第三話 「獣人族が住まう場所」
魔の森『フェニクル』
そこは汚染された銀水晶によって魔の瘴気が経ちこめる場所と言われている。
銀水晶とはつまるところ無色の力である。
そこから様々な形や色を伴い万物に広がる根源的な力となる。
しかし、その銀水晶が如何なる理由かまでは理解できていないが黒く澱む場所がいくつかある。
そうした場所においては空気は黒く澱み、常に黒い瘴気が経ちこめ、日の光もまともに届かく魔の場所となる。
そして、そうした魔の場所には魔に侵された生物が跋扈する。
それが魔族であり、魔獣である。
そのような場所においては、まともな生物は生きることもままならない。
ましてや人間など普通は住まうどころか、立ち行くことすら簡単ではないのであるから。
特にこの魔の森『フェニクル』はそうした瘴気によって汚染された場所のなかでも最古の汚染された土地と呼ばれ、広大な森全てが人が立ち行くことを妨げ続けてきた場所である。
しかしそうした汚染された森の中において、僅かながらに住まう者たちが居た。
それこそが――。
「……大将。水晶結界が完全にその力を失いかけて居ます。もはや……数日の猶予も無いかと……」
「……うむ」
小さな集落。村とも呼べぬ粗末な建物を散見させただけのモノ。
残りは薄汚れたテントが数多く犇めき合っている。
それらが森の中心から僅かにそれた場所にある。
そして、そうした村の中でも何とか真面……ギリギリで屋敷と呼べる場所において交わされた会話。
そこに居るのは二人の人間……いや、正確に言うならば彼らは人間では無くこの世界において獣人族と呼ばれる者たちである。
その絶望的な報告を受けている者は、雄々しき鬣を持ち、身の丈は三メートルを超える肉体を持つ獅子族と呼ばれる男性。
年齢は人間で言うところの五十を超えようかというところだが、その肉体には僅かな衰えも見えずまたその獅子の顔に浮かぶ覇気は、見る者を思わず畏怖させるだけの迫力を持ち合わせている。
しかし鬣によって分かりづかりが、その顔は薄く扱け堕ち元は金色に輝いていた鬣も今は黒く薄汚れてしまっている。
そして、もう一人。その屋敷の中心において、本来の姿に比べれないほど薄汚れて居ようとも、この集落において誰よりも絶望の淵に立ち、苦渋の選択を迫られていようともそれでもなお悠然とあり続けるその誇り高き獅子の男性に対して頭を垂れながらに最悪の報告をしているのは、黒い髪と黒い丸い耳を持つ黒豹族と呼ばれる一人の青年であった。
二人は十年来の付き合いである。
獅子族の男性は、グラン・ローヴェルトと呼ばれる嘗てはギネヴィア帝国において傭兵部隊の大将をしていた存在であった。
そして黒豹族の青年は、カール・ロイツォと呼ばれグランが率いる傭兵団において初期の頃から副大将としてグランを支えてきた者である。
そんな彼らが、何故このような魔の森に居るのか。
それは、途中の細かな過程を省いてしまえば実に簡単なことである。
彼らはギネヴィア帝国から逃れてきただけなのだから。
そもそも彼らは傭兵と呼べれているがその存在はむしろ戦争奴隷のソレに近かった。
帝国において、獣人族の――正確に言えば純人族とは違う亜人族と呼ばれる者たちの地位は著しく低い。
獣人族は文字通りに獣のような姿かたちをした者たちであり、亜人族と呼ばれる種族の中において最もその数が多い種族であり――そして、最も人族から虐げられている種族である。
何故か――。
それは彼らが銀水晶を操る力を持たぬからである。
銀水晶とは万物の根源に位置する力である。
それだけでは、ただ其処に漂う力の奔流に過ぎぬけれど。
しかし、それを自らの意志で操れる者たちが居る。
それが――銀詠師と呼ばれる者たちである。
彼らは、独自の詩を詠むことに其の場で奔流し続ける無色の力を、そこにあらゆる方向性と色を持たせこの世界に顕現させることができる。
それはまさに万物の力。森羅万象に至る根源の存在。
故に彼らが扱う力は絶大なのである。
そして、生き物が本来持つべき力を遥かに超えた力を顕在させることのできる銀詠師は、人族のみに現れるのだった。
銀水晶は全ての人間が扱うことができる。
ただ、銀詠師として大成する者は極少数と言っていいほどである。
しかしそれでも人族のみが銀詠師になれるという事実は変わらなかった。
銀詠師はこの世界において最も必要とされる者たちであった。
そしてその銀詠師に獣人族は決してなることはできなかった。
彼らは一切の銀水晶を扱うことが出来なかったのだ。
ならばそこに人と違う容姿というピースが合わさってしまえば、差別が起きるのは必然と言えた。
また世は戦乱時代。
嘗てはこのエルファン世界には八国家が存在していた。
しかし、今はそのうちの四つをギネヴィア帝国が併合することにより三国家にまで減少していた。
残るはセルトロン神聖王国とガーランド共和国のみとなる。
そしてギネヴィア帝国は残る二つも吞みこむ事により世界唯一つの統一国家を造ろうとしていた。
それに対抗するように残り二ヵ国は同盟を結び帝国に抗い続けているのである。
故に戦乱は始まりから数えれば百年近く経ち今もなお続いているいるのである。
そのような国において虐げられる種族。もっと言えば奴隷のように人よりもなお簡単に扱える種族がいるというのは、国としても有難かったのである。
だからこそ亜人族に対する差別を帝国そのものが推奨する形となった。
もちろん表だって獣族を奴隷として扱うという風にしているわけではない。
むしろ帝国は奴隷制度を禁止しているのである。
しかし――それでも結果として獣族を奴隷のように扱っている事実は何も変わらなかったが。
ならば帝国を離れ残りの二ヵ国に逃れるのはどうか。
セルトロン神聖王国やガーランド共和国は、帝国ほどにあからさまな差別を亜人族に行ってはいない。
だからこそ、戦禍を逃れるように多くの亜人族がその二ヵ国に逃れそうとしたけれど、しかしその二ヵ国として戦争中。
受け入れられる難民などたかが知れている。
ましてや帝国からの難民などそう簡単に受け入れることはできない。
だからこそ、厳しい検問を造りあげ亜人族が国に入れぬように取り締まっているのである。
ではその二ヵ国以外の場所に逃れるのはどうか。それもまた難しかった。
ギネヴィアは帝国は大陸全土を覆わんとする超大国である。
その帝国の手の届かぬ場所など、もはや普通の生物が立ち行くことのできぬ汚染された魔の場所のみなのだから。
だからこそ、獣族の多くはその奴隷のような生を帝国で受け入れるしかなかった。
女性ならば貴族や富豪の中には獣族を好んで抱くような者たちが居たので、そのような者たちの妾や奴隷となる者たちも居る。
そして男性は下働きや、鉱山や建築現場などの危険な場所における労働者となるか。
もしくは――傭兵となるかである。
しかし、この世界において銀水晶の力を扱えぬ者たちの兵の扱いは著しく悪い。
何故か――。
それは銀水晶の力が――それを扱う銀詠師の力が戦争において絶大だからである。
千の軍勢をも吞みこむ大火を放ち。
堅牢なる砦をも打ち壊す雷鳴を顕在させ。
あらゆる攻城兵器すらも防ぐ結界を造りあげ。
死に瀕する人間すらその傷や病すらも癒す力を持つ存在。
それが銀詠師なのだから。
もちろん唯一人の銀詠師だけでそれだけの力を発揮できるわけではない。
しかし、十人の銀詠師が、百人の銀詠師が互いに連動し合いながらに詩を詠めばそれだけのことができるのである。
だからこそ、この世界における戦争とはつまるところ銀詠師どうしの詠み合いとなる。
どれだけ優秀な銀詠師を育てられるか、集められるか。
それこそがそのまま国力へと繋がるのである。
では、銀詠師以外の兵の役割とは何であるか。
結局のところ、銀詠師の為の輸送部隊としての役割。占領した地域の支配戦力。
もしくは――騎馬を使った偵察部隊ぐらいである。
しかし偵察部隊とは名ばかりで、もはやそれは使い捨ての部隊である。
どれだけ騎馬を操れようとも、剣技に優れようとも、神技の如く弓を扱えようとも。
弩弓すらも遥かに超える射程で、森羅万象の如く超自然の現象を扱える銀詠師に何ができようか。
結界を扱える銀詠師の部隊を目視のみで発見するのはどうしようもないほどに困難であり、また仮に発見できもそこから生きて帰るのはさらに困難を極める。
だからこそ偵察部隊とはつまるところ使い捨ての部隊であるのだけれど。
そのような偵察部隊において、十の戦争を超えてなお生き残る傭兵部隊があった。
それこそがグラン・ローヴェルト率いる獣族傭兵部隊であった。
彼らはグランによる類まれな指揮と獣人族特有の身体能力の限りを尽くして、幾度とも死地と隣りあわせの戦場を生き残り続けた。
しかし皮肉なことに、生き残れば生き残るほどに彼らの立場は帝国内部において追い込まれていった。
そもそもが、銀詠師どうしの正面からの決戦戦場こそが戦争であるとの認識が高いのがこの世界である。
森羅万象。神秘と幻想を超え万物の力をもって相手を叩きのめすことこそが戦場の華。
ましてや帝国はこの世界において最も銀詠師を揃える銀詠国家である。
その力を持って悉く戦争を勝ち続けてきたという自負がある。
だからこそ、戦場をコソコソを這いずり回る偵察部隊など戦場の華を汚す煩わしい存在とすら思う者たちもいるほどである。
しかし、それでもグラン達が齎す結果は戦場を左右するほどの効果を持って居た。
敵方に何人の銀詠師が居るのか、何処に陣を敷いているのか。
それらをほぼ正確に視てくるのだから。
だからこそ、グラン達に求められる要求は常に高まり続けられた。
まるで――失敗しろと言うかのように。
卑しき獣人族が戦果を挙げ続けるなど認められないかのように。
そして、遂にその限界を超えた時――。
十一番目の戦場において――グラン達獣族傭兵団は戦場を影にして逃走を図ったのだった。
結果としてその逃走自体は上手くいった。
傭兵団はただ一人の欠員も無く、帝国を後にした。
そして、彼ら魔の森『フェニクル』に来たのだった。
もちろん、何の考えも無しに此処い来たわけでは無かった。
三ヵ国のそのほぼ中心に位置する汚染された銀水晶による魔の場所。
それは汚染された魔の場所の中においても最古の場所であり、また最大の場所でもある。
小国ほどの広さを覆う木々が生い茂る魔の森は、例え帝国であろうとも簡単に立ち入ることはできないからこそ、彼らは此処に逃げ込んだのだ。
しかし、それだけであれば彼らとてこの森で生きていくことは叶わないはずである。
魔に汚染されれた魔物に、黒い瘴気が漂う場所で普通の生物は生きていくことはできないのだから。
だが、彼らにはそれを覆す秘宝があった。
それこそが――水晶結界と呼ばれる銀水晶の欠片が埋め込まれた結界装置である。
それは、文字通りに銀水晶の力を使い使用者が望む結界を造りあげることのできる至上の結界。
それを用いれば、生物を魔に導く黒い瘴気も、生物を見境なく襲う魔物すらも弾く結界を造り上げることができる。
もちろん、それだけの結界装置である。
帝国においてもその価値は値段を付ける事すら叶わぬものである。
なにせ銀水晶そのものの欠片が埋まっているのだから。
しかし――それはあくまでその価値を知る者からすればである。
戦場において自身の力を持って、結界を造りあげる銀詠師達からすれば、道具の力によって自分たちの同じものを造りあげる装置は聊か以上に目障りであった。
特に戦場で活躍する銀詠師は、自分の力こそを至高と思う者たちである。
銀水晶の研究やその力を利用した道具造りを行う者たちを忌み嫌う傾向が強かった。
そして、今回の帝国軍務において水晶結界を預かっていた者はまさしくそのような者であった。
だからこそ、それがどれほど価値のあるものであろうともその管理はその価値に比べれば些か杜撰であった。
故に、グラン達はその隙を狙い水晶結界を拝借してからこの魔の森に逃げ切ったのである。
そして、その森において結界を発動させる。
効果があるのは、四方五キロメートルと少し。
領土と言うには余りに狭いけれど、しかし此処こそが彼らにとって最後の逃げ場であった。
そして、グラン達が魔の森で生活を初めて五年と少し。
気が付けば、獣人族が住まう最後の住処が魔の森にあるという噂が静かに帝国に広がり、最後の希望に縋り逃げてくる者たちが合流することになり、気が付けば五百人近くが住まう集落となった。
様々な獣人族がこの森に逃げてきたのである。
しかし、その生活は常にギリギリのところにあった。
魔に汚染されれば、野草も生物も食らうことはできなかった。
それを食べれば自分たちも、また魔に侵されて自分たちこそが魔物になってしまうから。
だから、何とか結界内で食料の生産を行おうとしてもそれもなかなか上手くいかずに。
常に魔に侵されていない野鳥や野草を探しながら、その日その日を何とか生きてきたのだった。
しかし、そんな生活も遂に終焉が見えてきた――。
「……結界が五年すらもたぬとはな」
嘗ては傭兵団の大将を。今は獣族による集落の族長をしているグランの声が屋敷に響く。
「もともと……戦場向けの装置として開発されたとのことでしたからな。長期間の運用は考えられて無かったのでしょう」
「うむ……。それを考えれば五年ももったと言うべきか」
「えぇ。しかし、そうは言いましても私達はあの装置に縋ってこれまで生きてきました。あれの効力が切れれば私達は一日と持たずに魔物に喰い殺されるでしょう。そうで無くとも……結界の罅から入り込んでくる瘴気に既に幾人もの者たちが健康を害し始めております」
十年以上も自分の右腕として支えて来てくれた黒豹族のカールの言葉に、遂にグランの顔に隠し切れぬ苦渋の表情が表れる。
そして、常に泰然と皆を率いて来てくれた自らの大将の姿にこちらも声を湿らせながらにカールの言葉は続く。
「さらに……食料ももはや底を尽きかけています。今すぐにでも食料を確保できなければ結界の崩壊すら待たずして我ら全てが餓死するでしょう」
そのカールの言葉に、グランはもはや唸り声をあげるのみである。
食料の確保をしなければならないのは分かっているが、結界を崩壊しかけている中で混乱の極みにある集落をギリギリのところでまとめ上げるにはグランは外に出る訳にはいかない。
しかし、銀水晶の恩恵を持たぬ獣人族が、強大な魔物が蠢く結界外において食料を求めて動き回ることすらままならぬのである。
ならば、もはやこの地を捨てるか。
しかし、弱っている五百名近い獣人族を連れて再びこの森を抜けるのは不可能である。
ならば嘗ての傭兵団に居た者たちのみで逃げ出すか。
あるいはそれならば森を抜けられるかもしれぬが、帝国において忌み嫌われ指名手配もされている彼らが逃げられる場所などもはや他にないのである。
それにそもそもグランはそのようなことをするつもりははなから端から無かった。
例え死が待っていようとも、それでも自分を頼ってきた者たちを見捨てることなど、どうして出来ようか。
けれど――。
それでもなお――。
もはや限界はすぐ其処に。
片腕とも呼べる男の言葉が無くともグランとてとうに理解していた。
最後の楽園を求めて逃げてきたこの森であったけれど。
しかし、自分たちを待っていたのは逃れきれる煉獄であったのだと。
百戦錬磨の男が。
あらゆる死地すらも乗り越えてきた獅子族の男が。
けれども、遂にその心が折れそうになったその瞬間――。
地が――揺れた。
大気が蠢いた。世界が響いた。
轟音と熱気が屋敷の中に居る彼らのところにまで届いたのだった。
「何事か――!」
グランはすぐさま現状把握に勤しむ。もしや、遂に結界が壊れたか。
魔物の集団が襲いかかってきたのか。
そう思った時に。外に居た部下の叫ぶ声が聞こえた。
「大将! すぐに来てくだせい!!」
その声に、弾かれるそうに外に飛び出たグランとカールが目にしたものとは。
「何……ですか。あれは……」
何事においても冷静さを失わないカールが、それでも隠し切れぬ動揺に声を震わせている。
しかし、それはまたグランとて同じ事であった。
何時の間に自分の躰が震えていることを自覚する。
十の戦場を超えた傭兵の将である自分が、それでも畏怖する現象がおきているのだから。
なぜならそこで起きたいるのは――。
「天すら焦がす……炎だと」
そう。文字通りに天にすら届かんする大火が森の方から上がっているのである。
それは余りに現実離れしたモノであった。
幾多の戦場を超えて。数百人掛りの銀詠師による大詠唱すらも見てきたけれど、それでもなおあれほどの大火は見たことすらなかったのだから。
それほどの――灼熱煙火を見て。
天すらも焦がそうと踊り狂う炎を見て。
けれどそれでもその姿を見たグランは、それまで感じていたあらゆる絶望を忘れ去るほどに。
自分があの炎に思わず見惚れ魅かれているのを――自覚せずにはいられなかったのである。