Act02:彩髪と濁髪 Ⅰ
魔法ギルド・ルベール支部の屋内に、元気で明るい女の子の声が響き渡った。
「ラグトゥダさん! 迷子になった犬さん見つけてきました! すごく可愛いです!」
ペットの捜索依頼を受注したシディアが、砂ぼこりですっかり汚れてしまった子犬を抱いて入ってきたのである。なんだか子犬からも懐かれてるみたいで、ほっぺをぺろぺろされていた。
うわぁ、あれはちょっと羨ましいかも。ファイも含めた魔法ギルドの事務員(女性陣)は、羨望の眼差しでシディアと子犬を見つめた。
「うむ。ご苦労だったね、シディア君」
ラグトゥダはシディアの腕に抱かれた子犬を観察して、探している犬の特徴と照らし合わせていく。
毛の色はともかくとして、大きさと犬種は間違いなさそうだ。首輪の色やデザインも、事前に聞いた物と合致している。
「それにしても、ずいぶんと汚れているねぇ。どうかしたのかい?」
「えへへ。子犬さんを追いかけてあちこち走ってたら、こんな風になってました」
苦笑いするシディアの服は、子犬に負けず劣らずの汚れっぷりだ。
いったいどんな場所に行けばそんな風になるのか。まさか迷宮とまで言われてるルベール地下水道の中まで行っちゃったりは……するかもしれない。シディアなら。
「なるほど。じゃあついでに、魔法ギルドのお風呂を貸してあげるから、その子犬と一緒に入ってくるといい。最後に毛色の確認もしなくちゃいけないからねぇ。ケセラス君。シディア君を案内してくれたまえ」
「わかりました。さぁ、行きましょうか。シディアちゃん」
「はい! 受付のお姉さん!」
ラグトゥダの指示を受け、討伐クエストに参加している補佐騎士の予定表を作っていたケセラスは、くっと肩を伸ばしてストレッチ。残りを他の事務員に任せて、シディアをつれてめったに使われる事のないお風呂場へと向かう。
シディアちゃん、アメちゃんいる? いります!
そんな二人のやりとりを聞きながら、ラグトゥダは満足げに頷いていた。
「ところでファイ君、君はなぜカウンターの下に隠れているのかね?」
「そそっ、それは……」
悪い事をして怒られた子供みたいに、ファイはカウンターの下からひょっこりと顔を出す。身長も低く顔も童顔というのもあって、本当に子供が怒られているように見えてしまう。
「その、なんかちょっと、苦手……と言いますか」
「ふむ。具体的に、どのあたりが苦手なんだい? 僕は、彼女はとても社交的だと評価しているんだが」
「えっと、シディアさんの、わたしを見てくる視線、なんですけど…………それがちょっと」
「あぁ、なるほど」
ラグトゥダは一人納得して、大きく頷いた。
心なしか、口端がいつもより釣り上がっているような気がする。
嫌な予感みたいなものが、ファイの背中をぞわぞわぁっと…………
「憧れの視線で見られるのに気が引ける、というわけか」
「うぅぅ……」
「なにせ、今の君は魔法が使えない身だからねぇ」
「はぅぅ……」
「君のプラチナブロンドの髪を見て、『すごい魔法使い』だと思っているだろうから」
「ラグトゥダさん、それ以上は言わないでいただけると、その……」
やめてください、(精神的に)死んでしまいます。ファイのHPはもう0です。
「ふふふ。メンタル面が弱いのは、相変わらずのようだねぇ。この程度で音を上げるようでは、人見知りを直すのはまだまだ時間がかかりそうだ」
「も、申し訳ない、です」
子犬みたいにしゅんとなってしまったファイは、再びカウンターの下へと沈んでしまう。はっはっはっと、ラグトゥダにしては珍しい大きな声で笑った。
ファイはカウンターの下で、真っ赤になったほっぺたをぷくぅっと膨らませていた。うぅぅ、こうなったら、お風呂からあがったらケセラスにスペシャルブレンドコーヒーを入れてもらわないと。それに、今日のパトロールは色々と疲れたんだから。
買い物しすぎて荷物を持ちきれなくなったおばあちゃんの荷物をお家まで運んであげたり、初めてルベールに来た人の道案内もしたし、おつかいでお財布を落としちゃった子と一緒にお財布を捜したりもしたなぁ。
ほっぺたのほてりもおさまったところで、ファイは再びカウンターの上に顔を出した。建物の中には、魔法使いは誰もいない。受付の方はもうやってる人がいるから、他のでもやろう。
ファイは奥のほうから箒を持ってきて、床の掃除を始めた。
実はこういう掃除もラグトゥダの家に来る前まではした事がなくって、お世話になり始めたころは随分とあきれられたものである。そもそも、家事を一切した事がなかったので、最初は料理も洗濯ももちろんできなかったのだ。
でも、今は全部できるようになったんだけどね。床にうっすらと積もっていた土埃もきれいにはきだされて、ぴっかぴか。やっぱり綺麗だと、気持ちがいい。
「おーっす、なんかいい討伐クエスト入ってねぇか?」
すると、とっても聞き覚えのある声が魔法ギルドに入ってきた。
これを聞いたのは、二日前のパトロール中。ファイに魔法を突きつけてきた、あの時の魔法使いの片方だ。
ファイはほうきを持ったまま、大慌てでカウンターの裏側へと隠れた。
「クエストなら、そこに貼り出してあるだろ?」
声をかけられた受付のおじさんは、背筋を伸ばしながらクエストボードを指差す。
そこにはお昼過ぎに、ジルベールの手によって貼り出された依頼書が、所狭しと貼り付けられていた。
しかし、魔法使いはそちらには目もくれず、受付カウンターの方へとずかずか歩み寄ってくる。
「あんなちゃちなのじゃねぇよ。もっとすげーやつ。ほら、ちょっと前に桃髪の魔法使いが、レッドドラゴンとか討伐してたじゃん。あんなのがいいんだよ」
「レッドドラゴン級の討伐依頼が、そうほいほい来てたまるか。今来てるのだとせいぜい、ちょっと遠くの農村部からの、ウェアウルフの討伐依頼くらいだ。家畜が襲われてて、かなり被害が出てるらしい」
そう言って、受付のおじさんはウェアウルフ討伐の依頼書をぽんとカウンターの上に放り出した。
今朝仕分けたときにファイも見かけた。村人の生活に深刻な被害が出ていて、優先度もかなり高めに設定されていたはずである。
「そんなちんけな依頼はどうだっていいんだよ。ウェアウルフくらいなら、もっと下位の魔法使いに任せりゃいい」
「そういうわけにもいかんさ。情報によると、けっこうな規模の群れらしいからな。そんな事してたら、逆に返り討ちにあっちまう」
「それはそっちの都合だろ? 俺に押し付けてんじゃねぇよ」
受付のおじさんと魔法使いは、カウンター越しに激しい口論を繰り広げる。また二日前みたいな、危険な雰囲気が漂ってくる。
今この場には、カウンターにつめかけている一人しか魔法使いはいない。だから、他の魔法使いの人に頼んで止めてもらう事も出来ない。
──そうだ、ケセラスさんに止めてもらえば!
お風呂まで呼びにいけば、なんとかなるかもしれない。今は引退しているけど、けっこうすごい魔法使いだったと本人の口から何度も聞いた事がある。
すると、お風呂場のある方からシディアとケセラスの声が聞こえてき……ってしまった。お風呂場にいるのはケセラスだけではない。
「ま、待ってくださーーーーーいっ!」
お風呂場から出てきたばかりのシディアが濡れた髪も乾かさぬまま、逃亡してきた子犬を追って受付のあるフロアまで来てしまった。