セリアも魔物と戦った経験はある。魔物は、魔王の復活を目指しているのだ。魔王の復活を阻止しようとするセリア達と戦闘になるは当然の帰結ともいえる。
ただ、どんなに多くても魔物の数が十をこえたことはなかった。
なのにこの砦は今、数え切れないほどの魔物に包囲されて攻め込まれている。砦の中へ侵入されるのも時間の問題でしかなかった。
「待ってください! 今、セリアを殺したところで魔物は退きませんよ!? それに砦の後ろにある町はどうなるんです! あいつを囮にして魔物をひき離したほうが……!」
背後から不穏な言葉を聞き、セリアは振り返る。
鉄格子の前では見張りと男が言い争っていた。男は銀髪の人間に直接手を下す部隊の隊長であり、セリアの上司でもあった。
だからセリアは、男がここに来た理由をすぐに理解した。
「優先順位を間違えるな。魔王が復活すれば町一つなど犠牲のうちにも入らなくなるぞ」
「だからこの町は犠牲になれと!? あそこには俺の家族だっているんです! 俺は納得できません!」
「……貴様の都合は関係ない」
男は見張りの鎧を掴むと同時に足を払い、頭から投げ落とす。そして動かなくなった見張りから牢屋の鍵を手に入れ、ロングソードを抜いた。
「襲撃の目的はお前だ。ここに魔物が来るのも時間の問題だろう。苦しませないようにしてやるから覚悟を決めろ」
セリアはそんな話など聞いていなかった。牢屋の錠が開いた瞬間、鉄格子の扉を全力で蹴りつける。飛んできた鉄格子が直撃し、男はよろめいた。
その隙に逃げようとセリアは牢を飛び出すも、男のタックルがそれを阻止してくる。さらに男はセリアの上を取り、地面へ押さえつけた。
「なんのつもりだ! 魔物の狙いが誰かなのかわかっているだろう!」
「勝手に決めないでよ! 私の処刑はまだ先でしょう! なんで、最後まで他人の都合に従わなきゃいけないの!?」
「我々はこうして人類を守ってきたのだ! お前もその一員なら、大人しく運命を受け入れろ!」
馬乗りになったまま、男はロングソードを振り上げる。それに対し、セリアは自由に動かせる右腕で男の腰にあった短剣を引き抜いた。
結果はロングソードが頭を割るより、短剣が胸を貫くほうが早かった。
鎧を身につけていなかった男は即死し、その場で崩れ落ちていく。自分に倒れこんできた死体を、セリアは心が抜けたような顔で受け止めた。
見計らったかのように、通路の奥にある階段からセリアの両親が現れた。
父親は長い槍を手にし、母親はセリアの弓矢を手に持っている。セリアは顔を青くして死体を放り出し、短剣を背に隠した。
「……違うの! これは私のせいじゃない! こいつがいきなり剣を抜いて……!」
言い切る前に、矢がセリアのすぐそばを通り過ぎた。
なにが起こったのか理解できず、セリアはあらためて自分の両親に正視する。母親は弓矢を構え、父親は穂先を向けてきていた。
「……ちょっと待ってよ。なんで母さんが私を殺そうとするの。父さん、なんで止めようとしないの!?」
黙らせるかのように、母親がもう一度矢を放った。だが狙いが甘いせいで壁にぶつかってしまい、セリアへは届かなかった。
外へ逃げ出す道は、両親が使った階段の他にない。だから二人は、逃げろと警告しているわけではない。本気で自分を殺すつもりなのだ。
また母親が弓矢を放つ。三本目の矢はセリアの頬を掠めた。
言葉にならない叫びを上げたセリアが短剣を投げつける。そしてロングソードを拾うと同時に、全力で両親へ向けて駆け出した。
投げた短剣は母親の肩を抉り、四本目の狙いをずらした。
怪我を負った母親を守ろうと、父親が前へ出る。突撃してくるセリアに対し、槍を持って迎え撃った。
だが穂先と交差しようとした瞬間、セリアは体をひるがえして槍と父親の横を通り過ぎていく。
父親は慌ててセリアを追うため、反転しようとする。そのせいで長い槍が壁に引っかかってしまい、致命的な隙を作ってしまうことになった。
技量もないくせに狭い場所で槍を使う父親。いくら撃っても矢を当てられない母親。いつものように毒づく代わりに、セリアは背後から父親の首を斬り裂いた。
振り向きつつ死んでいく父親の顔は、セリアを殺せなかった悔しさだけが映っていた。
父親を殺したセリアはゆっくりと振り向き、もう一人の親へと近づいていく。
「や、止めて、セリア! 母さんが悪かったから! もうセリアのこと、殺そうとしないから!」
そう言って弓矢を捨てる母親は、父親と違ってセリアを殺せなかったことを悔やんではいなかった。セリアが生き残ったことを安堵してもいない。
母親の表情には、死にたくないという本能だけが浮かんでいた。
しかし、その表情がなんの意味も持たないことをセリアは知っている。せめて苦しむことがないよう、セリアは母親の急所へ刃先を向けた。
そうしなければならないと思ったから、セリアはそうした。
「両親を殺した後、ローブとか金になりそうな物とか盗んでね。自分以外の人間が囮になるよう、町のほうから逃げたわ。当然、邪魔する奴を排除して」
セリアの過去はアルの想像をはるかにこえていた。だが彼女の穏やかで止まることのない声には、真実味があった。
「おかげで私は生き残れたわよ。その代わり、砦と町が一つ滅んだけどね」
「……それが正しいなんて僕には思えません。だけどそこまでして生き延びたなら、自殺なんかしなくてもいいじゃないですか。……たくさん人が死んだのなら尚更です」
「私だって最初はそう思ったわよ。魔王になっても構わない。何が何でも生き残ってやろうって。必死に銀色の髪を隠したし、やけくそになって髪を全部剃り落とすなんてのもやったわ」
その時のことを思い出し、セリアが苦笑する。
「でもね、どこへ行ってもどうやっても魔物と人間の両方から狙われるの。むしろ隠さないほうが他人が近づいてこなくなって、都合がよかったくらい」
苦笑が静かな笑みに変わり、アルのほうを見た。
「お前だけよ。死ねるか試していたときに止めにきたのも、セリアという名前を聞いて逃げようとしなかったのも」
「……なにも知らなかっただけです」
「じゃあ、知っていたら止めなかった?」
「……そんなこと、その時になってみないとわかりませんよ」
わかっているといわんばかりに、セリアの笑みが大きくなる。
「呪剣を探し続けた理由も今ならわかるでしょう。呪剣で魔物を皆殺しにできる上、呪いで自分自身を消し去ることができる。私からすればどちらも都合がよかったのよ」
「……後悔しているんですか? 両親を殺したことや他人を犠牲にしてまで生き残ったことを」
「さあね。父親も母親も気がついたら死んでいたし。誰が巻き込まれたなんていちいち考えないようにしているし」
セリアが口を閉じる。そして再び開いたとき、今まで誰にも話さなかった心を一端だけ明かした。
「……ただ疲れたわ。殺すと逃げるばっかりだったから」
セリアの本音に、アルは自分のことのように悔しそうな顔をした。
会話すらなくなった静かな洞窟でセリアがぽつりと呟く。
「……怖くない死に方ってあると思う?」
アルは答えることができない。そもそもアルは死んでほしくないのだから。
やがて、諦めたようにセリアが目をつぶった。




