第四話 「歴史が動く分岐点」
「カール! 今すぐに動ける者を全員用意しろ。偵察に向かう」
「畏まりました」
グランの言葉にカールは即座に頷く。
幾多の戦場超えて付き合いのある二人である。
そこから先は迅速に準備が行われる。
グランも即座に愛用の剣を担ぐと結界の端に向かう。
もちろん鉄剣など銀詠師に対してならばもはや何の意味も持たないものであるけれど。
しかし、対魔物に対してならばそれでも十二分に意味のあるものである。
それに何よりも十年以上も戦場を共にしてきた相棒。
ならば、それを担ぐことにこそ意味があるのだから。
そうして、グランが準備を整えた頃にはカールによって集められた元獣族傭兵団だった二十名の者たちも集まっている。
彼らはグランと共に幾多の戦地を乗り越えてきた精鋭達である。
だからこそ先ほどの現象に対して驚きこそすれども、これから戦場に向かうと言うならばそこに動揺を見せる者たちは既に居ない。
「大将。先ほどのアレは帝国の奴らですかね?」
そうして、グランに率いられ結界を超え偵察に向かう者たちの一人がグランに問いかける。
彼はルベアと呼ばれカールと並び最古参に位置する者である。
熊族と呼ばれる種族の彼はその種族の名に負けぬ黒々しく立派な髭を生やし、頭に生えている熊と思われる耳は片耳が途中で引き千切られているという、まさに歴戦の傭兵の体をしている。
そんなルベアがカールよりもより砕けた様子でグランに問いかける。
「……その可能性もあるにはあるが。俺は恐らく違うだろうと考えている」
「へぇ。けれどあれほどの炎を帝国の銀詠師以外に行えますかね?」
「……分からん。だがいくら帝国の銀詠師と言えどもあれほどの威力を出すには、百人単位の人員が最低も必要だ。だが流石に奴らがそこまでの人員を此処に裂くとも思わんし、何よりもそれほどの気配も感じられん」
グランが幾多の戦場を生き残れたのは、何よりもその五感――というよりも直観が優れていたということにある。
彼の本能は例え視界に入らぬとも音や匂い、あるいはそれらを超えた気配すらも感じ取ることすらできるのだから。
そしてそんな彼の直観は、百人を超えるやもしれぬ人の気配など全く感じ取っては居なかった。
「そうですかい。まぁ大将がそう言うのならそうなんでしょうや。けれど、そうしたらさっきのアレは何だったんでしょうね?」
そう。ならばさっきのアレは何であったのか。
それは、グラン自身も先ほどから何度も問いかけているものである。
天すら焦がす大火。それを生み出す存在とは一体何であるのか。
自分たちが向かっている先には何が待ち受けているのかを。
「静かにしろ。恐らくはこの先に――何者かが居る」
グランが、そう告げる。
その瞬間に、それまでグランに話しかけていたルベルも即口を閉ざす。
グランの五感察知が確かにその先に何者かが居る気配を捉えたのである。
「大将。……部隊を分けますか?」
そして、静かにした隊員の代わりにそれまで一言も話さなかったカールが問いかける。
はっきり言ってしまえば、自分たちに行える選択史は余り多くない。
仮に銀詠師だとしたら、自分たちでは間違いなく手も足もでない。
そして、仮に銀詠師でなかったとしもてそれに匹敵する力を持つものがこの先に居るのだから。
元々が自分たちの役目は偵察である。
しかし、何故か今回グランは二十名一隊として自分たちを引き連れてきた。
元来は自分たちが軍務に取り掛かる時は、三名一隊が基本である。
偵察部隊に置いて最悪なことは隊員の全滅なのだから。
だからこそ細かに隊を分け、そしてそれを細かにグランが指揮することこそがこの部隊の強みであった。
しかし、何故か今回グランは隊を分けずに全員をそのままに連れてきた。
もちろん平野などとは違い、この森には魔物が出没する。
故にそれに対抗する為とも言えるが――。けれど、これから実際の脅威に対して偵察を行うならば二十名一隊のままでは拙いのでは無いかと思っての言葉であったけれど。
「構わん。そもそも隊を分けるのは僅かにでも全滅を避ける為にある。しかし今回は事情が違おう。そもそも此処で隊を分け、一人でも情報を持たせ結界内に戻らせたとして――してどうなる?」
「それは……」
その言葉に思わずカールは言葉を詰まらせる。そもそも今回のコレは偵察と言ってはいたが、そもそもその情報を持ち帰って――帰ってどうなるという話ではある。
そもそもこの場に居る者たちこそが、現在の自分たちが持ちうる最高戦力なのである。
嘗てであれば、その後ろにこそ最高戦力が居た時とは訳が違う。
ならば、此処で隊を分け数名でも生き残らせるなどということにするぐらいならば。
「この場で、全滅しようとも討ち取ろうというわけですかい」
ルベアがその言葉を継ぐ。
そう。彼らにはもはやあらゆる意味で後が無いのである。
もはや気が熟すの待つということすら叶わないのだから。
ならば、可能性があるのはこの場で例え全滅しようとも奇襲と共に驚異を討ち取ることである。
「そうだ」
グランはただ一言だけを持って頷く。
そして、その言葉を聞いた全隊員が迷わず己の獲物を構える。
そこには死に対す恐怖など無かった。
全滅の可能性……どころではなく、本当にこの先に居るのが銀詠師ならばもはや自殺行為に等しいけれど。
しかし、それでも彼らの胸にあるの歓喜であった。
ただ漫然と襲いかかってる餓死かあるいは瘴気に侵されて死ぬぐらいならば、せめて最後は戦場の華となりたかったのである。
彼らは地べたを這いずり回りながらに、ただ敵方の情報を集める偵察部隊であったけれど。
それでも彼らは、傭兵なのである。
グラン・ローヴェルト率いる獣族傭兵である。
ならば、最後は我らこそが戦場の華となろうではないか。
そんな想いと共に彼らはグランに着き従う。
しかしそんな彼らとは違いその最前線で歩き続けるグランには、ほんの僅かだが別の想いがあった。
根拠もない。理由もない。もはや死を目前にした妄想であるのかもしれないけれど。
それでも何故か――この先に待っているのは自分達に対する絶望では無く。
むしろその逆のような。
あらゆる絶望すら晴らしうる輝かしい希望に出会えるような――。
そんな、余りの下さらなさに自分でも頭が可笑しくなったのかと思うような考えが、それでもなお頭の片隅を離れなかったのである。
しかし、それでもすぐさまそのような考えを捨てるよう自分に言い聞かせる。
この先に待っているのは、自分たちが命を懸けて挑まねばならぬ存在が待っているのだと――。
そう思いながら進んで行く。
しかし、そんな彼らが木々を避け、気配を殺し、ついにソレを目視できる距離にまで近づいた時に目の前に広がる光景とは――。
先ほどの大火を目にしてなお、僅かな動揺で済ませた彼らですら――文字通りに絶句させるほどの光景が広がる。
自分たちが見て居るものが、現実だとは思えなくて。
気が付かぬうちに、天界に至ったのではないかと思ったほどであったのだから。
そして、誰とも知れぬ。
気が付けば、思わず言葉が漏れる。
戦場において例え肉体を引き千切られ、灼熱の業火で焼かれようともなお悲鳴を上げない者たちがそれでも気配を隠していることを忘れて言葉を漏らす。
「白狼族だと……」
「な……。銀水晶を扱ってる?」
「あれは……。魔物の肉を食らっているのか?」
そんな隊員達の呟きを。隊長であるグランすら止められなかった。
何故ならグラン自身ですら同じ思いを持っているのだから。
彼らの前に居たのは、美しき白狼族と思われる少女が詩を詠みながら牛鬼の躰に銀水晶を埋め込んだかと思うと、次の瞬間にはその肉の解体を初め挙句にそれを喰らい始めたのだから。
どれか一つとっても現実とはおもえないというのに。
それが三つそれば、此処が現実かすら怪しくあるないうものである。
白狼族とは、白い髪と白い肌を持つ、文字通りに純白の存在である。
彼らはこの世界において最も美しいと呼ばれる種族である。
一切の穢れを持たぬかのような白い存在は、ただそこに佇むだけで見る者を魅了するだけの美しさを持ち合わせているのだから。
しかし、彼らは生まれながらにして極端に躰が弱く。
特に白狼族の女性は二十歳まで生きられれば、それだけで長寿とすら呼べるほどに短命であった。
だからこそ、その価値が常に跳ね上がり続け、獣族を下に見る帝国においてなお美しい者を好む富豪や貴族によって天井知らずの値段を付けられて帝国内で売買をされていた。
しかし、白狼族は人との間に子を持つことが出来なかった為にその数を減らし続け。
そして今より三十年前にその時の王族が妾として王宮に住まわせていた白狼族が彼の一族の最後の生き残りである言われていた。
そして、そんな彼女も子を産むことなく二十歳を待たずしてこの世を去り。
もはや王族であろうとも白狼族を持つことが出来ずにいた。
仮に白狼族を見つけられれば、貴族の称号であろうとも百年は遊び続けられる大金であろうとも、望む限りの褒美が与えられると言われいたが、けれどこの三十年間一度として白狼族が見かけられることは無かった。
故に彼の一族はもはやこの世界の何処に居ない幻の種族と言われ続けていたのである。
そんな幻の種族が自分たちの目の前に居る。
汚れ一つの無い純白の髪。天に向けてそそり立つ狼の耳。あらゆる毛皮すら凌駕するふわりと舞う美しき尻尾。
そして、このような遠目からでもなお惹きつけるその麗しき顔。
偉大なる彫刻家が造り上げた極致ともいえる芸術品。
まさに世界でも最も美しい種族と言われる言葉に一切の間違いを抱かせぬその姿。
未だ十にも満たぬかどうかと言った幼き少女であろうとも見る者全てを魅了させる彼女は、間違いなくあの幻の白狼族であろうと確信せずにはいられない。
だからこそ、そのような幻の種族である少女がこのような魔の森にたった一人居るというだけで驚天動地であると言うのに。
それを凌駕する驚きがそんな少女詩を詠んでいることである。
銀水晶を詩を詠むことで扱えるのは人のみである。
それはこの数千年を超える大陸中の歴史において覆すことの出来ぬ真実であるはずなのに。
そうであるにも関わらず、目の前の少女はいとも容易く詩を詠み、銀水晶を顕在させた。
しかも、それは小さな欠片などで無くまさに水晶と呼べるほどの大きさでだ。
そんな純粋な銀水晶の顕在化など帝国至高の銀詠師が幾人揃おうとも不可能な所業。
故に彼らが自分たちは夢を見て居るのだと思ったのだとして仕方のないことである。
そして極め付けがその銀水晶を牛鬼の死体に埋め込んだかと思うと、次の瞬間にそれを流れるような手つきで解体を行いその肉を食べ始めたのである。
魔物の肉を食べることはできない。
それは幼子でも知っている事実である。
実際に空腹に耐えきれずに集落でも魔物の肉を食らった者が居たが、次の瞬間にはその者の肉が腐り落ちたかと思うと、腐人と呼ばれる魔物に成り果てたのだから。
だからこそ、何でもないかのように美味しそうにその肉を食べ続けている少女は一体何なのかと。
もはや言葉を紡ぐことも出来ずに。ただただ呆然とその姿を彼らは眺め続けていると。
その少女の方が、彼らの方に気が付いたのだった。
少女に見つめられた彼らは自分たちの気配がもはやタダ漏れ状態であることに今さらにながらに気が付き――思わず身を硬くするのだけれど。
しかし、次の瞬間に少女の方が破顔するように笑顔を見せる。
その笑みに彼らはまたもや金縛りにあったかのように動けなくなると、そんな彼らに少女が声をかける。
まさに鈴のように、良く響くそして耳に蕩けるような美しい声が彼らの元まで届く。
「くふ。匂いに惹かれてきたのか? よいよい。一人の食事よりも共に食べた方が上手いというものよ。肉は存分にあるゆえに主らも共に喰らわぬか?」
そんな声に魅かれるように、グラン達は少女の元までただ呆然と歩き寄るのである。
そこには、もはや先ほどまで考えていた脅威に対しての玉砕覚悟の意志など完全に霧散して。
ただただ目の前で笑い続ける少女から目を離せずに居たのだった。
そして、これこそが後に世界の歴史を動かすこととなる彼ら獣人族と白狼の少女ルナフィリア・シルエストとの出会いであった。