第十三話 「精霊との邂逅Ⅰ」
ルナフィリアを先頭にグラン、カール、ルベア、ダニエの四名が続く。
場所はエルフィール王国中心部よりも南方に六kmほど歩いたところである。
ちなみにルナフィリアの服装は白と黒を基調としたアンティーク風ドレスとでも呼べばよい恰好である。
僅かばかりにフリルがついた本格的なドレスに比べればカジュアルな装いであるが、その服装は彼女の純白さによく似合っていた。
元々は嘗て着ていたような質素なズボンとシャツを着ていたのだが、ドレスやスカート等といった恰好をするのが彼女の臣下や民らに喜ばれたのでそうした恰好をしているだけである。
嘗ては男であったルナフィリアが現在は少女の肉体となったけれど、ルナフィリアはもはや余りその差を意識などしていなかった。
別に自分がやるべき事、やらねばならぬ事において性差の違いなどルナフィリアからすれば些細な違いでしかなかったから。
故に恰好もまた頓着などしなかったが、ドレス姿の方を強く押されたが為にそうした恰好をしているだけにすぎない。
またルナフィリアは自分の容姿についてもほとんど気にもしていなかった。
元々からして体の造形の違い程度を気にするような人間では無かったが為に、現在も狼の耳が生えた少女であるという認識程度しかしていなかった。
そして――ルナフィリアの周囲に居る者たちも彼女の容姿について言及したことなどなかった。
ルナフィリアのその美しさ。純白の白狼族として文字通りに完成された美であるという認識はもはや語らぬどもルナを一目見た者ならば共通して持っていた。
けれど、そのことについて直接ルナフィリアに言った者は居なかった。
ルナフィリアがただ宮殿の中で愛でられるだけの淑女だと言うのなら多くの者たちが彼女の美しさを褒めたであろう。
だが、彼女は王である。覇気を纏い王道を進む者であるからそんな彼女の容姿について言及するなど、畏れ多いと考えた故にである。
結果として、まさに誰も見惚れる容姿をしながらに元男であるという過程と周りもそれを言及しない故に自らの容姿について全く頓着しない現在があるのだけれど。
そんなルナフィリアの後ろに付き従う四人の騎士。彼らはみな銀白色の鎧を身に纏っている。
それは全身を覆うフルプレートの甲冑ではなく、動きやすさを重要ししたものであるが、しかし太陽の光を浴び銀色に輝くその姿は実に美しさかった。
ルナフィリアに近衛騎士隊として認められた者は現在はみなにその鎧が贈られた。
その鎧は――鎧だけでなく現在においてルナフィリアが身に纏っているドレスも含めて全てルナフィリアが造り上げたものである。
銀水晶。それを元に造られた幻想から生まれし鎧。
本来において物質の具現化は銀詠師が行う術式の中でも最上位に難しいものである。
銀詠師とはつまるところ、形なき万物の力である銀水晶を形あるものとして生成することである。
故に火や水と言った、漂いゆくモノほど生成がやりやすく、逆に明確な形として造り上げねばならぬ物質生成は極端に難しくなる。
本人の資質にもよるところであるが、その難易度は村一つを飲み込むほどの大火を生み出すよりも小石程度の鉄を生成するほうが遥かに難しいと言われるほどである。
それが鎧や服装の生成ともなれば、目を完全に瞑った状態で針の穴に糸を通すという工程をただの一度の失敗も無く何百と繰り返さねばならぬことと同様のことをせねばならぬほどである。
さらに銀水晶はこの世界の根源。大海原を漂う波のように動くその力を強引に堰き止めながら、針の穴に通すという緻密な作業が必要なのである。
故に物質生成は最大難度の術式であると言われているのだが、なれどもルナフィリアはそれを成す。
僅かな瑕疵も無く、熟練鍛冶師が造り上げる鎧に負けずとも劣らずのものを造り上げた。
そして、それらを彼女の騎士。エルフィール王国近衛騎士と名付けた彼ら全員に贈ったのである。
その時の彼らの感動を何と呼べば良いだろうか。それまで有り合わせの中で組み上げた皮の鎧を何年も使い古してきた彼らに、統一された白銀の鎧が与えられた。
ただ生き汚く地べたを這いながら生きてきた彼らに、騎士であるという誇りを形として与えたのだ。
既に揺るがぬ忠誠をルナフィリアに誓っていた彼らであったが、もはやその繋がりは決して折れぬ大木となる。
ルナフィリアが死ねと言えば彼らは命令された喜びを胸に笑顔と共に首を切るだろう。
それだけの繋がりが既に近衛騎士とルナフィリアの間にできたのである。
そしてそんな近衛騎士の内からの四名とルナフィリアが歩き続け――遂にその場所に辿り着いた。
「ルナフィリア様。あそこに見えますのが精霊湖となります」
「――ほう。なるほどあれが精霊湖か」
グランが前方を指し示しながらそう伝える。
そして、ルナフィリアが珍しく僅かに目を見開いたのちに答える。
ルナフィリアが驚きを見せた理由は明白である。
その精霊湖は僅かな穢れすらも見せぬほどに美しかったのである。
ただの一つの汚れすなら無い蒼穹の色をした湖。
直径は一キロほどあるかという、その湖であるがどの箇所を見渡そうともまさに幻想的な美しさを持つその姿。
またその湖に近づけば分かるが、大気すらも澄んでいるのである。
既にこの湖はルナが張り巡らせた結界の内側であるが故に、瘴気の影響は受けていないのだが、それを加えてなおこの場所は他よりも遥かに清浄とした場所である。
まさに聖域。穢れを持つものは誰一人として立ち行くことを拒む聖なる場所のように感じられた。
普通の神経を持つ人間ならば、この場所を見ただけで畏敬と畏怖の感情を抱きそのままその場所から背を向けることを選ぶであろう。
それほどまでに此処は人が入るには美しすぎたが故に――。
なれども――此処にいるのはルナフィリアである。
彼女は僅かに驚きの表情を見せるが、次の瞬間には好奇心に溢れるかのような笑みを浮かべながら迷わず一歩先に進む。
そして、当然ながら彼女が進めば彼女の後ろに居る者たちもまたそれに続く。
「主らは精霊を直接見た者は居ないのであったな」
「はい。水の精霊は百年以上前に人の前に姿を見せた以降は一度としてその姿を見せて居ないそうです。当然我らもまたこの場所に近づこうとはしなかったので、その姿を見たことなどありません」
実際として、ルナフィリア達が湖のすぐ脇にまで近づいたのだが、それでも精霊はその姿を現しはしなかった。
しかし、そこは確かに他の場所よりも遥かなまでに銀水晶の力に溢れていることにルナフィリアは気が付いていた。
いや、そもそもこれほどまでに清浄な場所――聖域とも呼ぶべき場所が自然発生的に生まれるはずがないのだから。
故にルナフィリアは確信する。
確かに此処には精霊が居る。水の精霊。銀水晶より生まれし幻想。神としても奉られる至高の存在。
それが目の前の湖に潜んでいるのだと。
ならばどうする?
決まっている――。
居ないといのならば、こちらから呼べばよい。
僅かな迷いすらも無く、ルナはその答えに辿り着く。
そして、彼女は一度だけ背後を振り返りグランらにその旨を伝える。
「これより精霊を呼び出す。少々派手なことになるやも知れぬが――そこで我らが会談をしかと見ているとよい」
口元には変わらぬ笑みを――グラン達が敬愛する不敵な笑みを浮かべながらそうルナフィリアは述べる。
それは相変わらず無茶な言葉である。精霊とは伝説通りならば国をも滅ぼす相手なのだ。
そんな相手との話し合いの場にただの獣人族である自分たちが立ち会うということの危険などどれほどのもおんであろうか。
けれども――彼らはその言葉に僅かな迷いもなく頷く。
「――御意」
そこには王の会談をすぐそばで見られるという喜びの光をその目に宿しながら。
そして、そんな彼らに対して一度頷いたのちにルナは再び前を見据え――そしてそのまま彼女はその身体を湖の中へ向けて歩いていく。
ルナが水の中へ足を踏み入れることで、僅かな漣すら無かった湖に僅かな波紋が広がる。
それは小さいながら、けれども不純物が一切ないこの湖の中では大きな歪として現れる。
ルナはその膝元まで水に浸かる場所まで歩いたところで立ち止まる。
そして、彼女は一つの言葉を紡ぐ。
「Argentum Crystal《銀水晶》」
次の瞬間に現れるのは、銀白の水晶。
ルナフィリアの手に収まるほどの小さな水晶なれども――そこに宿るのは絶大な力。
形なき力をそのまま形として現したもの。
万物の根源。銀水晶。
ルナフィリアはそれを手に持つと――次の瞬間にそれを手放すと湖の中へと落とし入れた。
それは小さな水しぶきを上げて湖の中へと沈んでゆく。
起きた変化はそれだけ。銀水晶が落ちた際に生じた僅かな波紋もすぐに消える。
そして、静寂が僅かにその世界を支配しようとしたその次の瞬間――。
――――――盛大なる水しぶきが湖の中央へ起きる。
それはルナフィリアの背丈より遥かに高く。大きく見上げて初めて視界に納まるほどの大きな大きな水柱。
そして、その水柱が消えたその場所には――湖と同じ蒼穹の髪を持つ一人の女性が佇んでいた。
長い蒼穹の髪に青色のドレスを身に纏った後宮に住まう后妃のような雰囲気を持つ淑女。
それこそがこの湖に住まう水の精霊であることは明白であった。
その女性の姿を持つ精霊が不快そうに眉を顰めながら、その原因とも言うべきルナを見下ろしていた。
そして、そんな女性をルナは楽し気に笑いながら見つめ返した。
僅かばかりに互いに見つめ合った後に精霊の方が先に口を開く。
「――妾の領域に無断で入る上に随分と無粋な真似をしてくれるじゃない。獣娘風情が何様のつもりかしら」
「フハ。無断が気に入らぬであろうから挨拶代わりをしただけであろうに、随分と狭量だな精霊」
こうして互いに火花を散らすことが、白狼帝と水の精霊との初めての邂逅となった。




