第十六話 「精霊との邂逅Ⅳ」
「貴方が内包する銀水晶はこの妾にも匹敵しよう。それは認めるわ。故に――この妾が全霊をもって相対しよう。これを敗れるというのならば、もはや僅かな言い分も無く妾の敗北よ」
「ならばよし。我もまた僅かな慈悲も。一片たりとも油断も無くこの命の限りを尽くして――汝を凌駕しよう」
相対する二人。精霊と獣人。常識に当て嵌めるならば悠久の時を生き抜いた精霊に獣人が敵う道理などどこにもない。
精霊が内包する銀水晶。そこに込められた総量は無限にすら等しく。
故に――そこから繰り出される一つの幻想は一つの世界を生み出すのだから。
「Via quae ducit ad mare caeruleum《紺碧に染まる空 》」
精霊が一つの言葉を紡いだその瞬間に――世界が紺碧に染まる。
それは比喩に非ず。精霊を中心に世界が水に覆われる。
湖に揺蕩う全ての水が、大気が、ルナフィリアを中心に囲い込む。
世界は紺碧に染まる。
即ちここは異界となる。湖の外と内に明確の水壁により隔たられる。
故にここは精霊が造り出す水の世界。この場においてあらゆる理を紡ぎだすのはこの世界の主たる精霊のみである。
「これはこれは――。結界というよりも世界からの切り離し。幻想世界の創造か。この場においてはまさに世界の王は汝であるな精霊よ」
自身が寸前まで纏っていた銀水晶が悉く霧散しているのをルナフィリアは確認する。
この場において、この世界に漂う銀水晶はその悉くが精霊の支配下に置かれた。
それを認識したルナフィリアは――なお口元を吊り上げて精霊を見つめる。
そのようなルナフィリナの態度を見て、精霊もまた楽し気に応える。
「えぇ。妾の秘儀。この湖という水の精霊たる源泉があって初めて行使できる世界の創造。この場において世界に漂う銀水晶は全て妾の支配下に置かれる。貴方が行使できるのは貴方の内にある銀水晶のみ。さて――貴方はその身に宿す銀水晶のみでこの妾に対抗できるかしら?」
銀水晶はこの世界の何処にでもある。
それは世界に漂うものであり、生きとし生けるもの全てがその身に宿すものでもある。
そして、銀詠師は本来は世界に漂う銀水晶をその身に纏わせ行使する。
逆にその身に宿す銀水晶のみをもって術の行使も不可能ではないが、並みの銀詠師では世界の銀水晶を使わなければ小さな灯火一つ生み出すことすらままならないだろう。
が――そのようなことなど既に全てを承知してなお、ルナフィリアは変わらぬ態度を貫き通す。
否――その命が瀕する状態であろうとも、決して己が道を曲げないからこそ彼女は王を名乗るのだから。
その身に銀水晶に負けぬ覇気を滾らせて。
この世界を支配する王たる精霊に対して声を張り上げる。
「あははあはははははは――!! 否。否よ。何度も言わせるな精霊!! 我は汝を凌駕するのだと言っておろう。ならばもはや御託など並べるな。その身の限りを尽くしてこの我を殺すつもりで対峙せよ。さもなくば――この世界から消え去るのは汝の方であろうぞ!!」
それは虚勢にあらず。この絶望的な状況にあってなお、その身に滾る覇気を僅かにも緩めず、世界を支配する精霊にたして吼える。
故にそのようなルナの態度に、悠久の時を生き、此処数百年はまとな感情すらも発してこなかった精霊が歓喜に震えうような表情を浮かべながら――ルナの言葉に頷き返す。
「えぇ。えぇ――!! 全くもってその通りだわ。妾はもはや寸分足りとも其方を侮らない。だから――こんな事もしてあげる!! 妾に従え――Aqua draco《煌水龍》」
精霊が言葉を上げると、世界に巨大な水の龍が現れる。全長は見果てぬほどの空にまで伸びるまさに龍の何相応しいその姿。太陽の光を浴び、世界に輝くその美しさは見るものに感動と畏怖を与えるだろう。
なれども、それは聖堂に飾られる美術品にあらず。強大な魔獣すらも容易く喰らう水の龍である。
その水龍が――結界の外に現れる。
それはルナフィリアに向けて放たれたのに非ず。それは――湖の端。
結界の外でルナフィリナを見守って四人の騎士に向けて飛翔した。
「――! Aether Obic ve Clara《六翼結界・輝天》」
「っ! ルナフィリア様!!」
グランが叫んだのとルナフィリアが彼らの周囲に障壁を張ったのはほぼ同時であった。
そしてその一秒後に――結界に向けて強大な龍が牙を剥き出し襲い掛かる。
その衝突はまさに絶大。龍と障壁による衝撃波により湖のそばに生える木々達が一斉に薙ぎ倒されるほどに。
なれども、その結界の内側。グラン達には僅かな衝撃すらも通さなかった。
いや――未だ通していないと言うべきである。
水龍は一度の衝突で消滅することなく、何度も何度もグラン達を襲うべく障壁にぶつかり続けているのだから。
そして、それら全てを防ぐべくその障壁も張り続けられている。
「――ふふ。あの龍を全て防ぐ障壁を造り上げるなんて本当に流石ね」
「……はっ。言ってくれる。まさか我を襲わずにグラン達を襲い掛かるとわな」
龍と障壁な超大なぶつかり合いによる衝撃も、なれども精霊の結界の内には僅かたりとも及ばしたりしていない。
静かな世界。水の流れ音のみが響き渡るその世界で精霊は優美な笑みを浮かべながらルナフィリナアを見下ろし――そして、見下ろされているルフィリアは、この世界に至ってから初めて僅かなれどもその顔を歪めていた。
「あら。当然ではないかしら? 妾は僅かにも其方を侮らないと言ったでしょう。ならば、この世界の創造のみで妾は過信なんてしない。事実――貴方はその身に宿す銀水晶のみをもって、妾が潤沢なまでの銀水晶のもとに造り上げた水龍を受け止める障壁を造り上げた。あの一瞬で、妾の結界を超え、対幻想、対銀水晶に特化した障壁を造り上げ。さらに未だ維持し続けている。それはまさに称賛に値するわ。そのようなこと――この妾ですら出来ないでしょう」
その精霊からのまさに心の底から称賛の言葉に対してルナフィリアは無言で答える。
否――無言で応えざるおえなかった。
精霊が述べたように、精霊が造り上げた水の結界を超え、その強大な龍を受け止め続けられる障壁を維持するのみ必要な銀水晶はまさらに膨大な量が必要であったのだから。
そんなルナフィリアを見下ろしながら、精霊はさらに言葉を続ける。
その口元に笑みを浮かべながら。
「うふふ。だからこそ其方の連れを襲うの卑怯などと言わないでしょう? それとも其方は妾を卑怯と断ずるのかしら? この妾を配下にしたいだとと申しながらに、自らの配下を切り捨てると。それが其方の限界だと認めながらに、妾を卑怯と申すのかしら?」
この世界の王が問いかける。獣人の王に。白狼帝に。ルナフィリアに。
配下に決して龍を通さぬ守護壁を己が銀水晶を燃やしながら造りづける白狼の少女に精霊が問いかける。
その言葉に――。僅かに顔を歪め無言を通してきたルナが、なお口元を吊り上げながら答える。
「――はっ! たわけ! 我の限界を汝が勝手に決めるな。我は王だ。これより世界に新たな道を敷く白狼帝であるぞ!! ならばこの程度を凌駕できずに何が王か!!」
言葉とは意思を持つ。そこに込められた想いが強ければ強いほどに確かな形をもって言葉は世界に刻まれる。
そして、ルナフィリアの言葉には例え銀水晶をともわなくともそこには確かな形となって現れるほどに意思が込められていた。
それこそが、まさに覇気であろう。
世界を精霊に支配され。己が内にある銀水晶すらも配下を守るために使い続け。もはや精霊に対抗する術など無いはずなのに、なおそこには確かな力があった。
それは――思わず精霊が僅かになれども後退してしまうほどに。
まさに、それは精霊がルナの覇気に押されてしまった事実を現しているようで。
故に――精霊は口を笑みで歪めて言葉を紡ぐ。
それは自身が後退してしまったことを認めるかのように。
「えぇ――貴方なら必ずそう答えると思っていたわ。だからこそ――妾は妾の全てを掛けてこの世界を造り上げて、其方ではなく、其方の配下へ向けて水龍すらも行使したのだから。そして認めるわ。それすらも受け止め、こうして私に覇気をぶつける貴方に畏怖すらも抱いてしまったと。だかこそ、妾は――其方を必ず殺すわ。そうでなければ、確かに消え去るのは妾であろうから。そう――確かに確信したからこそ。だから――消えなさい。その覇道を抱いたままに水の底に沈めてあげる」
そして、精霊は一度だけ大きくその手を天へ向けて掲げたかと思うえば――次の瞬間に振り下ろした。
ただ一つの言葉を紡ぐと共に。
「Mundi dominatus est ab aqua《世界は水によって支配される》」
その瞬間。結界の内に大海が生まれる。
天すらも超えるほどの大津波が沸き起こりその内にある全てを水で飲みこむ。
それがまさに一瞬。一秒にも満たぬ時間で、精霊も。湖も。そして――そこに居るルナフィリアすらも全てが水の中に呑みこまれる。
「――ぐっ。がはっ!」
ルナフィリアは一度だけ大きく息をしようとしたが、それを許す前に水の中に飲み込まれた。
結界を張る暇すら無く――。否、既に一度結界を張っているルナフィリアにはもはやその余裕すら無く。
なすすべもなくその少女として小さな体は、大海の底に沈むように、水の中へと引きずり込まれた。
さらにその水はただの水にあらず。
精霊が造り上げる全てを銀水晶で造り上げらた純水。
まさにこの場こそが、真の意味での精霊における聖域。
水の精霊のみがその場に居る事を許される場所。
あらゆる水の根源。その源泉において存在が認められるのはまさに、その源なる精霊のみである。
故に――。一秒か。あるいはまさに数えることすら叶わぬ一瞬をもって――ルナという存在はその水に呑まれ喰われ。
一粒子足りとも残さずこの世界から存在ごとが消されるだろう――。
それを――。
「――――!!! ルナフィリア様!!!」
結界の外。水の障壁の外からグランフィリア達は見つめ続けた。
見つめ続ける事しか出来なかった――。
まさに絶望的な状況。――否。もはやそれすらも超えて。既にルナフィリアという存在は水の領域に呑まれ喰われてしまっているのだから。もはやここに勝敗は既に決してしまったかのようで。
だから、そのような状況であるからこそ。
故に――彼らは、ただルナフィリアの勝利のみを信じ続けた。
勝敗が決した……。否。それこそ否である。
なぜなら――彼らは未だ強大な水龍に襲われ続けており、そして、なお――彼らを守る障壁はそこに悠然と張り続けられているのだから。
だからこそ、彼らはただルナフィリアを信じ。彼らの王の名を叫んだのだから。
そして、彼らは確かに見たのだ。
水の領域。その中心で水に呑まれ、ただ水中を漂うのみであったルナの口元に確かに笑みが刻まれていたのを。
そして、その一瞬の後に――。
「Flamma Emperor《煉獄の炎帝》」
確かにその言葉を聞いた。水中に居るはずのルナフィリアからでは決して声を届けることなどできないはずなのに。
けれども、確かにその言葉は世界に響いた。
そして、その声に導かれるかのように世界が輝いたかと思えば――天上の業火が世界を焼いた。
その灼熱は、先ほどの攻防でルナフィリアが見せた業火するらも凌駕する。
まさに精霊が見せたものが、水の始まりだと言うのなら、ルナが行使したそれは原初の炎のようであるかのように。
まさにそれこそが天地開闢。灼熱の業火が世界を燃やし、世界を造る。
ありとあらゆる――そこにある全てを燃やし焦がし尽くしてみせた。
その炎にグラン達はただただ見惚れ続けた。
そして――まさに一瞬の後に世界を覆っていた水はその悉くが消え去り、足元に揺蕩う湖のみとなった。
「――どれだけ貴方を侮らないと思っていても、それでも貴方は本当に妾の上をゆくのね。貴方が焦がしたのは水ではなく、妾が蒐集した銀水晶そのもの。まさに世界の根源すらも燃やしてみせた。そんなこと――あぁ……本当に。貴方に対して抱くこの気持ちは何かしら。本当に貴方は妾の気持ちをどうしようもなく搔き乱すのね……」
一切の音も無く、誰一人言葉を発しない世界において、ただ精霊が呟く言葉のみが響いた。
自らが生み出した世界を燃やし尽くした白狼の少女に向けて、そこにはあらゆる感情を込められていた。
そんな精霊の言葉を受けるルナは――。
「っごほ。がはっ!! はっ……!!」
肺に溜まった水を吐き出すかのように、水辺に蹲っていた。
全身に水を浴び、長い白色の髪も体に巻き付いている。
そこにある疲労は想像を絶するだろう。ただ水中に呑み込まれのではなく、銀水晶によって精霊が生み出した大海に呑まれたようなもの。
其処に掛かる圧力はをルナフィリアは受けとめ、なお燃やし尽くしてみせたのだ。
並みの銀詠師ならば術の行使すらもままならぬような世界で。
ならばもはや、限界などとうの昔に超えているだろう。
そのような姿を見せるルナフィリアを精霊は見下ろしながら――――なお、再びその手を天へ向けて掲げたのだった。
「妾は――其方を侮らない。いいえ――妾は其方を格上と扱うわ。もはや妾では其方の限界を認識できない。だから、まだ終わらない。終わらせられない。妾のうちにある感情がもはや抑えられない――! だから、だから――! Mundi dominatus est ab aqua《世界は水によって支配される》」
それは、まさに感情に任せた一撃であるかのように。もはや、意味すらままならぬ言葉を紡ぎながら精霊は、もう一度世界を水で埋め尽くそうとする。
そこに込められた銀水晶の量は、二度目にも関わらずなお一度目すらも凌駕する勢いである。
本来であれば、いかな精霊とてこれほどの術式であれば一度が限界であるはずだけれども。
此処は水の聖域。水の精霊が悠久の時を過ごした湖がある場所。
その水の源泉がある限り、精霊はもはや無限ともいえるだけの術式を行使してみせるだろう。
故に――世界は再度水に覆われる。
まさに大国すらも一瞬の後に呑み込んとする水壁が現れる。
そして、精霊は未だ右手を天へ掲げたままに――もう一度その手が振り下ろされた瞬間に先ほどすらも凌駕する激流の一撃がルナを襲うだろう。
なれどもその時点で――ルナフィリアは未だ膝をつき、肩で息をしているところであった。
もはや誰の目にもルナが限界を迎えていることなど明白であった。
だからこそ――。グラン達はもう一度だけ彼女の名を叫んだ。
「っ!!! ルナフィリア様!!!!」
その言葉を聞いたルナは――息も絶え絶えながらに口元に笑みを浮かべて声を紡いだ。
それは吐息交じりの小さな声であったが、それでも確かにグラン達の元へまで届くほどに響いた。
「……随分と心配気な声ではないか……。お前達の目には……我が敗北するように映っているか……?」
普通に見ればもはや勝敗などとうに決しているだろう。
相手は精霊。まさに無限に世界を造り続けられる存在である。
例え息も絶え絶えながらに、なお奇跡的に今回の一撃すら耐えようとも、なれども精霊は何度でも同じ攻撃を繰り出せるのだから。
赤子でもわかる答え。結末などもはやたった一つだろう。
ならばこそ――グラン達が応えるべき言葉はたった一つであった。
「いいえ! いいえ!! 我らが王に敗北はありませぬ――! ならば我らはただ御身の勝利を祝う勝ち鬨を上げるためにこの場で侍りましょう」
それは去勢にあらず。エルフィール近衛騎士隊の四名はただルナフィリアの勝利のみを信じ続ける。
故にただその勝利の瞬間を見逃さずまいとルナフィリアへ視線を向け続いたいるのだから。
その言葉を聞き、ルナフィリアはゆらりと立ち上がる。
未だ肩で息をしながら、足元もゆらつきながらではあるが。
なお――口元には普段と変わらぬただただ悠然とした不敵な笑みを浮かべながらに。
「――くは。我の騎士ならばそうでなくてはならぬ。ならば王たる我は配下の想いに応えねばならぬ。故に――精霊よ。互いの演舞はここで終いよ。我は貴様の源泉を断とう」
精霊は未だ右手を天に掲げたままにルナフィリアの言葉を聞く。
フラフラになりながらも自らの勝利を疑ぬ強い光を抱く強い瞳を見つめたままに。
「……私の源泉を断つ? 貴方が此処がどこか分かっているのかしら。此処こそが妾の聖域。悠久の時をかけて妾が造り上げた妾の世界よ。その場において――」
「くはは――!! 精霊よ。貴様は我に言ったな。もはや我を侮らぬと。我を格上としてすら扱うと。――遅い。遅いのよ。真に我を脅威として扱うのならば、我がこの場に来た、その瞬間に襲い掛かれ。さすればこの心臓にすらその手が届いたやも知れぬと言うのに」
精霊の声を遮って紡ぐその言葉に、精霊はさらに警戒度を上げる。
肩で息をしているその姿は未だ変わらぬとも、気が付けばこれまでで最も強く覇気を感じるようになっていた。
全身を水で濡らしながら、なお紅く紅く光る眼でこちらを見つめて言葉をぶつけてくるその姿に――精霊は言いようもとれぬ恐怖に襲われて。
その恐怖につられるように右手を振り下ろそうする。
水の激流がその恐怖の対象を押しつぶしてしまうように――。
だが――。その一瞬前に――。
「――時間切れだ。さぁ――! 水よ。我に従え!!」
「――なっ!!!!!!」
その一瞬の出来事に対する驚愕は、精霊が生きてきた悠久ともいえる中でも突出したものだろう。
目を限界まで見開き、目の前の出来事をただただ呆然と眺める。
そこにあったものは――。
自らの源たる湖の水が――その悉くがルナフィリアの思うがままに動いているという現実であった。
己と水との間にあるはずの回路がその全てが切れているのがわかる。
本来は自分の回りを揺蕩うはずの水の全てがルナフィリアを中心に回っている。
その現実に――精霊はただ茫然とするのみであった。
そして――そんな姿を晒す精霊へ向けてルナフィリアは最後の牙を向ける。
「Aqua draco《輝水龍》」
光り輝く水龍。精霊が生み出したものよりも小さいながらに、それよりもなお光り輝く水の龍が天へと昇るかのようにルナフィリアの手元から生まれ――。
そして、その牙を開きながら――天より降りかかるように精霊を飲み込んでいった。
呆然とそれを見つめていた精霊は、ただされるがままに龍へと呑まれ。
そして、水面へと強く強く叩きつけれた。
「がはっ!!!」
精霊はそこに今まで感じた事もないほどの強い強い衝撃を受けて。
水という本来は自身を守るはずの存在に襲われたことを改めて認識した。
そして――故にここに自分の敗北を決したことも理解する。
精霊を水面へと叩きつけた、水龍はすぐに消え去り。
後はただゆったりと水面を漂う精霊が一人であった。
水面から眺める空は――湖の水よりもなお青く青く輝く蒼穹であった。
そんな空を眺める精霊のそばに波音を立てながらこちらに近づいてくるものの音がした。
チラリとそちらを見れば、こちらに向かって水面の上を歩いてくるルナの姿が見えた。
僅かに乾いた白色の髪を風に靡かせながら歩いてくる白狼の少女。
精霊の目から見てもなお、完成された美しさ。あるいは愛らしさすらも持ちうる少女の姿を見て、改めてその非常識ぶりを認め。苦笑を浮かべながら、そんな少女を迎えうる。
「……参ったわ。初めてに湖の底へと落とした銀水晶。あれをもって、この湖全ての水をこの妾から奪い去りその全てを支配下に置いたというのね」
「然り。流石は水の精霊といったところで、想像以上に時間が掛かってしまったがね」
その言葉に精霊は、再び苦笑とも何とも言えぬような表情を浮かべる。
「……時間が掛かるどころか、本来は千年かかろうとも不可能なはずなのだけれどね。でも……まぁ……良いわ。改めて貴方の非常識ぶりがよくわかったから。だから妾は貴方の配下になっても…………あぁ。いえ。その前に一つだけ聞いても良いかしら?」
そのまま右手をルナフィリアへと向けようとする前に精霊の動きが止まる。
そして、そのような精霊へ対してルナもまた悠然と応える。
「何なりと聞くとよいぞ」
「貴方はどうして足手まといにしかなりえない他の獣人族なんかを連れて私の元へと来たのかしら? 貴方一人ならばもう少し楽にできたでしょう?」
その言葉に、それが想定外の質問であったのか僅かに目を見開いたのちに――ルナフィリアは美しき少女には似合わぬ豪快な笑いを上げながら答える。
「あはははは。そのようなことか。そんなことは簡単よ。奴らに我と汝の相対を見せておきたかった。それがどのようなものであろうとも――その経験は必ず次に生きるからな。故に我は奴らをこの場に連れ来たのよ」
そう答えるルナフィリアの姿は――確かに王であった。
精霊すらも凌駕する強大な力を持ちながら――なお、ルナフィリアはその力を持たぬ獣人族を率いる王である。
故に彼女は白狼帝なのだから。
そして、その姿を見つめた精霊は、一度だけ大きく息を吸うとルナフィリアへ向けてその右手を掲げたのだった。
「……貴方は本当に王なのね。あぁ……良いわ。ならば妾も貴方に従ってあげるわ。だから……これからよろしくね?」
「――応ともさ。心から我は汝を歓迎しよう。ならば――まずは汝の名を聞いても良いか?」
ルナフィリアもまた精霊の右手を取り、しっかりと握り返した。
「あぁ……。いいえ。妾に名は無いわ。ただ水の精霊としてこの世界を生き続けてきたのだから」
その言葉を聞いて、ルナフィリアは精霊の手を未だ握りながら僅かに考えるそぶりを見せた。
だが、次の瞬間には満面の笑みを浮かべて精霊へ向けて口を開いたのだった。
「ならばこれよりアナヒタと――そう名乗れ。我が嘗ていた世界で水の女神と呼ばれた者の名よ」
あっさりと精霊というこの世界において至高のはずの存在へ向けて名をルナフィリアは付けた。
それに対して、精霊は今度こそ驚きに目を見開いたけれど。
次の瞬間には笑みを――苦笑では無く、一切の曇りの無い笑みを浮かべて改めルナの手を強く強く握り替えいしたのだった。
「えぇ。えぇ――! 妾はこれより水の精霊アナヒタ。これより貴方の配下になるわ。よろしくね。妾の王様」
「あぁ――。我に付いて来ればこれまでで最も楽しい時を送らせると約束しようぞ。アナヒタ」
こうして水の精霊アナヒタと白狼帝ルナフィリアの邂逅が終わったのだった。




