第十七話 「対話」
精霊アナヒタとルナフィリアの闘いから一日が経ったころ。
場所はルナフィリアが政務を行っている執務室。
其処にアナヒタとルナフィリアが二人のみで互いに正面から椅子に座っている。
アナヒタは湖に居た頃と変わらず群青色のドレスを纏い、優雅に椅子に腰かける。
その姿は実に美しく、まさに一国の妃であるかのようであった。
そして、その対面に座るは白狼帝ルナフィリア。
流石にあの激闘の後は、ルナフィリアと言えども疲労の色を隠せずに居たが一晩休んだ今は普段と一切変わらぬ泰然とした姿をしているのだった。
「それで。王様は妾に何を聞きたいのかしら?」
「とりあえず汝が知りうることを限りなく。許すならば直接その記憶を見たいところだが」
「……それは流石に嫌よ。というより精霊である私と銀水晶を合わせたら、いかな貴方でも必ず何かしらの影響がでるわよ」
「……ふむ。まぁそれならば無理強いはすまい。会話をするというのも大事なことであるしな」
唯我独尊といったルナフィリアであるが、精霊であるアナヒタに対してはそこまでの無理強いをさせるつもりはないようであった。
「えぇそうよ。会話は大切なのよ。妾は王様と会話するのは嫌いではないもの」
「くはは。精霊であるアナヒタに会話の大切さを教わるとはな。まぁ確かに我も汝と会話をするのは嫌いではないので、ならば長い話になるだろうが色々と聞いていくとするか」
「何でも聞いてくださいな。……でも良いのかしら? 貴方以外の人達は此処には居ないようだけれど、その人達には聞かせなくて良いの」
「問題無い。――というよりも我の勘が聞かせるべきでないと訴えるのでな。故に汝の話はまずは我のみが聞こう。ならば、まずは一つ目の問いだ。――獣人が人形とはどういう意味だ?」
「そのまんまの意味よ。貴方達獣人族は、神が造った人形。あるいは代替品……いえ、依代と言った方が良いのかしら?」
「……ふむ。神。神か。神とはこの世界の創造主か?」
「えぇその通りよ。何も無い。無という場所から有を造り、この世界を造り上げた存在。それを妾達は神と呼んでいるわ。まぁ人族の間では妾達精霊を神という言葉を使っているようだけど、真の意味で神と呼ぶべき存在はたった一人創造主のみよ」
「それは人という種族から銀水晶に至る全てを造り上げたということか?」
「その通り。この世界の摂理。神羅万象。その原初の全てを造り上げたのが神よ」
「ふむ……。神は未だこの世界に干渉しているか?」
「いいえ。もはや数える事すら叶わないほどの昔にこの世界からは消えたわ」
二人の会話は淡々と繰り広げられる。
聞くものが聞けば卒倒するほどの内容であるのだが、どちらも実に自然とした恰好で会話が続けられる。
「なるほど……。理解した。ならば神そのものについては一旦置いて先の質問に戻ろう。神は一体何を意図して獣人族を造った?」
「この世界の危機を救う際の依代としてね」
「依代……。神が獣人族の体に降臨すると?」
「少し違うけどそんな感じかしら」
「ふむ……。世界の危機とは具体的に?」
「銀水晶の暴走。今でもあるでしょ。銀水晶が淀んだ結果として魔獣が生まれたり、世界が穢れたり。というよりこの森のことね。嘗ては今よりもっと銀水晶は不安定だった。だから、今よりもっと大きな形で淀み穢れたりしたの。それは世界すら滅ぼしかねないほどに。だから――その危機から救うために神は依代を必要したの」
「――神自身がそれを成すことは出来なかったと?」
「えぇ。既にその時点でこの世界は神の手を離れ、独自の摂理を造り出していた。そして、神の力とはまさに大きすぎたの。それこそ神が世界の危機を救おうなんてしたら、七日七晩世界を業火で焼き尽くして一から再度世界を造りなおすなんて話になるほどにね」
「……ふむ。これまでにそれほどの危機にこの世界が襲われた事は実際にあったか?」
「一度だけ。今より一万年近く昔のことよ。人々が銀水晶の扱いに慣れ始め、様々な術式を試すようになった反動に大きく世界を漂う銀水晶が歪み、気が付けば数え切れぬほどの魔獣、魔物と呼ばれる存在が生まれたの。それに空や大地や水も穢れ瘴気が世界を覆い、まさにこの世界そのものの危機となったことがあるわ」
「その危機を人や精霊では救うことは出来なかったと」
「えぇ。人が扱える程度の銀水晶ではもはやどうしようないほどに世界は穢れた。そして妾達精霊ではもっとどうしよう無かった。妾達は世界に漂う銀水晶が形となった者たちだけれど、その世界そのものが穢れているのだもの。自分自身を保つだけで精一杯だったわ。それに精霊が力を付けたのは長い長い時間を生きた結果だもの。その頃には今ほどの力は無かったわ」
「……なるほど。故に神の依代か。人では神の依代には成りえなかったのか?」
「出来なかったわ。依代とするには人の中にある銀水晶が邪魔だったの。だけど神が依代の必要性に気が付いたときには既に人は完成されて居たから、今更手を付けることはできないかった。だから――神は極力この世界にはもう手を加えず、だけど依代として成るように銀水晶を一切持たぬ人に似た別の人――獣人を造ったの。そして、獣人はその時から一定の割合で増えるように人と人の間からも生まれるようになった」
「……あぁなるほど。そう…そういうことか。ならばこれが最後の質問だアナヒタ。その世界の危機において依代が使われたのだな」
「えぇその通りよ。一度だけ。たった一度だけ神は依代を使いこの世界の危機を救ってみせたのよ」
そこまで話を聞きルナフィリアは一度だけ大きく息を吐いて、そして口を噤んだ。
自身の考えに耽る為に。
アナヒタが語った言葉は余りに漠然としたものであったがそれでも大きすぎた。
それこそ、それはまさに神話であり世界の創造話そのものなのだから。
それを全て語ろうと思えば、どれほどの時間が掛かるか分かったものではなかった。
それこそ一晩どろか。三日三晩語り合おうとも終わりが見えぬほどに。
だが、ルナフィリアが知りたかった事を聞くだけならば、これだけでも十分であった。
ルナフィリアは先ほど聞いた内容。それにこれまでルナフィリアが得てきた経験。自身が持ちうる知識。そこに幾つかの推測を加えれば自ずと答えに辿り着く。
「そうか――。その一人というのがルナフィリア・シルエストなのだな」
「その通りよ。白狼の女性。貴方の始祖。ルナフィリア・シルエスト。貴方と同じ名前を持つ存在こそがこの世界において唯一の神の依代となった。そして、神はこの世界の穢れを祓い。世界の危機を救ってみせた。そしてその依代となった貴方の体は――世界の危機を救うと同時にこの世界から追放された。高次元の狭間を超えて別の世界へと飛ばされたと聞いたわ」
「……それは、ルナフィリア・シルエストを危険視したからか?」
「そう……。その通りだと思うわ。神の依代となったルナフィリア・シルエストの体には神の力が宿った。それは、例え神がその身体から消えようとも残滓として残った。だから神はそのような存在がこの世界に残ることを許さず――ルナフィリア・シルエストをこの世界から追放したのよ」
「……なるほど。あぁ……ちなみにそのルナフィリア・シルエストとこの我の容姿は似ているか?」
「似ている……というよりあのルナフィリアを幼くした姿そのものってところかしら。まぁ妾はそこまで嘗てのルナフィリアを見た訳ではないから断言はできないけどね」
それを聞き……ルナフィリアは遂に一つの確信に至る。
それは自身の始まりについて。なぜ銀水晶という力を持つ存在があの世界に居たのか。
そして、なぜあの世界では人間であった自分がこの世界では白狼族になったのかを。
この姿こそが本来の姿なのである。ルナフィリア・シルエストという一族の末裔として正しき姿。
嘗ての地球に居た頃に感じて圧迫感。無理やり自分を抑えられていた感覚。
あれはまさにその神の残した封印。神は自身の残滓がこの世界に残らぬように二重の策をうった。
自らの残滓を持つ存在をこの世界より追放する。その上で帰還が叶わぬようにその力に封印も込めた。
この世界ならば万が一にも封印が解ける可能性がある故に、銀水晶が一切無い世界にその残滓を封印した上で追放してみせたのだ。
故に嘗ての体が人間であった。あの姿こそがその力を封印した結果だったのだろう。
そこまでするのならば、何故神はルナフィリアを殺さなかったのかという疑問は残るが。
殺さなかったのか。殺せなかったのか。それは分からなかったが、それでも神が自身の残滓を何よりも危険視したことだけは確かだろう。故にそれだけの策を用いたのだから。
事実としてその封印は数千年を超えて解かれることはなかった。彼ら一族は自身が持つ僅かな力を才能という言葉で覆いながら今まで生きてきたのだから。
だが、それでも遂にそこに至ったものがいたのだ。自身の内に秘められた本当の力を知った者が。
だからこそ彼は――少女はこの世界に還ってきたのだから。
そしてルナフィリアは次に思う。獣人族と呼ばれし者たちものについて。
アナヒタが語ったそのそれは余りにも残酷な話であった。
世界を救う。ただその為だけに神は獣人族を造り上げた。銀水晶というこの世界の根幹を一切抱かぬ存在。
世界の恩恵を与えず、世界を救うためだけの人形。
神はその人形を使いただの一度だけ世界を救った。
救ってみせた。
自身の力では強すぎる為に、その力をこの世界に届けるための依代を使って。
そして――確かに神はこの世界を救ったのだ。
自身の依代として使った一人の白狼の少女をこの世界から追放し、この世界に生まれ落ちたあらゆる獣人族における残酷なまでの生を代償として。
ただ一度だけ世界を救うためだけに作られた人形。それこそが獣人族なのである。
「もう質問は終わりかしら? なら今度はこちから質問するわ。貴方は――この話を聞いてどう感じたのかしら?」
自身の考えに耽るが故にその紅い瞳を隠すように髪で覆っているルナフィリアに問いかける。
アナヒタ自身は獣人族に思うところなど何もない。
というよりこれまで気にもしていなかったといった方が正しい。
世界を救う為だけに作られた人形を気にかけようなど思ってこなかったのだから。
そしてアナヒタは現在のルナフィリアに強い関心を抱いた。
もちろん、そこには自身すらも凌駕する力に対する思いもあるが、それ以上にアナヒタがルナフィリアに魅かれたのはそのあり様にだった。
その生き方は余りに鮮烈であった。自分と死闘を繰り広げたその姿は実に美しく、彼女と語り合うとどうしようもなく心が躍ったからこそ。
だからこそアナヒタはルナフィリアを王様と呼び此処に居るのだから。
そして思うのだ。ルナフィリアはこの話を聞いてどう感じたのか気になると。
ルナフィリアは絶望するだろうか。
結局のところ神が造った枠組みに獣人は含まれて居ないのだから。
人も精霊もその他あらゆる生物が抱く恩恵を与えられなかった存在。
それでも、世界を救うというお題目の元に未だ彼らは生まれ続けているのだ。
残酷の生を強いられながらなお、世界を救うかもしれない依代にある為だけに。
それともルナフィリアは怒りを見せるだろうか。
実際に世界を救う依代として選ばれながら、力を封印されこの世界から追放されたことに。
彼女の一族は神に使い捨てにされたようなものなのだから。
そうしてルナフィリアがどのような反応を見せるだろうかと思って見つめるアナヒタの前で、未だ髪で目を隠すルナの肩が僅かに震えているのが見えた。
――まさか泣いている?
アナヒタは一瞬だけそう思った。余りに残酷な話に涙を流したのだろうかとそう思った。
いや――思おうとしたころだった。
だが直ぐに違うと感じた。
だって彼女は、精霊である自分が認めた王様なのだから。
どうしようもなく心躍らされたそんなルナフィリアが、この程度のことで絶望するなどあり得ないのだから。
むしろその逆。
だからきっとこれは――――。
「あはははあはははははははは!! どう感じた? どう感じただと? そんなこと決まっている!! それはどうしようもなく心が躍るというものよ! 神に見捨てられた種族? 神に追放された一族? それがどうした? いや――否! それであるからこそ我が野望に挑むことに対して心躍るということよ!!」
肩を震わせながら大声で笑うルナフィリア。
そこには僅かな絶望どころか、髪をかき上げられ現れた紅い瞳には嘗てないほどまでに強い強い光が輝いていた。
その姿を見たアナヒタは一瞬だけ驚いたような表情を浮かべるがすぐにつられるように楽しくて仕方が無いといった表情をする。
「あら。なら貴方の野望というのは何なのかしら?」
「我が王国エルフィールを悠久の果てまで続く強大国家とすることよ! なあアナヒタ。心が躍らぬか。神が自身の道具として使うためだけに生み出した種族と使い捨てられた一族の末裔が中心となってこの世界に決して揺るがぬ国を造る! 道具であるはずの種族が造りし国がこの世界の中心となりあらゆる国や種族をさららぬ高みへと主導する。神すら予測しえぬ見果てぬ道を我らが造る!! それはれはどうしようもなく心が躍らぬと思わぬか?」
「……ふふ。確かに面白そうだけど、それは凄く凄く困難よ。いいえ……もしかしたら道具でしかない種族が中心となった世界なんて何時かは神が認めないなんてこともあるかもよ? 今は確かに神はこの世界に居ないだろうけれど、もしかしたらまた戻ってくる日も来るかもしれないのだから。そうしたらどうする?」
「決まっておろう!! ならば我は――我らは――神すらも凌駕しよう! あちらが天から見下ろすというならば我らはその天すらも超える高みへと至ってみせよう! 我らが進む道は我らが決める。それを妨げようというならば神であろうとも切り捨てる!」
そう言い切ってしまうルナフィリアをアナヒタは妖艶とした表情を浮かべながら見つめる。
ルナフィリアに対して抱く気持ちは余りに多くアナヒタ自身として全てを理解はできていないだろう。
だが――それでも、確かにもうどうしようもなくアナヒタは自身にアナヒタという名を付けた王に魅かれているのだけれは確かに理解した。
「………………。うふふふふ。貴方はどうしようもないほどに危険で、そして傲慢ね」
「応ともさ! 故に我は王なのよ。白狼帝ルナフィリア・シルエストであるのよ! 我は我の傲慢をこの世界に刻み付ける。ならば――その手助けをせよ水の精霊アナヒタよ」
「えぇ――良いわ。貴方がこれからどのような世界を見せてくれるか妾は楽しみでならないもの。だから貴方の野望を手伝ってあげるわ傲慢な妾の王様」
「くふふ。ならば我は汝に決して見果てぬ世界を見せてやろう。楽しみに待っていろ。我が精霊アナヒタ」
こうして未だ小さな国家。小さな部屋で、けれどこの世界で最も傲慢な王の言葉がその配下となる水の精霊に確かに刻まれたのだった。




