第二十二話 「獣人を産んだ者たちⅢ」
「さて、これからどうするかについて話し合う前に一息つくとしようか」
そう告げてルナフィリアがパンと手を叩くと、ルインの背後にある扉が開き猫族の少女が四人ほど入ってきた。
彼女たちはは皆が十五ー八といった少女であり、白と黒を基調としたエプロンドレスを纏っている。
手には盆を持っておりそこにはアンティーク調のポットと人数分のカップが乗っていた。
そうして少女たちは一人づずカップを置いていくと、そこにお茶を注いでく。
その姿に、ルイン達は皆がその少女たちに目が釘付けとなる。
単純に少女たちの可愛らしい姿に目を奪われたもの。
あるいは、粗こそ未だあれども十分に及第点を与えられる侍従作法を身に着けていることに目がいくもの。
それとも服飾に詳しい者は、彼女たちが来ているエプロンドレスが信じられないほどに緻密な技術で造られていることに気が付いた者もいる。
また陶磁器に詳しい者は目の前に置かれたカップが、それこそ帝国陶芸品の中でも極致にあるほどの美しさを持っていることに驚愕を覚える者もいた。
理由はそれぞれであるが、皆が目の前の事に見惚れているといつの間にやらお茶会の準備が整っいたのだった。
「それではささやかではあるが茶会を始めようとするか。生憎と茶菓子までは未だ手を回せなかったが、この茶はこの国で造り上げたものよ。よければ味わってくれ」
未だ色々な物に目を奪われていた者達であったがルナフィリアの言葉を受けて、目の前に置かれたカップを手に持ち口に運ぶ。
そして――。
「――っ」
思わず言葉が漏れる。決して口に合わなかったのではない。
その逆。今までに味わったことほどに芳満な香りがその身体を巡る。
彼らの中でもルインは仮にも嘗ては帝国においてそれなりの商家に居たのだ。
故に茶も商売品の中に含まれて上に、それを味わったこともある。
しかし、帝国や共和国では茶は嗜好品というよりも――ハーブティとして薬湯とてしての扱いの方が強い。
身体に良いと言われているからこそ、好んで茶を飲む人も多くいるが――しかし、その香りや味わいは好みが激しく分かれるところであり万人する茶というのは難しいと言われてた。
だが、いま飲んでいるこの茶はどうだ。芳満な香りはけれど決して強すぎるというわけではない。
また味わいはすっきりとして爽やかでありながら、その中に素朴な香味をそのままストレートでシンプルに楽しめる。まさに幾らでも飲んでいたいと思えたのだった。
「どうやら楽しんで貰えたようだな」
茶に夢中になっていた彼らに、ルナフィリアは楽し気に笑いかける。
その言葉を聞いて、それまで茶に集中していた者達も意識をこちらの世界へと戻した。
「あの……。シルエスト陛下。この茶はこの国で造られたというのは本当でしょうか?」
「応ともさ。茶葉を見つけたこと自体は偶然であったがな。未だ少量を生成するだけであるが、そう遠くなり将来には大量生産する目途もたっておるよ」
ルインはその言葉を聞き――ゴクリと喉を鳴らす。
この茶に使われている技術は、恐らく自分の想像を超える。ただ茶葉を乾燥させたものではない。それをルインは見切っていた。
萎凋、揉捻、玉解き、発酵、乾燥。
嘗ての世界においては紅茶の生成として一般的な生成方法であるが、これをルナフィリアはこの世界で確固たる技術として確立した。
勿論そこに使われている技術をルインが理解できた訳ではない。
しかしこれまで見てきた、どこか現実感の無い王国建築とは違いある意味において商人としての分野であるからこそ、この茶一つで使いようによっては莫大な利益を出すことができるということを彼ははっきりと理解したからこそ、この時に真の意味でルナフィリアの底の無さを感じ取ったのだった。
「まあ代わりもある故に存分に味わってくれ。それと諸君らが宿泊できる場所もこちらで用意しておくので、今夜はゆっくりと休むとよい。……それではこのままゆるりと楽しんでくれ――――と言いたいが、その前に一つ汝らに聞いておかねばならぬことがあるのよ。汝らのこれからについてな」
「私たちの……これからですか?」
「然り。つまるところ汝らにはこれから二つの選択肢がある。これまでの行いを胸にしまい残りの余生を過ごすこと。これまで汝らが行ってきたことに対する対価はしかと支払おう。汝らが望めばこの我が可能な限り叶えることを此処に誓おう。……汝らにもそれぞれの事情があるのだろうが、それでも汝らが我ら獣人族を支援してきてくれたという事を、我は決して忘れはしない。故にその行いを誇り想い、胸を張って――残りの人生を自分の為に使う。そういう選択肢もあるだろう?」
そう告げるルナフィリアの瞳は優し気でもあった。
実際のところ、そう言われ彼らは自分たちの今後について想いを馳せる。
確かにもうこの国に自分たちの支援など必要ないのだろう。
そんなものが無くとも、彼らはこの王を中心にどこまでも飛躍していくだろう。
そして、彼らが今まで行ってきた事はつまるところ贖罪である。
獣人の子を産みながら、しかしそんな子を世界の理不尽から守ることが出来なかった親として贖罪。
それが彼らの想いであった。
だが――もう良いのだろうか。
この王は確かに言った言葉を守るだろう。ならば、獣人の子が未だ生きている者はその子を王に預け全てを任せれば良いだろう。あるいはルインのように自分の子を探している者も全てこの王に任せてしまっても、彼女はその力の限りで探してくれるだろう。
ならば、もう自分たちは休んでも良いのだろうか。
そんな想いが彼らの中を甘い響きとなって駆け巡り――そうになる。
だが、彼らは一人としてその想いに囚われて下を俯いたりなどしなかった。
王はもう一つ選択肢があると言った。ならばこの王は自分たちにどのような未来を求めるのだろうか。
この底が見えず、覇気に溢れ、絶望する民に活気と希望を与えたこの美しき王は、自分たち人間に何を求めるのか。
それを知らずにはいられない。
「ならば――もう一つの選択肢とはなんでしょうか?」
その想いのままに、彼女の方も見つめれば――白き王の紅い瞳と視線が交わる。
ルインは顔を上げ、胸を張り、その視線を受け止める。
そして彼女はそんな彼らの視線を受けながら、口角を上げてこう告げた。
「我の配下となれ」
それはたった一言であった。
だが――その言葉を聞いた瞬間に、ルインの瞳は流星の如く煌めいた。
その言葉は想像していた選択肢の中でも最も遠いのものでありながら――けれど、あるいはそれは彼らが最も望んだ答えであったのかもしれない。
心が震えたのだ。この国を見たときから、彼女を一目見たときから、彼女が見せる技術の片鱗を見たときから。
どうしようもないほどに心が震えていたのだ。
「……私たちは……人間ですよ」
震える声でルインは問いかける。なぜ声が震えるのか。
その内にある感情は様々なものが荒れ狂い、もはやルイン自身ですら把握できずにいる。
「それがどうした。この我が人か獣人か程度の違いで区別する程に狭量に見えるか」
それは余りに傲慢な言葉であろう。この世界はまさにその程度の違いで、人と獣人の間に大きな溝を生んでいるのだから。
そして、彼らはまさにその違いに振り回されてきたのだから。
だが、それでもその傲慢さを世界に示せるだけの力を彼女は持ちうるのだから。
あぁ、まさに誰であろうとも認めるだろう。彼女が配下だと言えば例え人であろうともそれが通る。
なぜなら彼女はそれを示せるほどに力ある王なのだから。
「……シルエスト陛下は我らに何を求めるのでしょうか?」
そう問いかけるルインの言葉には気が付けば熱が籠り始めていた。
この傲慢な王は、何を求めるのか。人間である自分たちに一体どのような役割を与えようというのか。
それを知りたいと思わずにはいられなくなっていた。
そんな彼らに、ルナフィリアは悠然とした笑みを浮かべ答える。
「この国と外の世界との繋ぎ役。この国の物資を他国に。他国の物資をこの国に。つまり――貿易だ。その為の手段は我が容易しよう。みな少し――こちらへ顔を寄せよ」
ルナフィリアが右手を翳し、彼らの額に手を伸ばす。
そして、僅かに手が輝いたかと思えば――次の瞬間に、彼らの中に莫大な情報が流れ込んでくる。
それはまさに多岐に渡る。武具防具の精錬方法。この世界には無い服飾技術。様々な食材の育成方法。それらを使った調理法。また会計処理から経営手法に至るまでまさに、その知識を利用できる人間からすれば金銀財宝すらも軽く凌駕する知識が彼らに与えられた。
「っ! こ……これは!?」
呆然とする。などと言う話ですらない。どれか一つでもあれば巨額の富が手に入る知識が彼らに与えられたのだ。そこに、銀水晶を扱い記憶の譲渡というとんでもない手法も加わってもはや、それは神の如き行いに思われた。
「まずはそれらを使い財を成せ。そしてそこから他国に商家を造り、この国との繋ぎ役するのだ」
彼らは言葉が発せない。彼らは与えらた情報の価値が分かるから。
それを与えられた意味を考えれば、言葉を発することすら出来ずにいたのだけれど。
しかし、そんな彼らにルナフィリアは軽く告げる。
「あぁ……。ちなみにそれは先ほど言った汝らが行ってきた事に対する対価でもある。故に別にそれを与えらたからといって配下になることを強要するつもりなどない。その得た知識を自らの為だけに使うもよし。好きにするとよい」
「な……!? これ程の事をですか? もしもこの得た情報が一つでも外部に漏れればこの国そのものを狙う者すら現れます!!」
巨万の富を得られる知識。それがこの国から与えられたものだと知られれば、まさにそれを狙う者が銀詠師すら引き連れて襲いくるかもしれないのだ。
それを危惧したルインであったが、ルナフィリアは変わらず悠然と答える。
「構わん。そもそも我からすればその程度の知識、外部に漏れたところで然したる痛手すらないわ。さらに、この国そのものを狙うというならば、それをも利用してこの国はさらなる飛躍を遂げるだけよ。故にそれをどうするかは汝らの好きにするとよい。だが――」
そこで、一度言葉を区切りルナフィリアはルインらに右手を差し出す。
そしてルナフィリアは笑みを――傲慢で悠然としながら、なれどもどうしようもないほどに人を魅了する笑みを浮かべる。
「それでも、この国の未来を共に見たくはないか? 汝らが産み落とした獣人らが造り上げる国が世界を飛翔するそのの行き先を。この国は何れセルトロン神聖王国もセルトロン神聖王国も、そしてギネヴィア帝国すらも凌駕するぞ。ならば世界の中心は此処となる。人も金も物資も、全てがエルフィール王国を中心として回り始めるぞ。そして、汝らが望めばその世界の中心でその手腕を発揮できるぞ。この我が汝らをどこまでも高みへと導いてみせよう。それを望むのならばこの手を取れ。このルナフィリア・シルエストの配下となれ。獣人の子を産みながら、なおこの世界の理不尽さと闘い続けてきた誇り高き人間たちよ。我は汝らを――我が配下に求めるぞ」
興奮が止まらない。震えが止まらない。
自分たちは今まさに世界の分岐点に出くわしているのかもしれない。
この理不尽な世界に振り回されてきた自分たちが、そんな世界の理不尽すらも軽く吹き飛ばす王に求められている。
ならば、どうしてこの手を払いのけられるだろうか。
この世界に新たな道を造ろうとする王道を歩む王の手が目の前にあるのだ。
もはや――彼らにとって答えのなど一つしかないだろう。
一度だけルインは背後を振り返る。そこには同じ獣人の子を持つ十五人の男たちが居る。
彼らは一人たりとも目をそらさず、そして深く一度だけ頷く。
そんな彼らにルインもまた一度だけ頷き返し――そして、ルナフィリアへと向きり。
未だ右手を差し出す彼女の――その白く透き通る手を、ルインはしっかりと握ったのだった。
「ルイン・ロクシェント。以下十五名。御身が果たす偉業の一助とならんが為に全てシルエスト陛下の配下となりましょう」
此処にルナフィリアにエルフィール王国において初の人間達による配下が生まれたのだった。