第二十四話 「燻り」
「……どうやらギネヴィア帝国が我が国に感づき始めたようだな」
ルインから届けられた報告書を読みながらルナフィリアが隣に座るカールへと呟く。
現在ルインはセルトロン神聖王国にて動き始めてから一ヵ月と言ったところであり、ようやく商家として形が出来たところである。
またそれと同時に彼らには、可能な限りの情報取集に加えてエルフィール王国の噂も流させていた。
ルナフィリアが張った結界にアナヒタの力も加えることで、魔の森に巣くっていた魔獣たちの数が減って来たこともあり、嘗てよりも遥かに多くの獣人たちがこの国へと辿り着くようになってきた。
元々魔の森に獣人たちが逃げ込んでいる事自体は把握されていたのだが、まさかそこが生き延びているどころか確かな集落になっていることまでは思われていなかった為にこれまではあえて見逃れていのだけれど。
現在エルフィール王国は加速度的に発展を伴っていることから獣人族の動きに、遂に他国もこの場所へと関心を向け始めたようであった。
「……なるほど。ならばあの帝国がそろそろ手を加えてきますかな?」
「かもしれぬ。……いや、あるいはもう手出しをしてきてるやもしれぬな」
ルナフィリアはルインの報告書を読みながら楽し気に笑う。
むしろ帝国が接触してくる事が待ち遠しいとでも言いそうな表情である。
そんな彼女をカールは横目で見て、あぁ――やっぱりかと思った。
カールはこの主が、自分から火中の栗を拾う性質であることをよく知っている。
そしてあらゆる業火の中であろうとも、きっと豪快に笑いながら闊歩するのだろう。
今もなお報告書を読み進めるルナフィリアを見て、カールは心の中で溜息を一つつく。
確かにルナフィリアならば例え帝国銀詠師が束になって造り上げた業火の中でさえもその歩を進めるだろう。
彼女にはそれが出来てしまうだけの力があるのだから。
だが、それならが自分たちの役目とは何だ。
近衛騎士隊を名乗りながら、結局のところルナフィリアという強大な王の下で庇護下に置かれた者達に過ぎないのではないだろうか。
そんな事をカールは心の中で思う。いやカールのみならず、それは騎士隊全ての者達が常に思っていることだろう。
結局のところ――そこにある思いは一つ。
彼らはルナフィリアに置いて行かれたくないのだ。敬愛する主に頼って貰いたい。
そんな想いこそが彼らの根底にあるのだ。
何故なら彼らはルナフィリア・シルエストに絶対の忠誠を誓った騎士達なのだから。
ならば――どうする。決まっている。ルナフィリアはどこまでもその歩みを止めないだろう。
彼女はあらゆる煉獄の中でもただ己が道を進む者である。
そんな王と一緒にありたい思うならば、後は彼ら自身が強くなるのみである。
何処までも、何時であろうとも彼女の庇護が無くとも共に歩めるほどに。
それがどれほどに大変であろうとも、彼らはそれを成すだけの覚悟もう出来ているのだから。
だからこそ――強くならねばならない。
そうグランが改めて決意したちょうどその時に――。
――コンコン。
執務室の扉が叩かれる。
「入れ」
「……失礼します」
静かな声で入ってきたのは、一人の少女。
猫族と思われる姿を持つ彼女は、ルナフィリアが用意した白と黒のエプロンドレスを纏いながら手にはこの国で本格的に生産を始めた紅茶を入れたカップを二つ乗せた盆を持ってきた。
「――お茶が入りましたのでお持ち致しました」
「うむ。ご苦労さま」
年の頃は十五歳といったところであろう。数ヵ月ほど前からルナフィリアは侍女の希望者を募り幾人も雇い入れ始めたのだ。
ちなみに、その競争率はまさにとてつもないほどであったとか。
憧れを通り越し信奉に近い想いをルナフィリアに抱く者達が多くいるこの国で、彼女のそばで働けるかもしれないという職が人気が出ないはずがないのだから。
そして、少女は二人の前にカップを置くとそのまま一礼して部屋を退出しようとする。
しがしその前にグランがその少女を見つめながらそれを止めた。
「……始めてみる顔だな。貴様……名は?」
カールはこれでもルナフィリアの近辺警護も行っている。
例え神羅万象を扱える王であろうとも、その警護を疎かにして良い理由にはならないのだから。
ただでさえこの国には、今までとは比べ物にならないほどの獣人が入ってくるようになった。
一応は都市の周囲に簡易的な城壁を造り、検問所も用意した。
しかし身分証など無い獣人たちである。よっぽど危険性に溢れると思われる者達と人族以外の者達は簡単に入ることができる。
都市の中でもルナフィリアの指示の元に警備兵が駐在する派出所を造るなど秩序体制に力を入れているが、未だ何処に危険が溢れているか分からない状態である。
故にグランはこの執務室で、顔を見たことのない侍女に警戒心を現す。
人事権などは基本的にグランやカール達に任せているルナフィリアであるが、稀に自らが街中から人材を引っ張ってきたりするのだ。
実際にルナフィリアが自ら見つけ出した者達は有能な者が多いので文句こそ言いづらいが、警護する身としては事前に報告して貰いたいと常々グランは思っている。
そして、この侍女もまたそうした類なのだろうと当たりを付けていた。
「……シロと申します。三日前よりシルエスト様の元で働かせて頂いております」
抑揚の少ない、感情を見せぬ声でシロと名乗った猫族の少女は答える。
元々猫族には愛嬌のある者が多いと言われているが、この少女もそれに漏れず愛らしいと言って良い容姿を持っているだろう。
だが短く切り揃えた茶髪の中に混じって白髪が多く見られる事に加え、職務中であるという事を加味しても決して明るいとは言えない感情を見せぬ表情からこの少女がこれまでに相応の苦労をしてきたことが感じられた。
もちろん獣人であれば、そこには相当の苦難があったことぐら誰であろうとも分かっている。
だがこのエルフィール王国に辿り着き、そこに暮らす内にほとんどの者がその絶望を払いのけるのだ。
それこそ侍女として雇われた女性たちは年齢を問わず、ルナフィリアを前にしたらそのほとんどの者達が目を輝かせて彼女を見つめる者がほとんどなくらいである。
「……そうか。分かった。もう下がって良いぞ」
「……はい。失礼致します」
少女は一礼して部屋を退出していった。
そんな少女が出て行った先をグランは見つめ続けいた。
何かが分かったわけではない。だが――拭いきれぬ違和感が彼の中に巣くっていた。
多数の戦場を超えてきた男にとって、そうした勘は決して無視できぬものであった。
だが、こうした時になり彼は自身の手が足りてないことを強く感じるのだ。
彼は偵察部隊を経験した者達であるが、戦場の偵察と都市部での情報取集は全くの別物であるから。
こうした情報戦に強いエキスパートが欲しいと強く思うが、無いもの強請りをしても仕方が無い。
とりあえずは、あの少女が入国した時に出身国等の調査は口頭での受け答えのみであるが行われているはずである。
ならばまずはその辺りの資料を集めてこようか。
そんな事を考えていると――こちらを見てクスクスと楽し気に笑う彼の主君と目が合っのだった。
グランはそんなルナフィリアを見て、溜息を一つ吐き問いかける。
「ルナフィリサ様。彼女を何処で雇い入れたのです?」
「三日前に街へ視察に赴いた時に拾ってきたのよ」
「…………彼女の名は本名ですか? それと出身国などはお調べに?」
「名の方は自己申告のみ故に本名かは知らぬよ。出身国などは聞いてないわ」
カールはやはりかと……思った。
――あの少女には何かあると。
これまでのルナフィリアが直接雇い入れた者も居るが、此処まで素性の分からぬ者を強引に雇い入れた事は無い。
ならば、恐らく何かがあるのだろう。
そして、それは恐らくルナフィリアしか未だ知りえぬ何かが。
だからこそ、カールは内務調査に力を入れなければならない。
そう改めて強く考えていたところで――。
「ふふ。くはははは。カール。楽しくなるぞ。これからもっともっと楽しい事が待っているはずなのだからな」
それはまさに楽しい事が待っていると確信しているかのように心の底から笑う王の姿であった。
悪戯を待ちわびる少女のように、あらゆる障壁を踏破しようという覇王のように。
今日もまたルナフィリアは誰よりも先を見て笑うのだった。
そしてカールは、そんな愛すべき王の姿を見て――この日三度目の溜息を吐いてルナフィリアに懇願する。
「……どうか御自愛下さいルナフィリア様。御身無くしてこの国はあり得ぬのですから」
それはまさに心から彼女を心配する言葉であった。
例え精霊と正面から戦い抜ける強大な王であろうとも、何処に危険があるか分からないのだ。
だがそのような危険すらも笑いながら歩き続ける王に対して、置いて行かれぬほうに自分たちこそが努力を重ねばならない。
そう強く思わざるおえないエルフィール王国近衛騎士副隊長であった。




