第二十一話 「獣人を産んた者たちⅡ」
彼ら獣人たちを支援していた者達の中で実質的な纏め役を担っていた人間は、ルイン・ロクシェントと呼ばれ年齢が五十に届く寸前の男性であった。
彼は元々ギネヴィア帝国に根を張る商家の生まれであった。
大規模商家というほどでもないが、しかし百人規模で従業員を抱える中規模の商家であった。
そんな彼が、同じ帝国で主に運搬をならわいにしている商家の娘と結婚したのが二十代後半のこと。
これからは帝国のみならず、他国にも商売の手を伸ばす。そう意気込んでいた。
彼らの間に子供が生まれるその瞬間まで。
彼らの子は兎に似た長い白い耳と丸い尻尾を持つ――獣人族の娘であった。
なぜ――とそう思わずには居られなかった。
人間との間にも極まれに獣人が生まれることは知っていた。
だがそれは本当に稀のことで、まさか自分たちの子供がそうであるなんて思わなかった。
なのに現実は非情であり、彼らの子は疑いようもなく獣人であった。
さらに運悪く彼らが住まうギネヴィア帝国は、世界で最も獣人差別の激しい国である。
ならば彼ら夫婦に与えられた選択肢はそう多くない。
子供を見捨てるか、子供と共に運命を共にするかである。
そして――彼らは、子供と共にある事を選んだ。
早々に旅立ちの準備を整え、隣国ガーランド共和国への移住である。
出来るならばもう少し時間を掛け、支店を共和国に造りそこに移るつもりであったが帝国で行われている獣人差別を考えれば、長く時間を掛けられなかった。
故に必要な金銭のみを持ち、残りの事は両家の親に全てを任し彼らは旅立った。
が――。運命はどこまでも残酷であり、そのタイミングで帝国と共和国の戦争が激化。最悪の状態で紛争に巻き込まれてしまい――娘を抱える妻と離れ離れになってしまった。
彼は懸命に二人を探したけれど、その努力むなしく二人を出会うことはもうなかった。
その後は絶望の底に沈んだ彼であったが、けれどもしかしたら二人はどこかで生きているかもしれない。
その思いにのみ縋りつき、彼は世界を巡り続けた。
世界の至る処に住まう獣人たちに会い続けたのだった。
そして気が付けば二十年近くの年月が経ったけれども、ガーランド共和国を拠点にしながらも彼は未だ世界を歩き続けていた。
そして彼は、グラン・ローヴェルトに出会い、そして彼が魔の森に逃げ込んだという噂話を聞いた。
そこには多くの獣人たちが集いつつあるという。
ならばと思い彼はそこに足を運んだ。幸いにも彼は銀水晶の扱いには長けていた為に、魔の森であろうとも逃げながらではあるが目的の場所にまでたどり着くことが出来た。
初めは人間である彼を警戒しようとした彼らであったが、しかしルインがグランの知り合いであること、また彼が旅する中でその身を助けられた獣人たちも幾人か居たためにルインは村に入ることを許された、
そして、そんな彼の前に広がった光景とは。
まさに絶望の淵に足を掛けながらも生き抜こうとしている多くの獣人たちであった。
薄い結界装置の中で、少ない食料をやりくりしながら魔獣の脅威に怯える姿。
小さな赤子が干乾びて地に打ち捨てらた姿もあった。
その赤子は、ちょうど彼が離れ離れになったころの娘の頃と同じぐらいであったかもしれない。
けれどそれは何も、此処だけの姿ではない。世界を巡っていれば獣人たちの扱いなど所詮そのようなものである。
差別が帝国に比べて少ないと言われるガーランド共和国やセルトロン神聖王国ですら貧困に喘ぐ獣人たちの姿など幾らでも目にするのだから。
今までだって、そんな彼らを見てきて何とか手助けしようとした事もあったが、それでも多くの者達がその手から零れ落ちていったのだ。
ならば、このような場所に住まう獣人たちの事などもはや忘れてしまうことだって出来た。
どうせ自分が何かしようとも、もはや滅びの運命を辿っているようにしか思えない獣人たちを救うことなど自分では不可能であることぐらい、既に知っている。
さらに、もう彼の娘も妻も生きていないのかもしれない。
自分に出来ることなど余りに少ないかもしれない。
それは代償行為であったかのかもしれない。
それでも――それでも、彼はそこに住まう獣人たちを支援することを決めたのだった。
彼は親なのだ。獣人を産んだ親なのである。ならば自分ぐらいはどこまでも彼らの味方であり続けよう。
そんな想いと共に彼は獣人達の救済の為に、出来る限りの事を成しのだった。
小さいながらもガーランド共和国に小さな商家を立ち上げそこから支援物質を捻出しようとした。
気が付けば、幾人ばかりながらも彼と同じ獣族の子を持つ者達が協力を申し出たりもした。
だがそれでも、彼らを救うには余りにそれは少なすぎたのだ。
故に獣人たちの崩壊はもう防ぎようがないのかと――改めてそう絶望しそうになっていたその時に。
彼は出会ったのだ。
王に。全てを救う王に。
彼らの想いを形にする王に。
「これまでの諸君らの支援。改めて心より感謝しよう。汝らの力があればこそ彼らは今まで生き延びることができたのだ。そして、現在に繋がった。此処に来るまでに見たであろう。この国を。エルフィール王国の始まりを。それを成すことが出来たのは――汝らのその想いがあればこそ。故に改めて礼を言おう。――ありがとう」
白き王。見るものが自然と傅くに相応しき威を纏う王が、頭を下げる。
彼らは知らぬ事であろうが、ルナフィリアが頭を下げたという事自体がこの世界で初どころか、嘗ての世界を合わせても初めてのことであった。
しかし、そのような事実など知らぬともその王と呼ぶに相応しき主君が自分たちの行いに対して礼を言った。
彼ら――滅びるだけであったはずの獣人たちを立ち上げ、国と呼ぶに値する場所を造ろうとする者が自分たちの行いを認めてくれた。
今まで多くの者達からその行いを非難されてきたというのに。身を削り獣人たちを支援するなど誰も認めようとはしなかったのに。
自分たちですら、滅びゆこうとする彼らを支援する事に対して絶望を覚えようとしていたのに。
しかしただ一人。麗しき王が、確かな力を纏い自分たちの行いを認めてくれた。
あぁ――それだけで、それだけで彼らは報われる。
今まで呆然としながら此処まで連れられて来た者達が、その彼女の言葉を聞き、一人……また一人と涙を流す。
これは夢では無い。
差別され、獣人の子が生まれればそれを認めず子を売り飛ばすか、あるいは殺す親たちが居る中で彼らは自分の子が獣人である事を受け入れ、なおその現実と闘い続けてきた者達である。
故に世界中で非業の運命を生きる獣人たちの幸せを願い続け――そして、その夢の一端を確かに此処で見たのだ。
故に、自分たちの行動が此処に繋がったのだとういう言葉を聞き遂に涙を流したのだった。
それから彼らが落ち着くまでに一刻ほどが経った。その間にルナフィリアは静かに彼らを見守り続けた。
「あの……。ありがとう……ございます」
ルインが代表として、何とかそれだけを口にする。
「なに……我が礼を言われることではないさ」
未だ目を赤くはらしながら、けれどはっきりとルナフィリアを見つめながら礼を伝えるルインにルナフィリアは首を振って答えるが、ルインはさらに言い募る。
「いいえ。いいえ……。貴方様は私たちの夢を実現してくれたのです。私たちは獣人を生んだ親です。だからこそ私たちは彼らを救いたかった。我が子の幸せを願うの親ならば当然ことなのですから。けれど……全ての獣人を救うなどきっと傲慢なのでしょう。それでも私たちはそれを願った。そして――その願いを希望を夢を貴方様は叶えようとしてくださった。だから……私たちこそが貴方様に礼を伝えたいのです。本当に……ありがとうございました」
そしてルインは頭を下げる。それに続くように後ろに控える十五人の男たちも皆が頭を下げた。
その言葉はまさしく、彼らの嘘偽りない想いであったから。
だからこそ、彼らは自分たちの想いを形としてくれた王に対して最大限の礼を口にしたのだ。
「――うむ。ならばその言葉確かに受け取ろう。そして改めて言葉にしよう。その夢が形になろうとしているのは汝らの想いがあればこそであったと。なればこそ汝らはその想いを、これまで行ってきた全てを誇りにするとよい」
そう伝えながら笑みを浮かべるルナフィリアの表情は、彼らにとってとても眩しい姿に見えたのだった。