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灰と咎のアルフレッド  作者: 水一 澄也
3/5

孤独な人々

 恐怖がアルの意識を覚醒させた。

 跳ね起きたアルは目を見開き、冷や汗も拭かずに周りの様子を確かめる。

 すぐ近くには崩れた壁の跡があった。穴からは太陽の光が差し込み、父親と母親の亡骸を照らしていた。

「クライブ! いるの!?」

 自分の家にいる理由がわからないまま、アルはクライブを探そうと立ち上がる。

 途端に右手から言いようのない違和感を感じ、アルは動きを止めた。

 アルの右手は、何故か革の手袋で覆われていた。そして何故か、その手袋を外してはならないような気がした。だがアルの意思に反し、左手が震えながらも手袋を外していく。

 手袋の下から現れたのは灰で覆われた自分の右手だった。

 戦慄したアルは走り出し、飲み水用の水瓶へ右手を突っ込む。どれだけ水で洗っても右手を覆う灰は落ちなかった。

「……アル」

 自分の名前にアルが振り向く。そこにはラナに支えられたクライブが玄関にいた。

 二人の無事を確認したアルは、自分の右手など忘れて安堵の表情を浮かべる。だが濡れた灰の右手に ラナが一歩後ろへ下がった。

「二人とも無事だったんだ。どこにもいないから最悪なこと考えてたんだよ」

「……心配かけて悪かったな。それでアル、やっぱり右手が痛んだりするのか?」

「平気だよ。それよりクライブのほうこそ怪我が悪くなってない? ダルドさんに診てもらって……」

 ダルドと言った瞬間、アルの脳裏に頭の潰されたダルドが浮かんだ。それを皮切りに、魔物が村人に殺される光景。クライブとラナが殺されそうになる光景。そして最後に自分が剣を振り回し、すべてが灰へと変わっていく光景がよみがえる。

 自分の右手を覆う灰は、炎によって燃やしつくされた結果と酷似していた。

「……ねぇ、光の鏡に逃げてきた人はどうなったの?」

 感情のないアルの声に、ラナは助けを求めるような顔でクライブを見る。

 そのクライブも表情が不自然なくらい硬い。返事をするまでかなりの間があった。

「……アルが気絶している間にな。ダルドじいさんも村長も、みんな森の奥へ逃げていったよ。魔物もそいつらを追ってどっかに行っちまった」

「……本当? ラナ」

「ほ、本当に決まってるじゃない。おじいちゃんのことだから、そのうち戻ってくるだろうけど」

 うわずっているラナに声に、アルは自分の右手を見つめ直す。

 魔物や村人が灰へ変わるたび、右手から激痛が伝わってきたこともすでに思い出していた。

 だからアルはクライブとラナの横を通り、外へ向かおうと動いた。慌ててクライブが入り口を塞ぎ、アルを制止する。

「待て! 起きたばかりでどこへ行く気だよ!」 

「光の鏡。剣と灰が残っているかもしれないだろ」

「なに意味のわからないこと言ってやがる! 魔物がまだ近くにいるかもしれないだから、大人しくしてろ!」

 アルは忠告を聞かず、怪我人のクライブを押しのけてでも森へ向かおうとする。アルを止めるために、クライブは手段を選んではいられなかった。

「そんなことより親父と母さんの埋葬を済ませるのが先だろうが! それとも埋葬より大事なことがあるわけか!? 親父と母さんなんかどうでもいいっていうのか!?」

 アルが足を止め、両親の死体に顔を向ける。父親は頭が潰れており、母親は頭から胸まで裂けたままだ。この凄惨な死体を、確かにこれ以上放置しておきたくはなかった。

「……そうだね、クライブの言うとおりだ」

「なら、今すぐ始めるぞ」

 アルが頷いたのを確認し、クライブはラナから離れようとする。しかし、ラナのほうがクライブに食い下がった。

「ラナ、色々助かったけどな。ここまで付き合う必要はないぞ」

「いいよ、私も手伝うから。クライブは怪我しているんだし、人数多いほうが楽でしょ。……それに家へ戻っても誰もいないもの」

「……ああ、そうだよな」

 ラナへの言葉には同じ痛みを持つ者への共感と同情がこもっていた。少なくともアルにはそう聞こえた。

 それからアル達は、一日かけて両親の亡骸を燃やした。残った灰と骨は墓地の片端に勝手に埋めた。

 両親の墓の隣に新しい墓が一つあったが、アルはあえてなにも聞かなかった。

 両親の埋葬が終わると、今度は村から他の埋葬も手伝ってほしいと頼まれた。頼んできたのは、集会所でアルが生贄になることに賛成した村人だった。

「魔物のせいで、人手が足りてないんだよ。ここのままだと疫病の原因になりかねないし、少しでいいから手伝ってくれないか」

「……村の人達はどれぐらい生き残っているんですか」

「ちょうど半分くらいってところか。でも魔物の襲撃なんだ。半分生き残っただけでも喜ぶべきなのかもな」

「……その魔物はどうしていなくなったんです」

「そりゃ、水路を作った村長達が生贄になったからに決まってるだろ。水路が枯れたのそのせいだってクライブが言っていたし」

 それからばつの悪そうな顔で、村人は言葉を付け加えた

「生贄になれなんて言って悪かったな。まったく、罪のない子供を殺さなくてよかったよ」

 その言葉に、アルは手袋をつけた自分の右手に視線を移す。そして最低限の言葉で手伝うことを承諾すると、村人との会話を打ち切った。

 この頃からアルとクライブは使える物を持ち出し、ラナの家に移り住むことにした。ダルドが失踪し、アルとクライブの両親が亡くなったのがその理由だ。

 だがそれをきっかけにして、アルと二人の間にある距離がはっきりと現れ始めた。

 具体的に言うなら、ラナは決して一人でアルと会おうとしなくなった。仮に会ったとしても逃げ出すように離れていった。

 逆にクライブの目は監視するかのようで、どこへ行くにもアルについてこようとしてきた。

 そして光の鏡で起こったことについて聞いても、二人はごまかすばかりだった。村長達が生贄になったことをたずねても、まともな返事をしてくれなかった。



 気がつくと、アルの体は光のない空間に立っていた。周りにはクライブやラナ、ダルドに村長が同じように立ちつくしている。さらにその周りには、会ったこともない無数の人間や魔物達が身動き一つせず立ちつくしていた。

 これからなにが起こるのか知っているアルは、必死に皆を助けようとする。だが手も足も、いつもと同じようにアルの呼びかけにまったく反応しない。

 そして突然、ダルドの体が黒い炎によって燃え上がった。黒い炎は時間と共に勢いを増し、他の者も次々とのみこんでいく。まるで人々が黒い炎の燃料であるかのようだ。

 やがて黒い炎はアルの体にも燃え移る。自分の体が灰になるのを、アルは少し離れた場所で見つめるしかなかった。



 そこでアルは目を覚ました。荒い呼吸を整えながら、ここが現実であることを確かめようと周囲を見回す。

 だが部屋の片隅に黒い炎を見てしまい、アルはベッドの上から転げ落ちてしまった。

 悲鳴と物音に、隣のベッドで寝ていたクライブも目を覚ました。

「……おい、どうしたんだ?」

「そこから早く離れて! じゃないとクライブも……!」

 指差した片隅へクライブが目を向ける。だがそこは月明かりが当たらないせいで暗くなっているだけの場所だった。

「……なんにもないぞ。また、例の夢でも見たんじゃないか」

「……夢?」

 もう一度確かめると、確かに黒い炎などどこにもなかった。

 自分の勘違いに気がついたアルは緊張を緩めてべッドへ戻る。だが体の震えはおさまっておらず、気恥ずかしさを感じる余裕もないようだった。

「なあ、何度も見る夢っていったいどんな感じなんだ?」

「……黒い炎がみんなをのみこんで大きくなっていく夢。最後に僕がのみこまれて、焼きつくされるところで目が覚めるんだよ」

「……そいつは大変だったな。とにかく寝ようぜ。悪夢の分、次はいい夢を見られるだろうさ」

 この夢がなにに関係しているのか、アルにもクライブにもわかっていた。この話題を避けているクライブは、自分から振っておいて即座に話を終わらせる。

 一方でアルは、クライブには見えないよう注意しながら右手の皮手袋を外した。

 最初に見たとき、灰は右手全体だけに留まっていた。だが今は右手だけでなく、手首の半ばまで灰に覆われている。日が過ぎるにつれ、灰は徐々にアルの体を蝕んでいた。

 やっぱり光の鏡でなにかが起こったのだ。

 クライブが自分を光の鏡に行かせたくないのはわかっていた。だがここにいても、なにも知らずに終わってしまうような気がしていた。

 だから村人達の埋葬をすべて終えると、アルは誰にも告げずに一人で泉へと向かった。


 右手が灰となった日からそれなりの時間が過ぎていた。

 それでも泉を探せばなにかしらの跡を見つけられる。アルはそう信じていた。

 不自然な点といえば枯れた泉と焼けた木の跡くらいで、灰などどこにも残ってはいなかった。

 もう少し早く来なかったことを悔やみながら、アルは周辺を探し回る。森の奥に人影が見えたのは、ちょうどそんな時だった。

 人影が徐々に大きくなっているとわかると、アルはすぐに近くの茂みに姿を隠した。

 人影の正体はクライブか、魔物か、どちらにしてもアルからすれば見つかりたくない存在だ。

 しかし、人影は近づくにつれて、予想していなかった存在へと変わっていった。

「セリアさん!」

 セリアだとわかったとき、アルの脳裏に浮かんだのはそのままやり過ごすことだった。セリアが魔物以上に恐ろしい存在となりえることは知っているし、セリアを手伝ったことで生贄をされかけたことも覚えている。

 だが血で染まっている服を見てしまうと、そんな考えは一瞬で忘れてしまった。

「あの時のガキ……!」

 セリアは険しい顔で、茂みから走り寄ってきたアルの首を掴む。そしてそのまま、枯れている光の鏡まで有無をいわせず連れて行った。

「ここでなにが起こったの。知っているなら今すぐ話しなさい」

「そんなことより怪我してるじゃないですか! 魔物にやられたんですか!?」

「いいから質問に答えなさい! 知って……」

 前触れなく言葉が途切れた。

 続けて、セリアの体が枯れた泉へと傾いていく。アルは慌ててセリアに抱きつき、思いっきり後ろのほうへ体重をかけた。二人はまとめて地面に倒れこみ、アルはセリアの姿を間近で見ることとなった。

 赤い血が濡れている箇所は、主に鎧で守られていない部分だった。

顔色も青く、寒くもないのに唇が震えていた。

「早く離れて」

 セリアの声に力が戻るものの、子供のアルを引き剥がす力も残っていないようだった。

 そんなセリアをアルは肩で支え、立ち上がる。

「知っていることなら全部話します。だけど、その代わりに怪我の治療をしますからね」

「……どうせ、私をどこかに突き出す気でしょう」

「そんなことしません。そのつもりなら大人の人を呼んできます」

 そしてここは、アルの父親が死んでしまった場所でもある。ここに怪我人を置いていきたくはなかった。

 セリアを支えつつアルは村へと歩き出すものの、セリアが足を動かさそうとしない。抵抗のつもりなのか、そのせいで二人の速度はひどく遅かった。

「だったらお前の好きにすればいいわ。だけど覚えておきなさい。私はやられたらやり返すまで忘れない主義だから」

「覚えておきます」

 迷いのない即答に舌打ちの返事が聞こえたが、アルは無視する。やがてセリアも抵抗を止め、アルと共に歩き出した。

 ただ、悪態交じりの言葉までは止めようとはしなかった。

「話なんて今からでもできるじゃない。さっさと始めなさいよ」

「……そうですね。セリアさんと別れた後、村は大騒ぎになりました。魔物がやってきたらどうしようもないですから。それで僕は生贄になることが決まりました」

「生贄?」

「魔物が現れたのは、僕が光の鏡に潜ったせいだということになったんです。その僕が生贄にならなければ魔物は消えないと。……だからそうなりました」

「そう」

 短くありふれた返事だ。だがいつもの声とは違い、不思議と穏やかな声だった。

 不思議に思ったアルは、なにげなく支えているセリアの顔を覗きこむ。

 そこには、同情の笑みで見返してくるセリアがいた。

「一つ良いことを教えてあげる。魔物が現れたら生贄を捧げろって言い伝えはどこにでもあるの。だけど、大抵はなんの解決にもならないわ」

「……今の話もですか」

「たぶんね。認めようとしない人間も多いけど」

 セリアの話が本当だとすると、ダルドは偽りの話でアルを殺そうとし、偽りの話のために命を失ったことになる。皮肉に感じられるほど、アルはひねくれてはいなかった。

「それでお前、生贄の話を受け入れたの?」

「受け入れました。僕さえ犠牲になれば、みんな助かると聞きましたから」

「嘘と言いたいところだけど、お前ならありえそうなのが怖いわね。私だったら逃げているわ。いえ、いっそ殺されるくらいなら逆に皆殺しにするかもしれない」

「それが普通ですよ」

 また、会話が途切れた。アルは先ほどと同じようにセリアの顔を覗き込もうとする。しかし、彼女の手が邪魔してきたせいで表情を覗くことはできなかった。

「余計なことしないで、要点だけ話しなさい」

「は、はい。結局、村は魔物に襲われて僕達は光の鏡へ逃げました。そして光の鏡に近づくと、拾っていた棒が反応し始めたんです。その棒は光の鏡を吸いつくして、……セリアさんが探していた剣へと変わりました」

 思い出したくない記憶が近づくにつれ、アルの言葉は小さくなっていく。逆に剣と聞いて、セリアの目が大きくなった。

「……兄さん達を助けるため、僕はその剣を取りました。そして、剣を振り回すたびに魔物や村の人達が灰になって……。光の鏡で覚えているのはそこまでです」

 アルが右手の手袋を外す。灰の集合体となった右手を間近で目にし、セリアの顔が動揺で揺れた。

 だが支えているアルから、離れようとはしなかった。

「気がついたときには家へ戻っていて、右手はこうなっていました。剣もなくなっていましたし、光の鏡にいたはずの兄さんも知らないとしか答えてくれませんでした」

 だが忌避するようなラナの態度といい、監視するようなクライブの目つきといい、確実になにかが変わってしまっていた。

「だから光の鏡へ来たんです。覚えていることが本当なら、絶対に跡が残っているはずだと思ったので」

「……一応聞くけど、剣が惜しくなったわけじゃないでしょうね?」

「そんなわけないでしょう! 関係ない人も殺すような剣なんてどうしろっていうんですか!」

 本気で叫ぶアルの頭にセリアが手をのせる。細くて、でも硬い指が不器用に赤い髪を撫でた。

「もう一つ教えてあげる。あの剣はね、怒りとか憎しみに反応するの。憎いと感じている相手なら肉親だろうと灰になるそうよ」

「……じゃあ、あの人達が死んだのは」

「そいつらはお前を生贄にしようとしたんでしょう? だったら憎まれて当然の自業自得の馬鹿よ。同情も自責も必要ないわ」

「……はい」

 もしかしたら、本当に自業自得だったのかもしれない。だとしても、アルは彼らを殺したいほど憎んでいるわけではなかった。

 村人が黒炎に飲みこまれ、灰になっていく光景は今も頭に焼きついている。そのせいだろうか。共感できない慰めのはずなのに、アルは涙を止めることができなかった。

 涙に気がついたセリアが赤い髪から指を離す。

「少し疲れたんだけど」

「……そう、ですね」

 アルとセリアは揃って地面に腰を下ろした。アルが泣き止むまで二人はそうしていた。


 夕方になってようやくアルが家に戻ってきたことに、クライブは胸を撫で下ろした。これ以上遅くなるようなら、怪我をおしてでも探しにいくつもりだったのだ。

 一方でラナも始めは安堵していたものの、不意にその表情に影が差した。アルが戻ってきたこと、クライブが無理をしなくて済んだことに安堵したはずだった。だがその後で、でもアルが戻ってこないほうがよかったと思ってしまったのだ。

 自分の嫌な思いに自覚してしまったラナの前で、クライブはアルにたずねた。

「遅くまでどこ行っていたんだ。俺もラナも心配してたんだぞ」

「ごめん、だけど村の外へ行ってたわけじゃないよ。住む人がいなくなった家を見て回ってただけだから」

「……空き家をか? なんでそんなことを」

「それなんだけど、僕、ちょっと一人になりたいんだ。クライブの怪我もよくなってきたし、いい頃だと思うんだけど」

 アルの話にクライブが緊張を緩める。重要なのは、あの剣を探しているかどうかだった。

 だからアルが、セリアのことを悟られないよう必死になっていることに気がつかなかった。

「まだ親父が死んだことを気にしているのか? だったら止めとけ。そもそも自分の歳を考えろよ」

「……私はアルの好きにさせてもいいと思う」

 背後から聞こえた言葉に、思わずクライブが振り返る。暗い顔のラナが、勇気を振り絞るように自分の服を握り締めていた。

 クライブが言葉を失っている間に、アルは自分の服とダルドが調合した薬、針や糸といった治療用の道具を革鞄に詰め込んでいく。

「……薬も持っていくの?」

「右手に効くものがあるかもしれないから。いいよね、ちゃんとクライブの分は残しておくし」

「……うん」

 クライブの意思も聞かず、ラナは話を進めていく。彼女がアルを避けていることを、クライブは認めないわけにはいかなかった。

 ふとクライブの脳裏に、アルも自分達を避けようとしているのではないかという考えが浮かんだ。

 自分自身の中にも似たような思いがあるだけに、クライブはその考えを否定できなかった。

「……なぁ、アル。どこへ移るのかまだ言っていないよな。俺達に教える気はないのか?」

「別にそんなつもりはないけど。引っ越すのは村長の家にしようと思ってる。もちろん他の人にも了解をとっているから」

「……あそこか」

 村長の家は、ラナの家から距離が離れているわけではない。

 ただし、村の中では唯一の二階建てで他の家より一際大きい。そんな家に子供のアルが住むことを村人達が許したのは、生贄の負い目からだった。

「他の荷物は悪いけど、もう少しだけここに置かせてね。明日か、あさってにでも取りに来るから」

「……こっちでまとめておく? そのほうがアルも楽だと思うけど」

「いいよ、まとめるほど多いわけじゃないし。それじゃあ、クライブ、ラナ」

 自分の服と薬を持ったアルは慌ただしく出ていった。小さくなっていくアルの姿に、ラナは今度こそ心の底からほっとした表情を浮かべる。

 だがアルの姿が見えなくなると、クライブが振り返らずに話しかけてきた。

「ラナ、ちょっと話がある」

 固く感情を抑えた声がラナの体が強張らせた。


 かつて村長が住んでいた家に着くと、アルは迷わず階段を上がった。二階に一つしかない扉をノックし、中へ向かって呼びかけた。

「薬持ってきました。起きてますか?」

「まだね。入りなさい」

 扉を開けた先には、服を着替えてベッドで横になっているセリアがいた。着替えている服は村長のものなのか、明らかに彼女とはサイズが合っていない。久しぶりの笑みに浮かべつつ、アルは持ってきた薬や治療道具をテーブルの上に並べていった。

 本当に自分を助けようとしている少年に、セリアは半分呆れた顔で話しかけた。

「お前、こんなことして大丈夫なわけ? 普通、両親が怪しんだりするわよ」

「大丈夫です。魔物の襲撃で父さんも母さんも亡くなりましたから」

 特に意図を込めたつもりはなかったが、セリアの表情が苦虫を噛み潰したようなものに変わった。

「なにが大丈夫なのよ。本当に馬鹿がつくくらいのお人よしね」

「……いいじゃないですか。好きでやってるんですから」

「開き直っているところが、余計にタチが悪いのよ」

 言葉とは裏腹に、セリアの声には毒やトゲはなかった。だからアルは謝るのは止めにした。

 不安もあったがこの人を助けてよかった、とアルは思い始めていた。

「とりあえず薬と治療道具は全部置いていくので、なにかあったら呼んでください。僕は一階にいますから。それと薬の効用と使い方はビンに書かれているんで、使う前にちゃんと確認してくださいよ」

 説明を終えたアルは部屋を出ていこうとする。しかし、ドアを開ける前にベッドのセリアが呼び止めてきた。

「薬はやるから自分でなんとかしろってこと? 人を助けるのが好きだとかいう割に怪我人には厳しいのね」

「……あ、いや、でも、その、セリアさんって女の人じゃないですか」

 なにを想像したのか、アルの顔が赤くなる。そんなアルをからかうようにセリアが手招きした。

「色気づくなんて十年早いわよ。こっちは腕を動かすのも面倒なくらい眠いの。手早くやってちょうだい」

「わ、わかりました。それじゃあ怪我しているところを教えてください」

 セリアはためらうことなく服をはだけ、胸を見せた。ペンダントしか身につけていない胸が露になり、アルの心臓が跳ね上がる。

 なるべく直視しないよう顔を背け、さらに薄目でアルは治療を開始した。しかし、すぐにまともに治療できないことを悟り、薬草の名前を暗唱しつつ治療を進めた。

 セリアの怪我はそれほど深くなく、いくらか傷を縫って薬付きの布を巻くぐらいで問題なかった。ただ怪我した状態で動き回ったせいか、体力の消耗が激しい。しっかりとした休養を必要としていた。

 治療が終わり服を戻すセリアに、アルは薬を二つ手渡す。

「最後にこれも飲んでください。一つは強壮剤。もう一つは傷口が腫れたり腐ったりするのを抑える薬です。ただどちらも苦いですから、味を確かめずに飲んだほうがいいですよ」

 セリアは警戒せずに受け取り、二つの薬を同時に飲み干した。直後に彼女の口元が歪み、予想をこえた苦味にむせてしまった。

「……冗談抜きにひどい味ね。重病者に飲ませたらショック死するんじゃないの」

「味よりも効き目優先ですから。水いりますか?」

「もらうわ。全部洗い流さないと寝られそうにないもの」 

 二本の空き瓶と水入りのコップを交換し、セリアは念入りに口の中をすすぐ。

 それが終わると、あらかじめ水を用意していたアルに疑問をぶつけた。

「ずいぶんと手馴れていたわね。薬の数といい、家は薬屋だったの?」

「両親は木工の職人ですよ。ただ、兄さんが仕事を継いでくれたので僕は好きなことができました。薬について知っているのは、そういう理由があるからです」

 そんなアルの師匠がダルドだった。狩りのついでに薬草を摘めたりと、色々都合がよかったのだろう。

 そのためにアルは薬だけでなく、毒やトラップ、弓矢の扱い方についてもある程度は学んではいた。薬とは違い、実用には程遠かったが。

「まあ、職人よりは向いてそうよね」

「自分でもそう思います。薬以外は全然駄目でしたし。あの、僕からも質問いいですか?」

「……答えるかどうかは知らないわよ」

 釘を刺すセリアは、警戒していることを隠そうとしなかった。

 さっきまでの打ち解けた雰囲気が一変したことに、アルは質問しようとしたことを後悔した。

「……あの、泉で魔物を倒した後、いったい何をしていたんです。魔物に追われていたんですか?」

「そうよ。例の剣を探しながらね。数が多かったから苦戦したわ」

 セリアの話に不自然なところはない。しかし、セリアの声にはそれ以上踏み込ませようとしない拒絶の響きが込められていた。

 困惑しているアルにセリアはいらだった視線をぶつけてくる。

「話は終わり? なら出てって。いい加減疲れたから」

 そういってセリアは背を向け、ベッドの中に潜り込んだ。アルも言われたとおり部屋から出ていく。

 そして階段を下りようとしたとき、不意にセリアの声が部屋の中から聞こえてきた。

「……ずっと下にいるのよね」

「そのつもりでしたけど……。一人のほうがいいですか?」

「別にどうでもいいわ」

 短い会話の意味がつかめず、アルは階段の前で立ちつくす。

 だがセリアがそれ以上なにも言わないので、やがて諦めて階段を下った。

 太陽が昇りきった頃、突然聞こえてきたノックにアルは従者用のベッドから跳ね起きた。もしここにセリアがいることが知れたら、どうなるか想像もしたくない。

 寝巻きから着替えせずにアルは玄関へと走った。

 急いで玄関を開けた先には、手かごを持ったクライブとラナがいた。

「悪いな。まだ寝ていたか?」

「……起きようとしてたところだから平気だよ。それより二人ともどうしたの。こんな朝にいきなり来るなんて」

「朝ごはん作ってきたの。ほら、アルが料理しているところなんて見たことないから、困ってるかなって思って……」

 ラナが手かごの中に詰まった料理を見せる。避けられていることをはっきりと感じていただけに、いつもならばアルも喜んでいたかもしれない。

「……もしかして、クライブもラナもご飯を一緒に食べるつもり?」

「そのつもりだったけど。……もしかして他に予定があるの?」

「いや、そういうわけじゃなくて……」

 しかし今は、そんな気遣いよりも二階にいるセリアのことが気になってしかたなかった。

「まだ寝ぼけてるんだろ。アル、顔洗って着替えてこいよ。その間にこっちで飯の用意しておくから」

「……う、うん」

 断る理由がない。それがアルを恐怖させた。

 クライブとラナが持ってきた朝食は、いつも食べている料理よりも豪華なものばかりだった。パンは焼きたてで、いつもよりジャムは甘く、肉は柔らかく煮込まれており、デザートとして珍しい果物が用意されている上にわざわざスープまで作ってきている。

 が、そんな料理や気遣いを味わう余裕などアルにはなかった。

「それにしてもやっぱり大きい家だよな。一人で住むには寂しくないか?」

「……いや、別に」

 おざなりな返事をする裏で、アルは二人が早く帰ることを祈り続ける。

 その不自然な態度は、当然クライブとラナにも伝わっていた。

「ねぇ、パンにジャムつけないの? 好物のいちごジャム、ちゃんと持ってきたのに」

「……えっ? ごめん、よく聞こえなかったんだけど」

「……いいよ、もう」

 唇を尖らせたラナは、いつもの癖でアルの右腕をつねろうとする。だが皮手袋の右手を目にし、反射的に手を引っ込めてしまった。

「おい、ラナ」

 引っ込めた後でなにをしてしまったのかに気がつき、ラナの顔を青ざめた。隣を見ると、クライブが怒りとも悔しさともとれるような表情でラナを見返していた。

 そしてラナは、おそるおそる向かいにいるアルの顔を覗き見る。アルは怒る代わりに、諦めにも似た笑顔でラナを慰めていた。

 その笑顔のせいで、ラナは一言も話すことができなくなってしまった。

 気まずい朝食を終えると、クライブはすぐに帰り支度を始める。アルも引きとめようとはしなかった。

「時間を取らせて悪かったな、アル」

「うん、それじゃあね」

 まだクライブが話を続けようとしていたにも関わらず、アルは扉を閉めた。

 扉の前で立ちつくすクライブの手をラナがそっと握る。彼女の目はここにいても無意味だと言っていた。

「……とりあえず、あれを探しているわけじゃないみたいだな」

「……でも私達のこと、迷惑そうだった」

「……ああ」

 クライブのため息を聞いて、ラナがたずねる。

「やっぱり明日は止めとく?」

 クライブは頷かなかったが、否定もしなかった。


 二人が帰ったのを窓から確認すると、アルはすぐさま二階へ駆けのぼった。二階の扉を開くと、同じように窓から外を確認しているセリアがいた。

「行ったみたいね。お前の知り合い?」

「……ええ。たぶん、僕の様子を見に来たんだと思います」

「私のことを探しにきたような感じじゃなかったものね」

 セリアの目が窓からアルに移る。その表情と口元には挑発するような笑みが浮かんでいた。

「この辺りは銀髪を隠した場合、村ごと処刑だったかしら。友人に黙っているより突き出したほうが賢明だと思わないわけ?」

 笑みと言葉に反感を覚えたアルは、セリアの体に残っている治療の跡を指差した。

「まだ怪我が全然治ってないんですよ。そんな体で突き出したりなんかしたら、絶対村の人達に仕返しされるに決まってるじゃないですか」

「いちいち心配してくれるなんて相変わらず優しいわね。それとも私がなにをしたのか、もう忘れているのかしら」

「覚えてます。セリアさんが手加減してくれたことだってしっかりと。あの時、殺そうと思えば簡単に殺せたんでしょう?」

 危険なことをしていることはアルも自覚している。最悪の場合、村とは無関係の人間になることも覚悟していた。村の人達なら自分達が助かるために話を合わせてくれるはずだ。

 だからこそ、クライブやラナも知っていたという状況だけは絶対に避けなければならなかった。

「だいたい、どうして銀髪ってだけで殺されたり捕らえられなきゃならないんです? あの剣を探していることと関係があるんですか?」

「別に関係ないわ」

「じゃあ……」

 魔王や死神の前兆という話が本当なんですか。

 そう言いかけてアルは口を閉ざす。聞けばなにかが変わってしまう予感がした。

 様々な理由を取ってつけたところで結局、アルがセリアを助けているのは彼女を見捨てたくないからだ。ひどく単純で独善的にも聞こえる理由だった。

「……じゃあ、銀髪が珍しいからですか?」

「なによ、それ。確かに、珍しいといえば珍しいでしょうけど」

 ごまかすだけの質問に、セリアは失笑しながらベッドへ戻っていった。

「それじゃあ今日も、お優しいアル君に甘えさせてもらうとしましょうか。例の薬、飲まなきゃいけないんでしょう」

「え、ええ、朝食のあとに。食べられるならスープでも作ってきますけど」

「別にいいわよ。荷物にまだ干し肉とか残っているから」

「駄目です。もっと体に良い物食べないと。すぐ作りますからお腹が空いてても我慢してくださいよ」

 そう言うとアルは階段を駆けくだり、キッチンへ向かった。

 残されたセリアはアルが下りていった階段を面白くなそうな目で見つめる。そして、構わず自分の荷物から干し肉を取り出した。

 だが干し肉を取り出したところで、彼女の手が止まってしまった。やがてセリアはさらに面白くなそうな顔で、干し肉を袋の中へ戻した。

 ただし、言うとおりにしたにも関わらず、肝心のアルはなかなか戻ってこなかった。戻ってきたのは、いらだったセリアが机を指で叩き始めた頃だった。

「すいません。遅くなって」

「いいからさっさとよこしなさい。こっちは馬鹿正直に待っていたんだから」

 セリアは半ば奪い取るように料理を受け取った。

 アルが作った料理はごく普通の豆と野菜が入ったスープだ。ただ、怪我人でも食べやすいようしっかりと煮込まれている。遅くなった理由を理解したセリアは、怒る代わりに皮肉で済ませてやることにした。

「ひどい味ね。これならまだ干し肉のほうがおいしいわよ」

「栄養はこっちのほうが上だと思いますけど」

「これは薬じゃなくて料理でしょう。一つ聞くけど、昼もこれを食わせる気じゃないでしょうね?」

「……駄目ですか」

 図星だったらしく、アルが口ごもる。そんなアルを尻目にセリアはスープを飲み干し、空の皿とスプーンをテーブルに置いた。

「昼は私が作るわ。いいわね」

「体のほうが大丈夫なら」

「昨日よりはマシになったわよ。ほら、あの薬よこしなさい」

 言われるまま、アルは水の入ったコップと二本の瓶を差し出す。

 しかしセリアは鼻を鳴らすと、自信に満ちた顔で二本の瓶だけを手に取る。そして、その両方を一気に飲み干した。

 途端に、セリアの端正な顔がこれ以上にないほど歪んだ。目に涙を浮かべ、震える手でアルからコップを奪い取る。

「やっぱり無理ですよね。もっと水持ってきましょうか?」

「……うるさい!」

 どこか勝ち誇るようなアルの顔に、木のスプーンが飛んできた。


 セリアの朝食が終わると、アルは小さなクワを片手に森へと出かけた。泉や剣の探索ではなく、薬の原材料となる薬草を摘むためだ。

 いつ、どれだけ必要になるかわからない上、ダルドがいなくなってしまったので薬はできる時に補充しておきたかった。

 またそれとは別に、苦い薬が駄目なセリアのためにやりたいこともあった。

 しかし森へ入った直後、いきなり鳥の鳴き声と羽ばたきが頭上から響き渡った。

 普通の鳴き声や羽ばたきならば、森では別に珍しくない。

 ただ、今回の鳴き声はひどく怯えており、命の危機が差し迫っているかのようだった。やがて鳥の鳴き声は複数となり、飛び立つ音が森全体へと広がっていく。

 その後には、鳥の鳴き声も羽ばたく音も聞こえない不気味な静寂だけが残された。

 不安になったアルは木々を見回し、なにが起こっているのかを確かめる。すると枝の根元にとまっている大きな黒い鳥を見つけた。

 鳥が残っていたことに胸を撫で下ろしたアルは、当初の目的である薬草取りに戻った。

  

 かごが半分も埋まると、アルは作業を切り上げて家路についた。セリアの料理を期待している一方で、まずかったときはどんな皮肉を返してやろうか、なんてことも考えており、昼がくるのを待ち焦がれていたのだ。

 だが村長の家が見えてくると、香ばしい匂いがアルの鼻をくすぐってきた。村長の家が近づくにつれて匂いも強くなるせいで、ついついアルの足が早くなっていく。

 そして玄関を開けると、香ばしい匂いと共にセリアが出迎えてくれた。

「ただいま戻りました」

「よかったわね、間に合って。冷めるのは嫌だから、先に食べようかと思ったところよ」

「じゃあ、僕の分もあるんですね」

「私だってそこまで鬼じゃないわよ。さっさとカゴを下ろして手を洗ってきなさい」

 急いで言われた行動を済ませ、アルは自分の席へと急ぐ。

 セリアが作った料理も、朝食と同じスープだった。ただ、豆と野菜をひたすら煮込んだだけのアルとは違い、炒めた干し肉や玉ねぎにニンニクやハーブといった香辛料も入っていた。

「本当はミルクも入れたかったんだけど、無い物ねだりでしょうね。それじゃあ、いただきましょうか」

「いただきます」

 すぐさまアルはスープを口の中に運ぶ。途端に濃厚なうまみが口の全体に広がった。

 少なくとも味と匂いに関しては、アルとは比べものにならなかった。

「……これは、僕の負けですね」

「当然でしょ。あんな薬のような料理よりまずかったら、この先一生料理しないわよ。そもそも台所にニンニクやハーブや色々ぶらさがっていたのに、なんであれを使わなかったの」

「ええっと、よく知らない食材だったので……」

「……呆れた。その程度の舌と知識に勝ったって嬉しくないわよ」

 そう言いつつも、アルの食べっぷりをセリアを満足げに眺める。アルはもちろん、セリアもスープを残さず飲み干した。

 しかし食事を終わる頃から、セリアの満足そうな笑みが引きつり始めた。今回は見得を張らず、自分で水を用意した。

「で、お待ちかね薬の時間というわけね。覚悟はできてるわ」

「それなんですけど、今回はちょっと違う物にします。飲み薬ほど苦くないはずですから」

 アルがついさっき摘んできたばかりの薬草を取り出し、水で洗う。そうして差し出した薬草を、セリアは怪訝そうに受け取った。

「これは?」

「あの薬の材料です。効果は弱くなりますけど、薬のときより食べやすいですよ」

 説明を聞いた途端、セリアは薬草を突き返した。アルの心遣いを理解しつつも、彼女はそのことに感謝する余裕がないようだった。

「気持ちはありがたいけど、薬のほうをよこしなさい。私には遊んでいる暇なんてないの」

 気圧されたアルは言われるまま、二本の瓶を渡す。それを水で流し込んだ後、セリアは勢いよくテーブルから立ち上がった。

「今日の夜にはここを発つわ。世話になったわね」

 そう言い残し、セリアはアルを置いて二階へ戻ろうとする。慌ててアルも立ち上がり、二階までセリアを追いかけた。

「……ま、待ってください! 怪我どころか、まだ体力も戻ってないはずですよ。僕が悪いなら謝りますから、もう少しだけ……」

「その間に、また魔物がこの村にやってきてもいいの?」

 魔物という言葉を聞いた途端、アルの心が止まった。静止する心の中で、父親と母親達と殺した魔物の姿がよみがえっていく。

「……また、この村に魔物が?」

「ええ、このままだとね」

 魔物が来るということは人が死ぬと同義だ。次に現れたとき、死ぬのはクライブやラナかもしれない。

 アルにとって絶対に阻止しなくてはいけないことだった。

「だけど私が剣を見つければ、その危険もなくなるわ。仮にやってきたとしても、私が皆殺しにしてあげるし。だから邪魔を……」

「なら僕も手伝います! いえ、手伝わせてください!」

 叫びながら、アルはセリアに追いすがる。

 光の鏡のときも、村人とセリアが争うのを防ぐためにアルは似たようなことをした。

 あの時のセリアは皮肉げに笑った。

 だが今度は、真剣な表情と警告をもってセリアは答えた。

「止めておきなさい。私と一緒に居ると、魔物に会う可能性が高くなるから」

「それなら、セリアさんだって危ないじゃないですか! 本調子じゃないことはわかっているんでしょう!?」

 セリアの言葉は明らかにアルを心配していたが、心配しているならアルも同じだ。自分よりも誰かを優先してしまうのは、アルの根幹に近い。クライブやラナと同じようにセリアもまた、アルの考えを変えることはできなかった。

 自分の気遣いを無下にされたセリアは、仏頂面でアルをにらみつける。そうかと思うと、すぐに自嘲の笑みを浮かべた。

「他人の心配をするなんて私じゃないみたいね。揉めたくないから先に言っておくけど報酬なんて払うつもりはないし、死んだって責任取れないわよ。それでもいいのかしら」

「構いません。村に魔物が来なくなるだけ十分です」

「じゃあ、もし見つかったときは? 一度手伝っている以上、言い訳はできないわよ」

「そんなの助けたときから決めてます。……見られたときは村を捨てるつもりです」

 それがクライブやラナにとって一番いいだろう。父親も母親も亡くなり、クライブやラナとも疎遠になっている。ためらうほどの未練をこの村には感じなかった。

 言い切ったアルに対し、セリアが顔を寄せてくる。彼女の目や銀髪が迫り、吐息が頬を撫でるせいでアルの鼓動は早鐘のように高まった。

「優しいのは結構だけど、限度をわきまえなさい。でないと相手に引かれるわよ」

「……え、えっと……はい」 

「なら、私に協力することがどれだけ危険か、もう一度ちゃんと考えておくように。動くのは夜だから、それまでにね」

 間近で笑うとセリアは顔を離し、部屋へ入る。

 ただ、残されたアルは鼓動がおさまらないせいで、なかなかその場から動くことができなかった。


 鮮やかな満月が夜空を照らしだした頃、アルとセリアは遅めの夕食を取った。豪華だった昼食とは違い、夕食は堅い黒パンと適当な野菜を切っただけの適当なサラダだった。

 内心期待していたアルは落胆を顔に出さないようにしつつ、セリアにたずねる。 

「スープはもう飽きたんですか? ニンニクやハーブ、まだ残っていましたけど」

「わざわざ夜まで待ったのに、匂いがつくような物を食べるわけないでしょう。昼間作るのだって危険なのに」

「じゃあどうして昼食はスープにしたんです」

「一回くらいなら、どうとでもごまかせると思ったから。それに待たされた挙句に朝食がアレでしょう? 口直しが必要だったのよ」

「……そこまで言わなくてもいいじゃないですか」

 料理の勉強もしようかと思案しつつ、アルはセリアと共に黒パンとサラダで腹を満たす。そして苦い薬をセリアが苦い顔で飲み干した後、セリアが質問してきた。

「それで私の言ったこと、少しは考えてみた?」

「考えました。考えましたけど、結論は変わりませんでした。迷惑じゃなければ、セリアさんの手伝いをしていいですか?」

「そう。なら、二度と心配しないわ。覚悟しておきなさい」

「はい」

 答えを予想していたのか、驚くこともなくセリアは返事を受け入れた。

 そしてアルは薬などが入った革鞄を、セリアは己の武具を手に探索へと出た。

 外は静まり返っており、フクロウや虫の声すら聞こえなかった。そのせいで不用意な声や足音が遠くまで響いてしまう。アルとセリアは慎重な足取りで枯れた水路をたどった。

「……月が出ていてよかったわね」

「……ええ、灯りなんて使えませんし。それはそうともうすぐのはずですよ」

 セリアは探索を始める前に、あらかじめやるべきことを決めていた。

 最初の目的は剣の元である錆びた棒。それが納められていた箱を回収することだ。水路に沿って探すだけなので、箱はすぐに見つけだすことができた。

「……どうします、これ。家まで運びます?」

「……時間がもったいないわ。ここで回収するから少し離れてなさい」

 アルは言われたとおりにセリアと箱から距離を取る。するとセリアは意味のわからない言葉を呟きだし、両手で箱に触れた。

 途端に箱の輪郭が歪んだ。歪みは徐々に大きくなり、時間と共に箱の原型が失われていく。

 そして突然、歪んでいた箱は跡形も無く消えてなくなってしまった。

「……はい、終わり。次は光の鏡ね」

 歩き出すセリアに、アルが興奮した様子で走り寄ってくる。もし夜でなかったら、歳相応に輝いている彼の目がはっきりと見れただろう。

「……今のって魔法なんですよね。いきなり箱が歪んで、そうかと思うと消えて……!」

「……ごく普通の収納魔法よ。別に珍しくないから、一度くらいどこかで見てると思うけど」

「……そ、そうですかね。うちの村は誰も魔法を使えないんで、そんなことはないと思うんですが」

 魔法がたいして珍しくないことはアルも知っていた。だから興味津々のくせして、ぎごちない様子でそれを覆い隠そうとする。

 そんな姿がおかしくて、セリアはつい笑みを漏らした。辺りを見回しても影となった木々があるだけで、人影はおろか民家も近くにはなかった。

「興味があるなら、魔法について教えてあげるわよ。素人の知識でいいならだけどね」

「……さっきの魔法、教えてくれるんですか!?」

 暗闇でもどんな顔をしているかわかるくらい、アルの声は弾んでいた。笑みを苦笑を変えて、セリアは魔法の解説を始める。

「あのね、まともな知識も無しにできるほど魔法は甘くないの。さっきの魔法は発声がトリガーだけど、発音、音程、テンポまで決められたとおりに合わせなきゃいけないんだから」

 だが物は試しと、アルは記憶を頼りに先ほどの呟きを真似てみる。たどたどしい言葉は森の中に消えていくのみで、事象をこえた奇跡などまったく起こらなかった。

「……駄目ですか」

「それくらいでできたら、誰も苦労しないわよ。魔法は才能がすべて、なんて言葉があるくらいだもの。そのせいで今は道具を使った魔法が主流だし」

 落ち込んでいたアルが、すぐさま興味に輝いた顔でセリアを見上げた。

「道具……。いわゆる魔法使いの杖みたいな?」

「ちょっと違うわね。例えば魔力が込められた剣は鉄を斬り裂けたり、素早く振り回すことができたりするわけ。金持ち連中や成金騎士団が好んでそういう武器を使ってるわ」

「ということは、その弓矢もそうなんですね。だからセリアさん、あんなに弓を撃つのが速かったと」

 セリアの弓が人間離れしている理由がわかったと、アルは一人で納得する。しかし、プライドを傷つけられたセリアは、笑顔でアルの頬をつねって訂正させた。

「……言っとくけどね? 私は弓の腕じゃ男にも負けたことがないの。今の言葉、ちゃんと覚えたわよね? 二度と同じことは言わないわよね?」

「ふぁい」

 鼻を鳴らし、セリアは頬から指を離そうとする。だがアルが笑っていることに気がつき、思わず顔をしかめた。

「なんで笑ってるわけ? 気持ち悪いんだけど」

「……み、見間違いですよ。笑ってなんかないですって」

 ちょっと前までこんな風につねられていたから、なんて気恥ずかしくて言えるはずがない。慌ててセリアの指から逃れ、話の舵を違う方向にきった。

「ちなみに、魔法って怪我や病気にも使われているんですか?」

「あることはあるけど、たいしたことないわ。生物の体は魔法自体に抵抗力を持っているらしくってね。せいぜい、熱で傷口を乾燥させたりするくらいよ」

 そう答えた途端、先ほどまでの楽しそうだったセリアが陰を帯び始める。そのまま、彼女の雰囲気はいつもの調子に戻ってしまった。

「だからお前が使った剣は特別なのよ。抵抗力を突破し、生物を壊すほどの力を持っているのだから。エストの武器なんだから、それくらい当然でしょうけど」

「……あの剣が?」

 思ってもいなかった名前に、アルは短い言葉で聞き返すのが精一杯だった。

 確かにあの剣は、人間の魔法とは別の範疇にあるような武器だった。だがエストといえば人間を作り出し、守護してくれる善神だ。そんな神の武器にしては、あの剣はあまりにも禍々しすぎた。

「……あの剣は怒りや憎しみに反応するって、セリアさん言っていましたよね。そんな剣がエスト様の武器なんですか?」

「不思議かしら。エストといえば、創造した世界を巡って双子の邪神と永遠に戦い続けた神様でしょう」

 アルは手袋を外し、自分の右手を確かめる。覆っている灰が月明かりを反射しないせいで、右手と夜の闇が同化しているようだった。

「……だったらどうして、そんな剣を探しにきてるんです。使ったらこうなるんですよ」

「別にたいした理由じゃないわ。それより泉が見えてきたわよ。無駄話はここまでにしましょう」

 確かにセリアの言うとおり、枯れた泉が見えてきてはいた。だが、話など探索しながらだってできる。アルにはむりやり話を終わらせたようにしか思えなかった。

 ふとアルは思う。セリアという名前と剣を探している以外、この女性についてなにも知らないということを。そして、セリアがそれ以上知ることを拒んでいることについて。

 自分の喉に短剣を当てたかと思えば、容赦なく他者に危害を加え、拒絶するセリア。

 この人はいったいどんな事情を抱えているのだろうか。

 泉を探索する間、気がつくとアルはそのことばかり考えていた。

 結果から言ってしまうと泉での探索は徒労に近かった。収穫といえば、箱と同じように泉の鎖を回収したくらいだ。他にめぼしい物は見つからなかった。

「やっぱり、明るいときに来たほうがよかったですかね」

「たぶん同じよ。前にも一人で探したけど、なにも見当たらなかったし。こうなると、知っている奴から話を聞くしかないみたいね」

「……クライブとラナですよね。僕に任せてもらっていいですか?」

「そうしてもらえるとありがたいわ。私がいるなんてばれたら、面倒は確実でしょうし。それじゃあ戻るわよ」

「はい」

 アルとセリアが揃って歩き出す。

 フクロウの鳴き声と飛び立つ音が聞こえたのは、ちょうどその時だった。

 今まで静か過ぎることを不思議に思っていたアルは、ついフクロウの姿を探す。だが夜の木々が広がるばかりで、フクロウの影も形も見えなかった。

「っ!」

 そして同じように森の木々を見上げたセリアの表情が強張った。すぐさま弓を手に取り、息を吐く間もなく頭上の闇へ矢を放つ。

 人間とも動物とも思えない悲鳴が響き渡り、なにかが枝葉をかきわけ落ちてくる音が聞こえてきた。

「今のは……」

「いいというまで黙ってなさい」

 荒事に慣れ始めているアルは口を固く結び、動揺を心の中へ押し込める。そしてセリアの後を離れないよう、注意しながら追っていった。

 セリアが向かった先には、黒い鳥のような死体が地面に落ちていた。首には致命傷となった矢が刺さっているが、そんな見慣れたものなどアルの目には入ってこなかった。

 死体となった生き物は鳥と同じように二つの翼を持ち、黒い羽で全身が覆われていた。しかし頭には五つの目が秩序なく散らばっており、さらにくちばしの代わりに歯が生え揃った口がついている。

 明らかに普通の鳥とは別の生き物だった。

「……鳥じゃないですよね」

「魔物のペットよ。ずっと見られていたと考えるべきでしょうね。我ながら間抜けだわ」

 忌々しそうな顔でセリアは刺さった矢を引き抜き、回収する。

「事情が変わったわ。今すぐお前の友人に話を聞きにいくわよ」

「はい……!」

 セリアとアルが村へ向けて走り出そうとした。しかし一歩踏みだしただけでセリアは立ち止まり、後ろを振り向いた。

「……まだ近くにいるんですか?」

 隠れようとするアルを無視し、セリアは周囲に意識を傾ける。

 夜を歩くせいで、目よりも気配に頼っていたことが幸いだったのかもしれない。あるいは少し前に、同じ経験をしていたおかげかもしれない。

 とにかくセリアは不自然な足音に気がつき、ロングソードを抜いた。

「しつこいわね。右目と腹だけじゃ足りないわけ?」

「……それだけじゃないだろ。お前が奪った物は」

 どこからともなく聞こえてきた声に戦慄し、アルは必死に辺りを見回す。だが自分とセリア以外、誰の姿も見えない。

 続けて地面を蹴る音と風を斬る音が聞こえた。音を防ぐようにセリアがロングソードを動かす。

 金属と金属がぶつかりあう音が鳴り響き、曲刀を手にした男がセリアの目の前に現れた。

 突如現れたのは、ダルドの家で銀髪についてきたあのよそ者だった。前に見たときよりも血と泥で汚れており、腹部には新しい包帯が巻かれていた。

「……どうして抵抗するんだよ。わかっているんだろ? 自分は死ぬべき人間だって」

「勝手なこと言ってるんじゃないわよ!」

 男のほうが深手にも関わらず、噛み合っている剣はセリアのほうへと押し込まれていく。

 力では不利とみたセリアが距離を取ろうするも、男はまとわりつくように離れようとしない。本調子ではないセリアは逃げきることができず、再び曲刀をロングソードで受け止めた。

「……今度はなにも知らない子供を巻き込んでいるのか。なんでお前は生きてるんだよ? そこまでして死にたくないのか?」

「死に方くらい自分で決めるわよ! 他人のくせして首をつっこんでくるな!」

「……その他人がお前のせいでどれだけ死んだ!? どれだけ死んだのか、お前はもう忘れたのか!?」

 冷たく乾ききっていた男の声が、あふれんばかりの恨みと憎しみで濡れていく。噛み合っていあ剣の真下から男の拳が襲いかかり、セリアの腹を撃ち抜いた。

 咳き込むセリアの心臓を、首を、頭を、男は執拗に狙っていく。避け続けるセリアの顔や首から血がにじみ始めた。

 一方的となり始めた戦いの外で、アルはセリアの危機を目で追っていた。このままだとどうなるか、アルにも簡単に予想できた。

 立ちつくすアルの前で、再びセリアの腹に男の拳がめり込んだ。歪むセリアの顔と血に濡れていく彼女の姿が、あの時と同じようにアルの迷いを押し流した。

 木の枝を掴んだアルは、雄たけびを上げて男へ襲いかかる。

 だがあの時とは違い、アルは男の蹴りによって簡単に吹っ飛ばされてしまった。

「邪魔するな! この女は殺されて当然なんだ! だから俺が殺してやる! あいつらがされたようにぶっ殺してやる!」

 狂ったようにわめく男はセリアを殺すこと以外眼中にない。吹っ飛ばされたアルが革鞄から薬瓶を取り出すことも見ていなかった。

 そしてセリアへ曲刀を振り上げる男に対し、アルは蓋を空いた薬瓶を投げつけた。瓶が男の頭に直撃し、中身が包帯から右目の傷へと侵入する。

 薬をかぶった男は右目を押さえ、意味のわからないことを叫びながら曲刀を振り回し始めた。

「セリアさん、今のうちです! 今なら逃げられます!」

 直後に放たれた矢が男の太腿を抉った。当然、男は立っていることができず、地面へと倒れる。

 向き直ったそこには、手にした弓矢で男の額を狙うセリアがいた。

 人が死ぬ光景が、この場を独特の緊張感で満たしていく。

 いつ男が殺されてもおかしくないのに、アルの口からセリアの止める言葉はでてこなかった。

 だがセリアはとどめの矢を放つことなく、黙って弓矢を戻した。

 見逃したことは男を落ち着かせるどころか、逆に憎しみを煽り立てた。 

「また恩を売るつもりか!? 自分の髪が何色か言ってみろ! 今すぐ死ぬことがお前にできる唯一の償いだろうが!」

「……無視しなさい。行くわよ」

 曲刀や石を投げつけてくる男を無視して、セリアは歩き出す。彼女の体にはにじんだ血の跡がいくつも残っていた。

「……薬、まだ残ってますけど」

「戻ってからでいいわ、少なくとも、もう少し静かになったらね」

 男の姿が見えなくなっているのに、まだ森の中からは叫び声が聞こえていた。

「……知り合いなんですか?」

「ええ、子供の頃からの。別に仲が良かったわけでもないけど」

「……だったらどうして」

 あれほどまでに、あなたの死を望むのか。

 最後まで言い切ることができないアルの質問に、セリアは返事をしない。

 その代わり、何度も振り向いて後ろに居るアルの顔をうかがう。

 だがセリアの心が決まるには時間が足りなかった。なにも語ることができないうちに森が終わってしまい、村が見えてきた。

 戻ってきた村にはいくつもの灯りが揺らめき、家屋や畑がうっすらと照らされていた。    

 見慣れた村の風景に、アルはほっと胸を撫で下ろす。

 直後に、その風景から不吉な違和感を覚えてその場に立ち止まった。村を出たときはあんな灯り、どこにもなかったはずなのだ。

 違和感の正体に気がつくと同時に、セリアが先走らないよう手で制止してくる。はやる気持ちを抑えて、アルは草木を利用しながら村へ近づいた。

 近づくにつれ、徐々に村の様子がはっきりと見えるようになってきた。

 最初に見えたのは村人の姿だった。この時間なら家の中で寝ているはずの彼らは、怯えた様子で一箇所に集まっている。そんな彼らを照らしているのが周りにあるたいまつだ。

 そしてそのたいまつを持っていたのは、数え切れないほどの魔物だった。魔物達は武器を振り回したり、小突いたりして村人をもてあそんでいる。

 その光景にアルは寒気にも似た戦慄を覚え、必死でクライブとラナの姿を探した。二人とも、他の村人と同じように魔物に取り囲まれていた。

「クライブ! ラナ!」

 茂みから飛び出そうとしたアルをセリアを引き戻し、さらに口を塞ぐ。彼女らしくもない、とても慌てた様子で。

「馬鹿……! あの数が見えないわけ……!?」

 茂みへ連れ戻したアルに、セリアは小声で怒鳴る。

「……出ていったところで村人の仲間入りか死体になるだけよ。趣味に合わないでしょうけど、今は自分のことだけ考えなさい」

 セリアの言うことが正しいのは、アルにもわかっていた。それでもアルは、魔物の中にいるクライブとラナから目を離すことができない。

 こうしている間にも、彼の中で焦燥が膨れ上がり続けていた。

「……だったら、いい場所があります。水路をさかのぼっていく途中にあった大きな岩。あの近くに狩猟小屋があるんです。薬が置いてありますし、針と糸も残っているはずです」

「……この状況には、おあつらえむきな場所ね。とりあえずそこへ移るわよ」

 セリアが茂みを利用しつつ、森の中へと戻っていく。だがアルはセリアの後を追おうとしなかった。

「なにしてるの……? そこにいたって、なんにもならないわよ」

「……わかってます。わかってますけど、僕だけ助かるわけにもいかないんです」

 訝しげだったセリアの顔が強張る。馬鹿にされると覚悟していただけに、そんな顔をしてくれることがアルは少しだけ嬉しかった。

「……だからセリアさんだけで逃げてください。昼間のスープとか、魔法の話とか、色々ありがとうございました」

 再び連れ戻そうとするセリアの手より早く、アルは茂みから抜け出した。

 クライブとラナを助ける方法はまだ思いつかないが、あの村は自分が生まれ育った村だ。近くまでいけば、なにか思いつくはず。

 そう思ったアルは建物を死角に使いつつ村へ近づいていく。

 しかし森を抜ける直前、地面から現れた巨大な砂の塊がアルの行く手をさえぎった。

 突然現れた砂の塊は生きているかのようにうごめき、目の前で形を整えていく。やがて砂の塊は、アルよりも倍以上の背丈をもつ巨大な人形と姿を変えた。

 砂の人形が、驚愕と恐怖で硬直しているアルへ拳を動かす。

「アル!」

 だが拳が振り下ろされる前に、追いかけてきたセリアがアルを抱きかかえた。そのせいで代わりに、セリアが人形の拳を受けることになってしまう。人形の圧倒的な質量は、二人はまとめて近くの木まで吹き飛ばした。

 木の幹にぶち当たったときもセリアはアルをかばった。

「……ほら、私の言ったとおりじゃない」

 呟くセリアの唇から血がこぼれる。その血は彼女の服だけでなく、アルの顔まで濡らしていた。

「……なんで」

「気まぐれよ。……そうに決まってるわ」

 呆然としているアルを離してセリアが立ち上がった。彼女の鎧は、肩や背中を中心に赤く染まっている。なのに、セリアは自ら砂の人形との距離を詰め、懐へ潜り込んだ。

 まるで自分を囮にしているかのようだった。

 懐からの剣撃により、人形の右足は砂となって飛び散る。だが人形は倒れるより先に、砂の塊へ形を戻した。

 そして塊のまま飛び跳ね、津波の如く覆いかぶさろうとしてきた。

 防御できないと判断したセリアは、血が流れ続ける体を動かして必死に回避する。同じことを何度か繰り返すうちに、彼女はアルの元へ追い込まれていった。

 その一方で剣撃によって飛び散った砂は、塊へと戻り始めていた。

「……やっぱり駄目ね。どうする? 今なら一人で逃げられるわよ」

「一人って、それじゃあセリアさんが……」

「人の心配をしている場合じゃないって、今さっきわかったでしょう!? いいからさっさと逃げなさい!」

 だがセリアの行動は、彼女自身の望みとは裏腹にアルが逃げられない理由をさらに一つ増やしていた。アルがその場に留まっている間にも、戦いの音を聞きつけた足音と話し声が近づいてくる。

 結局、アルはセリアのそばから離れないまま、魔物は二人を見つけてしまった

 仲間を呼ぶ魔物にセリアは舌打ちし、アルの腕を取ってこの場から逃げ出そうとする。

 しかし、数歩もしないうちにアルを巻き込んで転んでしまった。

「……っ」

 アルはすぐに立ち上がったものの、セリアは地面から体を起こすこともできない。アルが支え起こそうとする間に周囲は魔物で埋めつくされ、アルとセリアは完全に逃げ場を失った。

「チかくにいることはわかっていたが、まさかこれほど早く見つかるとはな」

 奇妙な発音の言葉と共に、魔物達の中からひと際大きな魔物が進み出てきた。身につけている斧も鎧も宝石で装飾されており、体格も他の魔物より一際大きい。

 魔物の中でも隊長格のようだった。

「……ここまで追ってくるなんて、魔物っていうのは人間と同じぐらい暇らしいわね」

「ソれだけ貴様の存在が重要だということだ。タとえ、どこまで逃げようと我々は必ず追い詰める。アきらめて運命を受け入れるがいい」

 魔物の隊長が近づいてくるのを見て、セリアは必死にそばにあるロングソードへ手を伸ばす。だがいつもなら簡単に取れる距離なのに、今のセリアには遠すぎた。

 その原因が誰なのか、セリアの血で濡れているアルには痛いほどわかっていた。

 無謀だと知りつつもアルはロングソードを掴み、隊長へ構えた。

「い、今すぐここから出ていけ! そうじゃなきゃ斬るぞ!」

 自分よりもずっと大きく、威圧的な雰囲気を漂わせる隊長を前にアルの声と体は震えていた。なのに隊長は大きく距離を取り、周囲を囲む魔物達が狼狽し始める。

 最大限の警戒しつつ、隊長は話の相手をアルヘ変えた。

「レいの子供か。ムらにはまだ私の部下が残っている。ソの女を引き渡せば、お前を含めて村の無事は保証しよう。ダが戦うというならば、村の人間は皆殺しにされることだろうな」

 アルは思わず村の様子を確かめる。が、魔物の壁に阻まれて、村の様子を確認することはできない。

 葛藤を察知した隊長が言葉を重ねた。

「ソの女のために我々はここまで来た。ソの女はお前達に災厄をもたらした悪魔なのだ。ミすてたところで誰もお前を咎めはしない。サあ、そこをどけ」

 よそ者の男と同じようなことを魔物の隊長が話す。誰もがセリアの敵だった。

 さらに逃げられない理由が一つ、アルの中で増えた。

「違う、僕はよそ者だ! あの村とは関係ない!」

 向き直ったアルが必死に叫ぶ。

 対して隊長は目を細くし、村のほうを指差した。壁となっていた魔物達の中から数匹が村へと走り出した。

「メのまえで誰かが死んでも同じことが言えるか、試してみるとしようか」

 ロングソードの刃先が揺れたのをセリアは見逃さなかった。

 また、セリアは力と体格で圧倒的に勝っているはずの魔物が、アルを警戒している理由にも気がついていた。

 おそらく魔物達は、光の鏡で起こったことを知っているのだろう。その力がないとわかれば、アルは一瞬にして殺されてしまうはずだ。

 自分の前に立つ少年に、セリアが静かな声で話しかける。

「……一つ良いことを教えてあげる。私を引き渡せば、村が助かる可能性はあるわ。だけどそれも今だけの話よ。もたもたしていると皆殺しになる」

「だから引き渡せって言うんですか……!? 絶対駄目ですからね、そんなの!」 

「……助けたい人がいるんじゃないの?」

「その中にセリアさんが含まれてないって誰が言いました!」

 会話している間にも砂の塊が後ろへ回り、二人に近づいていた。だが、隊長にばかり注意を傾けているアルは少しも気がついていない。

「ほんと、世話の焼ける……」

 呟きの後、セリアは胸元のペンダントを引き千切った。

「耳塞いで目を閉じなさい! それでも痛いわよ!」

 反射的にアルは言われたとおりの体勢を取る。それを隙と見た隊長と砂の塊が、揃ってアルに襲いかかった。

 しかし二つの攻撃より早く、セリアはペンダントを石に叩きつけた。ペンダントの宝石が割れた直後、頭の中を直接揺さぶられるような苦痛と針で刺されるような耳鳴りがアルを襲った。

 ただ、苦痛と耳鳴りは最初がピークで時間がたつにつれて徐々におさまっていく。痛みがおさまった後、アルはおそるおそる目を開けて周囲を確認した。

 周囲では、隊長を含めたすべての魔物達が目や耳から血を流して倒れていた。また砂の塊も無数の粒となり、震えながら集合と離散を繰り返していた。

 そしてこの状況を作り出したセリアも力尽き、横たわった。

「……セリアさん! なんでセリアさんまで!」

「空気を振動させる魔法っていうのは強力だけど、だれもかれもお構いなしなのが難点よね……」

 血に濡れた顔でセリアが笑みを浮かべる。満足げで嬉しそうな笑みだった。

「……後は友人を助けるなり、一人で逃げるなり、お前の好きにしなさい。ここにいる魔物は当分動けないはずだから」

 それはセリアも同じだった。目や耳を血を流し、服が真っ赤に濡れているセリアはとても一人で動けるように見えない。残していけば、代わりに死が迎えにくるだろう。

 それでもアルは村の方角を見ずにはいられなかった。だが、いくら探してもクライブやラナの姿は見えない。人間とは違う大声が聞こえてくるだけだ。

 長い葛藤の後、アルはロングソードを捨ててセリアに肩を貸すことを選んだ。

 自分を助けるため、村から離れていくアル。そんなアルにだけ聞こえるような声でセリアが問いかける

「……どうして私を助けるの?」

「助けてくれた人を助けて、なにが悪いんですか!」

「……馬鹿ね、私は……」

 セリアの言葉は続かなかった。

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