第十一話 「始まりの日々」
「ルナフィリア様……この結界は何処まで繋がっているのですか?」
そう尋ねるのは黒豹族の青年カール。
嘗てはグラン傭兵隊の副長であったが、現在ルナフィリア率いるエルフィール国家近衛騎士の副隊長である。
「四方十キロに円を基礎として張り巡らされてるさ」
「……なるほど。ちなみにこの結界の効果は?」
その広さは嘗て帝国が造りあげた結界装置の軽く倍を超える。
故に尋ねたカールも僅かに驚きを覚えそうになるが、それでもそれを行ったのはルナフィリアであるということを考えればそろそろその現象にも慣れてきた。
「瘴気の完全防備と銀水晶による現象無効化である。つまるところ空気に漂う瘴気もそれを纏った魔物も決して入るこは出来ぬし、銀詠師の攻撃も全て防ぎきるさ。まぁ生身の体なら問題なく通り抜けられるがね」
そう話しながらルナフィリアとカール。そして他5名ほどの近衛騎士の男たちがその結界の端を超え外界に出る。
確かに僅かな違和感も無く彼らはその結界を通り抜けられが――しかし、彼らは確かに自分たちが結界で守られるエルフィールから瘴気漂う魔の森に入ったのだというのに空気で感じ取る。
それほどまでに、結界の中に漂う空気は清浄であり魔の森に漂う濃い瘴気を完全に防いでいるのだということを改めて理解する。
「……本当に素晴らしい結界なのですね。改めてこの結界を造りあげたルナフィリア様の凄さを実感致します」
それほどまでの結界をルナフィリアはさらに常時発動している。
いや――既にこの結界そのものが一つの事象として完全に確立して存在している。
もはやその凄さはギネヴィア帝国の筆頭銀詠師すらも軽く凌駕しているとカールは考える。
だからこそ、改め感嘆の声を上げるのだけれど。
「ふはは。まあもうしばらく時間を懸けて結界を練りあげれば、さらにこの結界を広げられるからな。いずれはこの魔の森全土を我が領土としてみせるわ」
カールの主たるルナフィリアはそんなカールの感嘆のさらに先を軽々と歩もうとしている。
その言葉を聞きこの主には限界などないのかもしれないとカールは思う。
しかし、それでこそ我らが王たる白狼帝ルナフィリア・シルエストなのだろうと改めて彼らは理解する。
故にそんな主人に自分たちは仕えているのだということがどうしようもないほどに誇らしく、だからこそ彼らはみな胸を張りながらそんなルナフィリアに付き従っていくのだ。
「まぁその前に城壁の構築などもせねばならんが……まぁそれは今後に回すとして、まずは今回は食料と水の確保といこうか」
「はい。ならまずは魔物狩り……ですか?」
「然り。本音を言えば畜産をしたいところではあるがその素材となる動物が居ない以上はしばらくは狩猟生活だな。まぁこの森全体でまだまだ相当数の魔物が居ることと奴らの繁殖能力の高さを考えればこの森自体で放牧をしていると考えることもできるからとりあえずは問題なかろう」
「……ははは」
カールは思わず乾いた声で笑う。
もはや完全に魔物を食料としか見ていないどころか、むしろその扱いは家畜に近いほどの言葉である。
並みの人間どころか銀詠師ですらこの森に住まう魔物には手を焼いているというのに、この小さな王にかかられば森を歩く食料なのだから。
「くふ。何を他人事のように笑っておる。何れはお前たちのみで魔物を狩って貰うのだからな」
「はい…………はい? え……私たちのみで……ですか?」
思わず声を上げて聞き返すカール。
カールのみならずその後ろに付き従う男たちもみな声を失ってルナフィリアをみつめる。
彼らはみな魔物の恐ろしさを熟知しているからこそ。
狩れと言われようとも、そもそも彼らの認識ではそれは狩りではなく決死の討伐作戦になってしまうのだから。
そんな彼らの反応に対してルナフィリアは声を上げて笑う。
「はははは。当然であろう。いつまでも王たる我が食料確保に勤しむほど暇はあるまい。ならばこの程度のこと主らがやらねばならんのよ」
「……はい。確かにそれはそうだと……思います。ですが……私たちの力では魔物を狩るなどとても……」
「できる。できるさ。できる方法をこの我が造りあげるさ」
「……ルナフィリア様?」
「あの結界。我が作り上げる前にあの場所を守っていた結界を構築していた水晶を見させて貰った。あれは銀水晶を元にして造られた道具……銀晶具と言ったか。あれと同じ方法で多岐に渡る道具を作り上げてしまえば良いだけの話であろう?」
銀晶具。銀水晶の欠片を銀詠師が作り上げそれを加工することによって作り上げられた道具。
それがあれば確かに銀詠師で無くとも銀水晶による力を操ることは可能ではあるが――。
「え……あ……いえ。確かに銀晶具はありますが、あれは帝国銀詠師による研究施設である賢人舎ですらまともに扱えない代物のはずです。あの結界装置ですら百年をも超える研鑽の果てにやっとできたものと聞いております。であるならば銀晶具を手に入れるなど簡単には――」
僅かに慌てたようにカールが意見を述べるが――。
その前にルナフィリアがその言葉を止める。その不敵な笑みと共に―。
「カール。主の前に居る存在は誰だ?」
「……っ。ルナフィリア様……です。エルフィール王国を統べる白狼帝ルナフィリア・シルエスト様です」
「応ともさ。ならば主らの王を信じよ。帝国銀詠師に出来なかったからというてこの我が出来ぬ道理には全くならないのだからな。しばらく時間が掛かるだろうが、必ず主らでも魔物程度を狩れるだけの銀晶具を造り上げてやろうぞ」
そうだ。そうだとも。カール達は思う。自分たちの前にいるのは白狼帝である。
銀水晶を操る。それは獣人族にとって千年にも続く悲願である。
そして銀晶具は獣人族であろうとも確かに扱うことはできる。
だけれど、帝国の最精鋭研究機関の賢人舎ですらも完成された銀晶具は未だほとんど無いと言われている。
ならば帝国貴族であろうとも、未だ手に入れられないような銀晶具をその末端の存在である獣人族が手に入れることなどほぼ不可能であった。
だが――此処に居るのは白狼帝と呼ばれ始めたルナフィリアである。
彼女が出来るというのならば、それがこの世界においてどれほどの非常識であろうとも出来るである。
そうカール達は信じて居る。
「――はい。ならば何れ行える魔物狩りを心待ちにして研鑽に励むと致します」
故にカールもまたルナフィリアに向けて笑みを浮かべて応える。
自分の主がどのような態度を好むのかをこの短い期間の中で把握したからこそ。
そして――そんなカールの応えにルナフィリアもまた楽し気に笑う。
「ふはは。よき答えよ。怯むな。脅えるな。煉獄の底であろうとも艶笑と共に我と駆け抜けてこそ――エルフィール王国近衛騎士隊というものよ」
「……えぇ。はい。何処までも何処であろうとも――王と共に駆け抜けてみせましょうぞ」
近衛騎士隊。自分たちは根無し草の傭兵団にあらず。
我らこそが白狼帝率いるエルフィール王国近衛騎士隊の一員である。
未だ王である彼女に比べ余りに卑小な存在であろうとも、それでも決して誇りを失わず。
怯まず脅えず、王が浮かべる笑みと同様に笑いながらこの世界を駆け抜けよう。
そうカール達が改めて考えたところで――彼らの一人が声を上げる。
「ルナフィリア様! 正面二時の方向より衝撃音を確認。おそらく魔物の群れかと思われます!」
声を上げたのはカールと同じ黒豹族の男であるダニエと言う。
彼は特に聴覚に優れているが故に索敵を任されていた。
そして、そのダニエの言葉を聞いた瞬間に――ルナから無色の力が迸る。
それはその身に宿す銀水晶から漏れ出た力。本来であれば決して感じることはできないであろう極小の力がなれどもカール達銀詠師で無くとも感じ取れるほどの力となって世界へと巡る。
「よくやった。ならばこれより魔物狩りを行う。我が狩るその姿をしかとその眼に焼き付けておくとよい」
「――は」
そしてダニエの誘導によって進んだ先には木々が晴れ――広場となった場所にたどり着く。
其処に居るのは体長が大きいものは七メートル超えようかという猪に似た魔獣――猛猪と呼ばれる魔獣であった。
体重は大きいものは三トンを超え最大速度は時速60㎞近くにも及ぶ。
そこから繰り出される突進の力は想像を絶するものがあり、銀水晶で結界を張られていないただの城壁ならば僅か数体で破壊してしまうと言われているほどである。
故に正面から戦うのはいかな銀詠師であろうとも、自殺行為と呼ばれるほどの魔獣であるのだが。
なれどもそんな常識などルナフィリアの前には無きに等しい。
彼女は殺気立ってすら居る、猛猪の群れに対して正面から向かってゆく。
横に回り込むことも、遠距離からの狙撃すらしない。
そんな道など彼女が歩む道にあらず。
故に白狼帝ルナフィリアは彼らを正面から叩きのめす。
「■■■■■■■■■■■■■■■――!!!」
小さな襲撃者。巨体の猛猪である彼らの足元ほどの少女が彼らの巣に正面から歩いて向かってくる。
それをそんな馬鹿な獲物と考える彼らが見逃すはずも無く。
彼らは一斉にルナフィリアに向けて突進を行う。それはまさに圧巻の光景。
もはや鉄壁の城壁どころか、銀詠師が百人単位で構築する物理結界であろうとも喰い破ろうとするほどの突進。
まさに全てを塵芥に返さんというほどの襲撃である――のだけれど。
なれども――彼らの前に居るのは白狼帝ルナフィリア・シルエスト。
その襲撃を前にしてなお不敵な笑みを溢す王である。
ならばその結末は――。
「Aether Obic《六翼結界》」
六つの翼を模した結界がルナフィリアを中心に表れる。それは一目には翼のように儚い障壁に見えるけどれども。
なれどもその結界は猛猪全ての突撃を受け止める。
そこには一切の罅すら無く。文字通り全てを受け止める壁となり猛進達はそこから一歩すらも進めずにいる――。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――っっっ!!!!!」
止められない突撃がいとも容易く止められる。
そこに魔獣である彼らが思うところが何であるのかは分からないが――彼らがどれほどの唸り声を上げながら突進を行おうとも、ルナフィリアには決して届かない。
そして――そんな彼らに向けてルナはそれが決められた路線でもあるかのように最後の詰めを冷酷に行う。
「Assultus Hastam《連撃炎槍》」
ルナの背後に幾多もの炎によって出来た槍が出現する。
それは数十という数にまで及びルナの背後に控える。
そして、最後の審判を下すかの如くルナは右手を天に向けて掲げ――そして下す。
「さようなら」
そして幾多もの槍が猛猪へ向けて繰り出され――僅かな容赦もなく彼らの肉体を貫く。
また無意味に傷を負わせるのではなく、正確に首と心臓のみを狙い打つ。
それはルナがこの場に現れてから僅か数分の出来事であった。
なれどもその数分の時間で――この場に居る二十を超える猛猪はその全てが絶命したのだった。
そして、そんな猛猪の死骸を見下ろしながら、ルナフィリアは背後に控えるカール達へと声をかける。
「ふふ。初の魔物狩りはどうであった? 恐怖は感じたか?」
「――いいえ。僅かたりとも。ルナ様の雄姿のみをただこの眼に焼き付けておりました」
カール達は誰一人とも顔を背けず、足を震わせず、あの超絶の突進を目の当たりにしながらなおルナと同じ笑みを浮かべながらにそう答えたのだった。
そして――そんな彼らをルナフィリアもまた嬉し気に笑いかける。
「ならばよし。ではこれより解体作業を行う。時間は掛かってもよいから毛皮も含めて刈り取るぞ」
「――はい!」
ルナフィリアの言葉に男たちが大きな声で答える。
こうして――彼らは新たな食糧と毛皮を手に入れたのだった。