Act08:遺跡探索 Ⅱ
シディアとルビィに追い付いたルチルとファイは、目の前に広がる景色に言葉を失った。
その場所は四方を壁で囲まれた、広大な空間だった。視界を遮る壁は一切なく、巨大な柱のみで天井を支えている。
そして柱に囲まれた中央の場所が、なんと光り輝いているのだ。淡い、黄緑色の光が。
「ヒカリゴケだ」
幻想的な光景に魅入っていたファイの口から、無意識にそんな名前がこぼれた。
「ですが、ヒカリゴケはここまで強い光を放たなかったと思うのですが……」
「ルチル、今はそんなのどうだっていいよ!」
「そうです! もっと近くまで行きましょう!」
ルビィとシディアは目をキラキラさせながら、広場の中央に走っていった。ファイとルチルも、慌てて二人を追いかける。
周囲が暗く、比較できるものもないので遠近感がわからないが、この広場は相当に広いらしい。その証拠に、さっきから全力で走っているのに、なかなかヒカリゴケの放つ光に近付けないのである。
体感で一五〇メートルくらいだろうか。それだけ走って、ようやくヒカリゴケのある場所までたどり着いた。ちなみに、シディアとルビィは少し息を切らしている。
「お、思ったより、遠かったね、シディア」
「は、はい。ルビィ、ちゃん」
「まったく、だらしないですね、シディア、さんも、ルビィ、さんも」
「ルチルもじゃん!」
「ルチルちゃんもです!」
まあ、ここに来るまでに散々歩いたり(ルビィの引っかかった罠から逃げるために)走ったりしているのだから、そりゃ疲れるだろう。
実を言うと、ファイもちょっと疲れている。
だがしかし、そんな疲れも呆気なく吹き飛んでしまうほどの絶景が、四人の周辺には広がっていた。
密集するヒカリゴケの放つ光は、松明がいらないほどに強い。
そして耳を澄ませば、水のせせらぎの音も聞こえてくる。
群生するヒカリゴケの中心部は小高い丘のようになっていて、その頂上からまるで噴水のように水が湧き出しているのだ。
足下は細かな網の目のようになっていて、そこにわずかばかりの水が流れているのがわかる。
「みんな、足下濡れてて滑りやすいから気をつけてね」
「はーい!」
「わかりました!」
ファイに注意されて、元気な返事をするルビィとシディア。
「そうね、特にルビィさんは、気を付けた方がいいでしょう」
そしてルチルは、ここまで付き合わされてたまった鬱憤を、ルビィにぶつけていた。
「なんだよ、ルチル。言いたいことがあるならハッキリ言いなよ」
「ご自分の胸に聞いてみてはいかがですか?」
や、やばい。また二人の間で、リアル火花とリアル雷光が飛び出しそうだ。
早く止めないと!
「ふ、二人とも落ち着いて! せっかくきれいな場所なんだから!」
そう、なまじ地力が高いばかりに、ちょっとした事で大惨事になりかねないのが、この二人なのである。
ルビィとルチルは互いに顔を見合わせ、互いに気まずそうに顔をそらした。
なんとか、最悪の事態(二回目)はどうにか避けられたみたいだ。
「その、ルチル、ごめん。ボクが無理やり連れて来ちゃったのに……」
「わたくしの方こそ。少し、言い過ぎました……」
お互いに謝って、一件落着。二人が仲直りして、シディアも嬉しそうだ。えへへ、と顔をほころばせて笑っている。
「これ、ウサピィにも見せてあげなきゃね」
「そうですね。今度は、お兄ちゃんも、連れてきましょう」
「みんなでピクニック……。今からとても楽しみです!」
こんな場所でピクニックというのも違和感があるけど……。
──でも、ウサピィさんと一緒、か……。
ファイの脳裏に、この間シディアとルビィを送り届けた日の出来事が浮かび上がってきた。
ファイの抱える苦悩を、まるで自分の事のように聞いてくれたウサピィの姿が。
肯定も否定もせず、時折あいづちを打ちながら、ただ話に耳を傾けてくれた。
そうだな、今度はそんな重苦しい話じゃなくて、ここにいるみんなとこの景色を見ながら、他愛もない話をしたいな。
「じゃあ、また来よう。わたし、案内するから」
「お願いします!」
「さすがファイ!」
「お兄ちゃんと一緒、お兄ちゃんと一緒、お兄ちゃんと一緒……」
帰りの事や薬草回収の事を考えれば、すぐにでも出た方がいいのだけど。
四人はもう少しだけ、この幻想的な地下庭園に身を委ねる事にした。
ファイ達がコルサーンの森の古代遺跡を探検している頃、
「ねぇ、ウサピィ……」
「なんだ、ユーディ。眠いならベッド使ってもいいんだぞ」
ウサピィは待合い席で読書、ユーディは一番奥のスタイリングチェアに深く腰掛けてぼぅっとしていた。
「こんな可愛い女の子捕まえてそんな事いうなんて、破廉恥ね」
「ちげーよ! 俺はお前が寝てないだろうと思ってだな…」
「あぁ、ウサピィは幼女にしか興奮しないロリコンだったわね。ごめんなさい」
「それも違うっちゅうに!」
ユーディの手伝いもあって余裕をもって開店したサロン・ウサピィであるが、残念ながら今のところ一人もお客さんは来ていない。
「それにしても、本当にお客さん来ないわね。やっぱ潰れるんじゃない? このお店」
「き、昨日は来たぞ、お客さん」
「何人よ?」
「………………………………」
遠くのユーディと目があって、ウサピィはさっと顔を背けた。
「さ、三人、です……」
泣きたいのを我慢して、ウサピィは昨日来たの人数をどうにか絞り出した。なぜか敬語なのは、気にしてはいけない。
再びウサピィのライフポイントがゼロへと近付いてゆくのだが、ユーディはさらに素で追い討ちをかけにかかった。
「リファイド・シュネーヴァイスを含めて?」
「あいつに前やったのは昨日じゃなくて一昨日だ」
「まあ、どの道絶望的に少ないわね」
いとも容易く行われるえげつない行為もとい、容赦のない言葉がグサリと、ウサピィのガラスハートに突き刺さる。せめて、オブラートの一枚くらいは使って欲しい。
あぁ、見たくもない現実が……。
「弁解の余地もございません」
読みかけの本ごと両手を投げ出し、ウサピィは背もたれに体重を預ける。
ファイにはあんな偉そうな事を言ったけど、自分だってまだまだなのだ。
このままでは次の壁を乗り越えるどころか、手前にある石ころに躓いてリタイアしてしまう。なんて恰好の悪い。
あんな事を言ってしまったからには、断じて醜態は晒したくない。日本男児的にも。
「あのー、すいません」
するとその時、扉にかけられたベルの音が軽やかに響いた。
「ファイちゃんから教えてもらったんですけど、ここで合ってますよね? 髪を切ってくれるお店って」
やってきたのは、オレンジ色のストレートヘアーの女性だ。モノトーンのシックなデザインのブラウスとロングスカートを着こなしていて、全体的に静けさと上品さが漂ってくる。
「いらっしゃいませ! はい、髪のカットからセットまで、色々やらせて頂いています!」
ウサピィは読みかけの本をポケットに押し込み、背筋を正して立ち上がった。
やった、今日一人目のお客さんだ。しかも、ファイからの口コミで来たらしい。この口コミでの評判がもっと広がれば……。
先ほどユーディに粉微塵にされた自信が燃え上がり、ウサピィの全身にやる気がみなぎってきた。
「よかった。じゃあ、お願いします」
にこりとスマイルを浮かべて、女性は店内へと足を踏み入れる。その女性を見たとたん、ぼぅっとしていたユーディは目をぎょっとさせた。
「げっ、蛇女……」
「誰かと思えば、天下のユーディ・オペラモーヴじゃない。あと、蛇女言うな。絞めるわよ」
ゴーヤを生で食べたみたいな顔をするユーディに、女性客──ケセラス・テラローザ──はやっほーと小さく手を振る。ちなみに、目は全然笑っていない。
どうやら、ユーディの知り合いでもあるようだ。
「そういえば、あなた昨日の深夜からクエストじゃなかった?」
「そうよ! それで今朝帰ってきたのよ! 悪い?」
「いや、仕事が早いのはいい事よ。うちの上司も喜ぶし」
「あぁ、あの金に意地汚いマシュマロ人形ね。いっつも食えない顔してへらへらしてて、私苦手」
いつにも増して刺々しいユーディの言い草に、他人の事ながらウサピィは苦笑いを禁じ得ない。
なんなんだ、金に意地汚いマシュマロ人形って。なんとなく、丸っぽいのは想像つくけど。
多分だが、ルビィとは比較にならないくらい嫌っているのだろう。こんなあだ名を付けてしまうくらいなのだから。
「いいじゃん、そっちは実害ないんだから。私なんてこの前飲み負けて、人が足りないからって討伐支援やらされる羽目になったのよ? もう魔法使い引退してるのに」
「……負けたの? ルベールいちの酒豪、蛇女のケセラス・テラローザが? 絡み酒でデキ婚までしちゃったケセラス・テラローザが?」
「だから、その名で呼ぶな。あの過去は闇に葬ったの。しかもそれ、勝手に呼ばれてただけで、二つ名でも何でもないからね。あと、デキ婚はデマだから」
むっとまなじりを釣り上げて、ケセラスはユーディを睨みつける。
その視線は蛇の名が示す通り、冷たく鋭い矢のよう。
迫力や貫禄は、ウサピィの知っている魔法使い(とは言っても両手で数えられるくらい)の中で一番だ。実際に睨まれたら、ユーディの毒舌よりも効きそうだ。
「てか、これでもあんたより魔法使い歴長いんだから、少しは敬いなさいよ。入りたての頃に、誰が世話してやったと思ってるの?」
「その分、迷惑も被ってるわよ。何度酔いつぶれた飲んだくれの介抱をさせられたか……。まぁ、旦那さんほどじゃないにしても」
と、ユーディは昔を思い出してぶつぶつと愚痴を垂れる。
ユーディの新人時代か。それはそれで気になるな。
ウサピィはユーディとシディア達を重ね合わせてみてみる。が、ちょっとイメージがつかない。
やっぱユーディはお姉さんポジションだよな、うん。
「あの、ユーディ」
「何?」
「そろそろ紹介してもらってもいいか? 知り合いみたいだし」
「そうね。こちら、私が魔法使いになりたての頃に、ちょっとお世話になってた人よ。散々迷惑もかけられたけど」
「まったく、小さい事をネチネチ、ネチネチ。あんたは私の姑か」
「誰が姑よ、私の方がずっと若いっての」
ケセラスは反論するユーディをほっぽらかして、ウサピィに向き直り、
「お初にお目にかかります。ケセラス・テラローザと申します。魔法ギルドルベール支部で働かせていただいてます」
と、スカートの裾を軽く持ち上げて、恭しく会釈した。
「ケセラッ!? 佐宗宇佐彦です! 先日はすいません、うちのシディアとルビィが……」
訪ねてきた人がファイの言っていたケセラスと判明したとたん、ウサピィは全速力でお辞儀した。
それはもう、見事なまでの六〇度の角度で。
「いえいえ。シディアちゃんには、いつも若さと元気をもらってますから。支部長もお気に入りなんですよ? シディアちゃん」
「そ、そうなんですか。でもこの前なんて、ケーキ作りを手伝ってもらったそうで」
「いいですよ、そんな事くらい。私も時々作ってみんなに配ってますから」
先日のケーキ作りの件があったので、内心ビクビクしていたのだが、とりあえずは大丈夫そうだ。
ほんと、やつらにはちゃんと言って聞かせなければ。
「それで、味の方はいかがでしたか? なかやかの自信作だったんですけど」
「はい、とてもおいしかったです」
「気を付けなさいよ、ウサピィ」
いつの間にか近くまで来ていたユーディが、そっと耳打ちしてきた。
「こんな見た目だけど、五人の子持ちでもうすぐ四〇だか…」
「ユーディ……」
すると突然、ウサピィの目の前を何かが通り過ぎた。あまりに早すぎて一瞬わからなかったが、どうやらケセラスの手だったらしい。
そのケセラスの手はついさっきまで隣にあったユーディの顔面をつかみ、五指をめりめりと顔に埋め込んでいた。
「いた、痛い痛い!!」
「ダメでしょう? 人のプライベートを勝手に公開しちゃあ」
「ごめんなさい! 私が悪かっ痛たたたたっ!!」
あんな小さな声だったのだが、ケセラスにはお聞こえあそばされたらしい。
なんという地獄耳。しかもユーディが形無しだなんて、怖い。怖すぎる。主に物理的な意味で。
そして実際、顔も怖すぎる。目の錯覚なのか、満面の笑みの背景には毒々しい紫色がぐずぐずと渦巻いていた。
「そういえば私、実戦は久しぶりでちょっと心配なの。優しいユーディなら、もちろん手伝ってくれるわね?」
「手伝う! いえ、お手伝いさせてください! お願いします!」
「うん、素直でよろしい」
パッと、ケセラスはユーディにアイアンクローを決め込んでいた手を離した。
その顔にはきっちりと5つ、真っ赤になった点がポツポツと浮かんでいる。どんな力でやったらあんなになるのか、ウサピィはぞっと背筋を震わせた。
「あ゛ぁ……。握りつぶされるかと思った……」
「大丈夫か、ユーディ?」
「大丈夫じゃない。顔の骨がギシギシいってた……」
「……大変だったなぁ」
ウサピィはぽんぽんと、ユーディの肩を優しくたたく。自業自得とはいえ、災難だったな。同情はしないけど。
二人の力関係は概ね理解した事だし、そろそろ仕事にとりかかろう。
ユーディを慰めるのもそこそこに、ウサピィはよっと立ち上がった。
「それで、私はどうすればいいでしょうか? サソーヒコ? さん」
「宇佐彦です。まあ、ウサピィでもいいですけど」
「わかりました。ウサピィさんですね」
「じゃあまず、ここに座ってください」
まずは、状態のチェックからだ。ウサピィは入念に掃除したスタイリングチェアへと、ケセラスを案内した。




