Act03:竜騎士のお仕事 Ⅰ
魔法ギルドで一番大変な時間はいつか。それは開店直後のわずか一時間弱の時間である。なにせこの一時間の間に、数十人単位の魔法使い達が一斉に押し寄せてくるのだから。
魔法使い達の目的はただ一つ、それは高難易度のクエストを見事成し遂げ自らの名前を売る事だ。
フリーランスで活動している彼らは、基本的にクエストをこなす事でしか収入を得る手段がない。有名になればそれだけ報酬のいいクエストを受注できるようになるし、あるいは仕事の方から勝手にやってくるようになる。
それに、魔法使いとして名が知られるのは、それだけ名誉な事でもあるのだ。『みんな好きだろう? 金と名誉は』とはラグトゥダの持論であるが、まあ実際そうなのだろう。
目の前で繰り広げられている依頼書ぶんどり合戦を見ながら、ファイはそんなラグトゥダの持論に納得していた。
「よこせ、それは俺が先に見つけたんだ!」
「いいや、とったのはこっちのが先だね!」
「どうでもいいから、さっさとそれを渡しなさいよ!」
でもそんな姿を見て、ファイはふと思う。彼らが欲しいのは『金と名誉』じゃなくて、『金と金』なのではないかと。
「すいません! これ、受注します!」
「は、はい。受け付けました」
ライバルをなぎ倒して来たらしい青年魔法使いは、肩で息をしながらくしゃくしゃになった依頼書を持ってきた。今朝、ファイとケセラスが仕分けしたものの一つだ。
「は、はい。受領しました」
ファイは青年から聞いた名前を記入し、魔法ギルド承認印の判子をペタンと押した。
クエストを勝ち取ったことにガッツポーズをする青年と、打ちひしがれて床にひれ伏す魔法使い達。死屍累々なんて言葉がぴったり合う。まだ死んでないけど。いや、半分死んでるようなものかも。
でもその半分以上はゾンビみたいに復活して、新たな依頼書を求めて散っていった。
ほんと、すごいバイタリティ。わたしも見習わないと、とついファイも思ってしまうほどに凄い。
「こっち、ハンコください!」
「こっちにもハンコを!」
「てめぇ、人の依頼書勝手に取ってんじゃねぇ!」
「誰よ! 私の依頼書とったの!」
「ぬぁあああああああ! ボクの依頼書ぐわぁあああああああああああああ!」
なんかもう、とんでもない地獄絵図です。この世のものとは思えない、人の金欲と金欲と、あと金欲の入り混じった地獄です。
あぁ、依頼書の破れる音がぁ……。破れた依頼書は回収して、また同じの作らなきゃ……。
「え、えっと、受注される方は、お、お名前をお願いします。それと、とと、飛ばさず……。あぁ、もぉぉ、順番を守って、ちゃんと並んでくださいーーーーーーーー!」
今朝のケセラスほどではないにしても、手を動かしながらファイは必死にお願いをする。
でも、必死さだけ見ればクエスト受注に来た魔法使いたちの方が、百倍くらいは凄いわけで。ファイの声なんて誰も聞いちゃいない。
依頼書持って迫ってくる手、手、手に、ファイは今日も振り回されっぱなしなのであった。
そして、あっという間に開店から一時間が経ち、
「つ、疲れたぁ……」
ファイは体力を使い切って、イスの背もたれにだらぁぁぁっともたれかかっていた。
いくらイスの背もたれが固かろうと、あるだけありがたい。
「うぇぇ……。死ぬぅぅ……」
だってジルベールなんて、背もたれどころかイスすら支給されていないのだから。正確には、前のは調子に乗って壊してしまったので、反省の意味もこめてしばらくは立ったまますることになったんだけど。
「ふむ、ご苦労だったね、ファイ君」
「ラ、ラグトゥダさん。はい、みなさんの迫力が凄すぎて、圧倒されっぱなしです」
「そうか。しかし、そろそろ慣れてくれないとねぇ。いや、慣れてもらっても困るのかなぁ?」
君にはできれば討伐系クエストのほうに回ってもらいたいからねぇ、とラグトゥダは続けた。そんな風になれれば、ファイ自身も嬉しいのだけれど。
「あんまイジメてあげないでくださいよ、ラグトゥダさん。ちゃんとピークは乗り切れるようになったんですから」
「あぁ、ケセラス君。ご苦労だったねぇ。君がいなければ、あと四人は雇わなければいけなくなるところだから、とても助かっているよ」
「そう思ってるなら、お世辞より給料ください」
毎日の恒例行事を済ませたケセラスは、湯気の立つコップをぐでぇ~んとなったファイに手渡した。
「ご苦労様。はい、砂糖とミルクたっぷりの、ファイちゃんスペシャルブレンドコーヒー」
「あ、ありがとう、ごひゃいます」
両手でカップを受け取ったファイは、ふぅふぅと息をふきかける。熱いのは、ちょっと苦手なのだ。
ちょっと湯気もおさまってきたかな? おそるおそる、ちょこんと舌でつっついてみる。うん、ちょうどいい。
「うっわぁぁ、見てるだけで胸やけのしそうなコーヒーっすねぇ、ファイちゃんさん」
「ジ、ジルベール、さん……」
ファイがコーヒータイムを満喫していると、くたびれモードのジルベールがやってきた。両腕には、受注処理のされていない依頼書が積まれている。
これから、依頼書の無くなったクエストボードに貼り出しに行くところのようだ。この地味に手間のかかる単純作業も、ジルベールの仕事なのである。
「だ、だって、にがいの……に、苦手、ですから」
「だったら、別にコーヒーでなくても」
「いいから、あんたはさっさと依頼書を貼ってきなさい!」
「痛っ!? すぐ行くから、ケツ蹴らないで下さい! っとにもう、ケセラス姉さんは……」
ぶつぶつ言いながら、ジルベールはクエストボードの方へと歩いて行った。
ふぅぅ、やっぱりあの人、苦手かも。例えるなら、ブラックコーヒーくらいかな。
ほっとしたところでファイはまた一口、スペシャルブレンドのコーヒーに口を付ける。甘さが口の中から全身にしみ込んでいく見たいで、ふわふわした気持ちになる。疲れた時には、甘いものが一番だよね。
ひと段落したところで、ファイは受付カウンターの向こう側を見やった。
朝の開店直後は何十人、もしかしたら百人以上いたかもしれないのに、今は十人ちょっとだけ。受け付けも二人いれば回せる人数にまで減っていた。
これだと確かに、ラグトゥダが事務員の人数を増やしたがらないのもわかる気がする。
「私のスペシャルブレンド、美味しい?」
「はい、とってもぉ」
「今までどれくらい甘くすればいいからわからなかったけど、これくらいの量がベストなのね。そうかそうかー。じゃあ、明日からは今日の分量で作ってあげるから、楽しみにしててね」
「えっと、そのぉ……。お願いします」
「はい、お願いされました」
ケセラスはずずずーっと派手な音を立ててコーヒーを飲み干すと、『指名』と赤文字でハンコの押された書類と名簿を持って、カウンターの奥へと引っ込んだ。
あれは、ファイも見た事がある。本来なら魔法使いが受注しにくる依頼なのだが、あれは魔法ギルド側から魔法使いに受注してもらうタイプのクエスト。受注段階からかなりの難易度が予想できる物はクエストボードに張り出さず、実績のある魔法使いに頼みに行くのである。その実績のある魔法使いの一覧が、さっきの名簿なのだ。
その多くが討伐系クエストなので、以前ルベール支部に所属していた時にはよく見ていた。それはもう、軽くトラウマになるくらいに。
だって一つが終わったと思ったら、その日の内に次のクエスト支援要請がくるんだよ? 酷い時なんて一日に違う現場で魔物を倒した事だって……。あぁ、思いだしたらまたあの時の辛さがよみがえってきたよぉ。
「すいませーん、これお願いします」
「は、はい!」
ファイはコップを置いて姿勢を正すと、指し出された依頼書を処理し始めた。