表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰と咎のアルフレッド  作者: 水一 澄也
PR
1/5

予兆が来たりて

 彼が外へ出たとき、すでに魔物の一部が暴れていた。

 突然の出来事に一部の人々は逃げ惑い、それ以外の人間は血を流して倒れている。見慣れたはずの光景と人々が、惨劇の一部となっていた。

 魔物に追いかけられていた一人が彼の姿を見つけ、走り寄ってくる。

「助けてくれ! ずっと追ってくるんだ!」

 彼は助けを求める人間をかばって、魔物に斬りかかる。巨大な斧が狙いを変えるより早く、斬撃が魔物の首筋を斬り裂いた。

「大丈夫か! 住宅街のほうはどうなってる!?」

 状況を聞き出そうと、彼は振り返った。

 だがそこで見たのは、助けたはずの人間がハンマーによって叩き潰される光景だった。怒りに任せて新手の魔物を斬り裂くものの、肉の塊はなにも変わらなかった。

 周りでは、すでに逃げ惑う人々よりも魔物のほうが多くなっている。すべてを助ける力も時間も自分にはない。

 彼は迷いを振り払い、人々も魔物も無視して自分の家へと急いだ。

 しかし、他人を見捨ててまで辿り着いた家には誰一人として残っていなかった。血や死体の跡がないことに安堵しつつ、彼は近場を探そうと外へ出る。

「……お、お願いです! 私達はどうなってもいいですから、子供だけはどうか!」

 直後に聞こえてきた声は、彼にとってよく知っている声だった。だが絶えず悲鳴が聞こえてくるせいで、声の場所が掴めない。

「父さん、近くにいるのか!?」

「ア、アルフレッド!? ここは……」

 刃と肉の音によって聞き慣れた声は途切れた。なにが起こったのか理解してしまい、血が凍りついてしまったかのように全身が粟立つ。

 彼はいてもたってもいられず、走り始めた。

 今度はよく知っている声達が泣き叫び始めた。

「……アル兄ちゃん。父ちゃんが、父ちゃんが……!」

「俺は家の近くだ! どっちへ行けばいい!?」

 答えを聞く間もなく、また刃の音が聞こえた。しわがれた声が悲鳴を上げた。

「どこだよ! どこにいるんだよ!?」

 悲鳴と刃の音は続く。女性の声。青年の声。幼い声。どこにいるかもわからないまま、知っている声が消えていく。

 やがて悲鳴はなくなり、立ち去る足音だけが聞こえてきた。彼はそれでも家族の名前を呼び、必死に走り続ける。

 そんな彼の前を、ローブに身を隠した女が横切った。弓矢を背負い、ロングソードを手にしている女だ。フードの間からは、見覚えのある銀髪がこぼれていた。

 焦燥と絶望が、殺意に変わった。

「……セリアアアアアアアアアアァッ!」

 悲鳴にも似た絶叫を上げ、ローブの女に斬りかかる。女も絶叫に反応し、ロングソードで身を守った。

 金属がぶつかりあう衝撃で女のフードが外れ、銀髪が露となる。

「お前のせいだっ! お前のせいでみんなが!」

 町が壊滅したのも、家族が皆殺しにされたのも、なにもかもが女への殺意に変わっていく。

 あふれ出る殺意のまま、彼はロングソードごと女を叩き割ろうとした。だが得物を振り下ろした場所に女はいない。

 代わりに、女は飛び退きながら弓矢を手にしていた。

 やじりは彼を狙っていた。



「なにやってんだよ、アル」

 話しかけられた途端、水路でずぶ濡れになっていた赤毛の少年は水の中へ足を滑らせてしまった。それでも、少年が必死にどかそうとしていた錆の箱は少しも動かなかった。

 その様子に、声をかけた金髪の青年が呆れた顔をする。そしてためらわず水路へ入ると、少年を助け起こした。

「この箱のせいでさ、水が止まってて」

「そりゃ見ればわかる。俺が聞いているのは、他人の畑でそんなことをしている理由だ。知らせるなりして、本人にやらせておけばいいんだよ」

「僕がやったほうが早いだろ。それにクライブ、この畑って村長さんのだよ。たぶん、やらされるのは使用人の人達だと思うけど」

「……ったく、本当お人好しって言葉がぴったりだな」

 クライブと呼ばれた青年が悪態を付く。しかし、赤毛の少年アルは苦笑するだけで気を悪くした様子はなかった。

 クライブは、まだアルが生まれてもいないときに両親を亡くし、アルの父親と母親に引き取られた。だから生まれたときからアルのそばには兄貴のようなクライブがいて、なにかと自分の面倒を見てくれていた。

 今日もまたいつものように、悪態とは裏腹にクライブはアルを手伝い始める。腕を捲くって白い肌を晒し、錆の塊のような箱を掴んだ。

「そっち持てよ。俺も一緒ならなんとかなるだろ」

「いつも付き合わせて悪いね」

 笑顔で謝るアルと自嘲げに笑うクライブが息を合わせて、掴んでいる手に力を込める。アルだけでは動かすこともできなかった箱も、クライブが力を貸してくれたおかげでなんとか堤防まで持ち上げることができた。

「足に気をつけろ! せーの!」

 掛け声に合わせ、二人は錆びた箱を地面に下ろす。続けて、アルも疲れた声と共に地面へ座り込んだ。

 一方でクライブは、水路から引き揚げた箱に初めて興味を持ったようだった。

「で、いったいなんなんだ。この箱は」

「……なんだろうね。錆びてるから、この間の大雨で流れてきたんだろうけど」

「じゃあ光の鏡からってことだな。……なぁ、アル。ひょっとしてこいつの中身、お宝がだったりするんじゃないか?」

「曰く付きのほうが可能性が高そうだけど。ダルドさんや村長に話を聞いてみたほうがいいんじゃない」

「見るだけだよ。万が一お宝だったら、取り分は半々でいいよな」

 見るだけと言いつつも、クライブは分け前のことまで決めてしまう。

 だが箱を開いた途端、期待に満ちていた顔は肩透かしへと変わった。

「なんだ、中身まで錆びてるぜ」 

 気の抜けた声で、クライブは箱の中身をアルに見せる。

 それは真っ黒に錆びた棒だった。錆と腐食でボロボロになっており、元がなんだったのか見当もつかない代物だ。値打ち物にはとても見えなかった。

「……なにこれ」

「なにって、どうみてもただのゴミだろ。光の鏡なんていうから期待してたけどよ。結局ただの泉と変わらないな」

 失望したクライブが錆びた棒を草むらへ放り投げる。丈の長い草に紛れ、錆びた棒は見えなくなった。

「それよりアル。配達の手伝いで親父が呼んでるんだ。そろそろ戻らないと俺と一緒に怒られることになるぜ」

「……ああ、うん。それじゃあ急いだほうがいいね」

 錆びた棒などすぐに忘れたのか、クライブは靴にたまった水を捨てると脇目も振らず家へ急ぐ。

 ただ、アルは理由もわからないのに錆びた棒のことが気になってしかたなかった。だからクライブの後を追う前に、一度だけ草むらのほうを振り返った。


 家に戻るとクライブの言っていたとおり、父親と配達物がアルを待っていた。だがずぶ濡れな二人に、父親は配達物を引っ込める。

 その横では、アルの母親が目を丸くしながら二人分の着替えとタオルを用意していた。

「ずぶ濡れでどうしたんだ。ふざけて水路に落ちたか?」

「ちょっとね。新しい水路でゴミがあったから……」

「俺はこいつの手伝い。一人じゃ無理だって泣きつかれたから仕方なく」

「頼む前にクライブが下りてきたんだろ。確かに一人じゃ無理だったけどさ」

「つまり、いつものようにアルがお節介をして、クライブがわざわざ付き合ったわけだな。よくわかったから、二人とも体拭いて着替えてこい。それが終わったら、アルはダルドと村長の馬鹿へ配達。クライブは修理の続きだからな」

 二人のやり取りに慣れているのか、アルの父親は最後まで聞かずに自分の仕事へ戻っていった。代わりに、母親が笑顔でタオルと着替えを置いていく。

 なんとなく気恥ずかしくなり、アルとクライブは顔を見合わせる。そして先ほどまでのやり取りは忘れて、着替えを済ませることにした。

 着替えを終えると、アルは配達物を手にダルドの家へと向かった。何度も行ったことのあるアルからすれば、目をつぶってでも辿り着ける場所だった。

「すいません! 修理した椅子、持ってきました!」

 遠慮なく玄関を開けて、アルは中へ呼びかける。少し待つと奥から家の主である老人が現れた。

「ようやく来たか。あまりにも遅いから、こちらから出向こうかと思っていたのだぞ」

「……遅くなってすいません」

 厳しい顔をするダルドは体のあちこちに傷の跡があった。白くなった髪の毛とは裏腹に背筋はまっすぐに伸びており、足取りもしっかりしている。

 それだけに彼と対峙すると、威圧される者は多い。アルも例外ではなく、恐縮した様子で配達物である椅子を手渡した。

 配達を終えたアルはお辞儀をし、この場を後にしようとする。しかし、振り返るアルをダルドは逃がそうとしなかった。

「なにをやっている。待っていたのはお前のほうだ。この間のように一匹も狩れないまま、弟子を名乗られても困るからな。ついでに新しい薬草もいくらか教えてやる」

 特訓することはダルドの中で決定事項のようだった。アルは困った顔をして、帰り道とダルドを交互に見比べる。

「えっと、まだ村長さんへの配達が残っているんですよ。待たせるのもまずいんで、森へ行くのはもうちょっと後にしてもらっていいですか」

「配達など明日にしておけばいい。村長ならば少しくらい遅くなったくらいで困りはしないだろうからな。弓と道具を取ってくるから少し待っていろ」

 アルの都合を無視して、ダルドは家の中へ戻っていた。

 帰るのが夜になったら、父さんや村長になんといわれるか。

 そう考えた途端、一人残されたアルはだんだんと恐ろしくなってくる。

 だが突然 家の中から聞こえてきた甲高い声がアルの思考をさえぎった。それは外にいるアルにも聞かせているような、必要以上に大きな声だった。

「私、休憩のために色々用意していたんだけど!? 狩りなんて、ちょっとくらい後にしてもいいじゃない!」

 この大声の後も、何度か会話らしき声が中から聞こえてくる。それが止むと、ダルドはうんざりした顔で出てきた。

「ラナもお前が来るのを待っていたらしい。森へ行くのはお茶の後にするぞ。すねられるのも困るからな」

 どっちにしろ、手伝いのことは完全に無視されていた。色々諦めたアルは、ダルドの後をついて家の中へと入っていった。

 家の台所では、アルと同い年くらいの黒髪の少女が沸いた湯をポットに入れていた。黒い瞳でアルを見つけると、少女は当然のようにドライフルーツとカップが置かれているテーブルを指差した。

「好きな場所に座っていいわよ。もうすぐお茶もできるから」

「……それなんだけどさ。この後、村長のところにも配達に行かなきゃならないんだ。どうにか、ラナからダルドさんを説得してくれないかな」

「村長なんて待たせておけばいいのよ。私達よりいい物に囲まれて上に、おいしい物だって食べているんだから。ほら、早く座りなさい」

 急かすように、ラナと呼ばれた少女がアルの背中をつねる。元々説得できると期待していなかったアルは、観念した様子でダルドの向かいに座った。

 アルとダルドが席に着くと、ラナはカップにお湯を注いでいく。うまくいったのか、注ぎ終わったラナは黒い瞳と口元に笑みを浮かべながらカップを配った。

「この季節しか飲めない貴重なお茶なんだからね。じっくり味わって飲みなさい」

「採ってきたのは私だし、干したのも私なんだが」

「好きに飲んでいいっていったのはおじいちゃんでしょ! 昨日のことなのにもう忘れたの!?」

「……いや」

 威厳に満ちたダルドもたった一人の家族であり、孫でもあるラナにはたじたじだ。勝ち目のない話を避けるようにカップを口へ運ぶ。 そして孫が入れてくれたお茶に、ダルドは滅多に見ることができない微笑を浮かべた。

 そんなダルドにならって、アルもまたお茶を一口飲んでみる。

 途端に、野生の果物とは違う柔らかい甘さが口の中に広がった。貴重というだけあって、それは配達の不安を忘れさせるくらいおいしかった。

「もっとありきたりな味を想像してたけど。……なんていうか、すごいね、これ」

「見直したでしょ。アルのことだから絶対期待してないと思ったもん」

「……いやいや、そんなことないよ」

 見透かすようにラナの笑顔が大きくなる。

 だがカップに口をつけたころから、徐々に彼女の笑みが曇っていった。貴重なお茶の味も、彼女自身は楽しむことができていないようだった。

「……こんなにおいしいのにクライブも馬鹿よね。お茶と違って、仕事なんていつでもできるのに」

「クライブの奴、断ったの?」

「……昼間は忙しいから駄目だって」

 一層暗くなった顔でラナはドライフルーツへ掴めるだけ掴む。それらをまとめて口へ放り込み、当り散らすかのように噛み砕いた。その姿にアルは彼女が落ち込んでいる分だけ、後でクライブをからかってやろうと決意する。

 そんな決意をおくびにもださず、アルはラナを慰めた。

「クライブはお父さんからも頼りにされているし、僕なんかよりずっと忙しいんだよ。ラナのことを嫌ってるとかそういうわけじゃないから」

「……知ってるわよ」

 そう言いつつもラナはあまり明るくない顔で、テーブルの上に小さな袋を置いた。

「これ、余ったのだから後で飲ませてあげて。たぶんだけど、クライブも気に入るんじゃないかと思うから」

「甘い物好きだから、絶対気に入るよ。次からは仕事を放り出して、お茶を飲みにくるくらいにはさ」

「そうなったら私、クライブと一緒に怒られちゃうかもね」

 アルの励ましに笑みを浮かべた後、ラナはもう一度自分が入れたお茶を口にする。今度はお茶の風味に、ラナは目を細くした。

「……うん、いい味」

「うむ、おいしいな」

 隣にいるダルドも同意する。しばらくの間、三人は黙ってお茶と干したドライフルーツを味わった。


「そういえば、アルにも話しおいてほうがいいだろうな」

 アルのカップが半分まで減った頃、ダルドが口を開いた。

「最近、村の近くでよそ者が現れているそうだ。村の中をうかがっていたと、つい先ほども私のところへ相談しにきた者がいる。聞いているか?」

「いえ、初めて聞きました。どんな人間だったんです、そのよそ者って」

「一言でいえば不気味らしい。右目を包帯で覆っていて、服には血がついていてな。目を離していないのにいきなり消えてしまったとも言われたよ。どこまで本当かは知らんが、一応気をつけておけ」

「そうしておきます」

「危ないっていうなら、アルよりクライブのほうだと思うけど。アルは大抵、おじいちゃんとかと一緒だけど、クライブは一人で森へ行ったりするんだし」

 ラナがカップを置いて話に入ってくる。

 ラナの両親は、クライブの両親と同じ流行り病によって同時期に亡くなっていた。似たような境遇が共感を呼んだのか、クライブとラナはアルの目から見ても仲がよかった。

 もちろん、共感以外の感情についてもアルは気がついている。

「心配しなくても、クライブにも忠告してやるつもりだ。……まったくこの前の大雨といい、最近は不穏なことばかり起こる。やはり光の鏡に水路を作ってしまったことを、エスト様がお怒りになっているのかもしれんな」

 光の鏡と聞いて、アルは水路を塞いでいた箱のことを連想する。最後まで水路をつくることに反対していたダルドなら、なにか知っているかもしれなかった。

「光の鏡で思い出したんですけど、ついさっき水路から錆びた箱を引き揚げたんです。中身は真っ黒に錆びた棒でした。その箱とか棒に心当たりはありますか」

「錆びた棒か。その棒はどうしたのだ」

「……ええっと、草むらへ捨てました」

「それが懸命だな。アルもわかっていると思うが、あの泉には強力な魔法がかけられておるのだ。呪われたくなければ、決して光の鏡にも、あの水路にも近づくんじゃないぞ」

「……強力な魔法といっても、ただの目くらましだって結果がでてるじゃない。大雨もこの季節ならいつものことでしょ。なんでもかんでも呪いに結びつけるの、いい加減止めてよ」

 ラナが聞きたくないといわんばかりに顔を顰めた。アルも何度となく聞かされた呪いではなく、もう少し具体的な話を期待していた。

 しかし、老人にはそんな二人の気持ちがわからず、机を叩いて反論し始める。

「なにを言うか! あの泉はな、エスト様と邪神の争いにまつわる場所なのだ! 決して人が触れていい場所ではないというのに! なのに、我々は禁忌に触れてしまった! 明日にも恐ろしい災厄がこの村へ降りかかるかもしれないのだぞ!」

 ダルドが大声を出した直後、見計らったように玄関からノックが鳴り響いた。突然の音にラナは体を硬直させ、カップを取り落としそうになった。

「……我々はエストさまへの畏敬を思い出すべきなのだ。なにか起こってからでは遅いというのに」

 まだ愚痴り足りないのか、しつこく呟きながらダルドは椅子から立ち上がる。

 基本的に、この村はよそ者が話題になるほど人の出入りが少ない。村人自体も多くはないので全員が顔見知りだ。

「それで、いったい誰なのだ? 自分の名前くらい言えるだろうに」

 だからダルドは無警戒に扉を開けた。

 そして自分の前に知らない男がいるのを見て、ダルドの思考が停止した。

 男の顔色は青白く、話のとおり右目が包帯で覆われていた。また、携えている曲刀の鞘には血がこびりついており、鉄のような臭いがアルとラナのところまで漂ってくる。

 そういった要素が、男が危険な人物であることを明白に表していた。

 予想外の来訪者に虚をつかれたものの、ダルドはすぐ我に返る。

 そして先ほどまで話題に上がっていたよそ者に対し、最大限の警戒をもって話しかけた。

「いったいなんの用だ」

「……人を探している。銀色の髪を持つ女だから、誰かすぐにわかるはずだ」

「銀色の髪? 死神を呼ぶと伝えられている銀髪のことか」

 いぶかしげな目でダルドが聞き返す。だがすぐにその目を鋭くし、男を突き放した。

「知らないな。最近、この村に来たのはお前だけだ」 

 よそ者が顔をずらし、中にいるアルとラナのほうを見た。よそ者と目が合ってしまったラナは目をつぶり、アルの後ろへ隠れてしまう。

 そのせいで、今度はアルとよそ者の目が合ってしまった。

 正気と思えない輝きを放つ左目は、質問の返事を求めていた。アルはラナはかばいつつ、彼女の分まで何度も首を横に振る 

 直後にダルドは自分の体をもって、よそ者の視線を塞いだ。

「あの二人も知らん。この村にはよそ者はほとんど来ないのだ。まして、銀髪のよそ者となればすぐに村中の話題となる」

 納得したのか、よそ者は黙って背を向ける。だがよそ者の目的がわからないダルドは目を離さずに話を続けた。

「ついでに警告しておくが、今すぐここから出ていったほうがいいぞ。この村は貴様のような人間を歓迎しない」

「……なら、俺からも警告しておいてやる。銀色の髪を持つ女を見たら、すぐに遠くへ逃げるんだ。逃げなかった奴らは死ぬか、死ぬよりもつらい目に合うだろうからな」

 そう言い残す声は左目と同じくらい澱んでいた。

 そして、よそ者は意味のわからない言葉を呟き始める。その行為にダルドが身構えた瞬間、よそ者の姿は前触れもなく完全に消えてしまった。

 自分の目を疑ったダルドは玄関から身を乗り出すものの、外には誰も見当たらない。どこからか土を踏むような音は聞こえていたが、それも徐々に小さくなっていった。

「……魔法ですよね。今のって、たぶん」

 ラナをかばったまま、アルがダルドにたずねる。いきなりよそ者の姿が消えたことは、家の中にいるアルにも見えていた。

「……断言はできん。とにかく今日の狩りは中止だ。今のことを、他へも知らせなければならんからな。そのついでに家まで送ってやるからお前も一緒にこい」

「は、はい」

 まだよそ者が近くをうろついているかもしれないのに、子供一人で帰させるわけにはいかない。そう考えたダルドがアルを呼び寄せる。

 ただしアルだけでなく、呼んでいないラナまで一緒についてきた。

「おじいちゃん、私も行ってもいいよね……?」

「そうだな。そのほうが安全だろう」

 ラナの顔には、一人になることへの怯えがはっきりと映っていた。ダルドも家に残すより一緒にいたほうが安全と考え、同行を許可する。

 そして狩猟用の弓と鉈を携えたダルドや怯えているラナと共に、アルは自分の家に向かった。


 それから少し時間が過ぎた頃、アルはクライブや自分の両親と共に村の中央にある集会場にやってきていた。

 集会場は村で最も大きな建物だ。問題が発生したとき、村中の人間がここに集まって話し合うのが慣例となっている。すでに集会所の中は、多くの大人達でいっぱいとなっていた。

 そんな中で子供であるアルがやってきたのは、よそ者を直接見ている人間だからだ。よそ者について説明を求められるかもしれないと父親が判断したのである。

 また家に残るより、大人が集まる集会所のほうが安全だと判断したからでもあった。

 アルの父親と同じように考えた村人は多いらしく、ダルドの隣にはラナがいたし、他にもアルと同じような年頃の子供達もちらほらと見かけた。

「しかしなぁ、やっぱりわざわざ集まるほどのことじゃないだろ。よそ者が来たっていっても、たかが一人だろうが」

 空いている場所に腰を下ろしつつアルの父親がぼやく。血の気が多い彼は、たった一人に怯えているようで今の状況が気に食わない。

 隣に座ったクライブが苦笑交じりに返答した。

「親父はいいけどさ。アルや母さんが襲われるかもしれないだろ? アルが言うには魔法を操って姿を消すそうだし」

「こそこそしやがってむかつく野郎だ。おい、アル、もし襲われたら俺のところへ逃げてこいよ。卑怯者なんざ返り討ちにしてやるからな」

「……そうする」

 父親の言葉に頷いたものの、内心ではそんなつもりはまったくなかった。父親が村で二番目に強いことは知っているが、よそ者がまとっていた雰囲気は一般人とは明らかに異質なものだったからだ。

(もし、よそ者に襲われたら隣の森へ逃げ込んで振り切ろう)

 アルが誰にも知られず決心したその時、一人の男が従者を連れて集会所の中へ入ってきた。途端に、集会場の村人達は話を止める、そして、軽蔑の目を悟られないよう注意しながら男を覗き見た。

 男の服は他の村人と違い、汚れてもいなければ色あせてもいなかった。代わりに体が脂肪で膨らんでおり、肌は油で輝いている。息が切れているのは決して長距離を歩いたせいではないだろう。

 この男が村の長であり、村の中でも飛びぬけて裕福な人間だった。

 ただし、村長という立場を利用して税をごまかしている。領主に賄賂を送った見返りに、色々と便宜をはかってもらっている。

 そんな噂が常につきまとっている人物でもあり、村での評判は最底辺に位置していた。

 事実、この男が近づいてくるとアルの父親は露骨に嫌な顔をし、母親とクライブは無表情で気づいていない振りをした。

「久しぶりにお前の顔を見た気がするな、木工屋」

「俺はあんたのツラなんてごめんでしたがね。で、わざわざ挨拶しにでもきたんですか」

「まさか、例の小物入れだよ。修理を頼んでから、ずいぶんと時間が過ぎているだろう。もし駄目なら、専門家に持ち込まないといけないからな。できないならできないとはっきり言ってほしいのだが」

「あんな安物、とっくに修理は終わってますよ。なんなら、帰りにうちまで取りにきたらどうです。いい運動になってその体も少しはまともになるでしょうよ」

 皮肉にすらなっていない不穏なやり取りを、クライブやアル、そしてアルの母親が息をのむ。しかし、周りの村人達は面白そうに眺めるだけで止めようとはしなかった。

「おおかた集まったようだな。そろそろ始めるとしよう」

 そこへ軽薄な雰囲気を、ダルドが硬い声で断ち切った。村人達は今の状況を思い出し、どことなく恥ずかしげな表情でダルドに注目する。

 村長もまた、興味を失ったふりをして奥にある自分の席へ向かった。しかし、父親のほうは執念深く村長をにらみつけていることに、集会所の人間すべてが気がついていた。

 これ以上脱線しないよう、ダルドは手早く話を進めていく。

「すでに聞いている者も多いだろうが、今日の昼、よそ者が私の家を訪ねてきた。これが今日、ここに集まってもらった理由だ」

「アルから聞いてるよ。だがいくら危なそうだからって、一人のためだけに集まる必要があるのか? よそ者はこれが初めてってわけでもないだろうが」

 まだ、怒りの冷めていないアルの父親が横から口を挟んだ。

「それも集まってもらった理由の一つだが、それだけではない。むしろ問題は、よそ者が探しているのは銀髪の女だということだ」

「銀髪の人間ってあれだろ? 死神を呼び込んだり、魔物や魔王が現れる前兆だったりする……」

 銀髪が不吉、災厄の象徴であることはこの村での常識だった。おとぎばなしの悪役は大抵銀髪なので、アルやラナといった子供でも知っている。

 緊張に満ちた顔でダルドが話を続けた。

「その銀髪だ。本当に銀髪が現れたとき、どうするか。皆、忘れていないだろうな」

「その場で殺すか捕まえなきゃいけないってやつだろ。逆に、かくまったりしたら村の人間すべてが連帯責任で処刑される。だけどこれ、本当の話なのかよ。どう考えてもやりすぎじゃないか」

「銀髪の人間に逃げられたときとかはどうなるんだ。それで村ごと処刑されるなんてごめんだぞ」

 まだ銀髪の人間が現れると決まったわけでもないのに、村人達は近くの人間と相談し始める。村ごと処刑されるという話に現実味はなかったが、それでも彼らを怯えさせるには十分だった。

「よそ者が銀髪を探しにくるなんて、今までじゃ絶対になかったよな。やっぱり光の鏡に水路を作ったのがまずかったんじゃ……」

 それは村にいる誰もが、大なり小なり考えていたことだった。同意を示すかのように集会場は静まり返ってしまう。

 すると、今まで話を話を聞くばかりだった村長が初めて口を開いた。

「何を言っている。あの水路はウルバス様の命令で作られたものなのだぞ。仮に呪いが存在するとしたら我々ではなく ウルバス様が真っ先に呪われるはずだ」

 村長の反論に、村人達の一部は安堵した様子で頷く。だがダルドやアルの父親を含めた大半は、白けた表情で村長の話を聞いていた。

 水路造設の際、村長は率先して指示を出し、物資から人手まで村人に協力させているのだ。それもこれもすべては領主であるウルバスにごまをするために。

 呪いが存在するとしたら真っ先に呪われるのはウルバス、その次が村長となるだろう。

「とにかく、よそ者はまだ近くにいるかもしれん。一人の時や子供には気をつけておけ。そして銀色の髪を持つ人間を見かけた時はすぐに私へ知らせろ。話は以上だ」

 冷めた雰囲気を察し、ダルドは話を終わらせた。

 不安が解決しないまま村人達は立ち上がり、自分の家へと戻っていく。アルもまた、両親やクライブと共に集会所の外へ出た。

 来る時にはまだ残っていた太陽も、今は完全に沈んでいた。空の上も村の中も夜で染まっており、フクロウの鳴き声や虫の合唱が鳴り響いていた。

 そんな夜の中で、ラナはアルとクライブが出てくるのを待っていた。二人の姿を確認するなり、彼女は小走りで近づいてくる。

「ねぇ、二人とも。途中まで一緒に帰らない? よそ者が近くをうろついているかもしれないんだし、人数多いほうが安全だと思うんだけど」

「……ラナの家だろ? 途中までって言われてもな」

 クライブが歯切れの悪い返事をした理由は、アルにもわかっていた。アル達の家とラナの家はちょうど反対方向にあるのだ。途中までとは建前で、実際には家まで送ってほしいとラナは言っているのだ。

 当然、その帰りはクライブとアルだけで夜道を歩くことになる。

「それにアルってば、クライブへのお土産を忘れていったんだよ。とってもおいしいお茶だから、ついでにクライブにも飲んでいってほしいなって……」

 クライブのためらいを感じたラナは、さらに言い募る。

 親しい相手には強そうに振舞うが、本当の彼女はとても怖がりな人間だった。それを知っているからこそ、クライブはラナの頼みをはっきりと断ることがでない。

 クライブの許可を求める視線に、アルとクライブの父親は笑いながら背中を押した。

「お前なら、アルの面倒を任せても大丈夫だろ。それにな、たまには母さんと二人きりにさせてくれよ」

 ずっと自分の陰に隠れていた妻を、父親が抱き寄せる。のろけにも似た行為に、母親のほうは気恥ずかしげにうつむくだけで拒否しようとしない。

 自分の親が男女であるのを目にしたクライブは、苦笑しながらラナの隣へ移る。

「それじゃあ、お言葉に甘えてお茶もごちそうになるとするか。少し遅くなるがアルもいいよな」

「もちろん」

 アルに反対する理由はない。クライブが断っても一人でついていくつもりだったのだ。

 そしてアルも安堵しているラナのほうへ移り、隣にいるクライブにわざと聞こえるような声でささやいた。 

「よかったね、クライブがいつでも守ってくれるってさ。やっぱり、クライブもラナのこと好きなんだよ」

「アル! 好き勝手に話を作るんじゃねぇ!」

 笑いながら逃げ回るアルを、クライブが全力で追いかける。もちろんラナはクライブの側につき、顔を赤くしてアルを追いかけた。

 そんな子供達の姿をアルの両親は愉快そうな笑顔で、ダルドはいつになく柔らかな表情で見ていた。


 

 こうして、よそ者の出現は村人達の心に大きな不安を作った。だが彼らの不安とは裏腹に、よそ者も銀髪も現れないまま時間だけが過ぎていった。

 日がたつにつれて、ダルドのような神経質な村人達もアルの父親のような血気盛んな村人も落ち着きを取り戻していく。一ヶ月もたつと村全体が元の生活に戻っていた。

 

 その日、アルとクライブは村の隣にある森を歩いていた。

 この森では村人達が昔から伐採や食べ物の採取、狩猟をおこなっている。そのせいか、森を構成する木々は育ちきっていないものが多く、木漏れ日で森全体が明るかった。

 クライブがこの森に来たのは、仕事に必要な木材の下見。アルは狩人の修行のためだ。

 修行の内容は、なんでもいいからアル一人で獲物を仕留める。そして肉や皮を剥いで持ち帰るよう、ダルドに言いつけられていた。

 弓の弦を確かめているアルにクライブが横から話しかける。

「その弓、ダルドさんはなんて評価したんだ。やっぱり辛口だったか?」

「初めてにしては悪くないって褒めてたよ。まずはこの弓を使いこなせるようになれって、僕のほうがせっつかれたし」

「相変わらず狩りは苦手なままか」

「動きは悪くないっていわれるんだけど、肝心の矢が全然当たらない。……前にも言ったけど、弓って狙いをつけるときに集中しないといけないだろ。そのときに命を奪うって感じがしてさ」

 アルの声がだんだんと小さくなっていく。

 その姿に本気で悩んでいることを察したクライブは、いつになく真面目にアルを励ました。

「あんまり深刻に考えるなよ。狩りなんて他の奴にやらせて、お前は薬に専念してもいいんだから。そっちのほうは順調なんだろ?」

「よく使う奴はほぼ覚えたよ。調合もできるようになったし」

「ほら、誰にだって向き不向きがあるわけだ。失敗したときのことなんて考える前にやるだけやってみろ」

「そうだね。そうする」

 クライブの言うとおり、アルは自分の精一杯を試してみることに決めた。

 だが現実は厳しかった。

 結局、アルは獲物を一匹も仕留めることができないまま、矢を使い果たしてしまう。最後のチャンスであった矢と鹿が森の奥へ飛んでいくのを、アルは苦い顔で見送ることとなった。

「……あそこからは入っちゃいけないんだよね」

「あっちまでいくとウルバス様の領地だからな。狩りなんかしたら、村長の嫌味ですまなくなる。まぁ、大人しく諦めとけ」

 アルはため息をついて、役立たずとなった弓を背中に戻した。その直後、森の奥から村の方角へ水路が伸びていることに気がついた。

「でもさ、確か光の鏡って森の奥だよね。水引いてるのにウルバス様、怒らないの?」

「水路に関しては、ちゃんと許可もらっているよ。というか、ウルバス様主導で始めたんだぜ。新しい畑ができればその分、領主の懐に入る量だって増えるわけだからな」

「……そうなんだ」

 領主様は呪いなどより作物の量のほうが大事らしい。

「それでアル。今日の修行は終わりにするのか? 村へ戻るなら送っていくが」

 考えに没頭しかけていたアルをクライブの声が引き戻した。

 矢がなくなった以上、森に留まっていても無意味だ。

逆に、自分に付き合っていたせいでクライブの仕事は始まってすらいなかった。いくら父親が付き添いを頼んだとはいえ、これ以上クライブに時間を取らせたくはなかった。

「うん、一度戻る。クライブは自分の仕事していいよ」

「……そうか?」

 あらためてクライブが森の中を見回す。森は入ったときと変わらず、よそ者の気配などどこにもない。

 また、昼近くになっても自分の仕事が始められないことを、クライブは内心で焦り始めていた。

「じゃあ、アルは先に帰っててくれ。だけど寄り道はなしだぞ。一応、よそ者が近くにいる可能性だってあるんだからな」

「わかってるって」

 頷いた後、アルは一人で来た道を戻っていく。その途中、振り向いてクライブへ大声を放った。

「クライブこそ気をつけてよ! 森の中によそ者が潜んでるかもしれないんだから!」

「大丈夫だって! 親父より怖い奴なんてこの世にはいないからな!」

 クライブも同じくらいの大声で言い返してくる。遠いせいではっきりとはわからなかったが、アルには笑っているように見えた。

 クライブと別れたアルは、これからのことを考えつつ帰り道を急いだ。

 まずはラナの家に行って、ダルドさんに報告して……。

 一匹も仕留められなかったと聞いたときのダルドを想像してしまい、アルの足が鈍る。

 その時、不意に視界の端で見慣れないものが映った。思わずアルは足を止め、周囲を確認する。

 探していた者は木々のずっと奥にいた。

 それは女性というものを意識したことがないアルでさえ、見入ってしまうほどの美人だった。年齢はクライブと同程度のようで、まだどこか少女の面影が残っている。

 だが黒の革鎧で身を包み、ロングソードや弓で武装している女性は近寄りがたい雰囲気を放ってもいた。似合っている物といえば、せいぜい緑の宝石をあしらったペンダントぐらいだ。

 そしてなにより、アルの目を引いたのは風に揺れる銀色の髪だった。

(あれって、よそ者やダルドさんが言っていた……)

 銀髪の女性は切り株に座り、短剣をじっと見つめている。木々の陰から覗き見ているアルには気がついていないようだった。

 このまま気づかれないうちに、アルは今まで走ってきた道を静かに戻り始める。まだ近くにいるクライブに知らせるつもりで。

 だがそれも、女性が自分の首に短剣を当てるまでの話だった。目を閉じ、短剣を当てる姿は自殺のそれにしか見えなかった。

「駄目です! 死んだってなんにもなりませんよ!」

 気がついたときには、アルは大声を出しながら女性の元へ走っていた。

 女性もアルに気がつき、喉から短剣を離す。そして素早い動作で身をひるがえし、短剣の切っ先をアルへ向けた。

 鋭い目と短剣に、アルはその場で急停止する。女性とアルの間にはまだ距離が残っていたが、女性が追いかけてきたら絶対に逃げ切れないことが肌で感じられた。

 女性は警戒のために、アルは恐怖のために、短い静寂が訪れる。

 しかし、すぐに女性が短剣を向けつつ近づいてきたため、アルの体は緊張で強張った。

「……どこの人間?」

「ち、近くの村に住んでいます。ホートって名前の村が、森の隣にあるんです」

 女性の返事はなく、刺すような視線も短剣の切っ先もアルから離れない。アルはその場に座り込みそうになるのを、必死にこらえ続けることしかできなかった。

 何時間にも感じられるような緊張の中、不意に女性が短剣を鞘へ戻した。

「確かにただの村人みたいね」

「あ、ありがとうございます。それじゃあ急いでますので!」

 短剣から解放されたアルは、すかさず全力でこの場を逃げだそうとする。だがアルの服を女性の手が掴んだせいで、アルは一歩も進むことができなかった。

「……まだなにか?」

「ちょうどいいわ。近くに住んでいるのなら、この辺りには詳しいんでしょう。案内してほしい場所があるの」

「こ、この後、家の手伝いが待っているんですよ。だから、できれば他の人に……」

「そんなの後にしなさい。すぐ終わるから」

 返事をする前に、アルは横目で自分を掴んでいる女性の右手を盗み見る。

 力づくでは一歩も動けないことは、先ほどの結果が思い知っていた。そして服を捨てて逃げたとしても、まともな結果になるとはとても思えなかった。

 刺激しないほうが安全だと、アルは諦めて女性に従うことにした。

「わかりましたよ。それで、行きたいところってどこですか」

「光の鏡と呼ばれている泉よ。知っているでしょう? そこへ案内すれば自由にしてあげるわ」

 光の鏡と聞いてアルは言葉に詰まる。呪いというものが本当に存在しているような気すらしてきていた。こんな状況でもなければ絶対に拒否していただろう。

 だがアルに拒否できるほどの力はない。重い足取りで森の奥へ向けて歩き出そうとする。しかし、女性が急に振り返ったせいで、またもアルはその場から動けなかった。

「どうしたんです。やっぱり止めるんですか?」

「そんなわけないでしょう。早く行くわよ」

 女性がアルを引っ張り、先へ進むことを急かしてくる。どうして女性が振り返ったのか、アルにはまるで理由がわからなかった。


 本当のことを言えば、アルは今まで光の鏡へ行ったことがなかった。だが、道に迷う心配はしていなかった。水路を辿れば自然と泉に辿り着くからだ。

 ここから先はウルバス様の森なんですけど、というアルの忠告は、関係ないの一言で無下にされている。光の鏡へ繋がっている水路をアルと女性は黙々とさかのぼっていった。

 ただし、恐怖がすべての好奇心を消し飛ばしたわけではない。

 どうして光の鏡へ向かうのか。何度も覗き見てくるアルに、女性はいらだたしげに舌打ちした。

「心配しなくても、泉に着けばちゃんと離すわよ」

「い、いえ、ただ、光の鏡にどんな用があるのかなって……」

「関係ないって今さっき言ったでしょう。それよりいつになったら泉に着くわけ? まだ歩かせる気?」

「それは……」

 光の鏡へ行ったことのないアルに答えられるはずがない。まともな返事をしないアルを女性はにらみつけ、問い詰めようとする。

 だが前方に泉らしき物が現れたおかげで、アルは窮地を救われることになった。

「あれです! あれがたぶん……、ちょ、ちょっと待って!」

 抗議を無視し、女性はアルを引きずって泉へ急ぐ。

 距離が縮まり泉の様子がはっきりと見えてくるにつれて、女性の速度は遅くなっていった。

「……これが光の鏡?」

「……だと思います」

 アルがはっきりと返答できなかったのは、初めて光の鏡に来たためではなかった。

 アルと女性の前には泉が広がっていた。だが泉の周りには石が敷き詰められ、ほとんど草が生えていなかった。また、泉にはいくつもの水路がつながっており、水路を作るために泉の形を変えた跡も残っている。 

 かろじて、鏡のような水面が幻想的な雰囲気を残しているものの、人工的に整備された溜め池という言葉しか浮かばない場所だった。

「……これが光の鏡だっていうなら、どうして水路がくっついてるわけ? 水路や溜め池のことなんて一言も書かれていなかったけど?」

「……最近作ったんです。新しい畑のために」

「ばっかじゃないの!? この泉がどんなものか伝わっていないわけ!?」

 激昂した女性がアルを水路へ突き飛ばす。まだ子供のアルは踏み止まることもできず、よろめきながら水路へと進んでいった。

「てめぇ! アルになにしやがる!」

 突然、聞き慣れた声がアルの耳に入ってきた。同時に水路へ落ちかけていたアルの体を白くたくましい手が支えてくれる。

 アルを救ったのは、兄貴分のクライブだった。

「アル、大丈夫か! 怪我は!?」

「だ、大丈夫。でも、どうしてここに? 仕事してたんじゃないの」

「お前が銀髪に捕まってるのを見つけて、ずっと後を追ってきたんだよ。すぐ助けてやれなくてすまねぇな。あの女が掴んでたせいで手が出せなかったんだ」

 アルを助け起こしたクライブは、女性へ向き直る。

「ガキに手を出したんだ。覚悟はできてるよな?」

 クライブは女性への怒りを隠そうとしなかった。

 それに対し、女性は凍りつくような視線を返す。驚きは一切なく、まるでクライブが現れることを知っているかのようだった。

「……これ以上邪魔をすると痛い目に合うわよ」

 女性の声は決して大きくなかったが、苛烈さと残忍さに満ちていた。怒りに燃えているはずなのに、クライブの足が一歩後ろへ退いてしまう。

 誤魔化すかのように拳を構えるクライブを、アルは止めるべきか迷っていた。誰かが怪我することは嫌いだったし、クライブが勝てるように思えなかったからだ。

 だが女性の恐ろしさがアルの心を鈍らせる。

 アルの心が決まるより早く、クライブは猛然と女性へ殴りかかった。

 次の瞬間、女性の掌打がカウンターとしてクライブの顔面に突き刺さった。クライブが顔を押さえたところへ、今度は女性の拳がみぞおち、わき腹と連続で叩き込まれる。

 戦いが始まってから決着まで本当に一瞬だった。

「警告を無視したんだもの。覚悟はできてることでいいわよね」

 息ができずに苦しんでいるクライブを、女性が見下ろした。その言葉と表情に、アルは嫌な予感を覚える。なけなしの勇気を振り絞り、女性とクライブの間に割ってはいった。

「なに? 次はお前が相手になるわけ?」

「ク、クライブのことは代わりに謝ります。水路のことも謝ります。その分、ぼ、僕が言うことを聞きますから、クライブを許してくれませんか」

「あら、健気。そこまでいうからには、殴られるぐらいの覚悟はできてるんでしょうね。一発、二発じゃなくて、気絶するまで殴られるぐらいの」

「そ、それで許してくれるなら」

「やめ、ろ、アル……!」

 絞り出すような声でクライブが制止するも、アルは退こうとしない。その代わり、見せ付けるように拳を作る女性の前で、目を固く閉じる。

 とても怖かったが、なにがきても逃げないつもりで。

 だがいつまでたっても衝撃と痛みはやってこなかった。

 なにも起こらないことに耐えられなくなり、アルはゆっくりと目を開ける。

 そこでは、白けた表情で自分を見下ろす女性がいた。

「さっさと家へ戻りなさい。後ろにいる馬鹿も連れてね」

 そういって女性は背を向ける。それでもアルは、見逃されたことに気がつくまで時間を必要とした。

 気がつくとクライブと共に急いでこの場から離れた。


 泉が見えなくなったのを確認すると、アルはすぐにクライブの手当てを始めた。水路で服を濡らし、未だに流れでている鼻血を拭いていく。

 わずかに中心を外れていたおかげで、骨が潰れていないことだけが今は救いだった。

「……もういい、アル」

「なにがいいんだよ。クライブが助けてくれなきゃ、どうなってたかわからないのに」

「……そうか? 俺には逆に助けられたようにしか思えないんだけどな」

 自棄気味な言葉がアルの言葉を詰まらせる。ただ慰めるだけの言葉など、クライブは必要としていなかった。

「銀髪のこと、知らせなきゃならないんだ。早く戻るぞ」

 治療しようとする手を払い、クライブは一人で立ち上がる。まだ足取りは確かでなかったが、その姿はアルの助力を拒否していた。


 怪我をして戻ってきたクライブを、父親も母親も驚いた顔で出迎えた。しかし、銀髪の女性にやられたと聞くと、父親は怒りだし、母親は怯えだす。対照的な反応だった。

 手当てのため、母親はクライブをダルドの家へ連れていく。

 一方でアルの父親は仕事を放り出し、怒りを持て余した様子でアルに詳細にたずねてきた。

「それで銀髪にやられたって言ったな。詳しく話せ」

「……一人で村へ戻る途中、銀髪を見つけて、それも、自殺しようとしてたんだよ。だから止めようとして……」

「一人で? クライブはなにやってたんだ。あいつに面倒任せてだろうが」

「僕がいいっていったんだよ! 僕につきあってたせいで、全然仕事ができなかったから!」

「わかった、その話はもういい。それより続きはどうなった」

「銀髪は僕を捕まえて、光の鏡に案内させた。クライブはそれを追ってきて、僕を助けようとして、やられたんだ」

「光の鏡か。今も銀髪はそこだな?」

「……たぶん、そうだと思う」

 父親は立ち上がり、仕事道具から木槌や鋸といった武器になりそうな物だけを取り出し始める。アルにとってどれも見慣れた道具のはずなのに、今に限ってはとても恐ろしい物のように感じられた。

「いいか、お前は家の中で大人しくしていろ。そのうち、母さんが戻ってくるからな」

「……ちょっと待ってよ。お父さん、まさか銀髪と戦うつもりなの?」

「その前に他の奴らも集める。知らせないと面倒なことになるってダルドの奴が言っていたし、クライブの仇を取るのに手段を選んでられないからな」

「知らせるだけにしたほうがいいよ! 目の前で見てたけど、クライブがまったく相手にならなかったんだよ!? 戦ったらお父さんだって……!」

 忠告を無視して父親は玄関を開ける。だが外へ出る直前、アルへ向けて苦言を言い残した。

「自殺を止めようなんてお前も余計なことをしたな。クライブがどうしてああなったのか、よく考えとけよ」

 余計なことといわれ、アルは咄嗟に反論しようとする。だが思い浮かぶ言葉は支離滅裂で、まともな形とならない。

 結局、アルは黙って見送ることしかできなかった。

 一人になったアルは父親が言い残した言葉を、それに対する答えをずっと考え続ける。

 悩み続けて時間の感覚がなくなった頃、不意に玄関からノックの音が聞こえてきた。クライブを心配していたアルは急いで玄関へ向かう。

 しかし、開けた玄関の先にいたのはクライブや母親ではなく、村の反対側にいるはずのラナだった。

 アルを見るなり、彼女は黙って怪我の有無を確かめる。そしてアルが無事なことに安心すると、ついでといわんばかりに頬をつねってから手を離した。

「……アルは怪我してないんだね」

「クライブが助けてくれたんだよ。それより、どうしてこっちに? クライブのそばにいると思ってたのに」

「だって、クライブの奴、教えてくれないんだもの。それどころか、おじいちゃんと話すからあっち行けって追い出してくるし」

「……そうなんだ」

 苦い顔をするアルに、ラナはあらためて問いかける。

「森でなにがあったの? クライブの怪我、仕事のせいじゃないよね」

 クライブが話さないのは、光の鏡での出来事をラナに知られたくないからだろう。

 そしてアルもまた、ラナに森で起こったことをあまり話したくはなかった。臆病なラナが聞けば、必ず不安になるとわかっているからだ。

 だが遅かれ早かれ、村中に伝わる話でもあった。

「……帰り道、僕が銀髪の女性に捕まったんだ。それでクライブは僕を助けようとして、銀髪にやられた」

「銀髪ってよそ者が言っていた……?」

「うん、本当に銀色の髪だった」

「……そうなんだ」

 ラナの返事は露骨なくらい小さくなっていた。なにかを考え込んでいるのか、その表情の硬いまま動かない。

「水でも飲む? 走ってきたんだよね」

「……うん」

 コップを水瓶の水で満たし、うなずいたラナへと手渡した。だがコップを受け取っても、コップの水を見続けるだけだった。

 そんな彼女の目が不意にアルのほうへ動いた。 

「……銀髪が死神や魔王を呼ぶって話、本当なのかな。そんなもの現れたら、この村なんて簡単に滅ぼされちゃうけど」

 魔王の話ならアルも聞いたことがある。

 銀髪が魔王を復活させる。復活した魔王が魔物を魔物を操り沢山の国が滅ぼす。そして最後に、勇者によって魔王が滅ぼされる話をアルもラナも子供の時から聞かされてきていた。

 だがそれらはあくまで、噂やおとぎばなしのような確証のない話だ。だからこそアルは、つい最近まで魔王や銀髪の人間など気にしたこともなかった。

「銀髪の人が本当に魔王を呼ぶかはわからないよ。ただ、とても強くて怖い人だった」

 クライブを瞬殺した技量といい、刺すような視線といい、明らかに銀髪の女性はアル達とは別の世界を生きている人間だった。

 そんな人間を相手に、平和に暮らしてきた村の人々が徒党を組んだくらいで勝てるのだろうか。もし女性が武器を抜いたら、怪我人だけではすまされないような気がしてならなかった。

「だから、あの人には近づかないほうがいいと思うんだ。ねぇ、ラナ。なんとか、お父さんを止める方法はないかな。お父さん、クライブの仇を取るつもりらしいんだよ」

「……でもおじさんって怒りっぽいし、頑固でしょ。それに銀髪は捕まえなきゃならないんだから、誰も止めないだろうし」

 ラナが困った顔で答える。

 本気で怒った父親を止めるのがどれだけ難しいか、アルもよく知っていた。大義名分もある以上、絶対に無理だろう。

 だとすれば、争いを回避する方法は一つしかなかった。

「……だったら、銀髪を説得するしかないね」

「銀髪を? そんなことできるわけが……」

 ラナの反射的な言葉はすぐに途切れてしまった。説得するというアルの顔は、すでに決意を固めていたからだ。

 慌ててラナはアルの頬をつねり、無謀な行為を止めようとする。

「説得するって、アル! ついさっき危ない目にあったばかりじゃない! それにかくまったりしたら全員処刑されるって話、聞いてなかったの!?」

「処刑されるようなことなんてしないよ。他のところへ移ってもらえるよう説得するだけだから。それに銀髪の女性と戦ったら、どちらにしろお父さん達が危ないんだ」

 ラナにつねられても、アルの表情は何一つ変わらなかった。

 アルがラナのことをよく知っているように、ラナもまたアルのことをよく知っている。こうやって心を決めたら最後、アルはてこでも動かないのだ。

 奇しくもそれは、父親から受け継いだ性格だった。

「私はちゃんと注意したから! どうなっても知らないからね!」「わかってるよ。ちゃんとラナには迷惑かけないようにする」

 わざと突き放して考え直させようとしたものの、アルは悩むことすらしない。

 その態度にラナは顔を歪め、頬から手を離して外へ出ていった。

 そしてラナと入れ替わるように、アルの母親が家に戻ってきた。ただし何故か、一緒であるはずのクライブの姿がどこにも見当たらなかった。

「ラナちゃん、どうしたの? すごく怒ってたけど」

「なんでもないよ。それよりクライブは? まだ治療中?」

「クライブなら、お父さんのところへ行ったわ。安静にしてなさい、といっても聞かなくて……。お父さんが一緒だから、たぶん大丈夫だろうけど」

 父親のところへ行ったと聞いて、アルの嫌な予感はさらに大きくなる。たぶん、クライブも銀髪の女性にやり返すつもりなのだ。

 争いを回避するなら、一刻の猶予も無かった。

「……じゃあ、僕もちょっと外へ行ってくるね」

「アルは駄目。お父さんが銀髪が捕まえるまで、家で大人しくしていなさい。その頃にはラナちゃんの怒りも冷めるでしょうし」

 そう言って、母親の玄関の扉を閉じた。その後も、アルを監視するようにそばから離れようとしない。

 やきもきしながら、アルは外へ抜け出すチャンスを待ち続けた。


 父親とクライブが戻ってきたのは夜明けの少し前だった。アルと一緒に寝ていた母親は二人を出迎えるため、ベッドから抜け出していく。

 そして母親がいなくなったのを見計らい、寝たふりをしていたアルもベッドから起き上がった。隠していた靴を身につけると、ためらわず窓から外へと飛び出す。

 玄関へ目を向けると、父親とクライブ、そして母親の三人が話をしている姿が見えた。彼らに気がつかれないうちに、アルは森へと急いだ。

 自分が夜が明ける前の森は、昼とはまったく違う顔をしていた。暗闇が深くて足元も満足に見えない上、木の根や幹が進むのを邪魔してくるのだ。それだけでなく、どこからか獣の唸り声も聞こえてきてくる。

 それでもアルは意思を曲げず、夜明けの光を頼りに水路を辿っていく。

 努力が実を結んだのは、ちょうど太陽が昇りきった頃だった。目の前に光の鏡が見えてきたのだ。ただし、肝心の女性の姿はどこにも見えなかった。

「……嘘だろ」

 今までの努力が全部無駄だったショックと疲労で、アルは近くの木によりかかる。

「今度はなにをしにきたわけ?」

 直後に背後から声が聞こえ、よりかかっていた木から跳び離れた。

 その木の後ろから、ロングソードを手にした銀髪の女性が現れる。腰を抜かしそうなくらい驚いているアルを、馬鹿にしきった目で見ていた。

「ず、ずっとそこにいたんですか?」

「ちょうど野暮用を済ませて戻ってきたところよ。そっちが気づかなかっただけで」

 そこでアルは、女性のロングソードが血で赤く濡れていることに気がついた。それだけでなく、女性の鎧や服にも返り血らしきものが付着していた。

 最悪の想像が、アルの心に浮かぶ。

「……村の人達の血じゃないですよね?」

「心配しなくても人間の血じゃないわよ。それより今更なにをしにきたわけ。邪魔をする気なら今度こそ殴らせてもらうわよ」

 そう言いつつ、女性は水路の水でロングソードを洗いだした。アルの目の前で、鏡のような水に血が混じり溶けていく。畑にも使われている水が汚されていく光景に、アルは吐き気を覚えた。

 しかし、ここまで来たアルの目的は女性を注意することなどではなかった。

「村の人達がお姉さんのことを捕まえようとしているんです。たぶん、今日にでも十人以上の人達がここへくると思います」

「で?」

 女性の声に驚きはない。それどころか笑みを浮かべ、余裕すら感じさせていた。

「……今すぐここから逃げてくれませんか? 今なら振り切れるはずです」

「お断りよ。探し物も見つかっていないし、逃げる理由もないんだから。説得するなら私じゃなく、村人のほうにでもしなさい」

「……お父さんは聞いてくれませんでした。たぶん他の人達も……。

でも戦わないで済むなら、それが一番いいって思いませんか!?」

 なんとか食い下がるが、女性は特に心を動かされた様子もなく鼻で笑うだけだった。

「言っとくけどね、力ずくはむしろ私も望むところなの。黙らせるには一番手っ取り早いからね」

「……」

「とっとと家に帰りなさい。好き勝手に水路を作るような連中がどうなろうと、私の知ったことじゃないわ」

 アルはその場から動かない。

 血に濡れた刀身は、自分の直感が間違っていないことを示していた。父親や村の人々よりも、この女性のほうがずっと危険だという直感を。

「……探し物って言いましたよね」

「はっ?」

「探し物が見つからないって、今さっき言いましたよね? その探し物が見つかれば、ここにいる理由は無くなるんですか?」

「そうね。探し物が見つかったら、今すぐにでもここから出ていってやるわ。お前の望みどおりね」

「だったら僕も探すのを手伝います! 近くの村で育っているんですから、一人で探すより絶対に早いはずです!」

 女性が笑みを消し、泉からロングソードを引き上げる。刀身に残っている水滴をぼろ布で拭き取った後、鞘へ納めた。

「……その代わり、村人と戦うのは避けろ。そして探し物を見つけたら、すぐにここから離れろってこと?」

「はい」

 頷いたアルを女性はにらみつけるような目で値踏みする。その目は剣のように鋭く、気に食わないことがあれば危害を加えてくることを示唆していた。

 それでもアルは引き下がらない。

 自分の父親がこの女性を捕まえようとしている以上、クライブが怪我するのを目の前で見ている以上、引き下がるわけにはいかなかった。

「いいわ。お互いにメリットがあるなら断る理由はないから」

 女性は冷たい笑みを浮かべて提案を承諾する。

「ただし、戦いが避けられないときは応戦させてもらうわよ。役に立たないとわかったときも有無を言わせず捨てる」

「それでいいです」

 即答しても、女性の冷笑はまったく変わらなかった。

「なら教えてあげるわ、なにを探しているか。二度は言わないつもりはないから、しっかり聞いておきなさい」

「あの、その前に、僕はアルフレッドって言います。みんなからはアルって呼ばれてますけど。……お姉さんのことはなんて呼べばいいですか?」

「……名前を聞きたいの?」

 アルへ向けていた冷笑が嘲笑に変わった。どうしてそんな顔をするのかわからないまま、アルは正直に答えた。

「言いたくない理由があるならいいです。多少不便だって思っただけですから」

「別に理由なんてないわよ。ただ、銀髪とセットだから知っていると思っただけで。セリアって名前、聞いたことくらいあるでしょう」

「いえ、ないですけど」

 女性の顔が毒気を抜かれたようなものに変わる。予想が外れたせいなのか、返事をすることも忘れているようだった。

 不安になったアルは小声でたずねる。

「……呼び方はセリアさんでいいですよね?」

 返事の代わりに舌打ちが返ってきたせいで、アルの鼓動が跳ね上がった。ただ、女性はにらんでくるだけでアルを罵ったりはしてこない。

 やがてアルをにらんでいた目つきも、少しだけ柔らかくなった 

「……まあ、いいわ。それより本題に移るわよ」

 その言葉にアルは胸を撫で下ろした。


「私が探しているのはこれ。なにかは見ればわかるわよね」

 そう言ってセリアが見せたのは古いスクロールだった。変色していることから年代物だとわかるが、破れていたり汚れている箇所はない。

 そんなスクロールに書かれているのが一振りの剣と見たこともない文字だった。

 だがアルにとっては剣の絵やスクロール自体よりも、なにもない場所からスクロールが現れたことのほうがずっと衝撃的だった。

「ま、魔法ですよね、今のって。呪文を唱えたらいきなりスクロールが現れて……」

「手伝う気がないなら、さっさと帰りなさい。そもそも、無駄話している時間があるの?」

「……っ!」

 セリアの言葉は、興奮をしずめるのに十分な冷たさをもっていた。我に返ったアルは真剣な目でスクロールの絵を確かめる。

 描かれていた剣は、まるで見覚えのないものだった。

「……すいません。見たことないです」

 実を言えば、セリアが探しているのはあの錆びた棒じゃないかとアルは考えていた。別に深い理由があるわけではない。ただ、光の鏡と関係する物があれしか知らなかったからだ。

 だがスクロールの剣は絵からでも立派だとわかる代物で、あの錆びた棒とは天と地ほどもかけ離れていた。

「剣が関係するような伝説や言い伝えは?」

「それも聞いたことないです。光の鏡に伝わっているのは呪いの話くらいですし……」

「呪いね。一応聞くけど、どんな話なの」

「光の鏡に近づいたり、汚したりすると呪いがふりかかるんです。病気になったりとか、災害がおこったりとか、呪いの内容はその時、その時で違いますけど」

「なのに、あなた達はここを貯水池へ改造したわけね」

 セリアの声と表情は呪いの言い伝え自体よりも、そういった話があるにも関わらず、光の鏡に手を加えたアル達を馬鹿にしているようだった。

「まあ、この泉に手を加えるんだもの。なにか知っているわけないわよね。それよりお前、素潜りはできるかしら」

「それなりにはできますけど」

「なら、泉に潜って剣を探してきなさい。それくらいの覚悟は、もちろんしてきているんでしょう?」

 その言葉に、アルはセリアの荷物へと視線を向けた。さっきから荷物の横に、いくつもの木の枝が置かれているのを不思議に思っていたのだ。

 だがセリアの話を聞いた後で見ると、長い木の枝がすべて濡れていることに気がついた。

「……セリアさん、泳げないんですね」

「……ガキのくせにいい度胸ね。石と一緒に沈められたいわけ?」

「じょ、冗談ですって!」

 にらまれたアルは魔法や呪いのことなど忘れ、逃げるように泉の中へ飛び込む。直後に目を疑うような違和感が、アルに襲いかかってきた。

 泉の水は不自然なほど青く澄んでいるのに、泉の底も太陽の光もまったく見えなかった。視界がすべて青で塗り潰されていたのだ。

 恐ろしくなったアルは、水面があるはずの方向へ向かって必死に泳ぎだす。太陽の光など一切見えなかったのに、いきなり水面から顔が出て息ができるようになった。

 泉のそばのいるセリアが、不機嫌な目でアルを見下ろしてくる。

「なによ。人のこと言えないじゃない」

「違います! 太陽も底も全然見えなくって……。やっぱりこの泉、なんか変です!」

「変なことぐらい水面を見ればわかるわよ。それとも怖いから止めたいわけ? だとするともう用無しなんだけど」

 それでもいい、とセリアが笑ったことにアルは反感を覚えた。

「……止めるなんて言ってません! ちょっと驚いただけですから!」

 意を決したアルはできる限り息を吸い込み、底と太陽の見えない水面の中へ潜り込んだ。

 泉の中は先ほどと変わらず、すべてが青で染まっていた。まったく先が見えない状況の中でアルは慌てず、もう一度水面の方向を確認する。その後で、ぶつからないよう注意しつつ水底へと潜っていった。

 地面が手に触れたのは、水面と同じく突然のことだった。

 手からは地面の感触が伝わっているのに、青い水のせいで地面は一切視界に映らなかった

(これじゃあ、棒で探るのと大差ないや)

 そう思いながらも、アルは一応手探りで地面を探索していく。

だが所詮は手探りだ。なに一つ見つからないうちに息が苦しくなり、水面へ体を向ける。

 地面ではない感触がアルの手にひっかかったのは、ちょうどその直後だった。

 このチャンスを逃したら、次にこれを見つけられるのかいつになるかわからない。アルは身をひるがえし、全力でそのなにかを引っ張りあげようとする。

 そのなにかは地面に繋ぎ止められているようだったが、引っ張るにつれて徐々に手元のほうへ動いてきていた。

 不意に手元から鈍い金属音が聞こえた。

 同時に体が自由となり、すぐさまアルは呼吸を求めて水面へ向かう。

 水面からを顔を出すと、かがんで水面を覗いていたセリアが話しかけてきた。

「どう、なにかあった?」

「ありました! 底のほうになにかが!」

 あまり期待していない様子だっただけに、返答を聞いたセリアは目を大きくした。アルもまた、これで争いを回避できると浮かれた様子で岸辺に向かう。

 だが岸辺に上がった途端、アルとセリアの表情は間逆のものへと反転した。

「それ、どうみても剣には見えないんだけど」

「……ですね」

 アルが泉から引き上げたのは真っ黒に錆びた鎖の一部だった。引っ張った時に千切れたのか、片端の輪が割れていた。

 期待はずれの成果に、セリアは呆れた声でアルヘたずねる。

「他にはなかったの? この鎖が繋いでいたものとか……」

 言い終わらないうちに、突然セリアは振り返った。そして間髪入れずにアルと荷物を茂みへ放り投げ、背中の弓矢を手に取る。

 アルは事態が飲み込めないまま、放り投げられた痛みに不満をもらした。

「……い、いきなりなんなんです」

「いいから黙ってなさい。死にたくないならね」

 真剣な口調と迫力が、アルを黙らせる。

 ただ、セリアの真剣な様子は長く続かなかった。

「……なんだ。紛らわしい」

 セリアは呟きながら木陰に隠れるのを止める。ただ、手にした弓と矢を戻そうとはしなかった。

「残念だったわね。時間切れよ」

 その声はいつも違い、まるで哀れむようだった。

 嫌な予感がしたアルは耳を澄ませ、辺りに目を凝らす。足音が聞こえたかと思うと、クライブやアルの父親、ダルドといった村人達が姿を現した。

 包丁や農具で武装した村人は三十人以上。彼らは警告もせず、セリアの周りを取り囲んでいく。

 戦いの気配にアルは思わず茂みを飛び出し、村人とセリアの間に立ち塞がった。突然現れたアルに村人が驚く中、クライブとアルの父親だけは目つきを鋭くする。

 鼻の部分を布で押さえているクライブが一歩、アルへと近づいた。

「……まさかとは思ったが、マジでここにいたんだな」

「……」

「お前、自分がなにやってるのかわかってるのか? 銀髪をかくまったりしたらどうなるか知っているだろうが」

「……かくまってなんかしてないよ。誰も怪我せず終わらせようとしただけで。……ねぇ、クライブ! この人は剣を探しているんだ! それさえ見つければここに留まる理由はないって言ってる!」

 クライブが味方になってくれれば、まだ止められるかもしれない。そう思ったアルはできる限り大声で呼びかける。

 だがクライブの反応は大きなため息でしかなかった

「アル、覚えとけ。こういうのは遊びじゃ済まないんだよ」

「……遊びってなんだよ。誰も怪我しないなら、それが一番いいじゃないか!? それに銀髪ってだけで捕らえるなんて、変だろ!? 僕の赤髪やクライブの金髪がなにかの罪になったりするのかよ!」

 その言葉にクライブと、何故かアルの後ろにいるセリアが苦い顔をした。

「……そういう問題じゃねえんだ」

 クライブが忌々しげに呟く。

 そこへ、悠長な話し合いに我慢できなくなったアルの父親がクライブより前へと出た。

「あいつのしつけはいつでもできる。それより今は銀髪だ」

「クライブ! セリアさんがどれだけ強いか知ってるだろ! 今ならまだ……」

 アルの説得を無視して父親は木槌を、クライブはノコギリをセリアに向ける。すでに手遅れだと悟ったアルは力なく口を閉じた。

「おい、銀髪。大人しく捕まるならクライブの件は腕一本で勘弁してやる。だが抵抗するっていうのなら痛い目だけじゃ済まなくなるぞ」

 アルは普段の父親が大好きだった。力強くて、頼りがいがあって、かっこよくて。それは今も変わっていないはずなのに、アルの目には別人のように見えた。 

 そんな父親の物騒な提案を、セリアは聞こえていないかのように無視する。代わりに呆然としているアルヘ皮肉げに微笑んだ。

「結局、無駄だったわね。まあ、手伝ったのは確かだし、多少は手加減してあげるわ」

「言ったな。後悔させて……!」

 アルの父親の言葉が前触れもなく途切れた。少し遅れて父親が地面へ倒れこむ。彼の太腿には矢が深々と突き刺さっていた。

「てめぇ! 死に……!」

 今度は叫んだ鍛冶屋の太腿を矢が抉った。逆上した農夫の男が走りだすものの、三歩も進まないうちに鍛冶屋と同じ運命を辿った。

「手加減といっても、失血死に傷が腐るかもしれないけど。それでもまだ戦う?」

「びびるな! 相手はたかが女一人なんだ! 全員でかかれば、簡単にぶっ殺……!」

 左手の親指がビンポイントで貫かれる。またしてもアルの父親は、最後まで言い切ることができずに悲鳴を上げた。

 セリアは明らかに、目立つ人間を集中的に狙っていた。扇動する奴から潰すことで村人の士気をくじこうとしているのだ。

「隠れろ! 前へ出たら撃たれるぞ!」

 意図を察したダルドの指示に、村人達は慌てて木の陰へ退避する。その間にも、倒れている人間のそばで血が広がっていた。しかしセリアの冷徹な眼光の前で、彼らを助けようとする村人は一人もいなかった。

 我慢できなくなったアルがセリアへしがみつく。しがみついてもセリアの体は微動だにしなかった。

「もういいでしょう!? セリアさんが強いことはみんなわかりました! それより早く手当てしないと……!」

「本当に死ぬかもしれないわね。それじゃ困るって?」

「当たり前です!」

「そんなに大声出さなくてもわかったわよ。怪我人を助ける奴は撃たないであげるわ」

 余裕のあるセリアの言葉に、ダルドは木陰から少しずつ体を出す。そして彼が撃たれないとわかると、他の村人も怪我人に走り寄った。

 だが彼らとはまったく別の行動をとった者もいた。

 木の陰に隠れていたクライブが、突然セリアに向けて走り出したのだ。アルがしがみついているので隙ができると判断したのかもしれない。

 その行動は、アルの目には無謀としか映らなかった。

 実際止めるより早くクライブは太腿を撃たれる。父親と同じように地面に転がった。

「約束外の行動はこうだけど」

 その言葉と起き上がれないクライブの姿が、村人の戦意を完全に打ち砕いた。セリアを見ようとしないまま、倒れている農夫と鍛冶屋を運び始める。

「……僕も行っていいですか?」

「いいわよ。二度と邪魔しないよう、よく言って聞かせなさい」

 アルは頷かず、セリアから離れた。もう注意しなくても村人とセリアが戦うことはないだろう。ただ、クライブを走らせたことや戦いを止められなかったことが悔しかった。

 歯を強く噛み締めながら、倒れている父親の元へ向かう。

 その時だった。獣でも人間でもない生き物が森の中から現れたのは。

 突如現れた生き物を言い表すなら、大きくなったトカゲが近いかもしれない。

 だがトカゲもどきの体は筋肉の塊で構成されており、しなやかさとは無縁だった。また口元に牙を持ち、頭には髪の毛を生えていた。そしてなにより二足で立ち、違和感なく歩いている。

 そういった要素が、爬虫類とはまったく違う生き物であることを示していた。

 アルや村人が事態をのみこめない中、セリアだけは瞬時に反応する。余裕の笑みを消し、なんの警告もせずにトカゲへ矢を放った。

 トカゲも頭や心臓をかばいつつ、セリアへ突進を開始する。

 セリアの矢が腕刺さろうともトカゲは止まらなかった。


 たとえ、進路上にアルの父親がいようとも。


 叫び声を上げる間なく、アルの父親はトカゲによって頭を踏み潰された。それはあまりに突然すぎて、目の前で父親が死んだのにアルの心には実感が沸いてこない。

 だからこそアルは気がつく。トカゲはわざと父親の頭を踏み潰していったのだと。

 そのトカゲへ向けてセリアがさらに矢を撃ち放つ。二本目は腕と鎧の間をすり抜けて首に突き刺さり、一匹目のトカゲを絶命に追いやった。

 弓を引き絞り、狙いをつけて矢を放つ。一連の動作がセリアは異常なほど早い。

 続けて放った三本目が二匹目の太腿を抉った。だが二匹目は止まらず、三匹目と共にセリアへ掴みかかる。共に巨大な斧を背負っているにも関わらず、なぜか素手で。

 一方で距離を詰められたセリアは弓を戻し、代わりに腰のロングソードを引き抜いた。二匹同時に相手しようとはせず、流れるように動き回ってトカゲの手をかわしていく。

 トカゲ達はセリアについていけず、逆に太腿に矢傷を負っている二匹目がバランスを崩した。

 その隙を見逃さず、セリアは攻撃へ転じる。踏み込みと共に放ったロングソードの突きがトカゲの喉を貫通した。

「セリアさん、後ろ!」

 アルの叫びに反応し、セリアはロングソードから手を離す。おかげで仲間を囮に使い、背後から襲いかかってきた三匹目の拳は空を切った。

 ロングソードを失ったセリアは、最後の武器である短剣を抜く。武器が変わっても、相手の隙を狙うというセリアの戦い方は変わらない。時間が過ぎるにつれて、トカゲの傷だけが一方的に増えていく。

 そして傷と痛みに耐えきれなくなり、トカゲが体を丸めた瞬間、セリアは人間でいう心臓の部分へ短剣を叩き込んだ。濁った声を上げた後、トカゲは死体となった。

 できたての死体を蹴り飛ばし、心臓から短剣を引き抜くセリア。彼女はロングソードも回収しつつ、忌々しげに舌打ちした。

「……遊びが過ぎたわね」

 一言呟くなり、呆然としている村人達やアルへ振り向く。その鋭い目は、村人を相手にしていた目とはまったくの別物だった。

「さっさとここから離れなさい。また魔物に襲われても知らないわよ」

 魔物と聞いて村人の顔が凍りついた。彼らは怪我人を持ち上げると、脇目も振らず森から逃げだしていく。

 アルもまた我に返り、目の前にいる人を助け起こそうとした。そしてアルは、目の前で倒れているのが頭の潰れた父親だということを認識した。

 気がついてしまった以上、アルは父親の死体を持っていられなかった。必死に吐き気を抑え、ふらつく足取りで父親から離れる。もしも朝食を食べていたら、その場にすべてぶちまけていただろう。

 そんなアルに代わり、死体となった父親をダルドが肩で持ち上げる。しかし草むらでうずくまり、泣いているアルには手を貸そうとはしなかった。

「父親ではなく、あの女を助けるとはな」

 吐き捨てるような言葉とアルを置いて、ダルド達は森から去っていた。

 セリアもアルを一瞥しただけで、声をかけずに離れていく。

 こうしてアルは死体となったトカゲと共に一人残された。

 その光景を一羽の黒い鳥が木の上からじっと見つめていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ